親子・兄弟・姉妹の超有名スキーヤーたち (2007/ 2/13 + 以降随時追加)

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スキーレーサー 姉妹・兄弟・親子・親戚
   ▼ あ ▼
 ウエンツェル姉弟・夫婦
 W杯 美人エダー姉妹
 エップレ姉妹
 大杖 美保子・正彦・二郎3姉弟
 大出3兄弟
 荻原健司・次晴の双子兄弟
 オチョア家5兄弟妹はスペインの星 新規New
   ▼ か ▼
 柏木正義・義之・久美子の親子・兄妹
 片桐 匡 美雪 幹雄親子・姉弟・夫婦
 片山秀男・強・秀斗親子孫3代
 ギジン姉弟妹・同一シーズン3レーサー(アルペン現役) 新規New
 Gantnerova兄妹+母?(アルペン現役) 新規New
 ゲオルグ兄妹と母(アルペン現役)
 グランジェ親子(アルペン現役) 新規New
 グリューネンフェルダー兄弟(アルペン現役)
 コクラン親子孫(アルペン現役)
 コステリッチ兄妹と父(アルペン現役) 新規New
 ゴワシェル姉妹
   ▼ さたな ▼
 シュルネガー(祖母)・シルト孫SUI('12で引退)
 マルリースと妹B・シルト姉妹AUT(アルペン現役) 新規New
 ショッホ兄弟(現役)
 ステンマルク親子 新規New
 武田4姉妹+α
 スイスが誇るツルブリッゲン兄妹・息子・親戚(アルペン現役) 新規New
 アドリアン・デュビラール親子
 トエニ従兄弟?
 成田・今井 兄弟妹
 ノイロイター夫婦・親子(アルペン現役)
   ▼ は ▼
 バクスター兄弟といとこ 新規New
 バフレダ兄弟と息子
 ヒートン兄弟
 東 和広・昭広・輝三兄弟
 ヒンターゼアー親子
 ファンキーニ姉妹(アルペン現役)
 フロンメルト兄弟
 ベルトー兄弟と息子(アルペン現役)
   ▼ ま ▼
 マイヤー兄弟
 タマラ・マッキニー兄弟・姉妹
 松田富士人・真佐人兄弟
 マット3兄弟の二人は五輪メダリスト(アルペン現役) 新規New
 メーア双子兄弟
 現役レーサーのメルグ兄妹(アルペン現役)
 モゴーレ双子姉妹
   ▼ やらわ ▼
 ヤニック兄妹(アルペン現役)
 ユーエン兄弟
 吉田双子?兄弟
 ラフォルグ姉妹
 姉は歴代11位のリーシュ姉妹(アルペン半現役) 新規New

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スキーレーサー 姉妹・兄弟・親子・親戚
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透明スペーサー
ウエンツェル姉弟・夫婦(リヒテンシュタイン)
 1979/80シーズン、姉弟でワールドカップの総合優勝を果たしたアンドレアスとハンニ。ワールドカップの歴史の中で、男女ともに姉弟が総合優勝を飾ったのは唯一、という快挙である。かつ同時にということでは、今後も出ないだろう。
 リヒテンシュタインから駆けつけたハンス王子とマリア王女が祝福を送っている。
 ウエンツェル家はもともとドイツ人だったが、ドイツスキー連盟とのもつれからリヒテンシュタインに帰化した。
透明スペーサー
アンドレアス・ウェンツェル アンドレアス・ウェンツェル(弟 WENZEL Andreas 1958年3月18日生まれ )
 1980年 第13回Lake Placid五輪、アルペンスキー男子GS/2位、K/2位
 1984年 第14回サラエボ五輪、アルペンスキー男子GS 銅。
 ワールドカップ 通算 14勝 (内、SG1勝、GS3勝、SL4勝、K6勝)
 1989年引退
透明スペーサー
ハンニ・ウエンツェル(姉 WENZEL Hanni 1956年12月14日生まれ)
 79/80 第13回レークプラシッド五輪、女子・回転優勝。
 ワールドカップ 通算 33勝 (内、 DH2勝、SL10勝、GS12勝、K9勝 )
 ちなみに引退22年後の06/07終了時点でも歴代6位。→引退35年後の18/19終了時点でも、歴代9位のwc通算勝利数。
 1977/78シーズンと1979/80シーズンの2回総合優勝を果たした。
 1985年引退

透明スペーサー
ハルティ・バイラーター(夫 WEIRATHER Harti オーストリー 1958年1月25日生まれ)
 78/79シーズンにワールドカップにデビュー、滑降で6勝。
 87年に引退し、ワールドカップの花ハンニ・ウエンツェルと結婚。
 現在は選手たちのプライベート・スポンサーを斡旋するエージェントを作って夫婦で活躍している。
 (  現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Biography/Bio-M_Weirather.htmより)

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透明スペーサー
ワールドカップ随一の美人エダー姉妹( AUT、 AUT→GRN)
 姉のシルビアは高速系のスペシャリストで、名器「クナイスル」を使用する最後のレーサーだった(クナイスル倒産後はアトミック)。(管理人注:クナイスル社はこの後2004年頃にも倒産?とか、しかし2010春現在、同社は存続しスキーの製造も続いています。)
 妹のエルフィはスラロームのスペシャリストである。クナイスルを履いてデビューしたが、サービスを受けられなくなって「ケスレー」に替えた。
透明スペーサー
エルフィ・エダー(EDER Erfi AUT→GRN 妹1970年1月5日生まれ 1999年引退GRN)
 World Cupでの通算3回の優勝すべてが'95/96のSLで、この年のワールドカップ回転種目の総合タイトルを獲得。
 その後オーストリアチームとトレーニング環境の問題で衝突。プライベートチームを作ろうとしたのだが、認められず、FISの全ポイントを剥奪された上チームを追放になった。
 1998シーズン、カリブ海のグレナダから出場しようとしたが、オーストリアの圧力で失敗した。翌1999シーズン、ワールドカップに復帰したが、スポンサーがつかず、この年で引退。
透明スペーサー
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Biography/Bio-W_EderE.htm EDER Elfi (GRN)* (写真家・木村之与さんのski-and-ski)より
シルビア・エダー(EDER Silvia AUT 姉1965年8月24日生まれ 1994年引退)
 シルビアは、ワールドカップ随一の美人姉妹エダーの姉のほうである。
 1981年から14年間、高速系のスペシャリストとしてワールドカップで活躍している。優勝経験は、デビュー翌年の1982年バドガスタイン(AUT)滑降レース。そして引退する1994年に、ヴェイル(USA)スーパーGで2勝め。この間、12年間である。2勝目までの最長記録ではないだろうか?
1993年 盛岡・雫石の世界選手権ではスーパーGで銀メダル

