( 土方あきらの個人情報 別ページになります) 磐梯ひじかたスキースクールへ スキー情報満載の へ 有言実行をモットーに、生きてきました。そのためスキー界では、一部の人から煙たがられています。でも、根はいい奴、のハズです。 |
一応、磐梯ひじかたスキースクールの2代目校長(1978年から2003年)で、「土方あきら」です。
小学生のときに、「鉱石ラジオ」を作り、以来、電気・通信関係に進むことを夢見てきました。砧(東京)にある、NHKの電波研究所の技師になることが、夢のゴール。
高校は、東海電波の電子科で、ここまでは夢に向かって、まっとうな人生でした。
ところが卒業間近になって、「パチプロ」になるか、「屋台のラーメン屋」のおやじになるか、悩みました。
ところが、その末に選んだのが、東海大学の原子力工学科(東海大36原)。これが我が人生で最大の誤り。友人はできたが、とにかく勉強はしなかったですね。
そして、卒業と同時に選んだのが、このスキーの世界。以来、50数年。山とスキーと自然が大好き人間にとっては、それなりの苦労はありましたが、良き人生かな!スキーが食えない世界とは、知らなかったのです。食うために写真も覚え、本を書く技術も覚えました。
港区立南桜小、愛宕中の卒業年度のクラス別集合写真(名前入り)を差し上げます。
私は、旧・港区芝南佐久間町の住人だった土方 啓です。港区立南桜小学校(1955年卒)、港区立愛宕中学校(第11期生・昭和33年卒)。 南桜小、愛宕中学の卒業アルバムから各クラス集合写真をスキャンし、名前入り写真を作りました。顔もクリアー。 私とクラスが違っても、ご希望の同期生には差し上げますので、どうぞ遠慮無く一報を下さい! 港区立愛宕中学校・南桜小学校の写真ページへ ちょくせつ、アクセスできるページを作りました。こちらをご利用下さい。(2013/9/24) |
などなど、ひじょうに多くの会社から契約で拾われ、また個人の方々にも支えていただきました。
その半数以上は、「食えないスキー界で頑張る若者に対する応援」でした。決してギブ・アンド・テイクだけ目的ではない、暖かい応援は一生忘れることができません。
カッコつけになりますが、そういう会社や方々への恩返しは、ちょくつ出来ません。格が違いすぎるほどの十二分な大物であったり、あるいは既に故人になられていたり、などなどの理由によるものです。
そこで、大好きなスキー界の後輩や、スキー界そのものと自然界に対し、何かをしたいと考えています。まあ、こういう考え方をするようになったのは、歳をとった証拠ですね。
スキーのよろず屋です。1年間をスキーで食っていきたいのに、食っていけない世界なので、若い頃はいろいろやりました。
25歳の頃、我々よりスキーの名手だった笛田 孟俊さん(写真家)から、「たとえ僕らが何日山に入っていても、晴れない限りは写真が撮れない。その点、毎日スキー場で暮らす君たちなら有利だ」とおだてられ、写真を撮る側の世界にも入りました。
以来、オリンパスのモータードライブも3台購入し、雑誌に発表したり、代理店に預けたりもしました。
26歳。「スキーフレンド」という雑誌の編集部で、アルバイトのときのこと。「キミのカタカナのツとシは、区別がつかない!」と、注意を受けたことがあります。
この程度のレベルの人間でも、苦労をしながら、その後20年ほどは、各スキー雑誌に大量の原稿を書いています。経験と共に成長し、今までに20冊ほどの単行本も発表しています。
話がとくに得意だった訳でもないの、講演や講義なども今では仕事にしています。
見よう見まねで始めた趣味のホームページ作りも高じて、その後ホームページ製作・管理人も仕事にしています。
などなどから得た教訓は、「確かに、誰にも得意不・得意はあるが、誰でも経験さえ積んでいけば、一応その道のプロになれる」ということです。
ワールドカップで活躍している名手たちも、最初は全員が初心者。平地に近いような緩斜面で転げ回っていた時代があったのです。
一般の人から見れば、スキーの上手なスキーコーチたち。その大半の人たちの運動能力は、決して高くはありません。それでも、環境に恵まれ、滑りまくっていれば、あの程度には誰でも必ずなれるものなのです。
自然環境保護にチョッピリ関心を持ち、ささやかな実践を心がけています。
