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▼ゴールドメダリストの裏話▼

スキーの話 ゴールドメダリストが、捕まる、捕まえる1 マイヤー(1999/10/ 7)

 ゴールドメダリストにまつわる、明暗3つの話です。
 1998長野五輪の滑降では数十メートルも空中に跳ばされ、叩きつけられ、そのままヘリで病院送りされたヘルマン・マイヤー(オーストリア)。
Herrmann Maiers Unfall in Nagano 1998 - Trollversion(youtube動画でのマイヤー大転倒シーン))
 わずか2日間で立ち直り、すぐのアルペンスキー2種目で優勝。
 その翌シーズン開幕の1998/11/28。アスペン(米国)で、W杯スーパー大回転の第1戦が開催され、ここでも実力を発揮し2位の健闘でした。
 でも、その後がいけません。
 会場からホテルへの帰路の途中、同僚の一人と一緒に路上の自転車を無断借用。つい出来心とはいえ、この行為を「自転車ドロ」と言います。
 で、警官の姿を見るや、自転車を投げ捨てて逃走。ところが、スキーを履いているときのような素早さが欠けたのか、御用。事情聴取までされたが、「悪意がなかった」ことで無罪放免。
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 一方、史上最速男と呼ばれるモーリス・グリーン(米国)。今年の1999年6月17日には、100メートルを9秒79で世界記録を更新。
 この絶好調の状態で、8月20日から開催される世界陸上セビリア大会へ。ちょうど到着した空港で、置き引きが発生。
 それに気づいたグリーンが追いかけて、すぐに逮捕のお手柄でした。まあ、当然のことで、もし逃げおうせれば、その泥棒こそ世界最速になってしまいます。
 何せ相手は、セルビアでの三冠王です。

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スキー連盟と喧嘩別れをした人たち(2008/5/17)

 ゴールドメダリストにまつわる、悲しい話です。
◇オーストリアと袂を分かったマーク・ジラルデリ
 オーストリアで生まれたマーク。
 将来のトップレーサーを育成するエリートコースに選ばれたが、指導方針を巡ってコーチとジラルデリ父が対立。ナショナルチームを飛び出した結果、オーストリア代表として国際レースへの参加が不可能となった。
 そこでオーストリアを離れ、超弱小であるため何の規制もないルクセンブルグチームに移り、親子で世界に挑むことを選んだ。マークが13歳の時だった。
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マーク・ジラルデリ(Marc Girardelli、1963年7月18日生まれ - 1997シーズンで引退)
 ワールドカップ総合優勝5回、通算46勝(歴代3位)、世界選手権の金メダル4個、銀メダル4個、銅メダル4個、オリンピック銀メダル2個。
 という最高峰のレーサーを、オーストリーは失ったのである。
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◇ドイツスキー連盟と袂を分かったウエンツェル姉弟(リヒテンシュタイン
 1979/80シーズン、ワールドカップの総合優勝を果たしたアンドレアスとハンニのウェンツェル姉弟。ワールドカップの歴史の中で、男女ともに姉弟が総合優勝を飾ったのは唯一、という快挙である。かつ同時にということでは、今後も出ないだろう
 ウエンツェル家はもともとドイツ人だったが、ドイツスキー連盟とのもつれからリヒテンシュタインに帰化した。
 その結果、最高峰のレーサー二人を、ドイツスキー連盟は失ったのである。
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アンドレアス・ウェンツェル(弟 WENZEL Andreas 1958年3月18日生まれ  1989年引退)
 2度の五輪出場、アルペンスキー男子GS/2位、3位、K/2位。ワールドカップ 通算 14勝、総合優勝1回。
ハンニ・ウエンツェル(姉 WENZEL Hanni 1956年12月14日生まれ 1985年引退)
 第13回レークプラシッド五輪、女子・回転優勝。ワールドカップ 通算 33勝、総合優勝2回
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◇オーストリアチームから追放された、美人姉妹の妹エルフィ
 二人ともワールドカップ随一の美人姉妹。
 姉のシルビアは高速系のスペシャリスト、名器「クナイスル」を使用する最後のレーサーだった(クナイスル倒産後はアトミック)。(管理人注:クナイスル社はこの後2004年頃にも倒産?とか、しかし2010春現在、同社は存続しスキーの製造も続いています。)
 妹のエルフィはスラロームのスペシャリストである。クナイスルを履いてデビューしたが、サービスを受けられなくなって「ケスレー」に替えた。
エルフィ・エダー(EDER Erfi AUT→GRN 妹1970年1月5日生まれ 1999年引退GRN)
 World Cupでの通算3回の優勝すべてが'95/96のSLで、この年のワールドカップ回転種目の総合タイトルを獲得。
 その後オーストリアチームとトレーニング環境の問題で衝突。プライベートチームを作ろうとしたのだが、認められず、FISの全ポイントを剥奪された上チームを追放になった。
 1998シーズン、カリブ海のグレナダから出場しようとしたが、オーストリアの圧力で失敗した。翌1999シーズン、ワールドカップに復帰したが、スポンサーがつかず、この年で引退した。
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 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Biography/Bio-W_EderE.htm EDER Elfi (GRN)* (写真家・木村之与さんのski-and-ski)より
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えん罪?による追放と名誉回復(2008/5/17)

