★ 1930年までの選手は、転倒しないで安全に下までたどり着くことに執着した。
まだスチールエッジがなかった頃だけに、最短距離を滑ろうとしても、木製のスキーでは思うようにいかなかった。(オーストリア)ザルツブルグ出身のルドルフ・レットナー(ラドルフ・レトナー)によるスチールエッジの発明は、革命的といえた。(1928 昭和3年、1930 昭和5年説の資料がある)
ダボスでの学生選手権で、オーストリア勢がすべてのタイトルを独占。一時は、無許可の補助用具の使用として、禁止騒ぎが起こったほど大きかった。
上記は、故フランツ・ホッピヒラー教授より(=元オーストリア・ナショナルスキーチーム監督。元オーストリア国立スキー学校校長)
わずか20数年前でも、「 オフセット・エッジは初心者・初級者には危険だ! 」という論議も盛んでした。(オフセット・エッジとは、エッジの側面をスキーの側面よりも横に飛び出させて、アイスバーンや高速での切れを狙ったもの)
研がなくても済むように、すり減りの少ない硬いステンレスのエッジが登場したこともあります。確かにすり減りもなく、錆びることもなく、目出度し目出度しのはずでした。ところがチューンナップしようとしてヤスリをかけ、3時間ほど額に汗しても、ほとんど削れない、という悲劇もあったのです。
エッジについては、思い出を語れば1冊の本ができるほど、いろいろあります。