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透明スペーサー
西ドイツを支えたエップレ姉妹(西ドイツ)
 ミッターマイヤー引退後の西ドイツを支えたのは、エップレ姉妹。各国から注目を集めていたクラウス・マイヤーの科学トレーニングの成果である。
 その後、西ドイツチームの勢いは消え、82年の世界選手権、84年のサラエボ(JUG)五輪では男女ともにメダルなしの結果。クラウス・マイヤーは監督を解任され、トレーニング方法で対立していた愛弟子エップレ姉妹はチームを追われた。
透明スペーサー
イレーネ・エップレ イレーネ・エップレ(姉 EPPLE Irene 1957年6月18日生まれ 162cm 54kg )
 妹のマリアとともに1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍したオールラウンダー。
 ワールドカップで全11勝(内、1 DH, 6 GS, 1 SG, 3 K) )を上げ、世界選手権では'78ガルミッシュ(BRD)の滑降で2位
 '80レーク・プラシッド(USA)オリンピックの大回転で銀メダル。
 1982年ワールドカップ、総合2位。大回転では種目別の優勝。
 1984年引退、イギリスの陸上チャンピオン、セバスチャン・コーと結婚した。
透明スペーサー
マリア・エップレ(2歳年下の妹 EPPLE-BECK Maria 1959年3月11日生まれ)
 ワールドカップ勝利数では、姉イレーネ11勝に対し、マリアは5勝 (内、4 GS, 1 SL) 。
 1978年地元ガルミッシュ・世界選手権・大回転の金メダルがある。
 姉より1年長くワールドカップを戦った。

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透明スペーサー
大杖 美保子・正彦・二郎3姉弟の(鳥取県)
 全日本スキー選手権での成績(優勝)は、
  第40回 1962年、女子滑降 大杖美保子、
  第42回 1964年、女子滑降 大杖美保子、女子大回転 大杖美保子、男子大回転 大杖正彦
  第46回 1968年、女子滑降 大杖美保子、男子滑降 大杖正彦
 2回の全日本スキー選手権で全メダル12個のうち、6個を大杖美保子・正彦姉兄が勝ち取っているのだから、当時のダントツの強さが分かる。
透明スペーサー
大杖 美保子(長女 1945/7/6 155cm 52kg 鳥取県出身 )
 1968 第10回オリンピック グルノーブル大会 回転31 大回転36 滑降 34
透明スペーサー
大杖 正彦(弟 1946/10/14 170cm 65kg )
 1972 第11回オリンピック 札幌大会 大回転 失格 滑降 35

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透明スペーサー
大出3兄弟(オオデ  新潟県越後中里 アルペンスキー)
 家は越後中里の駅前で、越後屋という民宿をしていました。
 秀水さんとは面識ありませんが、一水さんと敏水さんはそっくり。なので昔は雪の上で久しぶりにお会いすると、どちらなのか分からず困りました。
透明スペーサー
大出敏水(トシミ? 長兄 1934年頃生まれ)
 全日本ウィンタースポーツ専門学校高等部 校長
 元(公財)全日本スキー連盟ナショナルチーム アルペンコーチ、札幌オリンピック アルペン強化コーチ、
 元(株)カザマスキースキー部総監督、
 (公財)全日本スキー連盟 デモンストレーター養成実績11名
透明スペーサー
大出秀水(ヒデミ? 次男 1937年生まれ)
 第11回スキー国体 31.2.23〜27 青森・大鰐町 大回転 少年1位
 第13回スキー国体 33.2.27〜30 札幌 大回転 成年 3位
透明スペーサー
大出一水(カズミ 1942生まれ)
 日体大(日本体育大学)教授(社会体育学科)
 ジュニアスキー選手の脚部機能に関する研究などの硬い論文以外に、一般のスキー図書の執筆も。(社)日本職業スキー教師協会の講師もお願いしています。
 私の発表した初心者・片足スキー指導法をもっもと早く評価し、取り入れてくれた人です。
透明スペーサー

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透明スペーサー
世界のトップに君臨した荻原健司・次晴の双子兄弟(1969年12月20日生れ。群馬県吾妻郡草津町)
透明スペーサー
荻原健司(兄)
 日本のノルディック競技の中心選手として活躍。
 1992年・アルベールビル、1994年・リレハンメルの冬季オリンピック2大会連覇、
 更に世界選手権でも1993年(個人・団体の2冠)、1995年(団体)、1997年(個人)で金メダルを受賞。
 1998年・長野オリンピックでは日本選手団主将を務めた。
 FISワールドカップ(W杯)では通算19勝をあげた。1992-1993シーズンに日本人初の総合優勝を成し遂げる。
 以後、1993-1994シーズン、1994-1995シーズンと連覇し、世界初の個人総合3連覇を達成。
透明スペーサー
荻原次晴(弟)
 日本のトップ選手として1990年代後半のノルディック複合をリード。
 1995年 W杯でリベレツ(チェコ)とオスロ(ノルウェー)で2度の2位を達成(いずれも1位は健司で、兄弟で1、2位ゴール)、
 さらに同年の第41回ノルディック世界選手権大会(カナダ・サンダーベイ)の団体戦で健司とともに優勝。
 1998年 冬季長野五輪では個人6位、団体5位入賞を花道に競技の第一線を退く。

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透明スペーサー
オチョア家5兄弟妹はスペインの星(スペイン)
透明スペーサー
 フェルナンデス・オチョア家はスペインを代表するスキーファミリー。父親はスキースクールを経営しており、8人兄弟妹のうち5人が、冬季オリンピックに出場した。かつ、25年間の間に開催された7回の冬季オリンピックすべてに、である。かつ二人がメダリスト。
 これは登録されているかどうかは不明だが、ギネス記録ものだ。
透明スペーサー
◇以上についての詳しくは、
 オチョア家では、5兄弟妹が五輪出場 (ギネスレコード?的なスキーの記録集の小部屋)