 ゴールドメダリストにまつわる、悲しい話です。
◇五輪から追放されたシュランツ
 1972年 第11回冬季札幌大会。好調でオリンピックイヤーを迎えたカール・シュランツ。1つ2つのメダル獲得は確実視されていた。ところが当時の第4代IOC会長アベリー・ブランデージは、原理主義的なアマチュアリズムを唱え「ミスター・アマチュアリズム」と呼ばれた男。
 不運なシュランツは、ブランデージIOC会長によって「動く広告塔」のレッテルを貼られて、五輪から追放されてしまった。早くから(クナイスルスキーの)「★」マークをヘルメットに付けるなどしていて、クナイスルスキーの広告に姿をさらしたことで、アマチュア規定違反に問われた訳だが、そういう風潮を嫌うブランデージによる生け贄である。
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 国際スキー連盟は、1938年の頃からIOCと「指導者の参加問題」で対立していた。1960年代からメーカ一・サポートを承認していたので、シュランツ一人の追放に対し、スキーの盛んなヨーロッパなど多くの国が反発した。
 わずかその翌年の1973年には、IOC規程から「アマチュア」の文字消え、「競技者」と変更された。「アマチュア」の概念は通用しなくなっていたのである。
 このとき直ぐに名誉回復をすべきなのに、何とそれから更に17年もほっておかれたのである。権力、権力者とは、傲慢で、非道で、冷酷なものである。
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 シュランツが復権したのは、1989年のベイル(USA)世界選手権のときだった。IOCが過去の非を認めシュランツに詫び、復権を宣言した。この時シュランツはチロルの小さな新聞社の特派員としてベイルに来ていたが、この報を聞いて号泣した。
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 シュランツは、世界選手権では計3個の金メダルを獲得。ワールドカップでは'69、'70年の総合タイトルを取り、'72年の札幌追放を契機に引退するまで全12勝を上げている。偉大かつ悲運のレーサーであった。
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◇ジュベールによる粛清
 1960年代は、ゴワシェル姉妹、キリー、ファモーズなどなどが活躍したフランスの王国時代であった。フランスが、'70、'71年及び'72年のネーションズカップを獲得。
 その後、ナショナルチーム監督が代わり、'72年札幌オリンピックの不首尾でまた監督が代わり、新しく登場したのがジョルジュ・ジュベールである。
 (元グルノーブル大学教授で、理論家で何冊も技術書を書いている。当HP管理人は、それらの本でスキーを研修し、講演も聴いているほどジュベールの大ファンであった。)
 結論から言えば、ジュベールはレーサーやジャーナリストとも敵対し、監督しては大失敗をしてしまったのである。
 1973年12月、バルディゼール(FRA)において、パトリック・リュッセル、ジャン・ノエル・オージェ、アンリ・デュビラール、ラフォルグ姉妹たちは、一生涯レース出場を禁止された。ジュベールの発狂による粛清である。
 これを期に、フランスのスキーチーム、長期の低迷が続き、90年代半ばになってやっとかすかな光が射してきたという悲劇に至っている。
 '91年2月、プレオリンピックの行なわれていたバルディゼールに、フランススキー連盟はこのとき追放になった全レーサーを招待して連盟の非を認め、彼らの復権を発表した。
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パトリック・リュッセル(またはルッセル)は、'68年から'71年の間に回転で9勝、大回転で4勝。
イングリット・ラフォルグは、ワールドカップ 通算 4勝(内 1 GS, 3 SL)
ブリギッテ・ラフォルグは、オリンピック 1972 Sapporo GS/8位、 ワールドカップ 通算 7勝(内 2 GS, 5 SL)
アンリ・デュビラールは、'71年セストリエール(ITA)滑降優勝など。
ジャン・ノエル・オージェは、'72年WC、スラロームの総合タイトル獲得
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 以下に詳しく載っています。
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Sight/Anton.htm St.Anton am Arlberg(AUT) (写真家・木村之与さんのski-and-ski)より

