磐梯ひじかたss 小史 (年度版) |
◆'75シーズン (昭和49/50年)
1974.12.9 ロッキードなどの金脈問題で倒れた田中角栄に代わり、三木内閣スタート S49.11〜52.6 (株)日欧(アトミックスキー、サンマルコ靴、バルフアルディゴーグル他)=土方、大島が個人契約 / 初年度 スタッフ宿舎はプレハブ最後の年。但し一部は昭和観光に返却?(翌年からシャトー磐雪へ) 1年のみSS事務所(磐梯ロッジ)下にキャンピングカー2台を置き、一部が宿泊利用+プレハブ この年の辺りから、SSの経営=矢野が受け(意志決定の1本化のため)、土方=SS非常勤に S50.3〜.5 土方=実業之日本(SKI75)の取材でカナダへ。インディアンの家にも居候。 3月? ウェイン・ウォング(フリースタイラー)が初来日の年? = 上越?で大会 第 1回 '75SIA総合会議・SIAフェスティバル(万座4月) 招待チーム=イタリア 1975.4.5〜 第6回SIA検定会(万座)/正会員= 松崎、岩花、崎田 準会員= 濱中、伊藤純一、(×大阪) 第1回SIAフェスティバル(万座)= 川井が受講/ 当SSお客さまの山下さん(須賀川の書道家)が大怪我 松崎 実3=この1冬の給料ナント3万円ポッキリ!('74=1.5万)とのコト。'75売上=350万円位か? (ちなみに'72黒川=6万円とのコト。土方=春〜冬×10年間の合計で100万以下) ◇協力関係メーカー・商社・会社(順不同) 昭和観光開発(株)、(株)日欧(アトミック)、(株)エバニュー(チロリア)、GTOフーバー室(ウエア) ユニフォームは、ツルツルした宇宙服、または消防服モード。超モダンなのだが、転ぶと非常に滑り止まらない。 ◇スタッフ 原 正8 土方あきら8(この年から入山減る?) 大島清史7 渡部寿雄(猪苗代)5 鈴木松男(喜多方市)5 松崎 実(上伊那郡・SIA正会員合格)3 岩花光博(三重県・SIA正会員合格)2 長渡(崎田)淳子4(前年で青学卒・SIA正会員合格) 岡本正己(兵庫県)(初1終?) 矢野邦史8(この年?からSS代表に/東京の(株)日欧にも勤務) 石橋善行6(東京マネージャー) 非常勤= 池内雅胤(三鷹市)6 安藤 徹4 伊藤純一4(青学・SIA準会員合格) 濱中利明(慶応・SIA準会員合格)3 賄い= 川井洋子(大阪府)(初) 大阪みほ子(名古屋?)(初1終)=春に突然SIA受験 ◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
以降の猪苗代では、磐梯ロッジの下にスクール事務所。その横にあった宿舎=ガラス窓から雪が吹き込み、朝起きるとフトンの脇に雪が積もっていることもしばしば。食事といえば、朝は石炭ストーブ?でパンを焼き、昼は川井洋子さんが用意してくれました。 シーズンも終わりに近い3月のある日、事務所で昼食中、コーチの誰か忘れましたが事務所の窓ガラスを突き破り、カレーが並んでいるテーブルの上まで、スキーで進入したこともありました。ですから、当時は積雪もあり、雪が少ないという記憶はありません。 この頃はディプロマ取得の目標があり、よく滑りました。 スキーもよく教えていただき、寿雄さんには「スパパラレル」を。大島さんには「コブはどの様に…」と聞くと、「コブをまたいで滑る」との答え。この感覚が分かったのは、何年か後でした。現在スキー雑誌に出ている技術解説などを読むと、20年前すでに言っていたことがたくさんあり、今さらながら学校の質の高さに、驚いてしまいました。 こんな質の高い学校にいながら、SIAの検定('74)は一回で合格とはいきませんでした。'74不合格の理由が作文で、スタッフからは「お前、なんて○○なんだ」と冷やかされたことは、言うまでもありません。 (73-80松崎 実) (土方注:なお、本'75シーズンに再受験をし無事に合格したことを、松崎君の名誉のために記しておきます。) |