透明スペーサー
フランシスコ・フェルナンデス・オチョア フランシスコ・フェルナンデス・オチョア(長男 Francisco Fernandez Ochoa 1950年2月25日生まれ)
 17歳で1968年グルノーブルオリンピック代表となり滑降38位、大回転38位、回転23位の成績を残した。
 1972年札幌オリンピック回転では1本目にラップタイム、2本目も2位のタイムで優勝、スペイン冬季オリンピック史上初の金メダルを獲得した。
 1976年インスブルックオリンピックでは滑降35位、大回転24位、回転9位、
 1980年第13回レークプラシッドオリンピックでは滑降27位、大回転、回転ともに22位。
 ワールドカップでは、1974 Zakopaneでスラローム 1勝。
 1974世界選手権 サンモリッツ、 スラローム 3位
 1979-1980シーズンを最後に現役を引退した。
 2006年 11月 07日、癌により56歳で亡くなった。
透明スペーサー
ブランカ・フェルナンデス・オチョア(妹 Blanca Nieves Fernandez Ochoa 1963年4月22日生まれ、166cm 62kg)
 1980年代後半から1990年代前半に活躍
 1984年サラエボオリンピック大回転6位入賞
 1988年のカルガリーオリンピックでは大回転で1本目ラップを奪ったが、2本目は途中棄権となってしまった。スーパー大回転21位、回転は5位。
 1992年アルベールビルオリンピック回転で銅メダルを獲得、オチョア家二つ目のオリンピックメダルを手にした。
 1992年アルベールビル(FRA)オリンピックのスラロームで銅メダルを獲得。
 ワールドカップではスラロームで通算4勝。
 1992年引退。
 思い切りの良い果敢なスラローム。1本目にベストタイムでも2本目にコースアウトという、兄譲りの失敗の多いスキー。
透明スペーサー
フアン・マヌエル・フェルナンデス・オチョア(Juan Manuel Fernandez Ochoa)
 1951年6月24日生まれ
 1976年インスブルックオリンピックに出場、滑降36位、大回転16位、回転では途中棄権だった。
透明スペーサー
ルイス・フェルナンデス・オチョア(Luis Carlos Fernandez Ochoa)弟
 1965年1月13日生まれ
 1980年代後半から1990年代前半に活躍した。
 ワールドカップ戦歴デビュー年1986年
 最高成績回転13位(1986年3月11日)
 19歳で出場した1984年サラエボオリンピックでは大回転1本目で途中棄権、回転では1本目24位となったが2本目途中棄権となった。
 1988年カルガリーオリンピックスーパー大回転、大回転とも途中棄権、回転では18位となった。
透明スペーサー
ドローレス・フェルナンデス・オチョア(Dolores Fernandez Ochoa)
 1966年11月16日生まれ
 1980年代後半から1990年代前半に活躍した。
 1984年サラエボオリンピック代表に17歳で出場したが、大回転は2本目、回転は1本目で途中棄権となった。

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透明スペーサー
柏木正義・義之・久美子の親子・兄妹(日本)
透明スペーサー
柏木正義(父 1949/ 2/23 170cm 65kg 北海道)  1971年 第49回 全日本スキー選手権(北海道・札幌) 男子回転優勝。
 1972年 第11回 札幌大会札幌オリンピック代表選手(回転18位、大回転 失格)
 '73年苗場ワールドカップ回転10位。
 その後もプロレースで活躍した。
透明スペーサー
柏木義之(長男 1975年3月18日/163cm 57kg 東京都出身)
 1998年より全日本スキー技術選手権大会に参戦し、優勝4回、準優勝4回の成績を誇る。
 日本の基礎スキーでのトップ・デモンストレーターである。認定:3期め(2007年現在)
透明スペーサー
透明スペーサー
柏木久美子(長女 1978/10/9 東京都出身 158cm 57kg)
 1998 第18回 長野大会 回転24 大回転27スーパーG36
 2002 第19回 ソルトレークシティー大会 回転16 大回転35
 '02ソルトレークオリンピック SL 16位
 '03 ワールドカップ(リエンンツ) SL 24位/

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透明スペーサー
片桐 匡・美雪・幹雄の親子・姉弟・夫婦(長野県野沢)
 戦後フランススキー・テクニック視察のためSAJの代表として渡仏された匡さんに、管理人は後日質問をしている。
 美雪さんとは、吉田智与士さんが担当のフランススキー教室(志賀高原)でご一緒。生徒はもしかしたら私たち二人だけかも?、という状態。
 幹雄さんは、高校を中退?しそのままヨーロッパに渡り、ワールドカップなどのレースを転戦。私は1冬(1972.3)、フランス国立登山スキー学校に招待され、シャモニーに在住。そのときに好青年の幹雄さんと何度か合い、後日、滑降の1レースを拝見している。
 このようなことがあり、当HP管理人には「片桐」家のお名前は大変に懐かしいのです。余談でした。

スキーの歴史・片桐 匡(ただし)さん1972年 透明スペーサー
片桐 匡(ただし・父)(2003年11月15日永眠。享年83歳)
 1943年 第21回全日本スキー選手権 回転 優勝。
 元全日本スキー連盟副会長、指導者として数多くの選手を育ててきた。
透明スペーサー
片桐美雪(長女 1948/10/26 155cm 52kg)→古川年正さんと結婚し古川美雪に。
 1972 第11回オリンピック 札幌大会 回転NF 大回転30 滑降35
 第44回全日本スキー選手権 1966年 長野県・白馬村 女子大回転 優勝。
透明スペーサー
片桐幹雄(弟 1955/1/9長野県野沢 168cm 67kg)
 1976 第12回オリンピック インスブルック大会 回転NF1 大回転37 滑降 27
 1980 第13回オリンピック レークプラシッド大会 滑降21
 全日本スキー選手権では、
  第55回(1977年)から56、57回(1979年)の3年連続で、男子滑降 優勝の快挙。

透明スペーサー
古川年正(夫 1947/5/11 北海道出身 166cm 66kg 美津濃)
 1972 第11回オリンピック 札幌大会 回転 失格
 元SAJヘッドコーチ
 ソルトレークシティーオリンピック・アルペンスキー監督(ちなみに、このときのコーチに義弟の片桐幹雄)
 野沢温泉で、評判の良いペンション「シュネー」を経営されています。

