(杉山 進さん未公認) 杉山 進の「スキー教師の教本」(原著:杉山 進)  2004/ 2/11

丸ボタン SIA非公認スキー学校と、スキー教師のためのお部屋
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◇練習種目と練習斜面を選ぶ

 練習の種目と斜面は、相互に密接な関係にある。
 練習種目だけを考えて斜面を考えないのも、斜面を考えて種目を考えないのも、まずい。またその成果については、たいへんな違いが出てくる。練習種目が変るごとに、どの練習にはどの程度の斜度と、広さ、またはどんな地形が必要であろうかと考え、移動に可能な範囲内で、もっとも理想に近い斜面を使うべきである。
 そのために、スキー教師は、そのスキー場の地形、斜面による混雑の具合などを知っている必要がある。日本のスキー場はたいへん混雑するため、そんなことは不可能と、最初から決めつけていることはないだろうか。確かにヨーロッパのそれと比較する訳にはゆかない。しかしそのつもりにさえなれば、もっともっと効果的な練習が出来るはずである。例えば、練習斜面をクラスごとに取り替えることなども1つの方法であろう。
 一度斜面を確保するとそこは自分たちの既得権とばかり、3日間にわたりその斜面にへばりついて、練習をしているスキースクールを見たことがある。こんなところにも、もっと自然で伸び伸びとしているはずのスキーを、小さな型にはめたものにしてしまう危険がひそんでいるように思えて仕方がない。初心者にとって、また伸び盛りの中級者にとっても、この練習斜面と種目の選び方で、大きな効果を上げることも、足ぶみさせることも出来るのである。

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◇生徒に模範を示す場合、正しい姿勢とシュプールを

 どんな講習会でも見られるように、まずスキー教師が滑って見せている。
 これはぜひ必要な方法であるので、有効に利用しなければならない。どんなに理論的にその姿勢を説明されるよりも、その姿勢を見ることが何にも増して説得力がある。その場合正しい姿勢を見せることと、滑るシュプールの角度(土方注:)に、十分気をつけなければならない。
 初心者にとっては、シュプールの角度が急すぎると、スピードが出すぎて難しさが伴うのは当然である。また逆にシュプールの角度が緩すぎても、正しいスキー技術の習得が出来ない結果になる。
 そこで問題になってくるのは、スキー教師がそのクラスの技術程度によって、どのくらいのスピードで、どのくらいの角度で、どのくらいの長さを滑らせることが、もっとも適当であるかということを判断しなければならない。ちょっと考えると、大したことでないように思えるが、不自由な長いスキーをつけて、一日も早く安全に正しいスキー技術を習得するためには、決しておろそかに出来ないことである。

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◇機械力の利用

 スキースクールのレッスンというと、猫の額のような狭い斜面で、ちょっと滑っては登ることが当り前であった。それは、スキー場に機械力のなかった頃からの長い歴史と無関係ではない。最近は、少しずつレッスンにスキーリフトを利用する傾向はみえてきているが、まだ効果的に利用していない例が多すぎる。
 スキースクールのレッスンとは、小さな斜面でエッチラオッチラ登るもの、と信じこんでいる生徒も少なくない。それが嫌いなばかりに、スキースクールを訪ねないという考えの人がいることも確かだ。この考えのほうが正しいと思う。
 スキーリフト、空中ケーブルの機械力は、使いようによっては、スキースクールの手とも、足ともなる重要な存在なのである。これは可能な限り最大限に利用して、最大限の成果を目指すべきだ。その利用不足というより、利用をしてこなかった結果、日本のスキーが、姿勢だけにとらわれる弱いものになったのだ、と信じたら間違いであろうか。僕は、これが表裏の関係にあると信じている。
 小さな斜面での1つ、2つの回転はきれいに出来るが、リフト、空中ケーブルで山の頂きに登り、変化に富んだ大きな斜面を、アイスバーンを、新雪をとなると、滑ることが出来ないのが現実である。大半の責任は、スキー教師たちが背負わなければならないであろう。何故なら、その人たちは、生徒をそういう機械力を利用して、いろいろな斜面に連れて行かなかったためである。公式ばかりを教えて、その公式を使っての応用問題の解き方を全然教えなかったのと同じことになる。
 機械力を使って能率的に、変化に富んだいろいろな斜面で、その斜面にもっとも合った練習をしながら、下に誘導してくる指導方法について、真剣に検討される時にきていると思う。一言でいって、生徒は滑りたいのだ。機械力を利用することで滑走距離は飛躍的に増すのである。生徒に喜ばれ、かつ進歩は早く、何よりも良いことは、応用問題の解ける力強いスキーになることである。

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◇後ろをふり返える

 ある1つのことが出来たから、次に進む。これは至極当然のことである。易しいものから、難しいものへという、大原則に沿っているわけだ。しかし、次、次と前にばかり進んでも良いものではない。ときには、後ろをふり返える余裕も欲しい。すなわち、ある練習が出来たから、次の練習へ、そしてまた次へと常に新しいもの、未知なものの練習をと性急に与えるのは、あまり感心したこととは言えない。
 新しいものを試みては、また既に前にやったことのあるものに戻って、それを復習して欲しい。2歩前進しては、1歩後退を実行してゆくことが大切である。そういう内容の練習をくり返すことで、1つ1つが、より効果的に自分のものとして消化されるであろう。

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◇集中性

 勉強にしても、運動の練習の場合でも、締まりなくダラダラとやっていては能率の上がらないのは、すでに知られていることである。ただいたずらに、時間だけを長く消化したからといって、それで成果が期待出来るわけではない。または、決められた2時間のレッスン時間だからと、その時間の過ぎるのを待っているだけであるなら、それが教師、生徒のいずれの側であることは問題でなしに、レッスンをやらなかったに等しいことである。
 練習するときは徹底してやることが、必要であると同時に、大切でもある。クラス全体の空気が、やる気十分にみなぎるか、何となくだらけた空気になるかは、1つにスキー教師のクラスにとけこみ方、または指導いかんにかかっている。緊張し、集中性の良いレッスンを、連続2時間にわたって続けることは、精神的にも、あるいは肉体的にも無理な場合もある。そんなときには、間に小休止の時間を作り、リラックスすることが有効な方法でもある。まわりを見まわすと、他のクラスは一生懸命レッスンを続けていると、つい休みづらいものでもある。
 しかし他のクラスに気がねをする必要はない。自分の受け持っているクラスを、いかに安全に、早く上達させるかという至上義務に忠実であって欲しい。そのために有効とあれば、小休止もけっこうである。1つの運動の中にも、ブロッキングとリラックスの繰り返しがみられる。リラックスがあってブロッキングの効果をより高くするし、その逆のことも言える。日常生活の中でも、さらに職場での仕事のうえでも、このリラックスとブロッキングの関係は、深いつながりを持っている。
 スキーのレッスンにも、その方法を採用することにより、大きな効果を上げることが約束される。また、緊張し、集中性よくレッスンをすることは、生徒のケガを最小限にとどめることにも役立つのである。

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◇恐怖心

 僕は、初めて馬に乗ったとき、前を走る馬に引っ張られて、僕の馬も1人前に走り出してしまった。多少の不安はあったけれどしばらく後をついてゆく内に、カーブで身体がスーッと外側に持ってゆかれ、冷汗をかいて馬の首すじにつかまった。そのときの恐かったことが、今でも馬を見るたびに思い出される。
 もう1つ、今度は東京湾で、初めて友人のヨットに乗せてもらったとき、はるか沖に出て、突風のためヨットがひっくり返り、海の中に放り出されたことがあった。海のない県に生れ育ったのだが、幸い泳げたので助かったものの、漁船に助けられるまでの心の内は、実はおだやかではなかった。
 馬、ヨットのどちらも、それ以来、僕は乗りたいとは思わないし、友人に誘われても、上手いことを言って断っている。それは初めてのときに、いずれも相当に強く恐怖心を感じた結果によるものと信じている。スキーの場合は、直接死を感じさせる恐怖感はないかも知れない。
 しかし、最近のように神風スキーヤーの多いスキー場では、我々のようにスキーのすべてに対しての免疫性のある者には感じられない、強烈な怖さを感じている初心者は多いと思わねばならない。またそういう外的要素とは別に、スキー教師が指導する段階で、斜面が急すぎ、それが長すぎたりしてスピードの出過ぎることはないであろうか。そういう例も意外に多いのではないかと思う。中級者になったら、逆に少しぐらい恐がる斜面に連れて入ることも必要であるが、スキーの門を叩きに来たばかりの人たちには、決してこの種の恐怖心を感じさせてはならない。
 この場合、この程度のことなら大丈夫であろうと思ってやっても、まだ初心者にとって難しすぎるものである。その点を十分に考慮に入れて、スキーとは、恐ろしいものでなしに、すごく楽しいものだと、それぞれの段階で感じさせることが大切である。そうなったら、その後はどんどん進歩することは間違いないであろう。
 逆にそうでない場合は、僕の馬とヨットの例になりかねないのである。スキー教師の任務は、非常に重いのである。もっともそれだけに、やり甲斐があろうというものだ。

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◇ホメたりシカったり

 レッスン中、生徒の欠点ばかりを見つけては注意していることは、大体の場合、賢明な方法とは言えないであろう。
 自分で何か他のことを勉強していると仮想して欲しい。その中で、一回毎に頭から悪いところばかりを繰り返し繰り返し言われたら、どんな心境になるであろうか。多分、そのことを続けてゆく自信を、あるいは、どんどん進歩するという希望を、持てなくなるのではないだろうか。
 我々の生徒をもしそんな心境にさせたら、その生徒は、何か暗い気持ちでスキーを続けるであろう。もっとも、そんな指導をする教師にも一半の責任はあると、心得なければならない。教師の指導いかんによっては、どんな方向にも向きうる可能性を持っているのが生徒である。
 適度に誉めることと、注意することの指導の上に占める価値を知ることである。といって、誉めるところもないのに、やたらに誉めて良いものではない。欠点のほうについては、別に問題はないであろう。悪い欠点は幾らも、誰でも、持っているであろうから。
 と同時に、誰れもが、必ずどこかに、どんな小さなことでも、他人の持っていない良い面を見せたりすることがある。それがどんな些細なことでも、遠慮することはないから、誉めてあげるべきだ。また、ときによっては、今まで出来なかったことが、突然出来ることなどがある。そんなときも、すぐそのことを高く評価してあげるべきである。
 と言ったからといって、しじゅう誉めてばかりいては、言われるほうも、「本当かな」と疑問を持ってくるのは当然である。その辺のタズナのさばき方が難しいところである。実際でないことを言うのではなくて、あくまでも、事実にもとずいて、適度な誉めと注意をミックスすることが大切である。そこのところが分かってくれば、しめたものである。

