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68-84
原 正さんの写真・略歴
(略歴は写真の下にあります) |
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1970年(45歳頃)?原 正さん | その翌年?の原 正さん |
阪本勁夫さん(埼玉)宛の「昭和45年夏、暑中見舞いハガキ」より。 その年(45歳頃?)の春スキーでのものではないでしょうか? |
左の写真の翌年、昭和46年のもの(同じく阪本勁夫さんより)。 68-84原 正さん、(1984.7没) |
68-84
原 正さんの写真・略歴 | |||||||
昭和元年(1925)、 |
〒965-0805 福島県会津若松市天寧寺町 3-35 にて誕生。 | ||||||
復員後、 |
電電公社(現・NTT)会津若松支局に、勤務(1984.7永眠するまで)。 その傍ら、高橋一良さん(会津若松市昭和町 SAJ福島県連副会長1968〜73、SAJ福島県連会長1974〜79、)に師事し、SAJ正指導員を取得。 | ||||||
1963年(昭和38年)秋 (または1962年秋) 〜4シーズン。 |
誘われて、猪苗代のエバニュースキー学校(現・三浦雄一郎スノードルフィンスキースクール)に加入。 1年遅れで、1964年秋、土方あきらが同校に加入。 | ||||||
1967(昭和42)年秋、 |
福島県猪苗代スキー場において、土方と一緒に磐梯プロスキースクールを設立、 その後、'70 磐梯チロリア・スキースクール → '73 チロリアスキースクールと改名し、 1977年 6月 現名称「磐梯ひじかたスキースクール」に変更。 | ||||||
同校・初代校長 同校・初代会長 |
初代会長'83〜就任し、1984.7死去までの間を務める。 | ||||||
1968年11月30日 |
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1984.7永眠 |
1984.7 原 正さんが逝去。享年59歳? 亡くなる年の3月まで、最後のシーズンまで、現役スキーコーチとして活動を続けられたスキーの虫でした。 お墓は、会津若松市の建福寺にあります。ここには、長岡藩の河井継之助のお墓もあります。 (2012.3.31ひじかたSSの幕を下ろすに当たり、土方あきらは恩師・原さんに報告して参りました。) ★建福寺 〒965-0823 福島県会津若松市建福寺前7-3 | ||||||
「仏のターちゃん」 を偲んで |
と、スクール創立28周年記念の同窓会(1995.10)の記念誌に、平瀬君が書いています。 このように、たいへんに温厚な人柄でした。会津若松の友だちからは、お名前の正さんから「ターちゃん」と呼ばれていたので、私が密かにつけたあだ名が「仏のターちゃん」。 年齢や経験など関係なく、人の意見を積極的に、かつ謙虚に聞くことも、特筆すべきことです。 そういう原 正さんに、丸20年間、しかも一緒に作ったスクールでは17年間も師として仰ぎ、ご一緒できたこと、たいへんに幸せでした。
2007/ 8/22 土方あきら
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