土岐 良次、若林 省三、杉山 進、見谷 昌禧さんの略歴
土岐 良次、若林 省三、杉山 進、見谷 昌禧さんの略歴

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スキー界の人々・略歴、経歴など人物の紹介


 土岐 良次さん

土岐 良次さん 土岐 良次
生年月日 (2005年に80歳なので、即ち)1925年か1924年生まれ
 恐る恐るSIAに問い合わせたところ、即答を頂きました。1925年 9月27日生でした。
*(たぶん)山形県酒田市出身? もしそれが違っていたとしても、少なくとも親の代は、地元の名士。これも記憶違いでなければ、お父さんは尺八の師範。
* お住まいは、神奈川県相模原市上鶴間。
蔵王フライツアイトシーシューレ校長
 「フライツアイト・シーシューレ」とは、自由なスキースクールというような意味のハズ。
◇ちなみに、その前の校名は蔵王エルバッハ・スキースクール。
 当時の西ドイツのスキーメーカー、エルバッハとの契約によるもの。その関係でスクールのスタッフである、畦地君ほか大勢の人間が数ヶ月から数年、現地で働き留学している。

日本職業スキー教師協会(SIA) 監事、ドイツスキー教師連盟 名誉教師
SIAでは設立から関わり、第4代副会長 1988?年〜2003年(またはSIA公式サイトによれば1991年〜)、第2代専務理事 1983年〜1988年、長年にわたりに用具研究部・部長などを務める。
著書、初級からのウムシュタイク(スキージャーナル 1985年12月発売 単行本)

*戦後、英語の通訳も職業とする。
*50歳頃には語学勉強のため、夏か秋の数ヶ月ドイツに単身留学。従って英語、ドイツ語に堪能。
 「土方さん、ちょっと行ってきます」とあまりにも軽く言われて、ドイツ語をより流ちょうにするためとはいえ、失礼だがこの年齢でのお一人での留学に、驚き、感心、尊敬を感じたことを、今でも覚えています。
*昭和30年代頃には輸入商社を経営?され、スキーの先端のカックンと曲がったRCスキーの輸入? 多分このとき井上恵三さんが?契約または関与?
 当hp管理人には、「RCスキー」と「旭貿易」の雑誌広告を見たおぼろげな記憶があり、もしかしたら旭貿易が土岐さんの会社だったのかも、という気もします。
*西ドイツやエルバッハスキーとの関係が強く
 ダンロップスポーツによるエルバッハスキー輸入販売や、SIAへのドイツスキー連盟の紹介なども、土岐さんによるものである。

 管理人(土方あきら)は20代後半から、深いお付き合いをいただく。例えばSIA用具研究部・副部長 (1971.6〜74.5 )としても、私を伸ばし、育てて頂いた。
 「手柄は企画・実行をした部下のもの。失敗したときの責任は、長のものである」というのは、きれい事を口にする人は多いが、私がお会いした中の数少ない実践家であった。
 ものごとの筋道、道理、整合性などには、とことんこだわる人で、ややこだわりすぎるきらいもある。
 土岐良次さんは、若い人を尊重し、育てる名人である。その恩恵に浴した土方としては、生涯忘れることの出来ない恩人である。しかし先生ではなく、尊敬する友人としてお付き合いさせていただいている。そういう人柄の人である。
 最後に書き忘れてはいけないことが1つ。80歳を超えた今も、冬の間は毎日ゲレンデに出てレッスンをする、現役スキーヤーである。そして「土方さん、僕は元気な内は、生涯、現役校長を続けるよ!」と。

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 若林 省三さん

若林 省三 生年月日 (2009で80歳弱)。弟子の冨手邦士さんのほうが一回り若く見えるが、ほぼ同年齢のハズ。実はお付き合い頂いて20年近く、若林さんは冨手さんより10歳は年長、と私・土方は誤解していた。
 恐る恐るSIAに問い合わせたところ、即答を頂きました。1929年 1月25日生でした。土岐さんより4歳若いです。
出身地は、東京のような気がするが、群馬県かも知れない。プロになってからの大半の時間は、東京・御徒町に居住していることは間違いない。
第3代 SIA会長 1978年〜1981年
日本で最初にプロを名乗った石打プロスキースクールの創立者、設立は 石打PSSは昭33年。
 その後石内PSSは馬渕夫妻に譲り、自らは志賀高原に若林プロスキースクール(長野県下高井郡山ノ内町. 志賀高原一乃瀬)を設立し、代表?