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◇欠点の指摘

 レッスン中に、生徒の欠点を発見し指摘することは、決して易しいことではない。それがちゃんと出来れば、一人前のスキー教師というわけだ。現実には、それぞれ、その仕事を消化しているのだが、より効果の上がる方法はないものだろうか、とそのことに疑問を持ってみたとき、幾つかの点が僕の眼に映ってきた。
 まずその最初は、1度に幾つもの欠点を指摘しすぎている。次に、幾つかある欠点の中で、どれがいちばん根本的なものであるかを考えていない。以上の2点は、お互に共通した内容を持ってはいるが、さらに検討してみよう。誰もが単数の欠点でなしに、複数のそれを持っている。そんなときに、「あなたの外傾が少し足りませんよ、そして山側の腰をもっと前に出して、腕をもう少し広げてください。さらに・・・」といった具合に注意されたのでは、その次に滑るときに、「あそこも気をつけねば、ここも悪いのだ」と沢山の点を注意することになる。そして結局は、どれも出来ないでしまうものだ。
 そこで2つめの問題と関連してくるわけだが、どの欠点に焦点をしぼって注意をするかということになる。幾つかある欠点を、比較検討することによりどれが重要であるか、またはどこが基本的な動きとくい違っているか、と考えてランクづけをする必要がある。そのランクによって上位のごく重要な点のみを指嫡し、それ以外については当分の間、眼をつぶることがときには大切なのである。
 それから欠点というものは、多くの場合、ごく根本的な大切なことを指摘し、そこが良くなるにつれ、それ以外のところも自然に良くなることがある。そういう意味では、欠点でも、どことどこは関連性があるか、どの点がより基本的なところであるか、と常に勉強をして欲しい。

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◇飽きさせないように

 いくら美味しい、珍しい食物でも、毎日毎朝食べさせられたのでは、ありがた味もなくなるし、さらに、美味しくもない、もういい加減にしてくれということになると思う。
 それは食物だけの問題でなくて、どんなケースにも置き換えることが出来る。それでは、これをスキーのレッスンの場面にダブらせてみよう。スキーとて例外ではない。このような、ごく一般日常生活の中で言えることはスキーの世界にも通じているのである。
 すでに練習の種目と斜面の項で書いたように僕は、あるスキースクールで、3日間にわたり同じ斜面でレッスンをしているのを見た。こんなことは、僕に言わせたら不可能中の不可能なことでもある。3日はおろか、たった1日でも同じ斜面だけにとりついて、リフトも使わずに登り降りをしていることは、多分生徒にとって苦痛だったのではないかと想像する。
 小さな斜面にとりついて、基礎スキーの練習をする場合でも、可能な限り半日2時間のレッスンの間に、1度は練習斜面を取り換える必要がある。ということは、斜面だけの問題でなしに、練習種目にも関係していることなのである。生徒が飽きることのないよう、有効なレッスンを繰り広げるためには、練習種目にも変化を持たせることが必要になってくる。
 種目が変わるということは、その種目にもっとも適した斜面を選ぶことを考えなければいけない。何のことはない、練習種目と練習斜面は相関にあるわけだ。斜面が変われば種目もそれに従い、種目が変われば斜面も当然それに従うわけである。
 こういう考え方にたてば、3日間も同じ斜面での練習は、考えられないことが良く分かるはずである。
 とにかくそれが少しでも生徒の進歩に役立つなら、という立場に立って、スキー数師は生徒には変化に富んだレッスンで、飽きさせないように努力、勉強する義務がある。

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◇シーズン前のトレーニング

「運動の成果とトレーニンの関係」については、各方面で堀りさげた研究を進めている。昔からの根性論と、科学トレーニング論が最近の論点でもあるようだ。
 これはどちらか1つが独立しているものではなくて、両方をあわせ持つことにより、優秀な競技人が育つのだと思う。しかしどんな競技にしても、直接その競技、あるいはその運動ばかりを繰り返しても上達するものではない。そのためには、ある運動に特に必要な筋肉だけを強くするのではなく、総体的にバランスのとれた身体づくりをすることも大切だ。
 そのようなことは競技をする人たちの問題であって、我々スキー教師には関係のないことだと思っている人も少なくないようだ。ところがその目的は、競技に良い成績を出すために、あるいは立派な記録を残すためにということと、生徒の前でより安定した確実なスキーを教えるという、2つの意味を持つものである。目的こそ違うが、底に流れるものは同じではないだろうか。スキー教師が生徒の前で、安定したスキーを確実に、かつ平均して滑ることが出来たら、生徒からの信頼度は高くなるはずである。
 スキー教師としては誰もが、その信頼されるスキー教師になるため、努力しているものと思う。それには、雪の上のトレーニングだけではなく、夏季における基礎体力を養成するトレーニングを行ない、巧緻性なども身につけておくことが大切だ。
 日本にも2シーズン来ているバルトル・ノイマイルは、よく僕に「優秀なスキーヤー、またはスキー教師は、シーズン前に十分なトレーニングをしなければならない」と言っていた。この意見にはまったく同感で、二人でそのことを話し合ったものだ。
 特に、スキーのためのトレーニングとしてやれるのであれば、一番理想的でもある。しかしとかくそれを目的とすると、トレーニングの内容そのものに飽きてしまう人が多い。従って、そんなに改まったものでなしに、野球、テニス、バレーポール、ゴルフ、などなどの運動を、自分の趣味と合わせて続けることが、1つの方法である。
 おっくうがって自動車にばかり乗らないで、可能な限りは歩くことを日常生活に取り入れたり、日常生活のちょっとしたところにそれを織り込んだりしてゆく心がまえが大切である。その場合、1週間に1度トレーニングに十分な時間をかけるよりも、毎日少しずつの時間をそれに当てるほうが、結果としては、はるかに大きなものになる。
 またトレーニングには、1つの定義がある。「連続して、長い時間をかけて到達した調子は、長くその調子を持続する」というわけである。

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◇初心者のスキー用具の点検

 日常生活の中で服装などについては、誰もが、大きさがピッタリだとか、色が好きだといったことに気をつける。スキー教師である私たちも、ことスキーの服装には神経を使う。ところがスキーの未経験者にとってはスキー、ストック、ビンディングの類は全然未知の分野である。それだけに、スキーの長さ、ストックの長さ、ビンディングの扱い方・調整、ストックの持ち方などについての知識はない。
 スキー場に着いてから、スキーの長さ、ストックの長さについてあれこれ言うことは、必ずしも賢明とは言えないが、正しいスキーの履き方、ビンディングの調整、ストックの持ち方などに十分注意を払う必要がある。どんな用具も正しく使用することにより、正常な働きを通じ、安全にスキーをすることが出来るわけである。
 ところが初心者では、とてもそこまで注意力がゆきわたらないのは当然でもある。
 そこで、初心者または初級クラスを受持つ教師は、正しくストックを持っているか、正しくビンディングを使用しているか、スキー靴の下に雪を沢山つけたままでいないか、滑走面に雪が凍りついていることはないだろうか、また悪天候の場合には防寒具は大丈夫だろうか、逆に晴天においてはサングラスの所持について確かめるなど、スキーの少し出来る人には、しごく当たり前になっているようなことまで気をつけなければならない。

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◇レッスンのときの教師の位置

 レッスン中にスキー教師がどこに立っているかということも、教師にとっては指導上大切なことである。
 それを次のように2つのケースに分けることが出来る。
@ 斜面に立って、生徒に姿勢または技術的な説明をしているとき。
A 一人ずつ滑ってくる生徒を見ているとき。
 まず@のケースについて、
 普通には、1列に並んだクラスの前に生徒と向かいあって立ち、姿勢または技術説明をしている。ところが、ときたまクラスに背を向けた状態で話をしていることがある。
 これでは、クラスの生徒全員に説明が聞こえるかどうか。また聞こえたとしてもその内容が分かるかどうかは、疑問と言わざるをえない。このようなことでは、もしクラスの中に身体の不調、スキー道具の不備な生徒がいたとしても、すぐ発見することは困難でもある。
 次にAのケースについては、
 滑って来る生徒を見る場合にも、直滑降、山回りシュブング系、連続回転とそれぞれ違った状況が考えられる。が一番問題の起きやすいのは、山回りシュブング系(斜滑降、横滑り、山回りシュブング)のようである。滑って来る生徒より高い位置にいてはまずい。この位置からは、腰の高さ、外向傾姿勢、足首、膝の曲がり具合など、生徒の姿勢について正しくつかむことが出来ない。
 従って適切な指導をすることも出来ないわけだ。その位置にいると、次の反対側の練習に入りやすいことが、無意識の内にそうさせているのかも知れない。しかし最後の一人まで、もっとも姿勢の見やすい、そして正しく分析出来る位置にいて指導をしなければならない。

