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アルペンスキー・ワールドカップ、五輪などの面白いお話
WC総合優勝 クリスタルトロフィーを何度も手中に

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ワールドカップ総合優勝 クリスタルトロフィーを何度も手中に

◇'78'80 ウェンツェル姉弟は同一年度に総合優勝、かつ姉ハンニは2回総合優勝

 1979/80シーズン、姉弟でワールドカップの総合優勝を果たしたアンドレアスとハンニリヒテンシュタイン)。ワールドカップの歴史の中で、男女ともに姉弟が総合優勝を飾ったのは唯一、という快挙である。
 弟アンドレアス・、ワールドカップ 通算 14勝 (内、SG1勝、GS3勝、SL4勝、K6勝)
 姉ハンニ・ウエンツェル、通算 33勝。かつ、1977/78シーズンと1979/80シーズンの2回総合優勝を果たした。
ハンニ・ウエンツェル(姉 WENZEL Hanni 1956年12月14日生まれ)
 ワールドカップ 通算 33勝 (内、 DH2勝、SL10勝、GS12勝、K9勝 )  ちなみに引退22年後の06/07終了時点でも歴代6位。→引退35年後の18/19終了時点でも、歴代9位のwc通算勝利数。
 1977/78シーズンと1979/80シーズンの2回総合優勝を果たした。

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◇'01-'06 総合優勝を3度飾る快挙ヤニツァ・コステリッチ

 ヤニツァ・コステリッチ(Janica Kostelic クロアチア 1982年1月5日生まれ 174cm 64kg)
 オリンピック
  2002 ソルトレイク(USA) K/1位、GS/1位、SL/1位、SG/2位
  2006 第20回トリノ(ITA) K/1位、 SG/2位、SL/4位、 五輪アルペンスキー史上女性初となる4冠を達成。
  2回の五輪で合計4個の金メダル、2個の銀メダルは、五輪アルペンスキー史上女性最多のメダル獲得数。
 ワールドカップ 通算30勝 (内、1 DH, 1 SG, 20 SL, 2 GS, 6 K) 。ちなみに06/07終了時点でも、第8位 →18/19終了時点では11位
 ワールドカップでは00/01、02/03シーズン、05/06シーズンと総合優勝を3度飾る快挙。
 オリンピックのアルペンスキー史上、女性で初の4冠を達成、および最多のメダル獲得数という、今後書き換えられることのないような素晴らしい成績を残している。

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◇'76〜78 インゲマル・ステンマルク総合優勝を3度、引退30年後でも歴代1位

 インゲマル・ステンマルク(Ingemar Stenmark、スウェーデン )総合優勝を3度
 1976/1st, 1977/1st, 1978/1stと3年連続のクリスタルトロフィー獲得の偉業。不出生の天才スラローマー。1989年3月 志賀高原を最後に引退。
 ワールドカップ通算86勝(回転 40勝、大回転46勝)は、歴代第1位である。
 ちなみに引退20年後の08/09終了時点でも、ぶっちぎりの歴代1位。第2位のヘルマン・マイアーが54勝、32勝もの大差をつけている。 →30年後の18/19終了時点でも歴代1位。第2位のヒルシャーが67勝。
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 普通ならワールドカップで数勝すれば、それだけでも天才と呼ばれても良いだろう。しかしトニー・ザイラー、ジャンクロード・キリー、そしてこのステンマルクの3名は、天才の中の天才である。今までのアルペンレーサーの中で、ベスト3に選ばれるのではないだろうか。
 それとステンマルクの優雅なテクニック。舞うように丸い弧をつなげていく滑りを見ながら、当HP管理人はため息をつきながら、憧れたものである。
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◇本来なら 4年連続のクリスタルトロフィーであった。
 シーズン総合優勝、1976/1st, 1977/1st, 1978/1st, 3年連続優勝。
 続く1979/5th,だが、この年ステンマルクを勝たさないために総合タイトルのルールが変更、13勝を挙げた彼が5位で、優勝は3勝だけのPeter Luescher( SUI)。
 本来なら 4年連続のクリスタルトロフィーであった。(かつそのすぐ後に総合2位が1980/2nd, 1981/2nd, 1982/2nd, 1983/2nd,と5年も続くのだから、半端な強さではない。)

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◇81〜83年までフィル・メーアは連続3年間W杯総合V

フィル・メーアで呼ばれるが、正しくはフィリップ・メーア (兄 Philip Mahre 1957年5月10日)
 ワールドカップ 通算27勝 (内7 GS, 9 SL, 11 K)
 オリンピック 1980 Lake Placid SL/2位、K/1位、、1984 Sarajevo SL/1位
 80年の第13回レークプラシッド五輪の回転でフィル・メーアが銀メダルを獲得。
 さらに81〜83年までフィル・メーアは連続3年間W杯総合V。1984年引退。
 フィル・メーアが持つ通算27勝(内GS7、 SL 9、K11勝)というアメリカ人による最多勝利記録が破られるのは、実に彼の引退24年後の2008年、ボディ・ミラー(MILLER Bode)によってである。
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 テクニック系を得意としたが、滑降にも出場するオールラウンダーであった。
 歴代第1位ワールドカップで通算86勝というステンマルク。「ステンマルクに次ぐ2位は優勝と同じ価値がある」と言われた超天才と、時代を共にしたメーア兄弟の戦歴は見事なものである。 透明スペーサー

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このスキーの話ページの新設日 : 1999/07/25.

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