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透明スペーサー
片山秀男・強・秀斗(親子孫3代のSAJデモンストレーター)
 新潟県石打丸山スキー学校。
透明スペーサー
片山秀男(親)
 初期段階のSAJデモンストレーターとして平沢文雄さんたちと一緒に活躍。
透明スペーサー
片山 強(子)
 秀男氏のひとり息子。1971年からデモになり、1979年の第11回蔵王インタースキーでは日本のデモを務めた。
片山秀斗(孫)
 生年月日:1973年9月1日/身長:165cm 体重:65kg
 SAJナショナルデモンストレーター認定:4期(2007現在)

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透明スペーサー
姉ドミニック、弟マルク、妹ミケールのギジン姉弟妹・同一シーズン現役3レーサー(スイス)
透明スペーサー
 姉ドミニック、3歳下の弟マルク、更に5歳下の妹ミケール。'14シーズンには姉弟妹の3名が同時にWC参戦というのは、もしかしたらこのギジン家族だけかも知れない。
透明スペーサー
ドミニック・ギジン(Dominique Gisin、スイス)姉
 滑降、スーパーGを得意とする高速系レーサー。第22回ソチ・オリンピック滑降レースで優勝などのあるトップレーサーの一人である。
誕生日 1985年6月4日
Overall World Cup Position
 06/07: 34. 07/08: 47. 08/09: 21. 09/10: 24. 10/11: 17. 11/12: 25. 12/13: 15. 13/14: 11位.
Alpine Ski World Cup VICTORIES
 DH2勝  SG1勝  TOT 3勝
Alpine Ski World Cup TOP 3's (トップ3 = 表彰台)
 DH5、 SG2、 TOT 7レース
Olympic Games Results
 Sochi 2014 DH: 1. GS: 10. K: 5. (滑降レースで優勝)
透明スペーサー
マルク・ギジン(Marc Gisin、スイス)弟
誕生日 1988年6月25日
ワールドカップでデビュー 2009年1月16日
Overall World Cup Position
 10/11: 75. 11/12: 64. 13/14: 129位.
'12シーズンは、2月末に左のひざ十字型靭帯裂傷で終了。'13シーズンは成績が無いことから休場であろう。
透明スペーサー
ミケール・ギシン(Michelle Gisin、スイス)
誕生日 1993年12月5日
ワールドカップでデビュー 2012年12月29日
Overall World Cup Position
 12/13: 79. 13/14: 82位.
 GS、 SL の技術系レーサーである。デビュー2シーズンにしてSLでTOP 10's に4回は立派。

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透明スペーサー
Gantnerova兄妹+?母親(Slovakia)(現役レーサー)
 第21回バンクーバー五輪の女子大回転でビブ53番のJana(ヤナ) Gantnerova選手のときに、父親?もオリンピック・スキー選手とコメントがあったのが、調べたキッカケ。父親は見つからなかったが、兄と同姓同名の母親?が見つかった。
透明スペーサー
妹Jana(ヤナ) Gantnerova(妹)(現役レーサー)
 15/07/1989生まれ Kezmarok 1.65 m 62 kg
 第21回バンクーバー五輪の大回転35位、回転24位
兄Petra Gantnerova(SVK)
 02/01/1986生まれ
 No World Cup Points Scored(ワールドカップのポイント無し)
母親 Jana Gantnerova(CKSチェコスロバキア)
 30/09/1959生まれ Kezmarok
 娘と同じ名前で、30歳違いの母娘(★注:)。高速系を得意とする80年代のトップレーサー。
World Cup Top Tens は、DH12回と他1で計13回。
Overall World Cup Position
 81/82: 63位. 82/83: 28位. 83/84: 30位. 84/85: 66位.
1982/83 Women's Downhill種目   7位 Jana Gantnerova CKS(チェコ) 47ポイント
透明スペーサー
★注:ワールドカップ・アルペン選手だけを見ても、次のような親子で同名の実例があるので、欧米では珍しくは無いのかも知れない。
 アドリアン・デュビラール(父・息子の同姓同名 フランス)、  ピルミン・ツルブリッゲン(父・次男の同名 スイス)、  アンドレイ・バフレダ(父・息子の同名 POL)

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透明スペーサー
現役レーサーのゲオルグ兄妹(オーストリア)と母
 GOERGLの読みが難しく、ゲルグル、グーグル、ゴーグル兄妹など
 3歳上の兄ステファンと妹エリザベス。兄は'11または'13?で引退。妹は'15シーズンもワールドカップ参戦の現役レーサー。
透明スペーサー
母親トラウデル・ゲオルグも60年代のレーサー。
 旧姓 Traudl Hecher(トラウデル・ヘッシャー)、28/09/1943 生まれ。
 1960年のオリンピックの冬のスコー・バレー大会、滑降で16歳で銅メダル。これは、彼女をオリンピックのアルペンスキー種目で、最も若いメダリストにしました。
 次のオリンピックInnsbruck 1964でも、同じくDH: 3位。
 ワールドカップの通算成績では、GS、SLで各一つで、計2つのメダル。オールラウンダーのようです。
透明スペーサー
兄ステファン・ゲオルグ(GOERGL Stephan 1978年6月5日生まれ)
 男子 Birthdate 05.06.1978
 2001からWC Points。GS SG と高速系を得意とする。
 2006年 第20回オリンピック(ITA)参加。GS Did not finish 2nd run
ワールドカップ
 World Cup - 2勝. (1 SG, 1 GS)
 2005 総合 451 15位  GS 206 9位  SG 245 7位
 2008 総合 204 46位  GS 124 17位 SG 80 26位
 総合08/09: 41. 09/10: 115. 10/11: 68.位
 引退は'13シーズン?
透明スペーサー
妹エリザベス・ゲオルグ(GOERGL Elisabeth 20.02.1981生まれ)
 やや高速系を得意とするが、全種目に活躍するオールラウンダー。
 3歳上の兄の2年後、2003からWC Points。
 早くもその翌年2004から活躍、総合654 10位
ワールドカップ
 World Cup - 7勝. (2 DH, 3 SG, 2 GS)
 2004  総合 654 10位  SL 5位 GS 4位 SG 38位
 2005  総合 511 12位  GS 10位 SG 12位 KB 11位
 2006  総合 602 10位  DH 8位 GS 16位 SG 11位 KB 15位
 2007  総合 568 11位  DH 14位 GS 11位 SG 23位 KB 8位
 2008  総合1137  4位  DH 11位 GS 2位 SG 2位 KB 8位
 総合08/09: 8. 09/10: 6. 10/11: 4. 11/12: 6. 12/13: 19. 13/14: 8位