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◇生徒にとけこんで一緒に滑る

 上級クラスを受持っている教師は、レッスン中そのクラスの技術に合わせて滑らねばならない。もちろん中級クラスにも、初級クラスにも同じことがいえるわけである。特に初級、中級クラスを指導する場合に気をつける必要がある。
 完全に、そのクラスの生徒の技術に、また意識のうえで一緒になり、とけこんでゆくことが大切である。ときには一緒に遊んでいるような雰囲気を作り出すことも有効な方法である。小さな斜面で登り滑りして、基礎技術の練習をしているときには、前述したような問題も、一般的にはうまく処理されている。それがりフト、空中ケーブルなどの機械力を利用して山頂まで登り、そのときどきの地形、斜面をうまく使ってレッスンを繰り広げる場合、またフリー滑走の場合などに、ときおり困ったケースが見られる。
 分かり易く、ある1例をひいてみよう。
 ここにシュテムシュブングなら精神的余裕を持って出来るが、パラレル・シュブングとなると、相当精神を集中してやらないと失敗する程度のクラスがあるとしよう。ところがそのクラスを受持っている教師は、生徒の可能限界を越したスピードでパラレル・シュブングをして見せ、「さあ滑って来なさい」と言ったとしたらどうなるであろう。答えは簡単である。その教師は生徒の気持ちから浮き上がってしまい、次第に信頼感が薄れてゆくに違いない。
 このような実例を見たことがある。雪質は良く、斜面も大きく、広々としている。となったら、教師としても自分の力をセープすることなく、スピーディーに滑ってみたい欲望にかられるのは分からない訳ではないが、教師という自覚に欠けた者と言わざるをえない。どんなにスキー実技が上手く、理論を知る教師であっても、もしこのようなことをする人であるなら、それ一事をもっても、優秀なスキー教師とはいえないであろう。

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◇集合時間を守ること

 個人の行動と違い、団体行動の場合に集合時間を守ることが、その規律、または許された時間を最大限に活用するうえでもぜひ必要となってくる。
 ところが現実には、集合時間が過ぎても平気な顔をして続々と集まっている場合が多い。貴重な時間であると同時に、グループの中の少数の人が遅れることは、予定時間までに集まっている大多数の人の迷惑でもある。
 このようなことが生徒の側だけでなく、スキー教師の側にも見られることがある。もしもこんなことであるなら、その人がどんなに上手なスキーヤーであっても、理論、指導法が優れていても、スキー教師としての大切な要素が、欠けていると言わざるをえない。
 スキー教師たる者は、集合時間に遅れることは許されない。遅れるどころか、望むべくは定刻5分前には集合場所にゆき、生徒の集まってくるのを待っていることが理想的である。
 そして遅れて来る生徒には、貴重な時間であること、すでに集まっている人びとに迷惑をかけることなどの説明をし、次の機会からそういうことのないように注意をするべきである。
 このような節度のある空気から、生徒の側でも講習会にのぞむ気持ちが引き締められるはずである。講習会そのものだけでなく、全然別な要素をも利用して、講習会の成果をより大きくするように心がける必要がある。

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◇強調した姿勢

 スキーを安全に、そして確実に滑れるようになるためには、どんな姿勢が大切なのだろうか。また身体のどの部分を、どのように運動させることが必要であるかということは、相当に経験を積まないと分からないものであろう。
 特にスキーの場合は、スピードという全然別な要素も加わっているため、慣れない人にはどこが大切なのか、どこをどうしたら曲がり出すのか分からないらしい。ときには魔法を見せられる思いがするらしい。確かに上級者にとっては、曲がろうという意志さえ働いたら、どうということもなくスキーは曲がり出す。ときには内傾、内足荷重でも滑れてしまうから始末が悪い。
 そこでクラスを受持って指導する際に、注意しなければならないことがある。スキー教師は生徒の前で滑るとき、身体の動きのどこに、またどんな姿勢にポイントがあるかということが良く理解出来るよう、いく分強調した運動なり、姿勢をして見せる必要がある。
 そうすることにより生徒の側では「外向傾姿勢」というものが、「膝、足首の屈伸運動」ということが、良く分かるはずである。さもないと、「いったい私たちの先生は、どこをどうすることにより、あんなに曲がることが出来るのだろうか」と疑問をいだくようになる。そんなことにならないよう「スキーを滑るときにどういうところが大切なのだ」と良く分かるように強調した、姿勢、そして運動の出来ることがスキー教師としての条件でもある。
 「百聞は一見にしかず」と有名な諺があるように、どんなに上手な話術で何回もスキー理論について話をされるより、もっと手本らしいスキーを見せられるほうが説得力があるのである。

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◇易しいものから難しいものへ

 どんなものにも順序がある。いちばん分かりやすい例として、数学を上げることが出来る。まず数字を覚え、それをベースに、足し算、引き算、掛け算、割り算と初等数学を十分に身につけることにより、少しずつ難しさを増してゆくことである。そしてそれが高等数学にまで通じているわけだ。
 もしその法則を破って、途中から勉強をしたらどうなるであろうか。まったくもって不可能なことに気がつくはずである。スキーを滑れるようになる場合でも例外ではない。スキー教師は生徒によって、数学を教えたり、ときには、それが割り算であったり、高等数学であったり、さまざまに問題を与えるのである。その問題の出し方が、難しすぎても易しすぎても、生徒の技術進歩には役に立たないことになる。
 この生徒に現段階では、もっと横滑りの練習が必要であるとか、または下肢の屈伸運動が大切であるとか、適切なアドバイスをしなければならない。
 この場合、前にも述べたようにより易しいものから、少しずつ難しいものへと進めることを忘れないで欲しい。そういうレッスン内容を、予定どおり間違いなく進めるためには、練習種目による難易の順序を知っていることも条件である。
 そして、もう1つ、原則的にはこの方法で良いわけであるが、応用的な考え方をするなら、必ずしも常に石橋を叩いて渡る式の問題提起でなく、ときにはちょっと無理と思われるものを意識的に練習させることで、それまで出来ないでいたことが、一気に出来るようになることもある。

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◇協調性

 最近のスキー場風景の1つに、スキー教師を先頭に、金魚のウンコのように後を続いて滑っているのを、見かけるようになった。昔はなかったことである。
 これもオーストリアから伝わってきたものの1つであるが、まだこれをレッスン中に利用する度合が少なすぎるように見受けられる。ときには「なんだ金魚のウンコか」といって軽く考えられている面があるらしい。
 この練習をすることで、まず何よりも良い点は、幅の広いスキーが出来るようになることである。とにかく生徒は、そういう風な、ある意味での強制されたレッスンをしないと、次第に1つの形にはまったスキーをするようになってしまうものだ。
 スピードを、または回転弧の大きさを、いつのまにか決めてしまって、このスピードで、この回転弧なら滑れますというタイプのスキーヤーが出来あがってしまうのである。こんな形にはまったスキーしか出来ない生徒を創ることが、我々の目的ではないと同時に、それでは本当の意味でのスキーの楽しさを知ることが出来ないで終わってしまうことになる。
 実際にこの練習(1列に続く)をしてみると、なかなか上手い具合に出来ない事実をみても、その辺の一端を物語っていると思う。もっともっとこの練習をすることにより、生徒は、他人が決めたスピードと、回転弧に合わせることの出来る幅の広い、融通性のあるスキーが出来るようになるはずである。
 副次的なものと、この練習をすることで、レッスン中の生徒の滑る距離と時間は、長くなる。こんなことが、猫の額のような狭いところでのレッスンに飽き飽きしている生徒に、たいへん喜ばれる要因にもなっているらしい。
 もっとこの練習を、レッスンに取り入れる必要があると思う。

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◇忍耐強

 どんな場合でも、他人にものを教えることは決して易しいことではない。
 スキーの例でも、教える教師は、実技の練習に長い長い年月をかけて、すでにスキーは自分の身体の一部ともなりかけているのである。さらに加えて理論に、指導法にと勉強をしてきているのである。
 そういう意味では我々のスキーをつけての動きは、さして特別の意味を持たない。ごく普通に、必要が生じて、歩いたり、走ったりすることと、同じかも知れない。ところが、その教師に教わる生徒のほうは、ふつう長いものを身につけるのは雨傘ぐらいの生活で、いきなり2メートルにも及ぶ長い板きれを、足にがんじがらめにするのだから、その結果は想像がつこうというものである。
 スキーの操作を覚えると今度は、スピードを伴って動いている中で、スキーに言うことを利いて貰おうというわけだから、そんなに簡単に出来ないのは至極当然である。
 首を右にかしげさえすれば、右に曲がり出すとさえ言われる上級スキーヤー、あるいはスキー教師から見たら歯がゆくなるのは、これまた分からないでもない。しかし、出来なくて普通なのである。生徒の出来が悪いからと、イライラ、ガミガミは絶対に禁物である。
 もしそうすることで生徒が滑れるようになるのなら、いとも簡単なことである。それどころか、逆に悪い結果になることのほうが多い。
 スキー教師は一度雪の上で、レッスンを始めたら、常に「忍」の字を背負っていると、心得ているべきと思う。これは決して易しいことではない。たいへん難しいことでもあるが、スキー教師としては、どうしても、この試練を乗り越えておくことが大切である。

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◇スタート順

 レッスンの方法にはいろいろあるが、教師は原則として、どの生徒にも平等に接しなければならない義務がある。至極当然のことではあるが、知っていてもそれを行なうことは、ときによって難しいものである。
 小さな斜面で、斜滑降、横滑り、プルークといった練習をする場合、または、1列に並んで、次々と後をつけて滑る場合など、どれを例に上げても、10名前後の生徒を1つのグループとしていれば、そのスタートする順序が問題になる。
 特に気の強い生徒がいれば、その生徒が常に一番最初に滑ることはよく見られる例でもある。
 1つのクラスには出来るだけ同じ技術程度の生徒を集めるのは普通であるが、クラス編成上多少は上下差の出ることはいたしかたない。そんなときは、どうしてもその中で上手い生徒が先に滑り、下手な生徒ほどあとから滑ることもよくある。
 このように、レッスン中の滑る順序を、常に固定してしまうのは賢明なことではない。もしそれを続けていると、必ず一部の生徒から、それに対する不平不満が出てくるものである。不平不満が出てから滑る順序を入れ替えたところで、すでに手遅れというべきである。
 下手な生徒は、上手な生徒より前に滑ってはいけないものと遠慮しているし、気の弱い生徒に、我々の援助なしに、クラスの先頭を滑ることを期待しても、しょせん無理というものである。
 そういうことのないように、スキー教師としては、常に心を配ることが大切である。その結果、なごやかな雰囲気がクラスの中に生まれ、よりスムーズなレッスンが可能になるはずである。またスキー教師がクラスの生徒から、絶対の信頼をよせられることも約束されるであろう。

