磐梯ひじかたss 小史 (年度版) |
◆'69シーズン (昭和43/44年) 幸いなるか大雪の年=深雪の日も多く、宿舎のプレハブのドアが開かないことも度々 ◇主な出来事
雪道の急坂登坂のスリップ防止に、そのつど石炭袋を積んだのも思い出 ソニーの携帯用軽量VTRを購入=現在から見れば、大型重量級で、テープはオープンリール式 購入資金は、故・吉岡啓史氏(吉岡医院)からの返済期限無しの借入金による。 ウィークデー10人教室(毎週水〜金の3日間6レッスンで、10人のみ募集しクラス分け)=7,200円 VTRレッスン=300円 連続写真によるスキー大学=800円 乗鞍スキー教室 5月、7月に3泊4日、肩の小屋泊まり、40名募集。盛況。 1969.7.1〜 SIA総合会議(乗鞍) 参加=原 土方 矢野 大島の4名 土方 矢野 大島車=乗鞍寸前で土砂崩れ半日STOP。台風の中1日=岐阜県経由で入山 ◇1969猪苗代宿泊情報(1泊2食) = 民宿160軒 旅館・ロッジ14軒 = 900〜3,000円
パンフレット広告協力=(株)エバニュー、花春(酒造)、太平索道(株)(ホワイトポニィ) ◇協力関係メーカー・商社(順不同) (株)エバニュー(ストック、締具)、太平索道(株)、ほか ◇スタッフ 原 正2 土方あきら2 矢野邦史2 大島清史(初) 橘 宣安(初 前スノードルフィンSS) 橘 光弘(初 前スノードルフィンSS) 非常勤= 間地 強(終2)(獨協大) 小桧山 博(白河市)2 村井正太郎(初 早稲田) 古家哲也(初 明治大3)=2月〜 服部正樹(初 青学2)=(畏れ多くもストーブ石炭運び・事務・雑用係で雇用) 賄い= 清水映美(初1) 藤森(清水)豊子(初1 國學院4) 塚原(押田)英子(初 武蔵野美)=冬休 吉田(今)のり子(初1 多摩美大) 小林(ひろ子?カモ)(初1終 共立女子大4?) + 中井**?(初1終 共立女子大4?)
◇私の思い出 ---------------------------------------------------------------- ※前'68年の石炭運びで始まった居候が、本'69からアシスタントの末席に昇格。寒くなる程に、吹雪く程に、石炭消費は多くなる。裏の石炭小屋までバケツを下げて、凍った石炭の塊と戦う姿は懐かしい。後年、石油ストーブになった事務所が、えらくりっぱに見えました。 ※プレハブの宿舎はまるで飯場。立て付けの悪いすき間から舞い込む雪で眠れず、そんな翌朝は飯場から出られず。もちろん寝起きの悪い土方師匠の小屋の前は、すかさず除雪。ゴマスリ人生の始まりでした。でも、大雪とはありがたきもの。 ※スキー理論の武装化は連日連夜。まじめが信条。論理的思考法のトレーニングのテーマは「燃焼の科学=なぜ物は燃えるか」。それは、そこに石炭ストーブがあったから出たテーマ? ※恒例のゴールデンウィークの栂池ツアー。バテたお客さんの荷物は、全て下っ端へ廻ってくる。とにかく自分の荷物を減らし体力を温存。下着は、裏表前後とはきかえるのは当たり前。 ※'71春の栂池ツアー、蓮華温泉のぞき見事件。そのタタリがあって、矢野プロ骨折事故。プロの根性ここに見た。骨折したまま固定して、丸1日自力滑走。 ※世は大学紛争真っ盛り。私にとってのスクールは、大学以上の『人生大学』。禁マージャン、禁ナンパ。そのお蔭で未だにマージャンの出来ない、マージャン世代だ。 (69-72服部正樹) |