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透明スペーサー
ジャン・バティステ・グランジェ親子(フランス)
 グランジェの親も有名スキーヤーだったそうだか、いろいろ調べたが詳細は不明である。
ジャン・バティステ・グランジェ(Jean-Baptiste Grange  10.10.1984 St Jean de Maurienne生まれ)
World Cup Ranking
General
2006/74th,
Special
2006 SL/43rd, K/19th.
World Championships
2007 Are. SL/3rd, SC/14th, DH/
Olympic Games
2006.2 Torino. K/13th, SL/DNF2.
 2006シーズンからワールドカップに参戦。トリノ・オリンピックにも出場したがコンビで13位が最高成績。だが2007年2月、オーレ(SWE)世界選手権のスラロームで銅メダルを獲得。この大会フランスチーム唯一のメダルだった。
透明スペーサー
 しかし以降は実力を伸ばし、今では世界のNo1スラローマーになっている。
08/09FISアルペンスキーワールドカップ 男子総合成績
 男子総合 5位 GRANGE Jean-Baptiste
 男子スラローム種目 1位 GRANGE Jean-Baptiste
透明スペーサー
 2009シーズン 賞金ランキング(単位はスイスフラン)
男子 1位. Jean-Baptiste Grange (FRA)  252,564(スイスフラン)
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グリューネンフェルダー兄弟(スイス)
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弟トビアス・グリューネンフェルダー(GRUENENFERDER Tobias 1977年11月27日生まれ)
World Championships
 1999 Vail/Beaver Creek GS/20th.
 2003 St.Moritz GS/18th.
 2005 Bormio. SG/16th.
Olympic Games
 2002 Salt Lake City. SG/12th, GS/DNF.
 2006.2 Torino. DH/12th,
World Cup 3. DH: Bormio 06,
 SG: Garmisch 03, 04,
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兄イエルグ・グリューネンフェルダー(RUENENFELDER Juerg 1974年1月8日)
World Championships
 1999 Vail 15th.
 2005 Bormio. DH/13th.
Olympic Games
 1998 Nagano DH/4th. 1/100秒でメダルを逃した
World Cup
 2位. DH: Val Gardena 05,
 4位. DH: Kitzbuhel 98,
  05バルガルディーナDH2位に入り、「既に5年以上ケガと常時の痛み耐えながら自己との闘いを続けていた。今季は引退を含めての全てか無かというスタートだったが、、」と。(写真家・木村之与さんのski-and-ski)

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親子孫3世代のコクラン(またはコックラン)(アメリカ)
 父ミッキーに子どもたちはスキーを習い、3人がナショナルチームに入り、1972年の札幌オリンピックの代表メンバー。
 ワールドカップでは、姉妹二人がともに3勝をあげた。ヨーロッパ中心のワールドカップ草創期に、二人の活躍でアメリカの存在を示した。
 孫のジミーもワールドカップを転戦するレーサーになっている。華麗なるスポーツ一族である。
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父ミッキー・コクラン(COCHRAN Mickey)
 1972年のアメリカStates Alpine ski teamのコーチ。当然、子ども3人が出場する札幌オリンピックには、コーチとして参加していたハズ? しかも次女バーバラが女子回転で金メダルだから、堪りませんな〜。
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長女マリリン・コクラン( COCHRAN Marylin 1950年2月7日生まれ USA 1974年引退 )
 1歳年上のマリリンは札幌オリンピックの翌'73年、日本で初めて開催されたワールドカップ苗場大会の大回転で優勝。ほか、回転でも2勝をあげた。
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 World Cup - 優勝. GS: Naeba 73, SL: Mont Ste Anne 71, Chamonix 73,
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次女バーバラ・コクラン( COCHRAN Barbara 1951年1月4日生まれ USA 1974年引退 )
 スラローム・スペシャリスト。

 1972年札幌オリンピック女子回転で金メダルを獲得。
 1970年、バル・ガルデナ(ITA)世界選手権では銅メダルを獲得している。
 ワールドカップでは3勝(2回 SL, 1回 GS) をあげた。
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息子ロバート・コクラン(COCHRAN Robert 1952年生まれ)
 1972札幌オリンピック 男子回転 失格、大回転 17位、 滑降8位
 1973年アメリカ championship at UVM 男子滑降優勝
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末娘リンダ・コクラン(COCHRAN  1954年生まれ)
 このスキー戦歴は不明。
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ジミー・コクラン(孫COCHRAN Jimmy USA 1981年5月29日生まれ)
 2005年12月21日、クラニスカ・ゴラ(SLO)の大回転で、38番スタートから1本目14位、トータルで7位に入った。
 1972年・札幌オリンピックに出場したロバート・コクランの息子である。
 Overall World Cup Position
   04/05: 108位. 05/06: 83位. 06/07: . 07/08: 54位.
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エイミー・コクラン(孫COCHRAN 、ジミーの妹)
 詳しいことは不明だが、米国内での女子サッカー選手としてはポジションを持っているようだ。
 かつスキーレーサーでもある。

