|
◆'80シーズン (昭和54/55年)
前年に続き、ひどい雪不足の年
◇主な出来事
↓ 写真をクリックで拡大
白雪の猪苗代湖に遊ぶ白鳥
真夜中に眺めた冬の磐梯山
当スクールに集まった夢のように 多数のお客様----という校長の初夢
曇ったゴーグルから見た 猪苗代スキー場の全景
|
猪苗代にクナイスルSSが開校(校長=山口幸雄氏)
スタッフとの契約形態を大幅変更(総売上額によって日当のスライド制の誕生)
コーチの日当最高1万円、最低3,200円。コーチ以外の日当=ナント1,500円。
月岡一公=カナダのバンフSSへ1冬(足の凍傷で気絶も)。カナダ国家検定スキー教師の資格を取得
忙しかったある朝= 校長--副校長が寝坊でレッスンに不参加。土方と岩花は多いに反省。
自ら1週間の掃除当番も決め、コーチを土下座で迎える。が、松崎ほか許さず、責める。
土方= ポール練習で右肩を脱臼。大島と土方幸子 笑う=撮影VTRが証拠
第 6回 '80SIA総合会議・SIAフェスティバル(志賀サンバレー4月) 招待チーム=スイス
1980.4 細矢 誠 (SAJ準指導員から推薦入会で助教師へ)
1980.5.15 月岡一公=結婚(デートの映画リトル・モーに、岩花と土方が同行の妨害なども克服)
1980.春 松崎 実=待望のスポーツライフ(スポーツ店)のオーナーとなる。万歳三唱!
土方= SIA監事 (53.6〜55.5 第11〜12期)
◇協力関係メーカー・商社・会社(順不同)
ヴィライナワシロ、昭和観光開発(株)、ホープ(株)(締具 ポール)
(株)アシックス(赤を基調、パーカー、綿入りパンツ、トレンカー。+セーター、帽子、各10着)、(スタッフ通信1979.5.03 STT80-1より)
(株)日本ダンロップ(エルバッハ)、山本光学(株)(スワンズ)
ケイアンドケイ工業(株)(コンケスト)、日本アバリス(サンマルコ)
三井物産スポーツ用品販売(株)(ロシニョール、サロモン締具)初
1980.4.28ホープ(株)が約40億円の負債を抱え自己破産申告。
◇スタッフ
土方あきら13 原 正13 副校長=岩花光博(三重県)7(常勤最後) 大島清史12 渡部寿雄(猪苗代)10
松崎 実(終8) 浅沼義雄(上尾市)3 嶋田隆光(群馬県)3 鈴木定夫(猪苗代)2
細矢 誠(猪苗代・SIA助教師取得)(初 前SAJ猪苗代SS) 佐藤 満(福島県)(初) 小堤孝志(宮城県)(初)
非常勤=
南波米男(猪苗代)3 道山喜市(須賀川市)2 (川上(光山)雅子(終2)=腰痛で入山中止?)
短期援軍=
伊藤純一(終9) 濱中利明(東京)(終8) 小柳利夫(鍼灸学校)(終3)
事務・受付= 熊田芳夫(須賀川市)(初1終)
ディスコ担当= 渡辺俊雄(福島県)(初)=ワタナベ トシオが2名になり、通称・しんなべ
助っ人 OB 74-81+'91〜06 岩花光博 (2002)
|
◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
※'80シーズン初期は、雪不足で仕事がなく出稼ぎに。志賀サンバレー、岡沢さんのスクールから助っ人の要請があり、5人部隊で行く。メンバーは、大島、嶋田、浅沼、細矢、岩花で、レッスンは少し参考になりました。自由時間は、皆で志賀を滑りまくって楽しかった。「後で(私がやめてから)、細矢を追って誰か(サンバレーの女性スタッフ?)が、猪苗代に来た」という噂を聞いた様な気がする。
※思い出の出来事
シャトー磐雪プレハブのボヤ事件('76)
「土方さん死んでます」岡本発言の事件(顔に雪を積もらせたまま眠っていた)
※良いこと、悪いこと、いろいろありましたが、スキーの下手な私が7年+2年(ビワ湖SS)、スキーのコーチが出来て幸せでした。たくさんの先輩後輩に恵まれ、またいろいろな世界のお客さまとも知り合えて、大変勉強になりました。 (74-81岩花光博)
|