結果的に手術は無しで、週3のリハビリ通い。幸い12月中旬に、医師と理学療養師から軽く流すスキーから始めることで、滑走許可。その足慣らしを半月程度したら、緩斜面で力まない滑りから始めることで、スノーボードもOK。
この間のドタバタ劇を記して、どなたかが万一同病になったとき、少しの参考になれば幸いである。
大したスピードも出ていず、フロントサイド(つま先側)に内投して転び、ボードの前方エッジが雪面に食い込み、左足アキレス腱(前脚)がドンドン伸ばされていく。その圧に耐え、頑張っている内に突然、圧が消えた。痛みも無く、切れた音も無いので、勝ったと錯覚。日頃ヨガなどなどで十二分のストレッチをしているお陰、と。
ところが立ち上がって左足前で滑り出すと、トップが左右にフラフラ。右脚前に切り替えると、わりと何とか滑れた。
菅平高原にある診療所に運ばれると、「レントゲンからは腱の断裂は分からないが、骨折は無い。しかし他の症状から、ほぼ間違いなく左足アキレス腱断裂だろう」と。
私は当時75歳。ドクターは「60歳患者のアキレス腱手術をした経験はあるが、高齢者は手術しないほうが一般的」とアドバイスをくれた。
発生地は、長野県・菅平スキー場のファミリーゲレンデ。それもゲレンデ下部の緩斜面。 実は事故の10日ほど前に、元SIAスノーボード・デモの友人・臼田さんに付き合って貰い、長野ゼビオに。店で、もっとも硬いDEELUXE Empire(\47,000)というスノーボード・ブーツを購入。事故日が、使用2日目。 しかもその日の雪質が、転倒した状態でトップのエッジがしっかり食いつき、かつ生まれた雪の壁が崩れないという、軟らかからず、硬からずの、ほどほどのアイスバーン。 この2つの組み合わせの、どちらか1つが欠けたら、アキレス腱断裂までには至らなかったハズだ。 運が悪い時は、こんなものである。 |
東京の家に帰って治療をすることにした。
しかし丸100日の山ごもりをするので、持ち込んだ荷物が多い。例えば衣装ケースが3つ、スキー、スノーボードの板が各2、3台、ブーツも各2足。私は、肺年齢95以上のCOPD患者かつ他の持病もあり、薬類で段ボールが2箱。ストレッチポールやエアー・マッサージャーなどなど、などなど。これを丸々残して去っては、スクールに迷惑をかける。だから空身で、電車に乗って帰る訳にはいかない。
私が、かって猪苗代でスクールをやっていた時代からの友人の、好意に甘えることにした。
彼の団体レッスンが終わるのを待ち2月09日に、大量の荷物を積んだ私のクルマの運転をお願いし、一路東京へ。断裂日から3日が経過。(友人には、翌日、電車で菅平にトンボ返りして貰った。)
家に帰る途中で一カ所、寄って貰った。整骨整体術の治療院であるが、結論から言うと、今回はこれが大失敗だった。
私には初めての所だが、猪苗代時代の仲間の何人かが、お世話になっている。常識ではとても滑れない状態の人間に、奇跡?をもたらしている。
かっては新潟県の新井にも、東京の東久留米にも、同様の治療名人がいて、何度か私も、また仲間や知人が助けられている。その他もあり、私は整体や整骨名人を信じているのである。
しかし今回は違ったようだ。2/09〜2/19の間で計4回の治療(料金は特別割り引きをして頂いたが、とても高く1回の治療が3〜2万円)。最終回では「もう、アキレス腱はくっついた。どんどん歩いて良い。1週間後くらいからは、スノーボードも滑って良い」と。断裂日から13日が経過した。
本当は付いたのかも知れない。しかし私にはその実感が無い。もししっかり付いていないのに、スノーボードまでしたら、私のスポーツ人生だけでなく、健常者の生活を失うかも知れない。
このように考えて、整形外科のある普通の病院に行くことにした。