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トップスキーヤーのコステリッチ兄妹と父(クロアチアCRO)
イビツァ・コステリッチ  1991年に始まったクロアチアの独立戦争。内戦は激化し、一家は国外に脱出。兄妹は父の運転するオンボロのライトバンに揺られ、スキー場を転々としながら練習。魚の缶詰と安いソーセージで何とか食いつないでいく日々。ホテルに泊まるカネなどある訳もなく、粉雪まじりの冷たいすき間風が入ってくるリフト小屋や倉庫での雑魚寝は当たり前だった。
 ある日、コステリッツの父親は、ミズノの販売促進の責任者・上治氏を訪ね、サポートを依頼。まだ無名時代だったが、上治氏はサポートを承諾。
 そして、コステリッツは、ソルトレークシティー五輪(2002年2月)でアルペン史上最多の1大会4個のメダルを獲得するスーパースターに成長。
 五輪後、ミズノとの契約更新を迎えヤニツァは、「苦しいときに世話になったから、次の4年間はそちらの言い値でいい」と応えたとの美談もある。
 内戦で国を追われた一家を金メダルが救った。今では首都ザグレブの大豪邸に住み、ルノーの高級車を乗り回すリッチな生活。
   (以上は「ヤニツァ・コステリッツ(アルペン、クロアチア)gendai.net」などより)(リンク切れ2015/02/13)
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父親・コステリッチ(アルペンスキーの男女ともに、トップに立った名手二人の父親)
 父コステリッチがどれだけのスキー選手であったかは、私は知らない。しかし子ども二人に付き添って指導もしてきて、二人ともをこれだけの名手に育て上げたのだから、父もそれなりの選手であったと想像出来る。
 事実、'10シーズンのあるレースのポールセッターは、父コステリッチであった。
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ヤニツァ・コステリッチ(妹 Janica Kostelic クロアチア 1982年1月5日生まれ 174cm 64kg)
 世界選手権 2003 St. Moritz K/1位、SL/1位、2005 Bormio/S.Caterina, K/1位、DH/1位、SL/1位
 オリンピック 
  2002 ソルトレイク(USA) K/1位、GS/1位、SL/1位、SG/2位
  2006 第20回トリノ(ITA) K/1位、 SG/2位、SL/4位、 五輪アルペンスキー史上女性初となる4冠を達成。
  2回の五輪で合計4個の金メダル、2個の銀メダルは、五輪アルペンスキー史上女性最多のメダル獲得数。
 ワールドカップ 通算30勝 (内、1 DH, 1 SG, 20 SL, 2 GS, 6 K) 。ちなみに06/07終了時点でも、第8位 →18/19終了時点では11位
 ワールドカップでは00/01、02/03シーズン、05/06シーズンと総合優勝を3度飾る快挙。
 2007年4月19日、25歳で、膝と背中の怪我などを理由に引退。
 '10シーズンは、テレビごしだが彼女の姿をレース会場で見ることが多かった。暇だったのか、体調良好だったのか、兄の何かが心配だったのかは、不明だが、、。
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イビツァ・コステリッチ(2歳違いの兄 Ivica kostelic 1979年11月23日生まれ、182cm / 88kg)
 世界選手権 2003 St.Moritz SL/1位
 オリンピック 2006 第20回トリノ(ITA) K/2位、SL/6位
 World Cup 通算 8勝 (内、 7 SL, 1 K) 。
 '08シーズンのワールドカップでも2位3回、最終戦のボルミオ(ITA) GS1本目4位?と、まだ現役で大活躍中。
 '09シーズン、アルペンスキーW杯男子回転第2戦(アルタ・バディア/イタリア)。イビツァ・コステリッチが優勝。
 '09シーズンでの総合(OVERALL)4位、スラローム2位。
 '10シーズンでの総合(OVERALL)5位、スラローム4位、コンビ3位
 そしてまたまた不運なことに、'10シーズン中の2009年12月にヒザの半月板を痛め、すぐに内視鏡手術。ヒザだけで10回目の手術である。1ヵ月後に復帰してわずか3戦めの男子回転第5戦(2010年1月17日 Wengen )で優勝し、シーズン初優勝(通算10勝め)を挙げている。
 彼の実力からすれば不本意かも知れないが、'10シーズンでの総合(OVERALL)5位、スラローム4位、コンビ3位という素晴らしい成績を収めている。

 尊敬する選手:ケティル・アンドレ・オモット(ノルウェー)
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★管理人独白  【兄・イビツァ・コステリッチについて】
* 同じくトップ争いをするベンジャミン・ライヒ(AUT)のスラロームの滑りも実にきれいだと、'08かそれ以前から感心している。
 しかしコステリッチのこのシーズンからのSLでの滑りは、それを超えて優雅さを感じる。'09のテレビ放映を見ていて、とつぜんに気がつき、私は感動した。ゆったりとした運動もフォームもきれいで、あまり速さを感じさせないが、それでいて速いのである。誰もまねすることの出来ない、1つの完成形である。
* チャレンジ精神の強さ。
 度重なる怪我、手術、復帰。これだけでも十二分に凄い。高速系に挑んで転倒、怪我、というケースも少なくないらしい。開幕早々に怪我・手術をした'10では、ついに高速系のダウンヒル(23-01-2010 キッツビューエル7位)やスーパーG(11-03-2010 Garmisch 2位)でも良い成績を残している。
* いつもニコニコ
 穏やかで、優しそうで、いつも絶やすぬあの笑顔を見ている内に、私は知らぬ間に彼の隠れファンになっていた。
 彼は人の善い正直者である、と感じている。
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1つの五輪でメダル4つのゴワシェル姉妹と甥(フランス)
 国内のサイトではマリエル1948/09/30生まれ説が多いが、多分これは誤り。最初の一人が間違えて書き、それがコピーされ続けているのでしょう。管理人も不確かだったので、幾つもの海外サイトで確認をしました。


 1964年インスブルック五輪・アルペン女子回転と大回転の2種目を、ゴワシェルの姉妹が優勝を争った。姉妹で金銀4つのメダルは今後も生まれない記録だろう。
 兄弟対決といえば、1984年サラエボ五輪・アルペンスキー男子回転で、メーア兄弟が金銀メダルを獲得の例もある。
マリエル・ゴワシェル マリエル・ゴワシェル(妹 Marielle Goitschel 1945年9月28日)
 世界選手権
  1962 Chamonix SL/2位、GS/4位、K/1位
  1966 、南米チリのポルチーヨ SL/2位、GS/1位、DH/2位、K/1位、 4個ものメダル。
 オリンピック
  1964 Innsbruck SL/1位、GS/2位、DH/10位、K/2位
  1968 Grenoble SL/1位、K/2nd. DH/8位、 GS/7位
 World Cup 通算 7勝 (内、2 DH, 5 SL)
 1968年引退
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クリスチーヌ・ゴワシェル(姉 Christine Goitschel 1944年6月9日)
 1964年第9回インスブルック冬季オリンピック・アルペン女子回転。クリスティーヌが金メダル、マリエルが銀メダル。
  大回転では逆にマリエルが金メダル、クリスティーヌが銀メダル。
  1つの五輪でゴワシェル姉妹が4つのメダル、それもすべて金か銀という素晴らしさ。 1966年に足首を骨折、で1968年のグルノーブル冬季オリンピックの後、引退。

