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スキー界の人々・略歴、経歴など人物の紹介.2 -- を偲んで
猪谷六合雄(いがや くにお)さん 1890年5月5日生 1986年 1月10日没 享年95歳
猪谷六合雄(いがや くにお)さん1986(昭和61年)1月10日永眠 享年95歳
SIA第2代会長(1974年〜1978年)
スキー技術、スキーの虫、探求者。
ご子息・猪谷千春さんは1956年コルティナ冬季五輪・銀メダル。
1 1943.12 雪に生きる / 猪谷六合雄. -- 羽田書店,
2 1947 昭和22年『一般スキー術』 全日本スキー連盟 (猪谷六合雄、藤沢伸光、三浦敬三、柴田信一他共著) 体育日本社 B6・99頁・ 1947 。特徴は前外傾によるターン、中間姿勢。
3 私たちのスキー / 猪谷六合雄. -- 羽田書店, 1948昭和23
5 1949 雪に生きる / 猪谷六合雄. -- 4版. -- 羽田書店,
6 1950 昭和25年『基礎スキー教科書』 再版. 全日本スキー連盟(猪谷六合雄、竹節作太、野崎彊、柴田信一他共著)。前外傾とローテーション 1950.12。
7 スキーとともに / 猪谷六合雄. -- 筑摩書房, 昭和26. -- (中学生全集 ; 67)
8 私たちのスキーアルバム / 猪谷六合雄. -- 文芸春秋新社, 1952
9 雪に生きる. 上 / 猪谷六合雄. -- 創元社, 1952. -- (創元文庫 ; A 第70)
10 雪に生きる. 下 / 猪谷六合雄. -- 創元社, 1952. -- (創元文庫 ; A 第71)
山なみ 串田孫一・猪谷六合雄ほか共著 茗渓堂 1955
11 スキー<旺文社スポーツシリーズ> 竹節作太・野崎彊 旺文社 重版 昭30 1955
スキー講座. 第1巻 / 猪谷六合雄,野崎彊,近藤等. -- 白水社, 1955
12 スキー講座. 第2巻 / 猪谷六合雄,野崎彊,近藤等. -- 白水社, 1955
13 スキー講座. 第3巻 / 猪谷六合雄,野崎彊,近藤等. -- 白水社, 1955
14 雪に生きる. 上 / 猪谷六合雄. -- 山と渓谷社, 1955. -- (山渓山岳新書)
15 雪に生きる. 上巻 / 猪谷六合雄. -- 角川書店, 1955. -- (角川文庫)
16 雪に生きる. 上巻 / 猪谷六合雄. -- 新潮社, 1955. -- (新潮文庫)
17 雪に生きる. 中,下 / 猪谷六合雄. -- 山と渓谷社, 1955. -- (山渓山岳新書)
18 雪に生きる. 下巻 / 猪谷六合雄. -- 角川書店, 1955. -- (角川文庫)
19 雪に生きる. 下巻 / 猪谷六合雄. -- 新潮社, 1956. -- (新潮文庫)
20 スキーはパラレルから / 猪谷六合雄. -- 朋文堂, 1958
パラレルへの近道 猪谷六合雄・千春共著 日刊スポーツ新聞社 1959
21 近代スキー / 猪谷千春. -- 日本経済新聞社, 1959
22 新版 スキー講座 第1、2、3巻 猪谷六合雄・野崎彊・近藤等編 白水社 1960
23 スキー・スケート / 猪谷六合雄,両角政人[他]. -- ポプラ社, 昭和35. -- (少年少女体育全集 ; 13)
24 初心者からのパラレルスキー / 猪谷六合雄,渡辺政子. -- 冬樹社, 1967
25 雪に生きる / 猪谷六合雄. -- 実業之日本社, 1971
26 雪に生きた八十年 / 猪谷六合雄. -- 実業之日本社, 1972
27 クロスカントリースキー入門 / ロナルド・クロフォード=カリー/寺島憲治訳/猪谷千春監修 . -- ベースボール・マガジン社, 1984.11
28 スキー / ブルーノ・モラヴィツ(Moravetz, Bruno). 猪谷千春監修-- 福武書店, 1984.11. -- (ワイドグラフィックス)
29 猪谷六合雄選集(全5巻) -- ベースボール・マガジン社, 1985.4
30 雪に生きる / 猪谷六合雄. -- ベースボール・マガジン社, 1986.9. -- (スポーツ・ノンフィクション・シリーズ ; 6,7)
