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◆'84シーズン (昭和58/59年)
猪苗代への降雪は、幸いに恵まれる
◇主な出来事
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84-92山中啓一 (1991カナダ.撮影)
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1983.6 スキービジネス(SB)研究会が発足(1995現在に至る)
メンバー:土方 末廣、黒川、村井、細貝 + 1985追加:淡河、福田、斉藤
秋のテニス合宿(沼尻)= 横山が飲み過ぎて血を吐き、夜中に病院送り
'84学生団体レッスンの担当は、まだ真岡工業高校の1校のみ
(翌'85初の大型校コーチ40名規模・夢の台高校。'86〜大船高校スタート)
1984.4 第10回SIA総合会議/SIAフェスティバル(斑尾) 招待チーム=フランス
1984.4.15 SIAスキー技術部員選考会= 大島(4回め)、薄衣(2位)認定
1984.4 SIAスキー学校対抗=親善GSL大会 3位(大島、薄衣、土方チーム)
1984.7 原 正 先生が逝去 (享年58歳)
土方=美津濃(株) 技術顧問 (S56.8〜1998.7)
◇協力関係メーカー・商社・会社(順不同)
ヴィライナワシロ、昭和観光開発(株)
ミズノ(株)(ユニフォーム、スキー、ブーツ)、三井物産スポーツ用品販売(株)(ロシニョール、ルック締具)
ケイアンドケイ工業(株)(コンケスト)、ラングファーイースト(株)(ラング)、山本光学(株)(スワンズ)
◇スタッフ
土方あきら17 会長=原 正(終17 逝去) 副校長=横山茂一(西白河郡)3 大島清史16
渡部寿雄(猪苗代)14(常勤最後) 多田幸義3 鈴木定夫(猪苗代)(終6) 細矢 誠(猪苗代)5 矢作(川口)みゆき(新宿区)2
外山佳代子2 内田好美(八王子市)2 山中啓一(世田谷区)(初 前・志賀石の湯パラレルSS) (浅沼=石打PSS出向)
渡辺英樹(初 前・サクラメントSS)(栃木県) 古川 誠(初1終 前・野戸PSS)=途中下山を頂く
非常勤=
月岡一公(横浜市)5 南波米男(猪苗代)7 道山喜市(須賀川市)6 薄衣敏明2 細矢 訓(猪苗代)(終2) 上原富弘(初 日大郡山3)
金山 博(初 駒沢大2) / JR1コースのみ= 小堤孝志(宮城県)5('85〜87不在) 佐藤維充(喜多方市)(初)
星(荒川)紀子(福島県)(初)/短期コーチ=矢野比呂美(浩美)(東京)(初) 薄衣敬子(初) (助っ人=佐藤 満(福島県))
事務・受付=小林(長峰)幸子(猪苗代)4 中村秀和(初 明治大) 平城好博(天下の素浪人・初)=昭和観光小川さん甥
◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
'84=それは「ひじかたSS」の門をはじめて叩いた冬のこと。コーチの滑りの思い出。
マーちゃんの、コブでのウェーデルン。そのひざの柔らかさは、今までに見たことがないほど絶品。寿雄さんの大--中回転のパラレルターン。アンギュレーションの少ない高い姿勢で、遠心力に乗った実に気持ち良さそうなスキー。デモの薄衣さんの華麗なスキー。とくに、ステップターンは弾丸のように速かった。世界の大島さん。土方さんが「彼は日本で一番うまいよ」と言うぐらい、どこを滑らせても乱れず、あたかも平地を滑っているようなスキー。道具の土方さん。教え方のきめ細やかさと、スキーヤー自身の内部感覚を引き出すうまさ。今日の私のテニスコーチ生活に生きています。
スタッフの仕事面で一番の頭の痛かったのは、経理を任されたことだ。数字に弱い私は、毎晩パソコンとにらめっこで四苦八苦の毎日。コーチ間で盛り上がった競馬レースことワールドカップでは、嬉しいことに一回だけ回転レースで優勝したことがある。そしてその頃から夜のプライベートレッスンが増え、ペイが上がった。
この最初のシーズン、2月で終わって感じたことは、スキーバカではだめだということ。それは、スキー以外の分野に精通し、視野の広い人間として日々を積むこと。これが、より良いレッスンを行なえるコーチとなることを、教えられた。
(84-92山中啓一(世田谷区))
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