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 磐梯ひじかたss 小史 (年度版)
◆'68シーズン (昭和42/43年)
 幸いなるか開校初年度は、猪苗代も大雪のシーズン
◇主な出来事
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磐梯プロSS '68パンフ表紙
 (S42夏 土方はオーストラリアMt.バッファローのタトラSSでコーチ1.5カ月)
 S42秋 磐梯プロSS設立
 S42秋 SS設立に当たり、エバニュー岩井富士雄氏より全面協力をいただく
 S42春〜 SS設立からの数年間、鳥居和也氏(昭和観光開発)が猪苗代を
      離れるまで、親身なご指導を多々いただく
 1968.3.21(苗場) 第一回全日本プロスキー選手権  参加=土方
 1968.5/連休 第1回栂池春スキーツアー 共催=北アルプス総合案内所/ 以降10年ほど続く
 矢野= (株)日欧と契約(S43.5〜S54?)= 初年度(日之出スポーツ早川才二社長より紹介)
     以降、(株)日欧の高橋秀輔社長は、スクールと矢野 土方 大島を支えてくれた大恩人
◇猪苗代情報と物価
 1968猪苗代宿泊情報(1泊2食) 民宿160軒 800円  旅館・ロッジ14軒 1,000〜3,000円
 1968猪苗代交通情報   上野から直通急行6本(4時間20分)、特急1本(3時間40分)
             運賃970円、特急券600円、急行券300円


1969staff_allの写真
左から手代木、土方、若林、原、間地、葛西、小磯。
◇後援=昭和観光開発(株)       パンフレット広告協力=花春(酒造)
◇協力関係メーカー・商社(順不同)
 (株)エバニュー(ストック、締具)、ジェレンク(セーター)=エバニューより紹介


◇顧問=
 太田哲男(順天堂大学教授)=日本テレビの坂田信久氏より紹介いただく
◇スタッフ
 原 正 土方あきら 若林 操(初1)(東池袋) 小磯文子(初1)(墨田区) 三沢久代(初1)(東京?)
 非常勤=
 矢野邦史 間地 強(獨協大) 小桧山 博(白河市) 手代木邦臣(故人 原友人会津若松) 葛西勝行(初1)(青森市)
 カメラマン=  末廣 明(世田谷区)
 賄い=  山口(宍戸)さくみ(初1)(猪苗代)
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◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
 '70頃 土方あきら27歳頃
'70スキーフレンドより
土方あきら27歳頃
 三浦敬三先生の元で3年間お世話になったあと、原先生を口説き落として磐プロSSを一緒にスタートさせたのが、28年前のこと。
 一時的な応援に来てくれた矢野君は、その年に東京田辺?への就職が決まっていた。それを悪の道に引きずり込むために、隣の布団に入ってからの1時間ほど毎夜、口説き続け、睡眠不足の結果、承諾を得た。
 翌シーズンからスタッフになる大島君が、三共スポーツの長谷川氏に連れられて来たのは、可愛い20歳前のこと。以来19年も仲間として助けられた。また小学生時代からの幼なじみの間地君も、開校の応援に駆けつけてくれた。友人のコビサンとご家族には赤面での食事のもてなし、小桧山商店には電機製品の踏み倒しなど、お世話に成りっぱなしだ。
 SS設立に当たり、(株)エバニュー岩井富士雄氏より全面協力をいただく。その親身な協力に感激のあまり、「当面の必要な資金は?」と聞かれたとき「10万円」と正直に答えてしまい、あとで少なすぎたと反省。当SSと私の大恩人であるその岩井氏に、砂糖と間違えて塩入コーヒーをお出ししたのは、数年後のこと(その犯人は永田君と記憶するが…?)。
 太田哲男先生には、厚かましくも無償で顧問を。美田昌彦さん(現ミナミスキー場のロッヂ・リゲルのオーナー)からの、「何か助けになりたい」の申し出も忘れられない。
 こういう多数の方から受けた親切を、今度は私が他の人に返す番である。(土方あきら)


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