その関連の話も、「おもろい話・いい話・いい加減な話」のページの中で、少し紹介してあります。それに関連して、「信じがたいほどの威力のEM(有効微生物群)って、な〜あに?」にも関心を持ち、普及にもささやかな力を入れています。(サイトは、2021/08/17消滅)
また、全てに対して「有言実行をモットー」にしているため、口うるさく、スキー界では一部の人からは嫌われている、はずです。
私はヒゲを生やしているため偉そうに見え、腰痛で腰が曲がらず態度もでかそうに見えますが、根は優しい小心者です。どうぞお気軽にお付き合いください。
ただのまじめな肩書き、職歴、役職歴などです。見ても面白くありません。
また、スキーの本も20冊ほど書いています。
私のスキースクールでは、「万一ご満足いただけないときは、レッスン料返金」、「予約のキャンセル料は原則不要」、「**日本一」などなどをうたっています。
そのために、「かえって疑わしい。実際に現地に来てレッスンを受けるまでは、半信半疑だったと」いうお客さまもいらっしゃまいました。
このようにホームページを疑われている方、私を信用いただけない方用に作りました。
20年数前の1982前頃にシャープの「ボケンコン」から入り、NECのPC-8001(カナ専用機)、無印の9801へと移り、以来NECの98シリーズ一筋で、7台ほどになります。
1つ前のパソコンは、1997年8月に購入の「PC9821-V200MZC2」(クロック=199.6MHz メモリ=96MB)。DOS-ベシックとの互換性の関係で、長い間買い換えが出来ず使い続けてきました。
ついにその問題が解決出来、2002年7月にNEC「PC-VL3003D」(クロック=1.1GHz メモリ=240MB)に買い換えが出来ました。OSのWindows-XPは快適の一語です。(その後2003年10月に、ソニー バイオ PCV-HS23BL5(2.30 GHz)を購入)
初期段階の話ですが、漢字が表現できるようになったときは、大感激。でも単漢字入力。そこで自分たちで1年かけて入力し、熟語辞書を自作したのも想い出です。
それまではテープレコーダーのようなものにプログラムやデーターを記録していたときに、10万円を切った8インチのフロッピーディスク・ドライブが登場(1984年 98,000円)。その後、粗くて見にくいカナ専用プリンーターが大半の時代に、20万円ほどの格安・漢字プリンターが登場。これにも大感激して、飛びつきました(1984年 215,000円)。今ならどちらも、1、2万円〜で購入できるので、パソコン関係は本当に安くなりました。有り難いことです。
DOSソフトのマニュアルは1冊書いたこともありますが、ウインドウズは初級者、インターネットは初心者でした。スキーは? たぶん上級者のはずです。
こんな私が、まったく手探りの状態で、このホームページを自作しました(1999年6月27日)。
それから2年が過ぎた2001年7月には、次のスーパーフィートと(社)日本職業スキー教師協会の2つのホームページも、製作・保守・管理・運営を業務担当していました。
スーパーフィートという、アメリカ製のインソール。2000年夏から担当して、2年目でまあまあのホームページに変身出来たと自負しています。2016/12契約終了
私も所属するSIA(社団法人 日本職業スキー教師協会)。
この2001夏前からの契約で、現在の悲惨なものを、半年以内に素晴らしいものへの変身を目指し、リキを入れました。
そこそこのデーターベース化も出来たと自負していますが、雇用主SIAの方向性について意見が合わず、2002年8月をもって自主撤退しました。
こちらは、お手伝いというカタチで、今までの恩返しをしたいと考えています。
2002年夏からスタートですが、受け入れ態勢の都合で2002年11月現在は、まだほんとんどウエーティング状態ですが…。(2011.03.30破産)
友人の奥様のホームページということで、2002年春からアドバイザーになっています。
私の尊敬する友人・薄衣敏明さんのホームページで、2004年8月からアドバイザーになっています。
2011夏に会員になり、この会(緑の会東久留米つつじ会 ・ 多摩の自然環境を守る会)のサイトを作らせて頂きました。
東海大学に入り、スキーが目的で入ったのが「ワンダーフォーゲル部(TWV)」 (「こちらのTWV hpのほうが新しいです」)。略して東海大ワンゲル。会員番号060050。ポスターと、勧誘の女子部員の笑顔にコロリと騙されて入部しましたが、登山部に近いもの。授業よりも、山か部室で多くの時間を過ごしました。