フィリップ・ゴワシェル(甥 Philippe Goitschel 1962年生まれ スピードスキー )
 彼の母パトリシアが、クリスチーヌとマリエルの姉妹である。
 1992年のアルベールヴィル冬季オリンピックのスピードスキーで銀メダル
 2002年4月23日、Les Arcsで250.7km/h(155.434mph)の世界記録を更新後、引退。
 250km/hの壁を越えた最初のスキーヤーである。この記録が書き換えられるのには4年も要し、2006/04/19 シモーネ・オリゴン(Simone Origone / Italia) 251.400km/hが世界記録となっている。(2008/ 7現在も)

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シュルネガー(祖母)・シルト孫(スイス) ('12で引退)
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ヘディ・シュルネガー(祖母)
 第2次世界大戦後に初めて開かれた冬季オリンピック、
 1948年サンモリッツ大会(スイス)の女子滑降 2分28秒3で、金メダル。
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マルティナ・シルト(孫 Martina Schild 1981年10月26日) →('12で引退)
 オリンピック 2006 第20回トリノ(ITA) DH/2位、SG/6位、
 World Cup
  5位. DH: St. Moritz 06,
  6位. DH: St. Moritz 04,
 祖母がオリンピックで優勝していたので、「おばあちゃんに続くのはとてもいい気分。たとえ、彼女が金メダルでわたしが銀メダルでも、スイスにとってはいいことだわ」、とシルト選手。そもそもシルト選手がスキーにのめり込んだのも、偉大なおばあちゃんの影響。
 (オリンピック 2006 第20回トリノ時点)W杯では2006.1月の滑降(サンモリッツ)5位が自身最高位。「2位でも表彰台は驚きだわ。だって、W杯で表彰台に立ったことがないんだから。自分自身で驚いているわ」と目を丸くしていた。
2010年1月27日、
 スイス・サンモリッツで行われているアルペンスキーワールドカップ女子滑降トレーニングランで、地元スイスで第20回トリノオリンピック女子滑降2位のマルティナ・シルト(スイス)が靭帯断裂をしたことが分かった。今季絶望で、来月からカナダで開かれる第21回バンクーバーオリンピックもキャンセル。
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Overall World Cup Position
  01/02: 121. 02/03: 94. 03/04: 65. 04/05: 115. 05/06: 61. 06/07: 44. 07/08: 23. 08/09: 46. 09/10: 30. 10/11: 73. 11/12: 54.
Alpine Ski World Cup Victories
 GS1勝
Alpine Ski World Cup Top Tens
 DH5 SG8 TOT13
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★注:
 マルティナ・シルト(スイス Martina Schild 1981年10月26日)とマルリース・シルト(オーストリア Marlies Schild 31/05/1981)は、別人。名字が同じSchild、名前が似ている、生年が同じ1981年、WCでも活躍のアルペンスキー選手ということで、よく混同されるそうだ。
 しかし、まったくの別人で、名字が同じSchildでも国が違い、血縁関係などのない赤の他人。(マルティナSUI 談)

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一緒にお立ち台マルリースと妹ベルナデッテ・シルト姉妹(オーストリア) (現役レーサー)
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17-12-2013 Courchevel(クールシュベル) - FRA Women's Slalom
Rank Name + Surname Nat 1.Run 2.Run Total
 1位 Marlies Schild姉 AUT 51.91 53.26 1'45.17
 3位 Bernadette Schild妹 AUT 51.71 54.68 1'46.39 +1.22
 1本目は妹Bernadetteがラップ。姉は3位。2本目は姉が見ラップを出して、優勝。妹も3位の入賞。
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(W杯)回転女王マルリース・シルト(Marlies Schild オーストリア)姉
31/05/1981生まれ、。
Alpine Ski World Cup Victories
DH GS SL SG K PR TOT
-- 1 35 -- 1 -- 37
Alpine Ski World Cup Podiums
DH GS SL SG K PR TOT
2 3 56 2 5 -- 68
Marlies Schild Overall World Cup Position
01/02: 53. 02/03: 19. 03/04: 14. 04/05: 8. 05/06: 6. 06/07: 2. 07/08: 5. 09/10:  15. 10/11: 6. 11/12: 8. 12/13: 57. 13/14: 17.
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17-12-2013 Courchevel(クールシュベル) - FRA Women's Slalom
 このCourchevel(クールシュベル)スキー場ではSL3勝目。通算36勝目、SL34勝目。Marlies Schild優勝は、32歳200日。WC(女子)回転史上、最年長V記録。(男女全体SLでも最年長V記録であろう?)
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 この後15.03.14にも1勝し、通算37勝。これがいかに凄い記録かというと、その上には、歴代2位のLindsey Vonn USA 59勝があるが、これは別格。Marliesの37勝は歴代6位。今までに20勝以上を上げた女子レーサーは、わずか19名のみということから、凄さを理解頂けよう。
 マルリースは、2008/10には練習中に左脚を骨折。2012.12は右ヒザのケガ。それにも関わらず大活躍中の回転女王マルリース・シルトである。
 アルペンスキーのW杯女子回転で歴代最多35勝を挙げたが、ケガのため2014年9月2日、現役引退を発表した。


ベルナデッテ・シルト(Bernadette Schild  オーストリア)妹
02/01/1990生まれ、9歳下。
Overall World Cup Position
  08/09: 115. 10/11: 58. 11/12: 74. 12/13: 32. 13/14: 33.
Alpine Ski World Cup Podiums(表彰台)
 SL 3 TOT 3
Alpine Ski World Cup Top Tens
 SL 8 PR 2 TOT 10
 まだWC優勝はないが、表彰台は3回。これからの期待がされる若手レーサーである。
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★注:
 マルティナ・シルト(スイス Martina Schild 1981年10月26日)とマルリース・シルト(オーストリア Marlies Schild 31/05/1981)は、別人。名字が同じSchild、名前が似ている、生年が同じ1981年、WCでも活躍のアルペンスキー選手ということで、よく混同されるそうだ。
 しかし、まったくの別人で、名字が同じSchildでも国が違い、血縁関係などのない赤の他人。(マルティナSUI 談)

