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 慎んで2001シーズンの報告 (平成12/13年)

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 それまでは現地集合、現地解散だったJRコース。春休みに限り送迎コース誕生(宇都宮、上野駅などでの集合・解散)。このスタートに当たり00-01木南有里さんに、他校で経験したノウハウを教わる。
 この送迎コースが発展し、それとHPと相まって、'06頃からJRコース客70%がインターネット経由になります。


1.雪の情報について
磐梯ひじかたSS '01パンフ表紙
 秋口までは、気象庁も、アメリカの予報関係者も、私も、残念ながら暖冬を確信していました。
 それが、年末は少な目とはいえ、一応滑れる状態。  スタッフの多くで除夜の鐘を聞きに町に降り、喜多方ラーメンと餃子を食べていたときが小雨。
 年が明けた1月1日からは、毎日、毎日、毎日、毎日、本当によく雪が降り続きました。3月20日頃までで晴れた日は10日も無いのでは、と思います。雨もほとんど降っていません。従って、ほとんどベタ雪もアイスバーンも経験せず、大半が粉雪の毎日でした。


 先シーズンは、全国的に1月中旬までは異常な暖冬が続き、雨天の日が多く、内3日は豪雨でした。しかしその後は、来る日も来る日も、本当によく雪が降り続きました。降雪でない日が少なく、ましてや晴れた日は、数えるほどの日数です。3月になってもこの傾向は続き、ハイシーズン並みの粉雪を楽しむ日が多かったほどです。
 という先シーズンは、30数年間スキー教師を続けてきた私にも、まったく経験のないことでした。


 ところが、今シーズンの厳冬と多雪は、全国的に37年ぶりとか言われています。1月中旬から3月の上旬までは、あの豪雪地の安比スキー場と我らが猪苗代が積雪量では、抜きつ抜かれつで肩を並べ、競っていたのです。
 降雪については、一時は多すぎて国道や高速道、鉄道がストップということもありましたが、スキーヤーとしてみれば申し分の無いシーズンでした。


2.ひじかたSSは壊滅か? 消滅か?
 ひじょうに多くのスタッフが、オフシーズンの間に抜けました。
 '87〜00井上 裕明君が、お隣のリゾートスキー場で独立し、「FORTUNE Pee−Wee Lesson」というキッヅ対象のスクールを開きました。
2001日立1高
日立第一高校のスタッフと助っ人(2001/1/20)
00〜助っ人・高林千尋さんのデバ亀で撮影

上をクリックいただくと、拡大写真が、、、、
 それに'86〜00荒川 和人君が一緒しました。荒川君は15シーズン、井上君は14シーズンもの長きにわたり、しかも常勤スタッフの仲間として助けてくれたことに大感謝!
 非常勤の'97〜00渡部 健介君が、その隣のアルツSIAスキースクールへの移籍しました。
 '96〜 秋場 正道君は、契約はしてくれても入山はほとんど出来ない状態。妻子持ちの身で常勤としてよく5シーズンも続けてくれましたが、この不景気の中無理は出来ません。
 '96-00高木 眞君は、健康上の問題でリタイア。彼も5シーズンの常勤でした。(=のハズでしたが、シーズンの2月に入り突然の嬉しい電話。非常勤で復活し、2002は常勤の予定です。2001/ 8/15)
 '00-1柴田 和明君(但し、それ以前に蔵王のオーストリアSSで数年の経験)、'98〜00若盛 光恵君の二人が、来2001春まではカナダに留学で不在。
 先シーズン飛び込みのゲスト講師・園部知昭さんも、はじめからの約束どおりで、今シーズンの契約は未定です。


 これだけスタッフが抜けた結果、経験のある常勤コーチで残っているのは、私を入れて5名だけ。緊急事態発生です。
 そこに更に追い打ち。'85-00斎藤俊蔵さんも、井上君のスクールに移るとの申し入れ。非常勤であり、近年は障害者のスキーを中心に活動しているため、当方ではほとんどレッスンをしていなとはいえ、この状態のときの話なので、流石に私も大ショックでした。
 (以上の青文字名は常勤スタッフ、赤文字名は非常勤スタッフ)