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◇スキー教師の日常生活

 最近、先生という言葉がたいへん広い範囲で使われている。先生という定義が変わらないまでも、広い意味で使用されるようになったことは、確かであろう。だからスキー教師も先生と呼ばれるようになったのかどうか知らないが、その一角を占めていることは確かのようだ。
 その先生という言葉には、我々小学生のとき以来、ある種の敬意を感じてきた。先生とはそもそも、そういうものであったのであろうし、それほど他人にものを教えるということが難しく、たいへんなことなのであろう。
 雪の上ばかりの先生であってはならないと思う。確かにスキーをつけている限り、生徒はその不思議とも思えるスキーさばきに、ついてきてくれるかも知れない。しかしスキー場は特殊な環境にあるため、夜の旅館の食堂で、ホールで、または部屋での行動を間違えると、生徒はあとについてこなくなる。そしてそれは、スキー教師全体の信用度にも大きく影響してくる。
 次にスキー教師として、ふだんの生活で気をつけなければならない点を上げてみよう。
 まず言葉遣いに注意をしよう。これはレッスン中はもちろんのこと、レッスン外のときも、決して粗野な言葉を使うべきではない。また目下の人、あるいは対等の人に接する言葉でなく、常に目上の人に接する言葉でなければならない。もちろんときと場合によっては、きつく叱ることもあり得ることである。その効果をより大きくするためにも、常日頃の言葉使いが大切であるし、それによって、教えることも生きてくるとも言える。
 次に、清潔にしていることも忘れではならない。この場合、いたずらにセーター・ズボンの服装類を着飾ることと混同しないで欲しい。消潔な服装でなけなればならないということだ。もちろん髪もつねに整え、消潔にしていなければならないし、無精ひげを生やしたままレッスンに出るのは、不心得もはなはだしいことである。毎日ひげを剃ることを励行して欲しい。また手もつねに清潔に保っていなければならない。爪を長くのばし、さらに爪垢がついているようなことは、もっとも恥ずかしいことでもある。
 さらに、アルコール類を飲みすぎて不始末をしでかすことがあるようでは、そのことだけをもってしても、スキー教師としての資格はないといえる。
 とにかく、スキー教師たる者は雪の上だけでなく、日常生活にも十分気をつけ、先生と言われるにたる行動をするように心がけるべきであろう。

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◇教師の服装、みだしなみ

 スキー教師の日常生活の項で、そのあり方については触れておいたが、ここでは服装、あるいはみだしなみについて、少し希望することや、またそうなくてはならない点を書いてみよう。
 まずスキーセーター、トレンカー、パーカーといったものは、必ずしも値段の高いものである必要はさらさらない。ただ、それらを清潔にしておく、または清潔なものを着ることが要求される。
 着用するものではないが、髭の毛も調髪しておく必要がある。たとえば1カ月以上も床屋に行かないでいるとか、無精ひげを生やしているとかいったことではいけない。もちろん、爪を長く伸ばしていたり、さらにその爪の間に黒く汚いものが入ったりしているなどということも、教師としては絶対に避けねばならないことである。つねに手を洗い、消潔にしていなければならない。
 また我々は生徒と同じ旅館に宿泊しているのが普通の状態なので、旅館内での言動にもある意味の制約がおきてくる。粗野な行動あるいは言葉は厳に慎まねばならないし、食堂などでのマナーも、注意しなければならない大切なことである。それから、ときには見られる悪例だが、くわえタパコで滑っている教師もいる。
 以上述べたようなことを、自分の生徒に見られたら、その教師は翌日から説得力がなくなると思って間違いないであろう。このスキー教師という「仕事」は、まだまだ社会的にはいろいろな面で認められていない。しかし、これからの我々の行動いかんでは、その存在を認めてもらい、そしてスキーの社会にぜひとも必要であることを認識してもらい、少しでも社会的地位を引き上げるよう、一人一人の数師の自覚による行動が、今がいちばん必要なときであると信じている。

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◇教師は恥ずかしがるな

 まず最初に、僕の実際に見たり聞いたりした経験で、ひじように対照的な例があるので、お話ししておこう。僕の友人で、ある全日本スキー連盟の指導員が、「レッスン中生徒の前では転倒をしたくないから、凸凹な急斜面あるいは新雪の斜面には入らないようにしている」と真顔で語ったことがある。
 一方僕の滞欧中での経験の1つに、サンクト・クリストフ国立スキー学校のあるクラスに入って、深い新雪の練習をしていたとき、手本である我々のスキー教師が転倒をして、真っ白になったことがある。その瞬間、僕は次に起こるであろういやな情景を想像した。それは、恥ずかしそうな顔をして失敗の言い訳をするスキー教師、困ったような顔をしてそれを開く生徒の側といったものだ。ところが、僕の想像どおりには事態は運ばなかった。というのは、そのスキー教師はふだんと少しも変わらない態度、表情でレッスンを続け、かつ、言い訳めいた話は聞くことが出来なかったのである。


 この2つの例でも良く分かるように、スキ一教師としてレッスンにのぞむ態度の善し悪しに、大きな差のあることを発見することが出来る。
 僕の友人の指導員の例が、日本における例外的存在であれば別に問題はないし、けっこうなことである。しかし現実は、ほぼそれに近い状態ではないかと思われる。もしそうであったとしたならば、スキーをより安全に、上手く、楽しく滑れるようになりたいためにスキースクールに入っている生徒が、たいへんな被害者ということになる。
 そこで提案をしたいことは、生徒の目を怖がらずに、もしその生徒たちに必要とあれば、凸凹の急斜面でもアイスバーンでも、そして新雪の斜面へもどんどん入ることである。そうすることにより、もちろん何回か失敗することもあろうが、そんな現象だけをもってスキー教師の評価をするほど、日本のスキーヤーのレベルは低くないはずである。
 今日本のプロ野球は、隆盛時にあると思う。その厳しいプロ野球にしてからが、野手の守備における失敗、打者の見のがし三振があるではないか。
 失敗があるから進歩があるのではないか。生徒の技術をもう一段高いレベルに引き上げるためには、レッスンにのぞむスキー教師の心の持ち方を再考する必要があると思う。
 最後にもう一度、生徒の前での失敗を怖がらずに、必要があるならいつでも難しい斜面において、レッスンを展開しようと言いたい。

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◇多い運動量を

 「習うより慣れろ」という格言がある。運動以外のものにも、通用する言葉なのであろうが、少なくとも運動に関する限り、なかなか上手い言葉であると思う。頭の中で、どんなに順序立ててその運動が分かっていても、動き出すと、とたんにその知織が役に立たなくなるものらしい。もともとこれは、スキーだけに限ったことではない。もちろん頭でその運動理論を知ることは、マイナスにはならないであろう。それがすべてではないということだ。そこに、習うより慣れろという格言の生きている分野があると思う。
 実際に雪の上でのレッスン風景を見ていると、クラスの生徒を前にして実に長々とスキー技術の説明をしているのに出会う。これなども、その例にもれないものだ。雪のないところでも、スキー理諭の勉強は出来るが、実技は出来ないはずである。雪の上に立ったら、貴重な時間を有効に生かし、滑るほうにまわすことが賢明な基本的な方法である。理論の説明も、もちろん必要とするが、出来るだけ簡略にすませるべきであろう。
 たまたま晴天の日に、長いおしゃべりを聞くのなら、まだ我慢も出来ようが、ときには吹雪の激しい中で、それをやっているのを見うけることがある。こんなことは、「不見識」の一言につきる。
 暖かい日なら退屈するだけですむものも、寒い吹雪の日では、それにプラス寒さ、さらに筋肉の硬直がおこる。そのため、上手く滑れないだけでも、生徒にとってはたいへんな被害であるのに、怪我をする可能性もひじように高くなる。
 レッスンの場合は、出来るだけ説明を簡単にして、より多い運動量を与えるよう配慮する必要がある。

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◇常に鍛錬を

 日進月歩という言葉がある。今の時代は日進月歩どころか、もっともっと速いテンポであらゆるものが進歩しているのである。一般スキーヤーのスキー技術も、10年前を振り返ってみただけでも、その進歩にあらためて驚かざるをえない。もちろんその進歩の助けをしたものは、直接的にはスキーリフト、空中ケーブルなど、スキー場の機械化と近代スキーにマッチした高度な指導体系、さらに年々改良されるスキー用具などがあろう。まだまだ上手くなれる要素がたくさん残っているし、またそれを一歩ずつ着実に自分のものにしてゆくことが出来るに違いない。
 ところが、その人たちを教えるほうの側では、純粋に指導を目的としてその資格をとるのでなくて、多くの人はスキー生活の最終目標みたいな意味で、指導員というワッペンをつけることと、その地位の獲得とを目指しているのが現状のようである。そこにたどりつくためには、シーズン中の滑る日数をなんとか作り、ある意味ではスキーに対する情熱(指導員の地位にというほうが適切かも知れない)が高まっているときかも知れない。
 しかしそこに達すると、自分の目的は果たされたとばかり、滑る日数は極度に減って、勉強も怠るらしい。これでは何のための資格であろうかと言いたい。本当の意味では、この資格を得たときが最終ゴールでなくて、ここがスタートであるべきものと思う。これから各人の努力次第で差がついてくるのである。
 そう、冗談でなしに、我々スキーを指導する立場の者が、フンドシを締めてかからないと、一般スキーヤーにどんどん追いつかれるのではないかと心配にさえなってくる。
 ここでまた、ある例を上げてみよう。1965年のシーズンに、僕がオーストリアから連れてきたルディ・マイヤ一氏は、3か月余の志賀高原滞在中、夜中に新雪が降るとその翌朝は必ずいつもより早くスキー場に出て練習をしていた。そしてルディは「自分のスキーはまだ完全ではない。だからより難しい条件の中で、すなわち新雪の中で滑るチャンスは逃すべきではない」と言っていた。そんな徹底した考え方は、必ずしも全部のオーストリアのスキー教師が持っているわけではないかも知れない。しかし平均的スキー教師の姿を、ルディのそこ見出すことが出来る。
 これが責任あるスキー教師としての姿でもあると思う。そこで言いたいことは、自分の技術を最小限維持するためにも、そしてより洗練された高度なスキーに仕上げるためにも、自由な時間を、アイスバーン、凸凹な急斜面、深い新雪といった難しい条件を自ら求めて欲しい。このように自らを厳しく律することが出来なくては、向上はあり得ないはずである。