31 わが人生のシュプール / 猪谷千春 ベースボール・マガジン社 1994年02月
SAJ役員名簿ほか(過去帳).その2
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西村一良さん 1904年生 2005年10月 8日没 享年98歳
西村一良(かずよし)さん明治37(1904)年生まれ、2005(昭和平成17年10月)永眠、享年98歳。
SIA初代会長(1968年〜1973年)
1939.12 第1回指導員検定講習会SAJ指導員取得。
昭和20年代後半、長野県・松本周辺で「研光社(登山用品?)」を経営(?)。
日本のプロスキーヤー第1号(スキー学校『デサントスキースクール』を始めたとき、大倉喜七郎男爵から頂いたご祝儀?が家1軒を買える金額だったとか。1937年近辺。)
西沢スキーやデサント(ウエア)、バイソンスキー靴の商品開発顧問契約し、通称・西村厩舎として大杖正彦を初め多数の選手をサポート。
ウエアメーカー・デサントの社名と矢印のロゴは、氏のデザインによるもの。SIAの初代シンボルマークも。
パイプを愛し、おしゃれで、商才に優れ、面倒見の良い人でした。
- LEGEND「西村一良さんとの思い出」(前編)【sianews/sn161-08.pdf】
SIA NEWS Vol.161 〔2013年5月25日発行〕
- LEGEND「西村一良さんとの思い出」(後編)【sianews/sn162-04.pdf】
SIA NEWS Vol.162 〔2013年7月25日発行〕
杉山 進さんの筆による2回にわたる連載で、西村さんについての回顧録。
ほぼA4の1ページ分、文字原稿によるものです。大変に詳しく語られていて、これ以上のものは他にありません。
残念ながらsia公式サイトからはリンク切れに成っていました2016/02/03。
◇1937年か、その近辺
西沢の最初の専属プロ西村一良氏は、大倉の赤倉スキー場で皇室や上流階級にスキーを教えていた。同時に、教え子と用具制作を兼ね「速く回るスキー」「回転しやすいスキー」の開発が行われていたのである。
◇1940年代半ば頃か?
主に西村さんが収集してきた海外の新素材、新形状、新製法のスキーを見本に試作を繰り返す。試作品は、すぐに長野、新潟の選手に履いてもらいテスト。
以上は、「あのスキーはどこへいった?」 西澤 保佑 \1,575 出版 :西沢書店 発行年月 : 2008.12より。
トップアスリートの輝かしい記録の裏にはウェア開発の進化があります。イノベーションを求め、デサントが積み重ねてきたさまざまな挑戦。それは常に「創造と挑戦」の歴史でした。常に時代の先にある物を創造し、求め、挑戦していく姿は今も脈々と受け継がれています。
デサントが初めて本格的にスキーウェアの開発に着手したのは1954年でした。日本人初のプロスキーヤーであり、スキーウェアについて色々なアイデアを持つ西村一良氏をアドバイザリーに招き入れ、本格的なスキーウェアの開発に向け、試行錯誤が始まりました。
西村氏は製品開発において一切の妥協を許さない、非常に厳しい方でしたが、、、。
【DESCENTE SKI 2010 / 2011 デサント社史】(デサント公式サイト)より 大変に残念ながらリンク切れ(2014/04/24)
その後養鶏器具は秋と春だけが忙しいので、夏の仕事としてスキーの金具も造りました。後に日本で最初のプロスキーヤーとなった西村一良氏等が、スイスやオーストリアから最新型のカンダハー(スキー靴締付具)を持って来たので、それを見本にして軍隊用のスキー金具を造った。
そんなことで、会長は昭和15年に全日本スキー工業組合、長野県運動具工業組合理事をつとめた訳です。後にスキーの選手をやり、長野県スキー連盟会長をつとめた片桐旦氏は、当時の組合の職員だったそうです。
- 創業65年目の座談会 > キングヒーターで上昇気運(長野市篠ノ井・(株)中嶋製作所サイト)より
スキー 基礎とその応用 西村一良・辻 一監 河出新書写真篇 サイズ18cm / 69p 発行年月 1955.11 【写真集】?