 前・石打プロスキースクールから独立し、自らスクールを開いた人がひじょうに多い。
 例えば、冨手邦士、三浦雄一郎、園部 勝、井上恵三、秋山智昭、関口りょうすけ、馬渕雄一・鈴木みすず、薄衣敏明('68-'76所属)、丸山日出男(1973年より所属)、江畠睦子さんなどなど、独立して開校した人間をもっとも多く輩出した。

御徒町で自転車店経営する。
 この2階に、かってはスポーツ用品ジャーナル社も間借りしていた。
若林省三さんは、得意の民謡はプロ以上のノド前の持ちである。ある宴の席では、三味線を弾くお姉さん方に「エッ、(民謡の若林)先生は、スキーもされるのですか?」と驚かれたこともある。

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 杉山 進さん

杉山 進
生年月日  昭和7年(1932年)4月10日、長野県下高井郡豊郷村(現在の野沢温泉村)生まれ。
 長野電鉄に勤務し、全日本スキー選手権のアルペンスキー競技で5回の優勝。(第32回 1954年・妙高高原 、滑降と回転、第33回 1955年・富良野 回転、第35回 1957・志賀高原 回転、第38回 1960年・妙高高原 回転)

 1956年のコルチナオリンピック、猪谷千春と共に出場。
 1963年、日本人で初めて、オーストリア国家検定のスキー教師の認定を受けて帰国。その間にドイツ語をマスターする。
 杉山 進スキースクール元・校長、現・杉山スキー&スノースポーツスクール会長
 第5代SIA会長(1996年〜)、第3代副会 1985年〜1988年
 初代SIA専務理事 1969以降の?年〜1983年(管理人・土方のおぼろげな記憶による)
 ISIA副会長?
 著書多数あり。

 ◇ 「奥志賀高原リゾート」社長、「竜王スキーパーク」社長
 投資ファンドが撤退(両社の運営会社の全株式を売却)し、しがらみでそれを引き継いだ新会社の共同経営者に就任。(?)
  • 杉山スキー&スノースポーツスクール(杉山 進【プロフィール】)(公式サイト)  2017.7リンク切れ
     息子が、偉大な親父の足跡を消し、自分の天下を知らしめるため、、ではないでしょうね。悲しいことです。
  • 杉山 進【プロフィール】


 杉山 進さんは、スキー界でもっとも頭脳明晰な人。
 そしてスジを通すことには徹底している、この面では大変に強情な方でもある。
 私は長い間、SIA内では野党、反主流派的な思想を持っているので、結果的には反杉山派的な立場に立つことが多かった。それにも関わらず、今でも親しくお付き合いをいただいている。たいへんに懐の深い人である。
◇著書
1 オーストリアスキー / 杉山進. -- 冬樹社, 1965  (当HP管理人も編集の雑用を担当)
2 杉山進のトップスキー−オーストリア・スキーの技術と体験 杉山進・志賀仁郎 実業之日本社 昭40
3 スキー上達55のヒント / 杉山進. -- 報知新聞社, 1966
4 スキー上達55のヒント どんな雪でも斜面でも 杉山進 報知新聞社 昭44
5 オーストリアのパラレルスキー カール・コラー/杉山進訳 実業之日本社 1970
6 杉山進のスキーテキスト / 杉山進. -- スキージャーナル, 1971
7 杉山進のショートスキー上達法 / 杉山進. -- 実業之日本社, 1972
8 スキーレッスン / 杉山進. -- 講談社, 1975
9 雪上スキークリニック / 杉山進スキースクール研究室. -- 山と渓谷社, 1980.12
10 ラングラウフスキー / 杉山進. -- 講談社, 1982.12. -- (講談社スポーツシリーズ)

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 見谷 昌禧(みたに まさよし)さん

見谷 昌禧1972ENSA
見谷昌禧さん
(1972春仏ENSA)
生年月日 1938年1月5日、樺太・真岡生まれ
略歴: 早稲田大学政経学部経済学科 卒業

1960年、スコーバレー(アメリカ・カリフォルニア州)第8回冬季オリンピック日本代表
1962年、シャモニー(フランス)第17回アルペンスキー世界選手権日本代表
    ヴィラール(スイス)アルペンスキー・ユニバシアード日本代表 SL3位
1969年、札幌オリンピック日本アルペンチーム強化コーチ就任。
日本選手を最初にワールドカップに参戦させたコーチである。

見谷スキースクール会長
現在は飯綱リゾートスキー場・菅平高原つばくらスキー場でアルペン競技専門のスキースクールを主宰

東京急行電鉄勤務後、早稲田大学体育局助手を経て、プロスキーヤーとなる。
  東急電鉄勤務時代は、現地に山ごもりして八方尾根スキー場開発に携わる。
1968年、見谷スキースクールを創設
ミズノ アドバイザリースタッフ
 室川芳之、矢口富士郎、宮田隆志、中島英臣さんなとなどのミズノ契約は、見谷さんの推薦による。管理人・土方も見谷昌禧さんにお勧め頂き、10年ほど契約。このように面倒見の良い人である。