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◇指導活動が至上の目的

 日本の場合、スキー指導員と言われているが、これらの人たちは日本スキ一連盟によって検定されている。このようにそれを仕事として活動するために必要な資格制度は、我々の身の回りに幾らでもある。
 長い年月を要する医師にしても同じことであるし、理容師、大工とその例を身近なところに求めても良い。ほんの一例を上げたにしかすぎないが、それらは国家検定であり、スキーの場合は、そうでないという違いは確かにある。しかしそこに違いがあるといっても、いずれの場合も「指導するため」の資格であり、またその条件であるといえるだろう。
 ところが現実は少し違う。だいたい我々日本人は、どうもランクづけが好きらしい。スキーという世界には5級から始まって2級→1級とあり、その順序を経ることによりさらにその上には準指導員、指導員という制度がある。
 僕はそもそもこの5級から1級までと、準指導員、指導員の間には大きな違いがあるべきだと思う。後者は、読んで字のごとく「指導活動」をすることが、主たる使命である。前者がそれを要求されないのは当然であるし、スキーヤーの進歩の過程をあらわす方法で、希望すればそれを受けることが出来ると解釈をしている。
 ところが実際は、これとそれを一緒に考えている人が多いようだ。指導活動は全然する気はないが、スキーを始めたならそこまでやらなければとか、それが競技を除いては、ランクづけの最高のところだから、指導員になってやろうという考えに立っているようだ。
 たまたま咋シーズンの3月末、ある指導員に「このシーズン何日ぐらい指導活動をなさいましたか」と質問したところ、「3日間でした」と何のわだかまりもない声が返ってきた。この場合、僕は少なくとも恥ずかしそうな顔をして欲しかったが、残念なことにそういう光景は見られなかった。
 それどころか「準指導員、指導員になるためにはずいぶん滑りの練習をしたり、指導活動もしたりしたのだけど、最近はどうも」というオマケまでついていた。この短い会話から現実の一端をうかがうことが出来たと思うが、これが指導員になろうとする人たちの平均値だと言ったら、言い過ぎであろうか。
 最初にも書いたように指導員というのは、指導活動をするために必要な資格であって、それを取得したときに最終ゴールに到達したのではない。ことのときから、優秀なスキーヤーとなるべく、また優秀なスキー教師となるべく、スタートラインに立たされたのである。
 そのためには、実際の指導活動を出来る限りやって欲しい。また、そうすることが本来の姿であると思う。

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◇用具に対する知識

 スキー用具には、いろいろある。スキー、靴、ストックはもちろん、セーター、パーカー、パンツといったものから、小さなものでは帽子、手袋、サングラス、靴下といった類のものまでを考えると篤くほどある。しかし、それを大きく2つに分けることが出来る。
 スキー、ストックを除いたものは(スキー靴は両方に入る)、我々の日常生活に深い関係のあるものばかりである。ということは、誰もがこのセーターは自分にちょうど合うとか、少し大きい、と判断が出来るし、色が気にいったという具合に、まったくふだん着るものを選ぶときの考え方がそのまま通用する。
 ところが、ことスキー、ストックになると、日常生活には全然関係のないものだけに、いったいどのくらいの長さのものが適当なのか、また堅さはどんなものが滑りやすいのか、見当がつかない。まったくもって当然なことである。
 スキー靴については、ある部分で日常生活と関係があるし、特殊な靴という意味で今まで述ベてきた両方の意味を持っている。
 スキーでさえあれば、それで用をなすというものではない。技術に合った、正しい長さのスキーを使用することが安全に、早く、正しいスキーを身につけることにもなるので、我々教師の立場からも適切なアドバイスが必要だ。
 ストックについても長すぎたり、短すぎたりすることのないほうが良い。一般的には、脇の下に入って、肩が押し上げられたり、下がったりすることのない状態が望ましい。この場合、石突きの部分を雪に刺さないでの長さを言っている。また長さだけでなく、ストックのバランスも大切なことである。
 いずれの場合も、どういう状態が正しいかをよく説明して理解させること、そして用具を正しく使うよう指導しなければならない。その意味では、最近のビンディングにおいても、同じことが言える。
 その種類はひじように多くを数え、かつ1つ1つが、それぞれ独特な着想のもとに設計されている。ビンディングの名前がセーフティーだからといって、イコール絶対に怪我をしないという訳のものではない。どんなものも進歩発達すればするほど、そのものに対する知識、構造を知らねば、正しく使うことが出来ないのではないだろうか。
 専門的に1つ1つの構造までを知る必要はないまでも、どのビンディングについては、どの「ネジ」を調節することにより、どういう強弱の差が出てくるとか、通常はこのくらいにしておくのが良いといったことを初め、もしこの部分を知らないで緩めたままで使っていると、セーフティーはおろかビンディングとしての用をなさなくなるといったことを、最低限、知らねばならない。
 そしてその知識をとおし、生徒のビンディングにたえず注意し、その正しい使い方を知らない生徒には、十分教えることはもちろん、レッスンの間に、この種の知識を少しずつ話してゆくことも、正しいスキー技術を習得させる前提条件であろう。
 次にスキー靴である。これはすでに少し述べたように、生活と結びついたところがあるので、今まで述べてきた、スキー、ストック、ビンディングといったものと同列に考えるわけにはゆかない。本人が履いてみて、ぴったり合うことが条件であるし、他人ではこれについて、合うとか合わないとか言うことは出来ない。
 スキー技術のうえでは、機会あるごとに膝、足首の関節を曲げることを要求するのに、堅い、深い靴でその動きが出来なくては、何にもならない。
 正しいスキー技術を身につけることが出来ないだけでなく、ギプスをはめた状態で滑ることは、運動本来の「動き」を止め、安全性もおびやかされることになるので、そういう生徒には正しい深さを教え、どうしても困るときは、いちばん上のバックルをゆるめて使用させるのも1つの方法である。

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◇スキーに近い関節ほど・・・

 オーストリアスキー技術がパインシュピール技術と別名で呼ばれているのは、すでに知られている。バインとは下肢あるいは脚部のことをいい、その脚部の運動によるスキー技術というわけである。
 要するに脚部の屈伸運動をその中心に考えて、組み立てられている。
 よくスキー教師は、「膝まえ」という言葉を知っていれば務まる、と言われている。まさか、その言葉だけで仕事が出来るわけもないが、言わんとすることは、それほどに膝を、また脚部を曲げる重要性が、そこから感じられる。ところが同じ膝を曲げても、椅子に腰かけたように低くした場合と、(上半身をまっすぐに保ったまま、膝を前に出す)高い姿勢でやった場合では、足首関節の動きに大きな変化がでる。
 この足首関節が、下半身の動きの主役を演じているのである。
 スキーは足につけるもので、それ以外の方法をもってスキーをやっている人はいないはずだ。とすると、足首がスキーにいちばん近い関節となる。以下、膝、腰の順序となる。ところが多くの生徒は、スキーからいちばん遠く離れている頭で、あるいは肩で、操作しようとしている。近いものを有効に使うことが、もっとも力の伝わりが速く、かつ正確でもあるのだ。
 そこで、大切な順で関節にランクをつけると、足首、膝、腰という順になる。
 まず初心者にはもちろんのこと、中級者にも足首を十分に曲げ、活用するよう説明してあげる必要はある。

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◇滑る前に慣れさせる

 初めてスキーをする人の多くは、交通費と時間をかけてスキー場まで来るのは、「滑る」のが目的だからとばかり、いきなり斜面の上に立って、滑りたがるものである。まあ、その気持ちも分からないではないが、生徒の一時的な希望に妥協してしまい、その人のスキー生活の第一歩を間違えてはいけない。「ものには順序がある」という言葉を、よく聞くことがある。まったくそのとおり、スキーとて例外ではない。学校制度も、小学校を卒業し中学校へ、そしてさらに高校、あるいは大学と進む段階が出来ているではないか。
 飛躍した話なのではなく、我々スキーヤーはこのことを、徹底的に確認する必要がある。そのことが徹底されないから、スキーを履いたら、ストックを脇にはさんで斜面を真一文字に滑り降りる神風スキーヤーの誕生、ともなっているのだ。
 自動車は走る凶器として騒がれているが、スキーもその意味では決して負けないかも知れない。スチール・エッジをつけ、とがったストックの先と、危険な要素は幾らもある。それらの要素の危険度をもっとも高めるのが、スピードという魔物である。
 スキーを履いたら、まずストックのにぎり方、歩き方、キックターン、登行といったことを、最少限半日、2時間くらいはしたいものである。要するに、ここでスキーとはどんなに自分のいうことをきかない板きれであるかを、知ってもらう必要がある。そこに費やした時間は必ず、あとでムダではなかったと確認するときがあるはずである。
 とにかく、初心者には階段も一段一段とゆっくり登ることを教えてください。決して途中で二段ずつも一足で登ることのないように、そんなことをすると踏み外して「向こうズネ」を嫌というほど打つことにもなりかねない。我々が十分に心しなければならない大切なことである。

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◇慢心するな!!