パン メソード オブ スキーイング = PAN METHOD OF SKIING / 西村一良著作 ; 小山晃介編 朋文堂, 1952.12形態:72p ; 23cm 序文は麻生武治氏、写真は箙 革命氏
◇紹介著書
スキーひとすじ日本プロスキーヤー第一号西村一良の生涯 西村博文 編著 125 ページ 2013
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三浦 敬三さん 1904年 2月15日生 2006年 1月5日没 享年101歳
三浦敬三さん1904年(明治37年)2月15日生まれ。2006年(平成18年)1月5日没、享年101歳
青森県青森市生まれ。青森県立第三中学校(現 青森県立青森高等学校)、北海道帝国大学(北海道大学)農学部卒業。
北大在学中に八甲田山での山スキーに魅せられ、卒業後、青森営林局に勤務。
青森林友スキー部に所属し、選手、監督、部長を経験した。
1955年(昭和30年)、51歳で青森営林局を退職し、東京都練馬区に移住。1960年頃?、息子・雄一郎さんが福島県・猪苗代にスキー学校を開校。
2006年1月5日永眠、享年101歳。100歳まで現役スキーヤー。
スキー技術、スキーの虫、探求者。イタリア山岳写真ビエンナーレ展においても受賞さりている、山岳・スキー写真家でもある。
とくに用具と技術の第一人者。著書は多数。
SIA初代副会長(1978年〜1981年)
(土方が尊敬する師でした)
1 1947 昭和22年『一般スキー術』 全日本スキー連盟 (猪谷六合雄、藤沢伸光、三浦敬三、柴田信一他共著) 体育日本社 B6・99頁・ 1947 。特徴は前外傾によるターン、中間姿勢。
2 クリスチャニヤの探求 / 三浦敬三. -- 朋文堂, 1955. -- (スキー・テクニック・シリーズ ; 第1)
3 SAJスキーテキスト / 全日本スキー連盟. -- 朋文堂, 1959 柴田信一、三浦敬三他。バインシュピール技術を採用。
4 クリスチャニヤ / 三浦敬三. -- 朋文堂, 1960
5 回転技術の探究 / 三浦敬三. -- 冬樹社, 1965 (当HP管理人も編集の雑用を担当)
6 黒いシュプール / 三浦敬三. -- 冬樹社, 1965 【写真集】 (当HP管理人も編集の雑用担当)
7 三浦スキースクール / 三浦敬三,三浦雄一郎. -- ラジオ技術社, 1965. -- (大河文庫)
8 スキー冒険野郎 / 三浦雄一郎,三浦敬三. -- 秋田書店, 1967. -- (サンデー新書)
9 大滑降への50年 / 三浦敬三. -- 実業之日本社, 1970
10 キミのスキーはもっと良くなる / 三浦敬三. -- 実業之日本社, 1974
11 三浦雄一郎の回転技術・回転技術の本質と実際 / 三浦敬三. -- ベースボール・マガジン社, 1974.10 \1,800 B5版
12 ツアー・スキーへの招待 / 三浦敬三. -- ベースボール・マガジン社, 1976
13 雪とともに / 三浦敬三. -- 山と渓谷社, 1986.1
「98歳、元気の秘密」 三浦敬三 祥伝社 2002年
14 99歳、モンブラン大滑降に挑む / 三浦敬三. -- 草思社, 2002.6
15 百歳、山スキーと山岳写真に生きる / 三浦敬三. -- 草思社, 2003.6
「101歳の少年」 三浦敬三 実業之日本社 2005年
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天野 誠一さん 1917?年生 2006年 8月25日没 享年89歳
天野誠一さんSIA第4代会長(1981年〜1996年)
2006年 8月25日永眠、享年89歳
父は、天野 貞祐(第2次吉田内閣文部大臣、獨協大学を創立)
第二次大戦後?、大阪に転居。長い間健康を損なう。
SAJ在任中、常務理事で教育本部、インタースキー等の教育関係事業、1972年札幌オリンピックに向けたノルディック種目の特別強化委員に就任、また同五輪のスキー競技委員を努めるなど、多方面で活躍。
SAJ役員退任し、SIA移籍。スキー場安全対策協議会誕生のきっかけをつくるなど功績多。
博愛の人、人柄の人。
- 「故天野誠一さんを偲ぶ会」120名が参会、故人を偲ぶ (全日本スキー連盟(SAJ)) リンク切れ2019/01/13
1 目で見るスキー学校 / 天野誠一. -- 冬樹社, 1966
2 現代スキー全集. 第1巻 / 天野誠一. -- 実業之日本社, 1970
3 現代スキー全集. 第3巻 現代のスキー技術 / 天野誠一. -- 実業之日本社, 1970
4 初級スキーテキスト / 天野誠一. -- スキージャーナル, 1970
5 現代スキー全集. 第2巻 / 天野誠一. -- 実業之日本社, 1971
6 現代スキー全集. 第4巻 / 冬季オリンピックと競技スキー/ 責任編集:天野誠一. 横山元昭 -- 実業之日本社, 1971
7 現代スキー全集. 第5巻 スキー発達史 / 天野誠一. -- 実業之日本社, 1971