でも最近は、全日本腰痛連盟の会長(当スクール内で勝手に作った連盟です)。膝も機嫌が悪いため、登山はご無沙汰です。体調が戻れば、将来は軽登山を復活の夢は持っています。
冬の3カ月は、毎日スキー場にいること。これは、スキー大好き人間にとっては、たいへんに美味しいことです。その代わり、一番の趣味であるスキーを仕事にしてしまったことは、我が人生の大きな過ちの一つでもあります。
以前は、日曜大工が趣味でした。人から頼まれて、ベッドや鏡台などを作ったこともあります。スキー関係のいろいろな雪上実験では、必要な小道具の自作もでき、この趣味は役立っています。
わが家の2F天井と屋根の間に、物置部屋を作りかかったこともあります。図面を引いたり、模型を作ったり、けっこう楽しかったです。が天井に穴を空けたところで、けっきょくは素人の手には負えず、途中から工務店に頼みました。
自由業の特権で、自分の仕事のスケジュールはどうにでも調整できます。一時期は、日曜大工が日月火水曜大工になり、残りの木〜土曜に本業。
最近は、壁紙貼りに少し凝っています。これも慣れで、プロなどに道具とコツを教われば、けっこう上手くできるものです。しかし、なかなかの大作業なので、本当は途中で投げ出したくなります。とくに天井の壁紙貼りはたいへんです。
趣味は音楽鑑賞というほど凝ってはいませんが、ジャズは好きです。それも上品なものよりも、モダンやスウィングやデキシーなどの少し土臭いほうがいいですね。
若い頃は、クラッシック大嫌い、邦楽はお経のように聞こえましたが、最近はたまたまこういうものを耳にしても、悪くないと感じています。
楽器としては、尺八、竹笛、ケナー、和太鼓、ドラムなどの音色は大好きです。
自慢じゃないけど、尺八、篠笛、お琴は少し習ったことがあります。しかし、自慢じゃないけど、リズム感がひじょうに悪いです。ですから、まったくモノにはなりませんでした。そのため今は休止中。
自己流時代の一時期は尺八に凝り、いたる所で吹きまくったものです。
今は日本のアルペンを代表する、トップレーサー平沢 岳選手の少年時代のこと。習い始めのバイオリンの怪奇音に悲鳴を上げた私に対して、「土方さんの尺八だって同じよ!」と、彼の母親・ヒロミさんに非難されたことがあります。
ドイツのミュンヘン空港?で、迎えの車を待つ間に、尺八を吹いたことがあります。同行の土岐 良次さん(現SIA副会長)から、ときどき想い出話として話題にされます。
立山では、風呂の中でよく吹いたようです。と時々、昔話を仲間からされることがあります。
一度は猛吹雪で雷鳥荘に閉じこめられ、持参していなかったため自作。それが流行り、従業員たちも制作。
今から20年ほど前の11月に、雷鳥荘で合宿を行ったどこかのスキー部の皆さん。もしあなた方の竹ポールの何本かが、30cmほど短くなっていたら、犯人は私たちでした。時効につきお許し下さい。
これだけ吹きまくった尺八も、リズム感に欠け、やはり下手でした。周囲にいらした皆さん、そして仲間の皆さん、毎度お騒がせし、ご迷惑をおかけしました。
読書というよりは、ジャンル無しの乱読で、いわゆる活字中毒です。
週間宝石、週刊現代、日経バイトも、愛読誌でした。でも今は時間不足のため、定期の購読誌は、日経ビジネス、日経パソコンのみ。
愛読紙は、天下の「東スポ」と日経新聞。どちらも40年ほどの筋金入りの読者です。
東スポは、エロから大好きなプロレスまで、完全読破。十二分に元を取っています。
そのおかげで、宇宙人と握手している米大統領などなど、信じられない写真も見ています。でも、信じてはいけないのが東スポ。でも、世界の非常識の知識に入るには、絶対に東スポをお勧めします。
1999年9月20日から始まった高杉 良の連載小説「続・金融腐食列島 再生」。しかも、このイラスト担当は友人の谷井健三さん。いよいよ東スポ=神サマです。
東スポや週間宝石など、品のない新聞、雑誌も大好きです。
ちなみに、右の「スキーを持った鎧甲の武者と馬」のイラストも、私の注文でスキージャーナルの単行本用に谷井さんに書いてもらったものです。
もし以下が空白のときは、今はたいした悩みがないということです。その場合は、わりと幸せな状態なのでしょうね。
書き込みがあるときは、ぜひご指導をお願いいたします。