 つり天狗、ゴルフ天狗、マージャン天狗、といろいろな天狗サマの中に、スキー天狗はいないだろうか。まあ、そういう人種はいつの世にも姿を消すことはないと思う。
 しかしその天狗にもいろいろあるが、僕なりに次のような分け方をしている。
 いわゆる楽しみでスキーをやっている人の中での天狗サマと、それを指導する側の天狗である。これは本質的に違うと思う。
 前者のそれには、聞いていても明るい、ある種の愛嬌すら感じられるのに対し、後者からは暗い、やりきれないものを感じるのは僕だけだろうか。
 1964年から65年のシーズンに、僕がオーストリアから連れてきたルディ・マイヤーというスキー教師は、ひとシーズン志賀高原に滞在する間、新雪が降るとその朝は、いつもより早く滑りに出てしまう。その他、夜は早くベッドにもぐり込む、アルコールは飲まないといった具合で、実によく生活をコントロールしていた。あるときそのことを話し合ったところ、「自分のスキーは、まだ完成されたわけではない、つねに努力、精進しなければならない」と。また「日本のスキーヤーがせっかく、僕の滑りを楽しみにきてくださるのに、夜ふかし、あるいはアルコールでコンデイションを崩しては、自分のスキーが出来なくなるから」と答えが返ってきた。
 25才の若者からの答えとは思えない、優等生らしい返事であった。この問答から、スキー教師は学びとらねばならないことが、無限にあると思う。
 とにかく、それを仕事とする教師が、自分の滑りを「俺は上手いのだ」といった気持ちで慢心することがいちばん恐ろしい。
 もしも慢心したら、その人のスキーは、そこから進歩がなくなると断言出来る。

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◇個性あるスキーを育てよう

 人間一人一人は、異なった性格を持っている。性格こそ違ってはいるが、社会の一員としての共通した責任なり、義務といったものがあるはずだ。誰もが守り、果たさなければならないものがある。そういうものの上に世の中が成り立っている。
 およそスキーとは関係のないことを書いたが、これをスキーに当てはめることは出来ないだろうか。僕は出来ると思う。すなわち誰もが果たし、守らなければならない責任、義務を、この場合スキーの基礎技術に、それを発展させた段階では、一人一人の個性あるフリーの滑りにたとえてみた。
 基本技術を十分身につけた人なら、その人独特な姿勢なり、滑りがあっても良いと思う。それどころか、そうでなくてはならないと信じてさえいる。もし、どのスキーヤーを見ても画一的な滑りをしているだけで、そこに個性的なものが全然入っていなかったら、さぞつまらないスポーツになり下がってしまうのではないだろうか。
 その人の持つ滑りの「悪い面」と「良い面」が、しばしば一緒になっていることがある。外見上ここが悪いからと矯正したところ、以前に持っていた良い点まで消えてしまった例を知っている。
 こうして考えてくると、スキー教師という仕事は、おそろしい難しさとたいへんな責任がついてまわるのである。
 とにかく注意したいことは、基本技術を十分身につけた人なら、見たところあるいは細かいところで、多少個性のある動きをしていても良いと思う。それらを殺すのではなく、逆に活かすことを主体に考え、適切なアドバイスをしなければいけない。

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◇吹雪のときの心遣い

 滑るときは、いつでも快晴とは限らない。曇った日、雪降りの日、風のある日、といろいろあるが、いちばん閉口するのは吹雪の日である。
 横なぐりに風雪に吹きまくられると、一瞬息が出来なくなるようなときもある。もちろん視界は極端に狭く、悪くなってくる。
 こんなときのレッスンを、悪い条件の中で少しでも効果のあるものにするためには、幾つかの点に注意をしなければならない。
 まず風の方向、強さなどを調べ(といっても、この場合正確な意味での数字ではない)、どの斜面がいちばん風の当たりが弱いかを、知る必要がある。ほんの少し斜面を変えるだけで、身体に感ずる風の強さは、たいへんな違いがあるものだ。その場所によっては、生徒のレッスンにおける集中性が簡単に良くなったり、悪くなったりする。出来る限りそういう斜面を選ぶよう、そのスキー場について、調べておく必要がある。
 また普通なら1回の練習ごとにスタートする方向を変えることがあるけれど、吹雪のときには、練習の順番を待つ間、生徒の背中に風を受けるよう考えて欲しい。もしこの逆であったなら、自分のスタートまでに、正面から吹きつける風雪で、だいぶ意気をそがれてしまうことにもなる。晴天の日ならリフトを使ってのレッスンが多いのも結構だが、こういう天気の悪いときに身体の動きを止めて、静かにリフトに乗っていることは、ますます筋肉を硬くしてしまうので、出来るだけ一定の斜面において、登り・滑りを繰り返し、暖かさを保つよう考慮をして欲しい。
 それでも指先が冷くてどうしようもなくなるときがあるので、頃合いを見はからい両手で身体のいたるところを「タタキ」、あるいは指先をもんで保温に注意して欲しい。
 とくに零下15度以下にもなると、吹雪でなくともそういうことがあるので、それを計算してレッスンを展開しなければならない。

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◇ワックスをポケットに

 初めてスキーをする人にとっては、見るもの聞くものがすべて新しいことばかりで、面くらうのは当然であろう。
 都会の生活においては、雪の降る光景を実際見たことのない人はざらにいるであろうし、ましてや、スキー、ストック、ピィンデイング、靴といった道具から服装、ワックスにいたるスキーに必要な品物の知識まで考えが及ばないのは至極当然である。
 あるいは、スキーの滑走面にワックスを塗らねばならないということを、知らないかも知れない。
 また不思議なもので、同じスキーでも経験の深い上手いスキーヤーが使えば良く滑るものが、初心者が使うとそれほど滑りが良くないといったことは常に見られる。要するに、滑る技術が進歩するに伴い、「滑らせる技術」も身についてくるわけである。スキーはスピードがあるから容易に曲がるのであって、そのスピードが遅ければ遅いほど、曲がりにくい条件の中にいることにもなる。
 「今日初めてスキーを履きました。」という人たちのグループを見ていると、必ず何人かは、平地を歩くのに本来スムースな動きであるべきところを、ギクシャクした足運びをしている人がいる。
 よく見ると、滑走面に雪が団子のようについていることがある。これではスキーの滑るという特性を生かしたスポーツが根本から死んでしまう。その本人は、滑走面に雪が凍りついているために滑りが悪い、ということも分からずにいるケースがほとんどである。
 こんなときの用意に小さなワックスを、常にポケットにしのばせて欲しい。そしてそういう生徒を発見したら、すぐ雪を落とし、ワックスを塗ってあげる心遣いが必要である。
 滑走面に雪がつくということでは、中級ぐらいの人まで失敗するときがある。それは、寒く冷え込んだ朝、乾燥室から飛び出して、いきなりスキーをつけたときに見られる。すなわち、一晩中乾燥室においてあったスキーは相当に暖まっている。そのスキーをいきなり雪の上に置くのだから、スチールエッジ(や滑走面)に雪が瞬間の内に凍りついてしまうのは当然であろう。
 こういうことのないように、乾燥室からスキーを出したら少しの間、雪面にスキーを置かず、立てかけておくとか、あるいは裏返しにしておくことが必要である。そうしている内に外の気温に慣れると、もう凍りつくこともないはずである。また、急いでいるときなどは、片方ずつスキーを雪面に置いたら、すぐ前後に「こする」と簡単に解決はつく。
 中級者でこの失敗をしている人が結構あるので、クラスの生徒に、この2つの方法について一度説明しておくのが良い。

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◇初心者の道具について

 滑走面の凍結ばかりでなく、初心者はその他でも知らずに失敗していることがある。
 たとえばストックの手革がねじれていたり、手を手革に通すのに、その通し方を間違えていたり、またビンディングの扱い方などについても、、、その例にはことを欠かない。
 またその調節が悪いため、ごく簡単なことでスキーが外れてしまう例も多い。いずれの場合も、教師の立場からはすぐ発見出来ることである。しかしそれに気がついても、「もう少しで時間が終わる終わるから」とか、「面倒だ」なんていう理由で見逃していることはないだろうか。
 雪の上で処理出来ない場合は、その人だけ練習を中止しても修理に行かせるとか、簡単なことは、その場で注意し、あるいは直してあげる態度が絶対に必要である。
 道具を正しく使ってこそ、正しいスキー技術を習得出来るのである。

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◇声をかけてあげる

 よく聞かれることに、「レッスン中は上手く出来たのだけど自分一人で滑ると、それが出来なくなる」というのがある。
 確かにレッスンのときは、10名前後を1クラスとして練習し、「あの人が昨日出来なかったことを、今日はもう出来るようになった」というように、お互いの競争意識が相当に働いてくるようだ。それも、上手く出来る大きな要素ではあろう。
 もう1つ意外に有効な方法がある。それは、滑っているときに「声をかける」ことである。
 慣れないと回転のキッカケをつかむタイミングが思うように合わず、回ろう、回ろうと思っている内に、いつのまにか斜面のいちばん端まで来ているといった例はかなり多い。また、凸凹の斜面で滑る場合、コブの使い方を知らないため、もっとも抵抗が高く回りにくい場所で回転のキッカケを起こしている人も沢山いる。
 いずれの場合も、もし教師がタイミングよく声をかけることで、何となく「スーッ」とキッカケをつかむことが出来るのである。
 我々がちょっと声を出してあげることで、今まで非常に難しいと思い込んでいたものが、何のことはない簡単に出来てしまうのである。
 しかし、逆にコブの斜面においてタイミング悪く声をかけてやったら、結果は逆になる。要するに正しいタイミングをつかんで、声をかけなければ意味はない。
 それと同時にある程度、大きな声を出すことも、この場合必要な条件である。蚊のなくような声であっては、これまたせっかくタイミングよくても、全然死んでしまう。大きな声で、かつタイミングよく声をかけ、気がついてみたら、いつのまにか回っていました、というような声のかけ方であって欲しい。それにはどうでなくては、という定義はないようである。

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◇ゲレンデのマナー@

 最近のスキー場におけるマナーの低下はたいへん困ったことである。その中心的なものは何といっても、神風スキーヤーである。
 曲げること、止まることが出来ないで、ただストックを脇の下にかいこんで、斜面の上から、下の人混みめがけて滑り降りてくる。あるいは、斜面の途中にミカンの皮や、ゴミを落として平気な人。またスキーリフトの乗り場において、平気で割り込みをするというようなスキーにおけるマナーどころか、一般社会における、ごく当り前の常識ですらある。
 自分のクラスからは決してそういう恥ずかしいスキーヤーにならぬよう、十分スキーにおけるマナーについて説明して欲しい。そうして、みんなで少しずつ積み重ねていくことで、いつの日か日本のスキー場にも健康で明るく、楽しいときがくるはずである。
 そういう意味では、こういう混乱期に指導する立場にある我々スキー教師の責任は非常に重いことを認識しなければならない。

