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 磐梯ひじかたss 小史 (年度版)
◆'89シーズン (昭和63/平成 1年)
 猪苗代への降雪は、3年続きで悲しくも不足。SS倒産も寸前か!
◇主な出来事
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磐梯ひじかたSS '89パンフ表紙
 1988.11.22 新田美幸が結婚  /  1989.4.22 浅沼義雄が結婚/仲人=土方
 1988.4.22 毎日と読売新聞に『SIAはSAJの傘下に、、が決定』の誤報記事が掲載
 土方= SIA理事( 63.6〜H1.5)=上記の、吸収合併の圧力対策のために就任
    (関心のある方は、勇気をふるい、今だから明かす SIAがSAJに吸収?事件顛末 をどうぞ)
 1989.3.  雪不足→ SB研仲間の三国スキー場(ホワイトスターSS斉藤隆恭校長)に
         多田 吉田(京) 金山が出かけポール研修を受け、滑る。
 '89SIA検定(安比)/助手=菊池、久保、舘岡    助教師=金山 
         教師=吉田(京)、上原(=アバラ骨折で参加し横滑リで×)
 技術部員選考会= ○多田、山中、○井上、上原、吉田(京) /○=予選通過
 【WE LOVE SKIING IN INAWASHIRO】('79に岩花光博クン作)を、
   ユニフォーム(ミズノ製/ポピーレッド色)の背中に採用初年度。
'95まで採用
 何かの根拠で'89が初年度と書いたが、これは誤り。少なくとも'87(新人・井上裕明)には使われていて、もしかしたら'85(夢の台高校)からかも知れない。
 【もしコースレッスンでご満足いただけなければ=レッスン料を返金】を打ち出す。
('93からは、「万一ご満足頂けないときは」を、団体とJR以外のすべてのレッスンを対象に拡げる。これはひじかたSS解散の'12現在も、日本唯一のスクールとして自負。)
 1989.晩春〜初夏 東京湾お台場周遊・屋形船ツアー。スタッフの懇親・慰労会。大勢が参加。

◇協力関係メーカー・商社・会社(順不同)
 ヴィライナワシロ、昭和観光開発(株)、ミズノ(株)(アエア、スキー、靴)、ロシニョールジャパン(株)
 ケイアンドケイ工業(株)(コンケスト)、(株)タバタ(ゴーグル)、住友スリーエム(株)(スコッチガード+VTRテープ)

◇スタッフ
 土方あきら22 細矢 誠(猪苗代)10 多田幸義8 外山佳代子7 上原富弘6
 金山 博(富山市・SIA助教師合格)6 荒川和人(福島県)4 吉田京子(台東区)4 井上裕明(猪苗代)3 新田美幸(猪苗代)3
 菊池和彦(郡山市・SIA助手合格)(初) 片岡 清(初1終) 向 陽子(初1終→ 2005/ 5没) 岸本 洋(初1終 前・ハルカクナイスルSS)
 非常勤=
 渡部寿雄(猪苗代)19 月岡一公(横浜市)10 山中啓一(世田谷区)6 斎藤俊蔵(会津若松)5 芳賀喜市(SIA助手・会津若松)5 吉田嘉道(郡山市)5
 岩崎 誠(東京工芸大)3 小堤孝志(宮城県)(終7=10-3) 野口正勝(終3) 萩原(鴻巣)亮子(終2)(青学)
 久保尚弥(初 関東学院大・SIA助手合格) 舘岡栄史(初 東海大3・SIA助手合格) 清田秀美(初1終 学生)
 望月千尋(初1終 拓殖大4) 斉藤昌彦(初1終 拓殖大4) 菊地浩二(初1終 拓殖大4)
 渡部 修(初1終 学生・猪苗代) 篠田宏文(初1終 東久留米市・歯科大) 清水祥之(キャンセル?=保険料請求?)
 千葉商→後藤誠治(初1終) 大松秀義(初1終) 鈴木瑞穂(初1終) 篠崎昌治(初1終) 中沢千佳(初1終)
菊池和彦の写真
89-94菊池和彦 ★5
(2011.2.撮影)
(没2017年4月 a63歳)
 事務・受付= 男沢琴江(会津若松)(初 高校3) 金山芳子(初1) 細矢 誠(猪苗代)(=バレーボールでアキレス腱切断)
 助っ人  = (中橋美樹(山形市)、山下真之(日立市)、原 伸和(日大)、今泉 玄(東京))=全員が元スタッフ

◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
 当時の私は、35才で新人としてスクールに入ったため、なかなか仲間と打ち解けることができません。スキー技術も下手で、とても1シーズンやっていく自信はありませんでした。おまけに研修後のフリーの時、土方さんの目の前で転倒。肋骨を骨折。
 骨折を判らず、咳が続くので咳止薬を多用し、体調を崩し、ついに持病の「痔疾」を再発! ご存知の方は少ないでしょうがこの病気、スキーの、とくにボーゲンが大変にこたえる代物。修旅レッスン後、トイレに駆け込んでは治療をする事が頻繁になり、ついにダウン。2〜3週間、事務職へ配置転換に。このお陰で旧人スタッフとの付き合いも多くなり、何かと日常会話を成立させる事が出来るようになりました。
 それから5年、「菊池と言えば痔、痔と言えば菊池」として、スクールに生息して参りました。現在、私を10年以上悩ませた痔疾も、再発2年後の91年秋に手術をし、術後1週間七転八倒も苦しみの末、どうやら完治(?)いたしました。
(89-94菊池和彦(郡山市))(没2017年4月 a63歳)


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