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不名誉かつ波瀾万丈の男ビル・ジョンソン(2008/5/17)

 ゴールドメダリストにまつわる、悲しい話です。
◇不名誉かつ波瀾万丈の男ビル・ジョンソン
ビル・ジョンソン(JOHNSON, Bill (USA) 1960年3月30日生まれ)
Olympic Games 1984 サラエボ DH/優勝
World Cup 滑降 3 勝(すべて'84で、 Wengen、Aspen、Whistler)
 彼がナショナルチーム入りをしたのは80年の第13回レークプラシッド五輪で前走を務めたのがきっかけである。
 ところが翌年の81年に、彼は一度ナショナルチームから追放になっている。ろくに自主トレーニングもせずにたるんだ体で夏合宿に参加し、それを見たヘッドコーチのビル・マロルトにクビを切られている。
 83/84に復活し、トップ選手として活躍し、立派な成績も残した。
 但し、交通違反で警官に捕まったり、白い粉?を吸っているのを他の選手達に目撃されたりとか、アメリカチームの他の選手達とは別行動を取り、トレーニングにも出掛けず、などなど話題は多かった。
 しかし滑降が得意の選手とは思えない細身の体で、滑りも華麗な滑り。プレジャンプからコース外に着地し、そのまま流れるようにスーっと滑っていくビデオなども見たことがある。当時はそういう噂を知らなかったHP管理人でも、もしかしら薬でもやっているのではと思ったことがあったのは事実である。
 88年までレースを続けたが、乱脈ぶりによって、再び首を切られている。
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 2000年突然カムバックし、ノル・アム(Nor-Am)シリーズに参戦。2001年3月の滑降レースで転倒し、頭部を強く打って一時は生命維持装置で生かされたほど。
 不名誉かつ波瀾万丈の男である。
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スキーの話 二度も金メダル剥奪された男シュランツ(2008/4/21)

 ゴールドメダリストにまつわる、悲しい話です。
◇一度め、1968年グルノーブル五輪
 結論としては、トニー・ザイラー(AUT)に続くアルペンスキーの3冠王(回転、大回転、滑降)になったジャン・クロード・キリー(フランス)。3冠はこの2人しか出ていない偉業である。
 そのキリー3冠の最終日は回転。視界わずか数mという激しい濃霧の中で2本を滑り首位。
 それに立ち向かったカール・シュランツ(オーストリア)の2本目。霧の中を謎の男が横切ったが、ラップを出し首位に立つ。ところが、旗門不通過とされてしまったのである。
 オーストリーの猛抗議が実ってシュランツは再スタートし、今度もキリーを上回った。とうぜん金メダルである。ところが「シュランツは再レースになる前の最初のレースで、すでに旗門不通過があり失格」と判定がひっくり返ってしまたった。さらに2位の選手までも不通過で失格。キリー自身にも不通過疑惑の抗議はあったが却下され、3位だったキリーが繰り上げられて優勝。そのため疑惑の3冠王と言われ、真相は霧の中と言われる怪事件で、陰謀説もある。
 (当hp管理人は、この当時はスキーフレンドという雑誌編集部にいて、キリー3冠王の記事を書いた記憶が甦りました。)

◇二度め1972年、札幌五輪は追放
 その4年後、好調でオリンピックイヤーを迎えたカール・シュランツ。1つ2つのメダル獲得は確実視されていた。ところが当時の第4代IOC会長アベリー・ブランデージは、原理主義的なアマチュアリズムを唱え「ミスター・アマチュアリズム」と呼ばれた男。
 不運なシュランツは、ブランデージIOC会長によって「動く広告塔」のレッテルを貼られて、五輪から追放されてしまった。(クナイスルスキーの社員でもあり、)広告に姿をさらしたことで、アマチュア規定違反に問われた訳だが、時代遅れのブランデージによる生け贄である。
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 1989年ベイル会場でIOCが過去の非を認めシュランツに詫び、復権されている。とはいえ、二度もオリンピック・金メダルを奪われる人間は、彼以外に今後も存在しないだろう。
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スキーの話 金と銀メダルを失ったメーア兄弟(2008/1/19)

