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 磐梯ひじかたss 小史 (年度版)
◆'77シーズン  (昭和51/52年  SS設立10シーズンめ)
1977wear崎田?・アシックス
1977wear崎田?・アシックス(Skier'78-3より)
お馬返しゲレンデを集団滑走の部分アップ。
35年ぶりに見た写真の後ろ姿なのに、崎田淳子さんと見当がつきました。
 日本海で豪雪つづく、「38豪雪」以来の14年ぶり
◇主な出来事
 S51.11 土方=イタリアスキー連盟の招待で、国家検定スキー教師(マイエストロ)取得(同行者=宮田隆志)
 宿泊と朝食--夕食 =シャトー磐雪にお世話になる
          (翌年からは、事務所も含めすべてヴィライナワシロに移る)
 第 3回 '77SIA総合会議・SIAフェスティバル(万座4月) 招待チーム=西ドイツ
 土方=SIAスキー技術委員会--副委員長 (51.6〜58.5/第 9〜10期、第13〜14期) 初年度
            (委員長=見谷昌禧氏の下で鍛えられる)
 土方、大島=(株)日欧(アトミックスキー、サンマルコ靴他)技術顧問(S49.11-52.6) 最終年度

◇協力関係メーカー・商社・会社(順不同)
 昭和観光開発(株)、シャトー磐雪
 (株)日欧(アトミック)、(株)エバニュー(チロリア)、GTOフーバー室(ウエア)

◇スタッフ
 原 正10 安藤 徹6 大島清史9 渡部寿雄(猪苗代)7 松崎 実(上伊那郡)5
 岩花光博(三重県)4 長渡(崎田)淳子6 鈴木松男(喜多方市)(終7)
 矢野邦史(終10 東京の(株)日欧に勤務) 石橋善行(終8 東京マネージャー)
 非常勤=
 土方あきら10 池内雅胤(三鷹市)8 濱中利明(東京)5 伊藤純一4(青学) 松崎(福井)くみ子(初1終 青学3)
 小山(森久保)佳子(初1終 青学3) 小沢(金子)恵美子(初1終 青学3) 槙原(初1終 青学2)=男、
 瀧野友英(男性、'76か'77の1冬のみ・短期間、土方との面識は無い)
 事務・受付ほか=
 松崎(中島)くるみ(東京?)(初1終)

◇私の思い出 ----------------------------------------------------------------
 1985頃 大島清史37歳頃
69-86+08-11大島清史
4代め副校長'81
1985頃 大島清史37歳頃
 1975年12月某日。シーズンも始まって間もなくのころ、久しぶりに会ったスタッフとの話がはずみ、SSの事務所を出たのが夜中の12時近く。宿舎に借りていたシャトー磐雪のプレハブへは、50mほどの急坂を降りて行かなければならない。誰かが、「なんか焦げ臭くねぇか」と言い、「そういえばなんか焦げ臭いな」、ワイワイ、ペチャペチャ…。
 プレハブの入口のドアを開けたとたん、焦げた臭いがプーン。電気のスイッチを押してもつかない。「おい、火事はこん中じゃねぇか?」、「どの部屋だ」…。長靴のままドカドカと入り、火元を探したが見つからない。「ア〜!私たちの部屋から煙が出てる」、見ると女子部屋のドアの隙間から、煙がモクモク。
 ドアを開けると、4畳半程の部屋の中が、煙で充満している。岩花君が下から覗いて「あ〜!火が見える」。よく、火事にあったら煙にまかれないよう、這って逃げるように言われている。その通り、煙の下に30cm程の空間。次は、私と岩花君との間での会話。「岩花、這って行って窓を開けろ」、「え!俺が行くんですか?」、「他に行く奴はいねぇだろう」と。岩花君がほふく前進して窓を開けた。
 (その後の顛末がどうだったかは、前ページの崎田君の原稿を参考!)
 シーズン終了後の小屋の外で、焼け焦げたフトンと共に見つかったイチゴのパンツは、今となっては持ち主を探すことは出来ないでしょう。
 その他にも、丸山健吉君の家出--居候(1973)、長渡君のヌード撮影会。酔っぱらった矢野さんが眠っている私の目をこじ開け懐中電灯で照らし、いじめることも再三。などなど、若き日の楽しい思い出はつきません。        (69-86+08-11大島清史)


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