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 磐梯ひじかたss 小史 (年度版)
◆'71シーズン (昭和45/46年)
◇主な出来事
 '71橘 宣安、光弘兄弟=黒姫スキー場で独立
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磐梯チロリアSS '71パンフ表紙
磐梯チロリアSS '71-2パンフ表紙
 1970=S45秋 土方=最初の単行本「スキー教室(永岡書店)」出版 /カメラ=末廣 明(68-1)
 '71?  心優しい六角先生=事務所の哀れな石炭ストーブに同情し、石油ストーブを贈呈。
 第2回チロリア--フェスティバル 1971.3.14(日) AM10:00〜  300円
 第3回栂池春スキーツアー  1971.5.2〜5  共催=北アルプス総合案内所= 矢野が肩を骨折
 1971=S46.7〜9 16o映画「8月に雪の降る国」=奥山 章プロダクション/ 原、矢野、土方、大島、村井の5名
 第2回 '71オーストラリア--スキーツアー参加スタッフ = 原、矢野、土方、大島、村井の5名
 スレドボで滑った記憶はあります。
         参加お客さま= 濱中親子、伊藤(キミ寿司)、丸山公一、早苗の兄妹ほか(敬称略)
        (オーストラリアのみ40万円、 +NZは約55万円)当時は航空運賃が高額でした
 S46 勝利スポーツを東京・大手町にオープン、春頃か
 SS契約=岡山 要商店(アストロスキー靴) 技術顧問(S44.9〜46.8) 最終年度
 1970.6〜71.5 (株)日本オート輸送(リフト・メーカー) 技術顧問としてSS契約
 土方= (株)金田スキー製作所 技術顧問(S44.5〜49.6)
◇1971(昭和46年)1月  猪苗代スキー場に町営リフト営業開始(2008現在の葉山第7リフト)。これで葉山西ゲレンデ(いわゆる町営ゲレンデ)が、リフト付きコースに変身。


◇後援=昭和観光開発(株) (株)エバニュー
  パンフレット広告協力=(株)日欧 (株)エバニュー 岡山 要商店 第一製薬(パテックス)
◇協力関係メーカー・商社(順不同)
 (株)日欧(アトミック)、(株)エバニュー(チロリア)、(株)金田スキー製作所(カネダ)
 岡山 要商店(アストロ靴)、(株)日本オート輸送(リフト・メーカー)、 ?GTOフーバー室(ウエア)
◇顧問= 太田哲男(順天堂大学教授)
◇スタッフ
 原 正4 土方あきら4 矢野邦史4 大島清史3 村井正太郎(早稲田大)3 矢野公二(広島市)2
 渡部寿雄(猪苗代)(初) Ronald.E.Mill(初1) 小川栄子(喜多方市)(初) 鈴木松男(喜多方市)(初) 加藤稔男(川崎市)(初) 石神純一(藤沢市)(初1)
 非常勤=
 小桧山 博(白河市)4 服部正樹(青学)3 佐藤義彦2(=春に日大卒) 池内雅胤(亜細亜大)2 後上和幸(東海大)2 宝田憲三(墨田区)2
 古家哲也(終3/正月のみ) 桜井和弘(終2) 江幡広志(須賀川市)(初) 長渡明久2(和光大1)
 栗原晴峰(初1終 青学) 竹井一夫(初1終 青学) 河合康人(初1終 青学) 中山 繁(初1終 青学)
 賄い= 石橋善行(日大)2(=春に大卒?)
 中野直一(慶応)(終2) 中野浩二(早稲田大)(終2)(没2014年67歳) 木川(佐藤)加代子(初1 立正4) 村井(岡田)幸子(初1)
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◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
※土方あきら=下手な尺八=ジョルジュ・ジベール「革新フランス--スキーテクニック」毎晩勉強会=そのあとナイター特訓=安藤とサボリ、磐梯ロッジでアップルパイを食べていたのがバレル。
※事件('72)=浅間山荘事件=村井さんと赤面山に入った1週間後に起こる。練習もせず、1日中TVを見ていたら、掃除のオバサンに嫌味を言われた。
72-73平瀬勝久の写真
72-73平瀬勝久
(33周年2000)
※流行歌=小山明子の「あなた」=マイホーム的な甘ったるい歌が流行っていた。
※骨折その1('72)=初めての立山合宿=エラそうな方が深雪で転倒し骨折=みんなで雷鳥沢より山頂駅にスノーボートでボッカ=大変な合宿に来た、早く逃げ出そうと思った。
※骨折その2('73)=小川栄子=寿雄さんチーフで、ジャンプ台ランディングバーンで直滑降の練習中、グシャる。これで練習が中止になると思ったら、続行。次に滑るのが嫌だった。
※原先生=レッスン直前「オレのパス券はドコだっ?」と言ったら=原先生に「何様のつもりだっ!」と怒られた=自慢じゃないが、あの温厚な原先生に怒られたのはオレくらいだと思う。                          (72-73平瀬勝久)

注: 偉そうな方とは、矢野邦史さん。
   骨折その2=小川栄子さんは、その少し前にスキーの提供を受けていたが使わず終い。今でも新品?のまま大切な想い出として残してある、と。


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