 ゴールドメダリストにまつわる、悲しい話です。
 オリンピック年で調子を上げるアメリカ勢。1984年、サラエボ・オリンピックを前にしたパルパン(SUI)のW杯スラロームで、スティーブ・メーアが優勝、フィル・メーアが2位。3位にはマーク・ジラルデリ。しかし、である。なんと、1位・2位が失格!
ゼッケンを取り間違え、W杯1位・2位が失格
 大会前夜スタート番号が決まり、メーア兄弟にコーチがゼッケンを手渡し、レースに臨んだ。ところが、兄弟は間違えたゼッケンのままで滑ってしまった。コーチが間違えても仕方ないと思うほど、双子の二人はよく似ていたのである。
 結局このレースでは、3位にいたマーク・ジラルデリが繰り上げ優勝を飾った。もっとも有名な、ゼッケン取り違え事件で失格したケースである。
 この後サラエボ(JUG・当時)で行なわれたオリンピックの回転で、フィルが1位、スティーブが2位。この双子兄弟が金銀メダルを独占したのだった。1984年引退。
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 1992年のアルベールビル・オリンピック(フランス)では、女子大回転で川端絵美がゼッケンを間違えて失格したこともある。
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 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/WM03/02-06_MC.htm FIS Alpine World Ski Championships St.Moritz 2003 
 2月6日、ラッセ・シュースはスラロームの1本目、あわや失格という事件を起こしそうになった。ラッセのゼッケンは22番。それがなんとスタートゲートに入ろうとしている時のゼッケンは19番。同僚のソルバッケンのものだ。
 コーチが間違えて渡したらしい。会場アナウンサーが「ラッセ、ゼッケンが違っているよ」と絶叫し、コーチも気が付いてすぐに取り替えたから良かったものの、そのままスタートしていたら間違いなく失格だった。
 (  現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/WM03/02-06_MC.htm SKI&SKI. FIS ALPINE SKI WORLD CUP より)
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スキーの話 ゴールドメダリストが、捕まる2=別件 トンバ (2000/ 1/16)

 ゴールドメダリストにまつわる、2つめの裏話です。
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脱税起訴のトンバ氏
      追徴金支払いで合意4億2000万円』
 脱税で起訴されていたアルペンスキー元スター選手、アールベルト・トンバ氏は7日、75億リラ(約4億2千7百万円)の追徴金を支払うことで合意した。
 トンバ氏は、90年から96年までの収入のうち、230億リラ(約13億円)の申告漏れがあったとして、同氏とマネージャーを務めていた父親が起訴されていた(ボローニャ=ロイター)
 =日経新聞2000年1月9日 朝刊より
透明スペーサー
 丸く美しい弧を雪面に描く、私のお気に入り選手インゲマール・ステンマルクの次代を背負い、トップスターとして大活躍したトンバ。流石に稼ぎも超一流です。
 残念ながら我が国では、仮にトップ選手が10人脱税しても、その合計ですら足下にも及びません。

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スキーの話 ゴールドメダリストが、捕まった、捕まえる3 (2000/ 8/ 1)

 ゴールドメダリストにまつわる、3つめの裏話です。
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あのベン・ジョンソンが?
 以下の青文字の表示部分は、すべて少し不確かであることを、はじめにお断りしておきます。
透明スペーサー
 1988年に開催のソウル・オリンピック大会は、世界160カ国・地域の参加を得て、近代オリンピック史上最大の大会でした。
 この男子陸上100mの金メダリストのベン・ジョンソンは、ドーピング(薬物使用)により失格しています。
 2000/ 7/20頃にそのベン・ジョンソンが、男女2人組のかっぱらいに遭い、40万円ほど盗まれています。すぐに急追しましたが、2名共に逃げられたか、どちらか1名は逃げられたようです。
 かっぱらいの脚がよっぽど速かったのか、ジョンソンの脚力がそれほど落ちているか、どちらだったのでしょうかね〜?
透明スペーサー
 この夏は猛暑です。クーラーもかけずに仕事をしている最中に、ラジオの「ヤマちゃんの、やばやばニュース」?から流れてきた話です。しかも、あせって取ったメモも紛失してしまったため、あやふやなお知らせになってしまい、申し訳ありません。
 正確な情報を入手できたら、改訂いたします。