後日談になるが、今回の初期対処について何人かの医師から感想を頂いた。 「ギックリ腰や腰痛などならあり得るかも知れないが、アキレス腱がそれでくっつくことは考えられない」とは、呼吸器クリニックの担当医、および胆のう摘出の消化器内科の医師の意見。 「絶対にあり得ない!」というのがT病院・整形外科の女医と、T整形外科クリニックの二人の医師。ややバカにしたように強く否定する人、やんわりと言ってくれる人と違いはあるが、整形外科医は完全否定派であった。 |
インターネットで調べ、私が選んだのは、T病院だ。超有名なJリーグ某サッカーチームの、チームドクターである医師がいる。幸い家からも遠くない。その女医の診察日は週2、予約が取れたのは2月22日。断裂日から16日が経過した。T病院には、2月22日〜4月19日までの間、計8回の通院をした。
初診で言われたことは、「断裂をしてから今日まで、何故にこんなに間を開けてしまったの? 最初の1週間程度が重要。もう手遅れで、手の施しようがない」と。
頼りのこの先生に見捨てられては、私としてはすべがない。「何とか助けて下さい、、」というような泣き落としで、すがりつく。最後は女医が折れて、「やらないよりは、やったほうが良いという程度の治療でも努力しましょう」と、しぶしぶ了承。
病院のMRI撮影は予定が埋まっているので、先になってしまう。急ぐので、別の画像診断クリニックで撮影。ちなみに、そこにも、T病院にも、患者である私自身がクルマを運転。
MRI画像を見て、「白くモヤモヤしているだけで、こんなのは付いているとは言わない」と女医は絶句。
その後、装具を造り、着装(私の場合は約46千円、後日、市役所より4万円補填される)。
簡単に言えば足裏と脚をL字で固定するもの。足首を動かないように固定することで、アキレス腱の伸びを禁ずる。カカト下には4枚重ねのクサビ板が入っていて、最初はハイヒール状態。足首が大きく伸ばされた状態、即ちアキレス腱が縮められた状態で、足が動かないように固定する。日にちの経過とともに、クサビを一枚ずつ減らしていく仕組みだ。
「今更この手遅れ状態で、装具を作ってもあまり意味はないが、作らないよりは良いでしょう。」、「来シーズン、スノーボードを続ければ、またアキレス腱は切れるでしょう。その時は、手術をしたほうが良い」などなど。
その間に、リハビリを希望すると、「当病院で手術した患者のリハビリで手一杯で、受けられない」と。
それでは、好ましい自主トレを質問すると、「今は何もするな。ひたすら安静を」と。
私の目の前には、青空どころか薄日もなく、深い暗黒の世界が広がっていく。
途中で担当医は転勤し、別の女医に代わる。見立ても、治療も同じである。診察をして、装具のクサビを一枚ずつ外していくだけ。それ以外の治療は無い。
断裂日から70日が経過した4月19日に、装具の最後のクサビが外された。「もうこれ以上出来ることは無い」と、女医から宣告された。
かつ、リハビリも受けられないのだから、通う意味が無いので、最後の診察日とした。このT病院には、2月22日〜4月19日までの間、計8回の通院をした。
私の未来に薄日でもさす日が来るのだろうか?
結果的には、この原稿を書いている本日より2週間前に菅平に入山し、本日もスキーでリフト11本、昨日は21本を無事に滑っている。とても幸せなことである。
暗黒の世界から、陽が射す今日までの経緯は、アキレス腱断裂の物語その2に続きます。カミング スーンの予定です。
◇追記
本日 1月9日、冬型気圧配置、北陸地方と関東北部で大雪。ここ菅平でも30cmの積雪があり、今シーズン初の大雪だ。外気温は午後4時で-7度、午後9時現在では-14度だ。
雪不足の各地のスキー場も、恵の大雪だろう。