8 ぼくとわたしのスキー / 天野誠一[他]. -- スキージャーナル, P-91 \950 昭和46
9 スキー / 天野誠一. -- 成美堂出版, 1972
10 初級スキー・テキスト / 天野誠一. -- 改訂. -- スキージャーナル, 1975
11 親と子のスキー / 天野誠一. -- 成美堂出版, 1980.12
12 写真でみるスキー入門 / 天野誠一. -- 成美堂出版, 1980.12. -- (Seibido sports library)
13 親と子のスキー 天野誠一 成美堂出版 昭56
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土岐 良次さん 1925年 9月27日生 2021年12月22日没 享年96歳
2021年(令和3年)12月22日永眠 享年96歳
生年月日 (2005年に80歳なので、即ち)1925年か1924年生まれ
恐る恐るSIAに問い合わせたところ、即答を頂きました。1925年 9月27日生でした。
*(たぶん)山形県酒田市出身? もしそれが違っていたとしても、少なくとも親の代は、地元の名士。これも記憶違いでなければ、お父さんは尺八の師範。
* お住まいは、神奈川県相模原市上鶴間。
蔵王フライツアイトシーシューレ校長
「フライツアイト・シーシューレ」とは、自由なスキースクールというような意味のハズ。
◇ちなみに、その前の校名は蔵王エルバッハ・スキースクール。
当時の西ドイツのスキーメーカー、エルバッハとの契約によるもの。その関係でスクールのスタッフである、畦地君ほか大勢の人間が数ヶ月から数年、現地で働き留学している。
日本職業スキー教師協会(SIA) 監事、ドイツスキー教師連盟 名誉教師
SIAでは設立から関わり、第4代副会長 1988?年〜2003年(またはSIA公式サイトによれば1991年〜)、第2代専務理事 1983年〜1988年、長年にわたりに用具研究部・部長などを務める。
著書、初級からのウムシュタイク(スキージャーナル 1985年12月発売 単行本)
*戦後、英語の通訳も職業とする。
*50歳頃には語学勉強のため、夏か秋の数ヶ月ドイツに単身留学。従って英語、ドイツ語に堪能。
「土方さん、ちょっと行ってきます」とあまりにも軽く言われて、ドイツ語をより流ちょうにするためとはいえ、失礼だがこの年齢でのお一人での留学に、驚き、感心、尊敬を感じたことを、今でも覚えています。
*昭和30年代頃には輸入商社を経営?され、スキーの先端のカックンと曲がったRCスキーの輸入? 多分このとき井上恵三さんが?契約または関与?
当hp管理人には、「RCスキー」と「旭貿易」の雑誌広告を見たおぼろげな記憶があり、もしかしたら旭貿易が土岐さんの会社だったのかも、という気もします。
*西ドイツやエルバッハスキーとの関係が強く
ダンロップスポーツによるエルバッハスキー輸入販売や、SIAへのドイツスキー連盟の紹介なども、土岐さんによるものである。
管理人(土方あきら)は20代後半から、深いお付き合いをいただく。例えばSIA用具研究部・副部長 (1971.6〜74.5 )としても、私を伸ばし、育てて頂いた。
「手柄は企画・実行をした部下のもの。失敗したときの責任は、長のものである」というのは、きれい事を口にする人は多いが、私がお会いした中の数少ない実践家であった。
ものごとの筋道、道理、整合性などには、とことんこだわる人で、ややこだわりすぎるきらいもある。
土岐良次さんは、若い人を尊重し、育てる名人である。その恩恵に浴した土方としては、生涯忘れることの出来ない恩人である。しかし先生ではなく、尊敬する友人としてお付き合いさせていただいている。そういう人柄の人である。
最後に書き忘れてはいけないことが1つ。80歳を超えた今も、冬の間は毎日ゲレンデに出てレッスンをする、現役スキーヤーである。そして「土方さん、僕は元気な内は、生涯、現役校長を続けるよ!」と。(2010年当時の談)
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若林 省三さん 1929年 1月25日生 2021年10月12日没 享年92歳
生年月日 (2009で80歳弱)。弟子の冨手邦士さんのほうが一回り若く見えるが、ほぼ同年齢のハズ。実はお付き合い頂いて20年近く、若林さんは冨手さんより10歳は年長、と私・土方は誤解していた。恐る恐るSIAに問い合わせたところ、即答を頂きました。1929年 1月25日生でした。土岐さんより4歳若いです。
出身地は、東京のような気がするが、群馬県かも知れない。プロになってからの大半の時間は、東京・御徒町に居住していることは間違いない。
第3代 SIA会長 1978年〜1981年
日本で最初にプロを名乗った石打プロスキースクールの創立者、設立は 石打PSSは昭33年。
その後石内PSSは馬渕夫妻に譲り、自らは志賀高原に若林プロスキースクール(長野県下高井郡山ノ内町. 志賀高原一乃瀬)を設立し、代表?
