市が101億円を投じて建設したコースが、今や、、
1998年の長野冬季五輪ボブスレー・リュージュの競技会場が存廃の岐路に立たされている。利用料収入は年間で700万円だが、長野市は年間1億2千万円の維持管理費を負担しており、市民から「税金の無駄」との声が上がる。市は来年中にも結論を出す方針。20年前の遺産〈(レガシー)は、2020年の東京五輪・パラリンピッククの施設見直し議論に教訓を投げかけている。
『ボブスレー・リュージュパーク」(通称・スパイラル)。市が101億円を投じて建設したコースは全長約1.7km。ムラがない氷を作れる最先端の冷却設備を持つ。
だがコースはあちこちで塗装が剥げ、ソリの飛び出しを防ぐ木製の覆いは腐食が進む。「施設の利用目的で訪れる客はほとんどいない。」
存廃議論が表面化したのは2016年10月。市が地元住民向けの会合で示した今後10年間の負担額の試算がきっかけだ。
施設の維持管理や改修にかかる費用は年間2億2千万円。うち1億円は国の負担だが18年の平昌五輪までとされ、更新は未定だ。国の支援なく現状通り運営すれば市の負担は今後10年間で計31億2千万円。全面休止した場合は冷却設備からアンモニアを抜く作業などに8千万円。廃止するには解体費などに13億5千万円かかる。
国内のソリ競技人口は約150人。
国内のソリ競技人口は約150人。競技シーズンが11月下旬からの約2ヵ月間と短く、15年度の利用者は見学者を含め約6300人のみ。
同じ長野冬季五輪で建設された施設の多くは赤字だが、スパイラルの赤字は突出しており、14年度の外部監査では「市の負担において当該施設を維持していくことは困難」などと指摘された。
同市のスポーツ課長は「五輪を呼ぶには競技会場が必要たった」と強調。五輪自体は地域活性化に貢献したが、「一自治体が維持するのは難しい施設だった」と述べるにとどまった。
(歴史は繰り返す)
1972年の札幌冬季五輪で建設されたボブスレー専用コース(札幌市)も維持費がかさみ、2000年に閉鎖した。
スポーツを通じた地域振興に詳しい信州大の橋本純一教授は「競技施設が地域経済にとって負の遺産になることは東京五輪でも十分起こりうる。スパイラルの今後については市民の記憶や誇りなどを踏まえ、慎重な言論が必要だ」としている。
(管理人の注:ボブスレー競技場は、手稲山の中腹に総工費4億3000万円をかけて建設された。全長1820メートル。)
▲ 以上、日経新聞(2016.11.26「五輪レガシーいま重荷」より抜粋) ▲
この同類にあるのが
つわものどもが夢の跡、五輪・長野の今(2004/ 8/30)
この対極にあるのが
ソルトレーク冬季五輪72億円の黒字に(2004/ 8/30)
頑張れ! 小池東京都知事
私もスキー界で50年間お世話になった人間。自分の関連スポーツ施設は、良いものを作って欲しい、という気持ちは当然のことと理解できる。
建築・土木関係の事業者も、少しでも高いコストの箱物が出来れば、それだけ利益も膨らむ訳だ。などなどで、例えば2020東京五輪のボートとカヌー・スプリントの「海の森水上競技場」。整備費が招致段階の69億円から、一時は7倍もの491億円まで膨らんだ。
小池さんが騒いだお陰で、現時点では420億円もの節約に至っている。「海の森水上競技場」についても、190億円の削減で予算も約300億円まで下がる見通しだが、それでも五輪後の収支は年間2億円の赤字と。
彼女はパーフォマンスだとの批判もあるが、もし彼女がテーブルを引っ繰り返さなければ、総工費はさらに膨らんでいたに違いない、と評価する声もある。私もそう思う一人である。
そして五輪終了後は、多くの施設が毎年億円単位の赤字を垂れ流し続け、10年、20年後は破綻に至るケースも珍しくないはずだ。
今の若者にとって、その子、その孫の時代には、年金などへの不安は大きいのである。こういう経済状況下では、節約は正義であろう。
国内のソリ競技人口は約150人。このためにかって長野市が、101億円を投じて建設したコース。維持管理や改修にかかる費用は年間2億2千万円。市の負担は今後10年間で計31億2千万円の恐れ。
こういう無駄、贅沢は許されない時代なのだ。
例えば、1992年の仏アルベールビル冬季五輪の開催跡地は、10年後に残っていたのはコンベンションセンター1棟だけだった。他の施設はすべて仮設で、五輪終了後に取り壊されていた。日本と対極にある、公共事業に頼らない国でのあり方である。
予算が無くて苦しかったブラジルの2016リオデジャネイロ五輪。鉄パイプを格子状に組み合わせ、その上に簡易なプラスチック製の座席を設置した仮設スタンド。至るところで、そんな競技会場が目についたそうである。
レガシーだからと言って立派なものを望む、と競技団体の関係者や出たがり屋の政治家・森さん達は騒ぐが、それなら一部は身銭を切ってでも負担するくらいの覚悟を持ちなさい! と言いたい。