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◇ゲレンデのマナーA

 どこのスキー場も、宿泊設備はどんどん増加し、スキーリフトの施設は改良され、あるいは新設されている。ところが肝心な滑る斜面は、それと比例して広くはなっていない。いきおいどのスキー場も大変な混雑をする。当然、斜面もその例外ではない。
 従来、日本のスキー講習会はリフトを使わず、小さな斜面で登ったり、滑ったり一日中、エレベーターのように繰り返していたものである。確かに必要と分かっていても、リフトを使いにくい客観情勢はある。
 自分一人で滑っていても、ときには危険を感ずるのに、とても10名もの生徒を引き連れてのレッスンどころではない、という気持も分からないではない。しかしそれでは、いつまでたっても、きれいな姿勢は出来ても実際に変化した斜面で滑ると、ガタガタ崩れてしまうスキーヤーから進歩しない。
 これは機械力の利用という項ですでに述べてはあるが、その難しい条件の中で、出来るだけリフトをはじめ機械力を活用して欲しい。
 そして、そのためにはクラスを受け持って指導する教師として、是非気をつけなければならないことがある。
 レッスンをしながら斜面を少しずつ降りてくる場合、いちばん注意する必要のあることは、そのときどきの集合場所である。よくコースの真中で集まっていることがあるけど、ちょっと気を使うと、比較的スキーヤーの滑って来ないコースの端のほうが空いていることがある。教師としては、常に、出来る限り「安全」ということを念頭においてコースを、あるいは斜面を選ばなければならない。
 そうすることが、自分たちのクラスの安全であると同時に、他のスキーヤーのためにも、安全なのである。

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◇初心者の段階から新雪を

 僕のスキースクールに参加した上級スキーヤーが、よくこんなことを言う。「わあっ、初めて新雪で滑ってみた」
 僕はこの言葉を聞きながら、この人も日本人の平均値的スキーヤーだなと思っていると同時に、これではいけないと痛感している。
 いわゆる踏み固められた滑りやすい斜面では、美しく安定して滑れるが、それ以外の条件では自分のスキーが出来ないというのでは、本当の意味でのスキーヤーではない。本来スキーとは、きびしい冬の自然の中で生れ育ってきただけに、急斜面でも、新雪でも、アイスバーンでも通用しなければならないものである。それが最近は、機械力の発達と間違えたスキーに対する観念から、前記したようなスキーヤーが大半になってしまった。
 これは、その人にとっても、あるいは日本のスキー界にとっても、はなはだ残念なことである。なぜなら、スキーヤーとしてのもっとも高い楽しみを知らないのだから。
 その点最近は、新雪も一部のスキーヤーに認識され、そして興味を持たれるようになったことは、喜ばしいことである。
 しかし、その新雪に接する時期について、我々スキー教師の側からも検討しなければならないときにきていると思う。
 まず現実について調べてみよう。すでに前記したように、上級スキーヤーにして「初めて経験した」ということは、初級、中級の段階ではもちろん経験がないわけだ。それをスキー技術の指導体系にたとえるなら、平地でのスキーに慣れること、直滑降、斜滑降、横滑り、山回りシュブング、あるいはボーゲン系の練習をいっさい省いて、いきなりシュテム・シュブングかパラレル・シュブングの練習をするにも等しいことである。
 それで滑れるようになるであろうか。まず絶対不可能といっても過言ではない。
 「ものごとには順序がある」とよく言われるように、その指導体系を追うことにより、安全な滑りを覚え、かつ大きな効果を上げることが可能になるわけだ。ところが新雪については、初心者が対象には全然考えず、一応パラレル・シュブングあるいは、ヴェデルンが出来る人たちが、初めて眼を向けるようだ。
 これでは、そう簡単に滑れるようになるわけがないのは当然でもある。
     *   *
 そこで提案したいのは、初心者の段階から新雪を、ということである。といっても決して難しい考え方をしないで欲しい。
 平地を歩く練習をしたら、それをすぐ新雪の斜面でさせてみる。また直滑除、斜滑降とそれぞれ踏み固めた斜面で練習がすんだら、さっそく新雪で経験してみるといったていどのことである。一見なんの役にも立たないように思うかも知れないが、新雪の平地を歩くのは、そもそも新雪に対する感覚を身につけるし、同じく直滑降、斜滑降でいかにしたら、その条件のもとで上手く滑ることが出来るかと身をもって体験するわけだ。
 そのように新雪における「初歩的技術」を十分経験し、解決しておくことは、高度な技術を新雪の中で駆使する絶対条件の1つといえる。
 今までは講習会というと、新雪のそれを敬遠していた向きもあるようだが、スキー教師たるもの、その責任の重いことを十分に感じて欲しい。自分で上手く出来る・出来ないの問題ではなく、そのスキーヤーが将来いかに抵抗なく新雪を滑れるようになるかという遠い目的のため、初心者にも、その段階で必要かつ出来ることを経験させておかねばならない。

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◇フォームの歴史

 ここでスキー史をひもとくつもりはないが、簡単にそのフォームがスキー史のうえに果してきた役割を説明しておこう。そして、そのことを今後の指導活動にいろいろと反映させて欲しい。
 例えば@1925年頃はホッケー姿勢が当時の全盛をきわめた。ちょうど椅子に腰をおろしたような感じのスキーである。これは下肢の筋肉を常に固めておかねばならず、身体のあちこちで悲鳴を上げるかも知れない。ハンンネス・シュナイダーによって体系づらけれたものである。
 その後第2次世界大戦直後、戦勝国フランスの手によって発表されたのが、A1945年の前傾技術である。そして、現在のスキーはB1955年にオーストりアが発表したもので、前者と比較して、相当に腰の位置が高く上がっている点に特徴がある。
 これは、それぞれ3つのフォームをやってみることで、その違いを感じられるが、Bがいちばん動きやすい姿勢であることに気がつくと思う。
 これが非常に大切なところである。運動をするのに身体が堅いとか、動きにくい状態では、自分の意とする動作をするのに相当時間的経過を考えなければならない。
 たまたま「5」という数字に緑のある数なので、記憶もしやすいと思う。1925年、1945年、1955年といった具合に。
 スキー教師としては、こういうことを是非とも知っている必要がある。そしてその知織をレッスンにいろいろな意味で活用させて欲しい。
 まあこの他に卵型スタイルというのがあるけど、これはあくまで変則的な技術であって一般のスキーヤーのすることではない。競技選手が100分の1秒を競う結果生れてきたものである。1960年のアメリカ・スコーバレーオリンピックにおいて、フランスのピャルネ選手が滑降競技で金メダルを手に入れた技術である。

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◇滑る前十分道具に慣れさせること

 スキーとは、高い山の頂上から斜面を滑り降りるものである。スキー場に行けば、大勢の人たちがそれぞれに自分の力の範囲内で、斜面を右に左に曲がりながら滑っている様を眺めれば、早くあんなになりたいと希望するのは至極当然でもある。
 その結果、殆んどの初心者は近道を選んでしまうらしい。というのは、「スキーを履いた」さあそれではあの人たちのように斜面を滑り降りようとしてしまうことである。
 僕はシーズン中スキー場にいると、よくそういう光景を眼にする機会がある。またシーズン中に何回かは衝突されることもある。そのつど、「スキーを始めて何日ですか」とか、「スキー学校で教わりましたか?」といった質問をすることにしている。
 その答えは例外なしに「スキーを始めてから5日以内」とか、せいぜい1週間。もちろん学校で基礎を勉強した経験のない人たちと決まっている。衝突事故という現象は、起きて当り前と考えている。なぜなら、前記の答えではっきりしているように、基礎スキーの中でも、もっとも大切であり、かつ基礎である「道具に慣れる」「平地を歩く」「方向転換をする」「登り方を覚える」といったことを無視しているからに他ならない。
ている。
     *   *
 そこで、直滑降を練習する前に是非とも、それらのことに十分な時間をさいて欲しい。またそうするのが、もっとも安全に早く上達するチャンスでもある。
 まずはストックの持ち方、ビンディングの調節の仕方、スキーの履き方、それに滑走面に雪が凍りついていないだろうか、といったたぐいの点も十分に注意して調べる必要がある。こうして完全な意味でスキーをつけたなら当然、次にその道具に慣れる必要が生じてくる。
 なんとしても、平地での膝の屈伸を柔らかく出来るように、あるいは片スキーを持ち上げてバランスの練習をしたり、少しずつトップを開いて踏み変え、方向を変えたりすること、そして平地を歩く訓練をしたりなど、いわゆる滑る前の練習を段階を追って経験させなければならない。そうすることが、その後で直滑降、斜滑降と練習が進んだとき、非常にスムースに無理なく、それらの技術を受入れてくれるのである。
 至極当り前のことではあるけど、これは是非ともスキー教師としては守り、実行していただく必要がある。
 その時間については、最小限2時間の半日ですむことであるだけに、あまりに先を急ぎすぎて、失敗をするようならもったいない話である。
 その辺のちょっとしたことで、初心者のスキーの進歩を約束されたり、されなかったりするものである。