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スキーの話 ゴールドメダリストが、捕まった、捕まえる4 (2003/ 4/23)

 ゴールドメダリストにまつわる裏話です。
透明スペーサー
あのカール・ルイスが酒酔い運転疑いで逮捕
 1984年のロサンゼルス五輪では、陸上男子100メートルなど4種目で金メダルを獲得。これまでに五輪で金メダル9個、銀メダル1個を獲得しているカール・ルイス。
 何年か前には、カール君という人形と陸上・短距離を競わせた日本のテレビ番組もあったほどの人気者、かつ有名人でした。
 ところが2003/ 4/21日、米カリフォルニア州高速道路警察隊は、酒酔い運転の疑いでカール・ルイス容疑者(41)を逮捕した。
 21日未明、ロサンゼルスの高速道路で自損事故を起こし、停車しているところを高速隊が発見。泥酔状態で事情聴取に応じられず、規定以上のアルコールが検出されたという。

(Sankei Web 2003/4/22(火)「酒酔い運転疑いでカール・ルイス容疑者逮捕」より)

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スキーの話 五輪銀メダリストが、捕まった5 トラビス・メイヤー (2005/11/19)

 ゴールド・銀メダリストにまつわる裏話、その5です。
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モーグル=ソルトレイク五輪銀メダリスト、トラビス・メイヤー(USA)が交通事故
2005.06.23
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 2002年ソルトレイクシティーオリンピック男子フリースタイルスキーモーグルの銀メダリスト、トラビス・メイヤー(USA)が交通事故を起こした。この事故で相手方のDiane Hamblin(44)さんが死亡。事件は火曜早朝に起き、メイヤーが信号無視した結果死亡事故に発展した。メイヤー自身に怪我はなかった。
 全米スキー連盟の反応はまだ出ていないが、死亡事故のため、ナショナルチームメンバーどころか、選手生命にも関わるのではないかと思われる。

スキー総合情報ファーストスキーネット(firstski.net)より(リンク切れ2015/02/13)

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スキーの話 五輪金メダリストが、捕まった6 ショーン・ホワイト (2012/10/26)

 ゴールド・銀メダリストにまつわる裏話、その6です。
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米スノーボード金メダリスト、ショーン・ホワイト(USA)が泥酔してホテルで騒ぎ起こし逮捕
2012.9.16
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 冬季五輪男子ハーフパイプで2連覇しているスノーボードのショーン・ホワイト(Shaun-White)選手(26)。ホテルで火災報知機を鳴らすなどの騒ぎを起こしたため逮捕したと、米テネシー州ナッシュビルの警察当局は、2012年9月17日、明らかにした。
 ホホワイト選手は16日未明に、ホテルの火災警報器を故意に作動させた。さらに通行人を蹴り、タクシーに乗ってホテルから逃走しようとしたところを逮捕された。
 ホワイト選手は、泥酔しており、アルコールが強くにおっていたという。同容疑者はホテルの電話を壊した罪に問われているという。
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 ホワイト選手に蹴られた目撃者は病院で手当てを受けたが、告発はしていない。
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 ホワイト選手は10代からスノーボードで活躍。2006年の第20回トリノと10年の第21回バンクーバー冬季五輪では、男子ハーフパイプで金メダルを獲得している。
 赤毛の長髪から「空飛ぶトマト」のニックネームを持ち、プロのスノーボード選手として高額賞金大会で活躍している。
(記事引用元: CNN.co.jp、時事)

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スキーの話 ゴールドメダリスト4、マリッシュ、賞金も過去最多 (2001/ 3/23)

 ゴールドメダリストにまつわる、4つめの話です。
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マリッシュ、賞金も過去最多 2,200万円獲得
 国際スキー連盟(FIS)は(2001/3/)18日、ワールドカップ(W杯)ジャンプの今期獲得賞金を発表。
 シーズンの最多タイの11勝を挙げて個人総合優勝を果たしたアダム・マリッシュ(ポーランド)が最多記録になる29万9千スイス・フラン(約2,200万円)を稼いだ。
 2位はマルティン・シュミット(ドイツ)の17万5千5百スイス・フラン(約1,280万円)で、4位の葛西紀明(マイカル)8万9千5百スイス・フラン(約650万円)だった。

(日経新聞 2001/ 3/20朝刊より)

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このスキーの話ページの新設日 : 1999/07/25.

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