2001年の秋からは大流行のウイルス「ニムダ」を、毎日5〜15通ていど受けていました。2002年の2月頃から少し収まり、最近はめっきり少なくなってきました。
ところがそれに代わって、「[ア、@.@ー偰タ*タスタサ タッチ*テナーエツ セ」」というような件名のメールを受けるようになっています。内容も同様で、「エンコード」を変えても読めない文字です。
2002年11月の今も、1日に3〜7通ほど届きます。
その大半は、「韓国語です。19分ほどかかりますが、ダウンロードしますか」と聞いてきます。この表示までに時間がかかり、削除するのもより手間がかかります。
(Windows-XPに代わってからは、瞬時に表示されていますが…)
送信元はいろいろです。
この悪夢が永遠に続くのかと思うと、とても悲しいです。この韓国語メールを受けなくて済むようにするために、どなたか、良い解決方法をご指導いただけないでしょうか。(2002年11月30日 現在)
その後、Outlook Expressの[メッセージ ルール] を利用して、送信者に「 co.kr 」が含まれる場合は、「削除する」を設定してあります。正式な韓国アドレスのメールは防げるようになりましたが、まだ一部です。
「 ***@**.hotmail 」や、その他の無国籍?アドレスを使って送られるメールが多いからです。(2004年4月25日 現在)
20年ほど前にパソコンを始めて、以来NECのパソコン一筋です。
というのは、ときどきは未だMS-DOS環境でも利用しています。経理や顧客などなどかなりのプログラムは、MS-DOS BASICで組んだ自作のものを使っています。
キャノン以外の大半のプリンターは、ウィンドウズ専用で、MS-DOS不対応、という時代です。
しかし、MS-DOS BASICで組んだプログラムを活かすには、ウィンドウズでの互換性の問題があり、困っていたのです。
自分でもいろいろ調べたり、1998年ころには「5?万本の販売実績」を誇る「BASIC/98」というOSを買ってみたりもしました。
ここで、教えてください。を書いた結果、数名の方からアドバイスをいたたきました。
最終的には、「N88互換BASIC for Windows95(潮田康夫氏作)」を使うことで解決出来、2002年7月には新しいパソコンを購入することが出来ました。OSのWindows-XPは快適の一語です。
その感謝の気持ちから、2002年11月30日本日、N88互換BASICの手引き書をホームページに載せました。
本プログラムの開発者・潮田康夫氏と、アドバイスをくださった方に心から感謝しています。
お蔭さまで、「便利なスキー総合リンク集」は、シーズン中は月に1万アクセスを超す人気ホームページになりました。ここには、多分1,500ほどのホームページを紹介しています。
また、「得する電話代・通信費の節約法」は、月に4,000アクセスほど。
「信じがたい威力のEMって?」も、月に2,000アクセスほどをいただいています。
しかし各ホームページのアドレス変更はひんぱんに起きているのが現実です。そのために、リンク切れも少なからずあるはずと確信し、心配をしています。
こういうリンク切れをチェックするソフトは、無いのでしょうか?
2002年2月と3月に「S.T」さん、「M.O」さんという方から指導のメールをいただきました。
この手のソフトは沢山あります。googleやyahoo(検索エンジン)で、「リンク切れ チェック ソフト」と、3つの単語を並べて検索すればたくさんヒットします。
とのことですが、ホームページを開いてからは、時には見ず知らずの方から何度もアドバイスをいただいたり、助けられたりして、その度に感激しています。
ですから私もその恩返しとして、他の方へアドバイスなどをさせていただいています。
ところが一部の人では、泣きつかれ、せっつかれ、私からアドバイスをお送りしても、それで用が足りると梨のツブテ、ということもあります。その度に、未熟な私はカリカリしています。
しかしその一方には、上記のような方もいらっしゃいます。いろいろな方から親切を受けたり、知り合ったりすることのできるインターネットは、やはり素晴らしいですね。
本文終了です。
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SKIスキーのいろいろページ 1999-2006 © by 土方あきら