社団法人日本職業スキー教師協会 長年にわたりSIAスキー技術委員長を務める
  管理人が見谷さんの下で委員・副委員長を務めたのが、1975.6〜85.5(またはもう少し後まで) 。
全日本スキー連盟 SAJ
 国際スキージャーナリストとして、現在までワールドカップレースを取材。著書25冊。とくに、”円錐振り子のテクニック”と表現しているのが特長。

 見谷昌禧さんは明るい性格の人である。直情的な短気な、と感じることもまれにはあるが、自然に周りに人が集まる魅力を持っている。そして意外と寂しがり屋でもある。
 人を信用したらとことん任せきる。そのお陰で、私の人生の中でもっとも鍛えられ、育てられたのは、見谷昌禧さんの下でスキー技術委員・会副委員長として過ごした時代である。
◇著書
1 アルペン競技スキー / 見谷昌禧. -- 実業之日本社, 1968
2 アルペン競技スキー 見谷昌禧 実業之日本社 昭45
3 これがスキーだ / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1970
4 スキー・スケート教室 / 見谷昌禧[他]. -- 小学館, 昭和45. -- (小学館入門百科シリーズ ; 6)
5 競技スキー入門 / 見谷昌禧. -- 講談社, 1971. -- (講談社スポーツシリーズ)
6 スキー世界の技術 / 見谷昌禧,佐々木長九郎,谷口博志. -- 講談社, 1971
7 これがスキーだ−上達のポイント 見谷昌禧 成美堂出版 昭47
8 パワースキー / 見谷昌禧. -- 講談社, 1973
9 スキーの技術 / 見谷昌禧. -- 日東書院, 1974
10 世界のスキー技術 / 見谷昌禧. -- ベースボール・マガジン社, 1977.3
11 みんなのスキー / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1978.1
12 驚異のスキー術 見谷昌禧 青春出版社 昭55  32刷
13 攻撃スキー / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1988.10. -- (Sports lesson series)
14 攻撃スキー. 〔1989〕 / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1989.9. -- (Sports lesson series)
15 攻撃スキー. 〔1990〕 / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1990.11. -- (Sports lesson series)
16 スキー / 見谷昌禧. -- ベースボール・マガジン社, 1991.6. -- (シリーズ絵で見るスポーツ ; 18)
17 攻撃スキー. 〔1992〕 / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1992.10. -- (Sports lesson series)
18 ワールドカップの技術 / 見谷昌禧. -- スキージャーナル, 1993.11
19 初歩からのスキー / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1996.11
20 勝つためのアルペン競技テクニック / 見谷昌禧. -- スキージャーナル, 1997.2
21 初歩からのスキー / 見谷昌禧. -- 成美堂出版, 1998.11
22 アルペン・カービングテクニック / 見谷昌禧. -- スキージャーナル, 2000.12

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 平沢 尚忠(ひらさわ なおただ)さん

平沢 尚忠
平沢 尚忠さん
1980-44歳頃
日本職業スキー教師協会(SIA)創設者の一人。SIAを離れて久しいが、SIA設立から引っ張り、大きく育て、もり立てた主要メンバーの一人である。
総務部長や常任理事も長く続け、平沢さんが無ければ今日のSIAは無いと断言しても、決して過言ではない。
透明スペーサー
いろいろ調べたが、平沢さんの略歴や写真などは、インターネットからは見つからない。後記の著書には著者略歴は書かれていたに違いないが、私(土方)がほぼ現役引退に伴い資料や単行本も整理してしまったので、これも既に私の手元にはない。
以下、おぼろげな記憶にも頼る部分が多く、間違いもあり得るがお許し頂きたい。
透明スペーサー
昭和14(1939)年9月14日生まれ
猪谷六合雄さんの門を叩き、猪谷パラレルスキースクールを経て独立し、志賀石の湯パラレルスキースクールを設立。
志賀石の湯の平沢門下生からは、木村 博さん(戸隠高原プロスキースクール校長・故人)、煖エ 信昭さん(エコーバレースノースポーツスクール校長 )、高橋 美三男さん(たかはし みさお・丸沼高原プロスキースクール校長)など排出している。
透明スペーサー
その後、北志賀高原よませ温泉スキー場の開発段階から関わり、志賀石の湯を引き上げ、現・よませパラレルスキースクールを設立し、SIAからも離れ、現在に至っている。
 元オリンピック選手・平沢 岳さんは次男である。
透明スペーサー
 長い間、土方を食客として迎えてくれた、尊敬する兄貴分である。
◇著書
ショート・スキー入門 / P.グリュネベル,R.ブラン[平沢尚忠・矢野道子共訳]. -- ベースボール・マガジン社, 1972 B6版 650円
アルペンの英雄たち / ロジェ・ドゥベィ著 ; 平沢尚忠,矢野道子共訳 ベースボール・マガジン社 1973 版 169p ; 19cm

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