磐梯ひじかたss 小史 (年度版) |
◆'74シーズン (昭和48/49年) オイル・ショックと大雪のシーズン ◇主な出来事 佐藤義彦=赤面スキー場で独立 / 村井正太郎=ヤナバスキー場で独立 1974.2.21 ルバング島で元日本陸軍少尉・小野田寛郎さんを30年ぶりに発見、救出 '74 SIAの標語になっている【安全なスキーをSIA】を土方が提案 '74 ふくしま国体(S49 第29回 国体冬季大会)=猪苗代がスキー会場 '74? (株)日欧の好意により、日産グロリア(バンタイプ)のクルマを無償提供いただく 矢野+渡部(寿)+白旗史朗カメラマン= インドへ遠征 1974.4.9〜 SIA教育会議(網張) =ハイエース「チロリア号」でスタッフ多数が参加 1974.4.13〜 第5回SIA検定会(網張) =(松崎 作文で×)、鉄道ストで矢野公二は不参加 =帰りの車(チロリア号)に細貝 威君(現コパンSS校長)が同乗、猪苗代のプレハブに1泊 土方=SIA用具研究部--副部長(昭和46.6〜49.5/第 4〜 6期) / 理事 土方= (株)金田スキー製作所 技術顧問(S44.5〜49.6) 最終年度 ◇協力関係メーカー・商社--会社(順不同) 昭和観光開発(株)、(株)日欧(アトミック)、(株)エバニュー(チロリア) (株)金田スキー製作所(カネダ)=終、GTOフーバー室(ウエア) ◇スタッフ 原 正7 土方あきら7 大島清史6 渡部寿雄(猪苗代)4 鈴木松男(喜多方市)4 松崎 実(上伊那郡)2 岩花光博(三重県)(初) 矢野邦史7(東京の(株)日欧に多く勤務) 石橋善行5(東京マネージャー) 非常勤= 池内雅胤(三鷹市)5 安藤 徹3 長渡(崎田)淳子3(青学) 伊藤純一3(青学) 濱中利明(慶応)2 榎波健夫(和光大)(終2) 江幡広志(須賀川市)4(74結婚で引退。'78復帰) 賄い= 永田和男(和光大)(終3) カメラマン= 長渡明久(和光大)(終5)
「インドへスキーに行く。パスポートを取っておけ」、矢野さんの冗談話だと思っていた。出発前「インドに雪が降るの」と多くの人に言われる。初めての外国、緊張の入国審査、豪華なホテルで一人一室、自分だけ下の階で不安。興奮であまり寝られず。 デーリーの日中はかなり暑く、30度を軽く越える。翌々日、国内線の飛行機で移動。バンジャブヒマラヤが見え、6〜7千mの山々が続く。写真は撮ってはだめなので残念。 ここカシミールはインド、パキスタンの国境紛争でかなりの緊張だとか。グルマルグスキー場をめざすが、途中雪で車を降り、ポーターを雇い宿へ向かう。バンガローである。寒さでトイレは凍結して水は出ない。暖房は薪ストーブ。朝方は寒くて目がさめる。 スキー場へ。夏はゴルフ場というゆるやかな丘が続く。ロープトゥとリフトが一基。雪質の違いと久しぶりのスキーで少々とまどう。天気も良く、白旗さんとの撮影も進む。訓練中のグルカ兵とも滑る。矢野さんがバタフライを見せると、驚きと歓声。ジャンプ台を作ってゲレシュプの撮影時には、すごい見物人が集まった。極めつけは、現地で撮影中の映画の主役(日本なら石原裕次郎クラス)の代役。などなど。遠くにナンガパルバット山を望みながらのスキーも快適で、あっという間に時間が過ぎていく。インドのごく一部分を見ただけなのに、私はこの国が好きになってしまった。 (71-96 渡部寿雄) |