 今や当スクールは沈没を確約された、さまよえる難破船? かと。


3.でも、ひじかたSSは健在でした!
 ということで、9月〜10月までは、非常事態宣言!
 その結果、多くの仲間からたいへんに有り難い励ましや、協力をいただきました。
 現役でスクールの柱である田端 敦君からは、最大限の協力と励まし。事実、シーズン中も彼の協力が無ければ、スクールは上手く回らなかったはずです。
 元スタッフで、現在は常勤助っ人の岩花光博さん、川又好文さんから、最大限の協力をしてくれるとの連絡。
 私の姪である元助っ人だった青木 薫さんは、勤務先を脅し?て、何と2カ月もの休職をしてくれました!
 仕事の都合であと何年かは無理のハズの'90-97大西千佳さん、早稲田OBの'93-97岩城圭祐さん、伊勢崎 唯さんなども、短期間でもはせ参じると即答!
 毎年、大量に質の良いコーチを借りている箕輪SSの小平校長からも、「ひじかたSSのスタッフだと思って使って欲しい」との暖かい激励です。


 シーズンが近づくと、ゲスト講師の園部知昭さんも、再契約できました。家業の都合で急きょ帰国した柴田 和明君も、もっとも忙しい期間の40日ほどを入山してくれました。
 インターネットのお陰で、必要数の新人コーチと、大量の助っ人が集まりました。助っ人は、1年前までのシーズン中の大不足・大募集の大戦争が消えたというほどの、大量確保です。


 確かに経験ある常勤スタッフは減っていますが、非常勤とはいえ超ベテランの月岡一公さん、吉田 嘉道さんがいます。
 常勤助っ人では、元スタッフである岩花光博さん(3代目副校長= '80)、川又好文さん内山由之さん(現 SAJ正指導員)なども健在です。


 ということで、無事に戒厳令は解除し、シーズンのスタートを切ることが出来ました。仲間の皆さんに感謝! 感謝!あるのみです。




4.SIAの資格取得について
 3月 5日〜 8日にお隣のリゾート・スキー場で、南東北支部開催のステージ1の検定会で、伊藤 雄一、横山 茂樹君の新人2名ともが無事合格。
 ちなみに横山 茂樹君は、6代目副校長('83)の横山茂一っあんの息子さんで、「スキー教師をやるなら、ひじかたSSへ行け」と勧められたそうです。たいへんに嬉しい話でした。


5.SIA南東北支部・第7回デモ選の関係について(3/16〜17 猪苗代)
6.SIA安比・デモ選の関係について(4月上旬)
 前記のような人手不足により、どちらにも、今シーズンは当スクールからの参加はゼロ。初めての悲しい経験です。


7.その他のいろいろ
◇ おかげさまで1999シーズンの赤字
 先2000シーズンは中黒字に対し、
 今2001シーズンのスクール決算は、小黒字になりました。
 本来ならボーナスの出せる状態ではありませんが、今シーズンの皆さんの頑張りに感謝し、雀の涙ボーナスを出させていただきました。
 お手伝いいただいた大勢の助っ人さんと、OB・OGの皆さんが築いてくれた歴史の賜と感謝しています。
◇ 神奈川県川崎市立の高津高校のレッスンでは、
 '94〜の8シーズン、毎年3日間の計 18時間のレッスンを担当させていただいています。
 '2000シーズン行事では、大船高校と同じ約97%の満足率という快挙。それが'2001シーズンでは、12〜13%の低下で大反省とはいえ、推定満足率 83.7〜84.7%?は、まあまあの数字ではないでしょうか?
 詳しくは、学校様からいただいたアンケート結果をご覧ください。

◇ スタッフ近況
◇ OBの大島清史さん
 '69〜86の18シーズンの常勤で、4代目副校長('81)でもあるスキーの名手です。'82〜92までの11期連続で、SIAデモンストレーター。
 スキージャーナル2001年3月号の水谷章人さんの連載「ファインダー越しの地平 7」では、「寡黙な人 大島清史」が紹介されています。
 ちなみに、2001シーズンからは、村井君の経営するコアラの契約になっているそうです。
◇ OBになりたての吉田 智さん
 「結婚しました
 突然ですが、わたくし吉田は6月11日に希美と入籍いたしました。新しい仕事にも就き、新しい生活が始まりました。」とのメールをいただきました。
 おめでとうございます。
◇ 柴田 和明さん
 今は秋田の実家に戻り、家業のお寺を手伝っています。2002シーズンも短期の手伝いを約束してくれていますが、突然の葬式などが生まれるとダメになる、と。
 秋田県の皆さん、長生きをしましょう!
◇ 田端 敦さん  京都に戻り、ゴルフ場の仕事に復帰。但し、相変わらずメールは「開かずの間」です。



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