前・石打プロスキースクールから独立し、自らスクールを開いた人がひじょうに多い。
例えば、冨手邦士、三浦雄一郎、園部 勝、井上恵三、秋山智昭、関口りょうすけ、馬渕雄一・鈴木みすず、薄衣敏明('68-'76所属)、丸山日出男(1973年より所属)、江畠睦子さんなどなど、独立して開校した人間をもっとも多く輩出した。
御徒町で自転車店経営する。
この2階に、かってはスポーツ用品ジャーナル社も間借りしていた。
若林省三さんは、得意の民謡はプロ以上のノド前の持ちである。ある宴の席では、三味線を弾くお姉さん方に「エッ、(民謡の若林)先生は、スキーもされるのですか?」と驚かれたこともある。
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細貝 威(たけし)さん 昭和23年生 2007年7月21日没 享年59歳
昭和23年生まれ。2007年7月21日永眠、享年59歳
hp管理人・土方が尊敬する友人で、不言実行の士でした。
北海道旭川出身。藤島SSを経て、志賀高原にコパンブラン・スクールを設立。
初期プロレースに参加、山岳スキーヤーとしてもキャリア。著書に「初心者のスキー(成美堂出版/1999/11/10)」。
細貝 威さんの履歴 昭和23年生まれ。北海道旭川市出身。 競技スキーヤーとして活躍。スキー指導者となる。 昭和47年、日本職業スキー教師協会(S.I.A)教師資格を取得。 昭和48年、志賀高原にコパンブラン(白い仲間)スキースクールを設立し、志賀高原熊の湯、横手山スキー場にて活躍中。 昭和50年にイタリア1stクラス国家検定スキー教師資格をイタリアにて取得。その間、初期プロレースにも参加。 また、山岳スキーヤーとしても活躍。北アルプス、中央アルプス、南アルプスの山々の他に屋久島、石鎚山、白山、ヨーロッパ、アメリカ、カナダの山々を滑る。 昭和60年7月にはブータン王国ヒマラヤ、ナムシラ山群の初滑降に成功。 コパンブランスキースクール(志賀高原熊ノ湯、横手山、白馬コルティナ)校長。 |
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小滝 頼介さん 1941年生 2011年12月 5日没 享年69歳
所属 小滝アメリカンスキースクール
生年月日 1941年。2011年12月5日没、 享年69歳
略歴 1965年:日本人として初めてアメリカのプロスキーインストラクター試験に合格。バーモント州で小滝スキースクールを開校。
1967年:群馬県谷川温泉ホワイトバレースキー場で小滝アメリカンスキースクールを開校。
1972年:長野県斑尾高原に移設。
2011年12月5日:逝去 享年69歳
社団法人日本職業スキー教師協会(SIA)理事。
SIA教育普及部にて障害者スキー委員会委員長を務め、SIA監修の「障害者スキー教本」の翻訳編集に編集委員として携る。
2009年から副会長を務める。
趣味・興味
スキー、パラグライダー、ゴルフ、障害者スキー
スキー上達の基本 / 小滝頼介. -- ベースボール・マガジン社, 1976
パラグライダー初歩の初歩 [単行本] 79ページ 千早書房 (1990/04)
小滝さんは、hp管理人・土方とまったく同い年。ですから、スキー界では同じ時代を共に歩んできました。
若き小滝頼介がアメリカスキー教師の資格を持って帰国し、月刊・スキージャーナル誌に「アメリカンスキー教程」の大特集を組み、華々しくデビューした記憶は今でも鮮明にあります。
近年では、私と鈴木みすずさんがSIAに直訴・脅迫をして、協会としての障がい者スキーへの取り組みが実現。このときの担当責任者が小滝さん。温厚で、控えめで、そして情熱的な一面を持つ小滝さんのお陰で、SIA障がい者スキーはしっかりと進んでいます。
合掌! (2012.1.05 土方あきら)
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