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◇初心者の直滑降は傾斜のゆるい斜面から

 別な項で、滑る前に十分道具に慣れなければいけないことはすでに触れてある。
 さて、いよいよ実際に滑ることになればまず最初はどんな場合でも、「直滑降」の練 習をする。その直滑降の練習斜面が非常に大切な問題である。
 大体が初心者は、ツルツル滑るスキーに閉口しているものである。その上、斜面が急すぎてスピードが出るようなら、それだけで生徒は恐れてしまう。それどころか急斜面の途中で、自分のスキーを下に向けることだけでも出来ない人が多い。初心者には、初心者のための斜面を選ばないといけない。
 スキーというものと接触したその時点において、あまりにも生徒に恐怖感を植え付けることにでもなるならば、大きな間違いをしでかしていることになる。
 まず最初に直滑降の練習斜面について、スタートする所が平らで、下に滑って行ったら、そこにも平地があり、自然に止まるような斜面であって欲しい。その斜面は、もちろん緩い傾斜でなければいけない。大体、標高差が3メートルだったら、滑る距離は30メートルぐらいが望ましい。
 もしこういう条件に合った斜面で練習すれば、生徒ものびのびと滑ることができるのは当然だし、ひいては正しいスキーを早く自分のものにする前提かも知れない。
 そうい条件の斜面においては、スキーにもっとも必要で大切な下肢の屈伸運動も生徒に間違いなく伝え、覚えてもらうことが可能なのである。
 最初のうちから急すぎる斜面を選ぶことのないようにしたいものである。

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◇足首・膝・腰

 オーストリアには「スキーは膝で滑る」という諺がある。すでに40年も前から言われているとの話なので、正直なところ驚いている。というのは、現在もその言葉が立派に生きているからである。もちろん多少のニュアンスの違いはあるのだろうけれど。
 スキーの板は例外なしに、足につけているものである。こんなことは至極当り前すぎて、今さら何を言うのだろうと不思議に思う人もいることだろう。この足につけてあるスキーを動かし、あるいは操作するのに、そのスキーからいちばん遠い位置にある頭を中心に使って滑ろうとしている人が非常に多い。あるいは肩を、というケースもある。
 それらのいずれもが、スキーを操作するのに正しいものとはいえない。逆にスキーの板にもっとも近い足首、膝、腰といった関節を十分に活用することが効果も大きく、かつ容易に操作出来る条件である。そういう意味でランクづけをすれば、スキーに近い順、すなわち足首、膝、腰といった順序で重要であるともいえる。
 ただ重要といっても、それらをどうするのか判らない向きもあろうが、それらをよく曲げるという意味に解釈して欲しい。要するにどんなに膝がよく曲げられていても、肝心な足首の関節が伸びているようでは、意味がないのである。(ちょうど椅子に腰をおろしたような状態をいう)。あくまで、足首の関節を曲げることが、この場合大切なのである。そしてあくまでもその上に立っての、膝と股関節の曲げなのである。
 どんな場合でも頭を使うことは大切でもあるし、もちろん必要なのである。この場合その頭を使って曲がるのではなくて、いかにしたら、前記した順序の関節を有効に使うことが出来るかと頭を使って欲しい。そういう根本的な大切な点を、よく生徒に説明をし、より安全で、効果のあるレッスンを展開して欲しいものである。

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◇個性のあるレッスンを

 人間誰もが違った性格を持っている。スキーのうえでは基礎技術というか、根本的なことはもちろん統一されているし、またそうでなければならない。スキー教師としては、ぜひとも守らねばならない基本技もある。しかし、その末端のことになると、人それぞれの個性が見られる。たとえば腕の構え方とか、ストックの突き方といったところである。
 それをレッスンに置き換えてみよう。やはり同じことが言える。教師としてレッスンの際ぜひとも守らねばならない条件が幾つかあるが、それらを満たしたうえで、それぞれの持つ性格をレッスンに反映させる必要がある。
 人によってはそれが「大きな声を出す」ことかも知れないし、また逆に「静かに」レッスンを展開する人もいる。あるいはリフトを使って急斜面とか実際に応用のきくスキーヤーを創ろうと意識している教師、あくまで講習会用の斜面から離れようとしない人など、いろいろなタイプが存在する。どういう方法でなければならないと断言することは困難と思うし、また言うつもりもない。
 スキー学校を運営していて痛切に感じるのは、必ずしも実技が上手く美しく滑れるからといって、その教師が生徒に信頼されるとは限らないことである。最初の内は、何か不思議な現象を見る思いがしないでもなかったけれど、このごろはしごく当り前と思っている。というのは、スキー教師は何もデモンストレーションだけをするのではなくて、実際に生徒と言葉のうえで、あるいは態度で、密度の高い接し方をしている。その結果、その態度、言葉が「誠実」なうえに実行されているか否かで、生徒からの反応となってはね返ってくるのではないだろうか。僕はそのように信じている。
 各個人の持つ特性を大いに活かした、独特なレッスンを展開する必要がある。しかしその根底に「誠実」、あるいは平たく言えば、一生懸命にやっている気持が息づいていなければ、意味がない。逆にいえば、実技が多少悪い場合でも、(もちろん悪いのは困るけど)指導カと理論がちゃんと揃い、そこに血が通っているかどうかが、この場合大きな問題になるところである。

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◇初心者は短いスキー

 過去ふたシーズンの志賀高原でのスキースクールの経験で、次のようなことがあった。毎週のレッスンに必ず「今日から初めてスキーをするのです」といった初心者が参加してきた。その中の女性で、僕よりも多少小さい人の履いているスキーがあまり長く感じるので、ときたま「どの位の長さですか」と質問すると「2メートルです」と答えが返ってきた。
 僕が履いている長さが現在2メートルである。スキー経験3,000日近い男性の僕が2メートルとしたら、未経験の女性には、なんとしても長すぎることがお分かりいただけると思う。
 スキーの長さということになると、そそもそも従来の、腕を伸ばして握れるくらいとか、身長プラス30〜35cmという考え方自体に大きな問題があるのだが、ここでそのことを言うつもりはない。前記したような初心者が、たまたま自分たちのスクールにやって来たとしたら、どうしたら良いであろうか。
 そのまま持ってきたスキーを履いていただくのも1つの方法ではあるが、長すぎるため、その生徒は当然、他の人たちより進歩が遅れるのはいたし方がないであろう。しかし問題は、それだけにとどまらず、ときにはそのため危険の率がより高くなることも想像出来る。
 また、そんな場合困ったことに、その人はスキーの面白さを知らないまま終わるかも知れない。もしも楽しくそして早く、安全にスキーと接する機会が持てれば、その人のスキー生活はパラ色ともいえるのである。この場合、そのバラ色にすることが出来るかどうかに関係のあるのが、スキーの長さという訳である。
 そこでそんなときは、出来るだけ短いスキーを与え、履きかえて練習に入るくらいの配慮をして上げる必要がある。それがいちばん安全で、楽しいスキーに近づける、1つの方法なのである。

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◇細心かつ大胆に

 10名前後の生徒を受け持って、レッスン中に自分のクラスからケガ人を出さずに終わらせたいのは、人情というものであろう。
 確かに自分のクラスから捻挫、あるいは骨折者の出ることは、嫌なものである。スキー教師として活動をしている人なら多かれ少なかれ、そんな経験をしているはずである。いちどケガ人を出すと、その次のレッスン展開に疑問を持ち、幾分なりとも不安を感じるのが通例であろう。またそうでない場合でも、出来るだけケガ人を出ないように安全な斜面を選ぶのが普通である。しかし、その場合にも絶対安全という保障はありえないことである。
 スキーが進歩するためには、次のような条件も必要なのである。それは常にその人の力の範囲内のことばかりをやっていたのではダメで、進歩のためには多少の無理が必要と思う。
 すなわち、その人の持っている力よりいくぶん程度の高いことを練習することである。そのためには、練習種目の順序の問題で考慮することもあるであろうし、ときにはスピード、斜面の傾斜、雪質といった面でそれを考えることも可能である。そうして、少しずつ程度の高い練習を経験することで、知らず知らずの内に進歩してゆくのである。
 そこで我々スキー数師に強く要求されることは、レッスンに際して「細心でかつ大胆」という言葉である。そこで問題になってくるのは、同じ練習をさせるのでも、それを一日の内で午前にするか・午後にするか、といったこと。あるいは、生徒の気持がダラケテいるか、逆に集中力が良く張りつめた状態であるかによって違ってくる。
 そんなやる気のあるときは、多少の無理を強いるのは賢明な方法と言えるし、逆の場合なら、その結果は火をみるよりも明かと言わざるをえない。
 とにかく、ある1つのことだけでなしに、広い視野に立って、なおかつ冷静にものごとを判断し、ときには大胆なレッスン展開をする必要がある。前述したことにプラス、心理的安定剤になるよう、我々の言葉も大きな力になるのである。

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◇バランス考えよう

 人間が立っているためには、平衡感覚が働いている。ましてや動いている、すなわち滑っているときにバランスが大切である。簡単にいえば、バランスを失うから転倒するのである。
 ここで、転倒するタイプを大きく2つに分けてみよう。1つは「尻もちをつく」例で、もう一方は「回転後半に山側に転倒」することである。前者は、いうなれば「前後のバランス」を失なったことにより起きるもので、後者は「左右のバランス」を失なった場合である。そこで、その前後、左右のバランスを保もてるよう姿勢を作ることが、必要な条件となってくる。
 まず前後のバランスについて考えてみよう。初・中級者におけるこの種の転倒のケースを、よく見ると、例外なしに足首の関節が伸びて、お尻が低く下がっている。足首・膝がよく曲げられたままで後ろに尻もちをつく例は、まったく見られないといっても過言ではない。もう答えが出ているようなものではあるが、足首の曲がりの少ない、あるいは足りないときと断言することが出来る。そう、「滑っているときの前後のバランスは、足首を前に曲げる」ことで、保たれているのである。
 これを忠実に実行していただけば、決して尻もちをつくような不名誉な転倒はしなくなる、ということを約束出来る。
 また後者の左右のバランスは、ほとんどの場合、棒倒しとでもいうのか、回転後半において内側に転倒している。この種の失敗は、相当に滑れる中級者に多い。非常にきれいに、そして容易に回転のキッカケをつかんでいる中級者の人たちに、こういうケースは残念である。前述したように、棒立ちの状態においてのみ起きているこの欠点を矯正するためには、是非とも外傾を正しくすることである。
 「くの字姿勢」という言葉でも知られている外傾姿勢を作ることで、左右のバランスは保たれるのである。

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