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五輪で金銀の兄弟対決・ショッホ兄弟(スイス スノーボード)
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 2006.2 Torino オリンピック、スノーボード 男子パラレル大回転では、決勝に立ったのはスイスのショッホ兄弟。
  金メダルをかけた注目の勝負は、予選から終始好調だった弟フィリップが制した。兄シモンが銀メダル。


 兄弟対決といえば、1984年サラエボ五輪・アルペンスキー男子回転で、メーア兄弟が金銀メダルを獲得の例もある。
 フランスのゴワシェル姉妹は、1964年インスブルック五輪・アルペン女子回転と大回転の2種目。金銀4つのメダル。


フィリップ・ショッホ (弟 Philipp Schoch 1979年10月12日)
 2002 Salt Lake City オリンピック、スノーボード競技 パラレル大回転で優勝。
 2006.2 Torino オリンピック、スノーボード 男子パラレル大回転で優勝。
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シモン・ショッホ (兄 Simon Schoch 1978年10月7日)
 2003年の世界選手権で、パラレルスラローム3位、パラレル大回転2位
 2006.2 Torino オリンピック、スノーボード 男子パラレル大回転で銀メダル。
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ステンマルク親子(スウェーデン)
エリック・ステンマルク(父親 STENMARK)
 ステンマルクの最初のコーチだった父エリック。スウェーデン選手権の回転で5位に入ったことのある選手だった。
 父エリックが夜中の10時すぎに、何度もインゲマルを裏山の600メートル足らずのゲレンデから連れ戻さなければならなかった。少年はゲレンデの木の切り株に、リフトとナイター照明用のカギを隠し持っていたのである。
インゲマル・ステンマルク(息子STENMARK Ingemar 1956年3月18日 生まれ。 1989年3月志賀高原を最後に引退)
 ワールドカップ86勝。1973/74シーズンのデビュー以来、ワールドカップではSLで40勝、GSで46勝をあげ、86回という通算勝利数はもう誰も破ることはできないといわれる大記録。
 技術系のスペシャリストながら、ワールドカップ総合優勝も3回記録。
 ギネスブックに記載されているステンマルクの記録。ワ―ルドカップ通算86勝(回転40勝、大回転46勝)、さらに2、3位の表彰台は66回。オリンピック金メダル2、世界選手権金メダル3。出場したレース数は268回(これには彼の意志ではないただ1回の滑降と7回のスーパーGを含む)で表彰台の確率57パーセント。
 参照・引用元
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Biography/Bio-M_Stenmark-1.htm STENMARK Ingemar (SWE)  (写真家・木村之与さんのski-and-ski)より

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全員がインターハイ制覇の武田4姉妹+α
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 さんも一人もいるようだが、これは不明。
 富良野のペンション、ヤングハウスのオーナーが父親の武田さん。多くの選手をを育てた名コーチ。またSAJの井山敬介デモの恩師でもあるとのことである。
武田 里江(末妹)、インターハイの女子回転で優勝。
 第57回全国高校スキー大会(インターハイ、2008年02月06日、新潟県の苗場スキー場)アルペン女子SLで、富良野緑峰高3年の武田 里江(18)が初優勝。
 3人の姉に続き、インターハイのタイトルを手にした。4姉妹そろっての全国制覇は大会史上初めて。
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武田 友希(長女)/スキー(アルペン)
武田 千夏(次女)/スキー(アルペン)
 平成13年 第13回全国高校選抜スキー大会(アルペン種目)の武田友希 優勝
 平成16年 第16回全国高校選抜スキー大会(アルペン種目)の武田 薫 優勝
 2000 2.10 第37回全国中学スキー大会 福島猪苗代(大回転1位:武田友希・2位:武田千夏)
 2001 2.5〜8 第38回全国中学スキー大会(大回転1位:武田千夏 回転3位:武田千夏)
 2007年02月 第80回全日本学生選手権(インカレ) アルペンスキー 回転 武田千夏が優勝
武田 薫(3女 かおり)/スキー(アルペン)
 H20.  第23回全日本学生アルペンチャンピオン大会(志賀高原)女子大回転優勝
 H17. 3 第17回全国高等学校選抜スキー大会 大回転 優勝
 H17. 2 第54回全国高等学校スキー大会 大回転 優勝
 H16. 2 第59回国民体育大会スキー競技会 大回転 3位
 H15. 2 第58回国民体育大会スキー競技会 大回転 2位

2003.武田4姉妹大活躍
 第52回全国高校スキー、武田友希(緑峰高校3年)大回転4位、3女・薫(緑峰高校1年)大回転5位、回転9位。
 第15回高校選抜スキー大会、友希が大回転6位、千夏5位。薫は回転・大回転ともに2位で堂々の総合優勝。
 第40回全国中学校スキー大回転、4女の里江(富良野西1年)が2本目にラップをとり7位

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スイスが誇るツルブリッゲン兄妹・息子・親戚
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ピルミン・ツルブリッゲン(Pirmin Zurbriggen、1963年2月4日 兄)
 男子アルペンスキー選手。1980年代中盤より活躍した、スイスが誇るオールラウンダー。マーク・ジラルデリと並んで、1980年代を代表したアルペン界のスターである。
 出場したレース数は266。優勝回数はちょうど40回で、これは彼が引退した時点でインゲマル・ステンマルク(SWE)の86勝に次ぐ歴代2位の記録だった。
◇主な成績
World Cup優勝回数 - 40 w. (10 DH, 10 SG, 7 GS, 2 SL, 11 K)
ワールドカップ総合優勝通算4回(1984年、1987年、1988年、1990年)、総合2位3回(1985年、1986年、1989年)
1988年のカルガリーオリンピック、滑降で金メダル、大回転で銅メダルを獲得。
1990年 引退。10シーズンを戦って、90年3月、オーレ(SWE)で行なわれた最終戦を最後に引退した。
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ハイディ・ツルブリッゲン( Zurbriggen Heidi 、1967年3月16日 妹)
 実妹のハイデイ・ツルブリッゲンも有力な女子アルペンスキー選手であった。1985年から1998年まで、13年間、ワールドカップを戦って滑降で3勝を上げた。
※1998年引退
 クラン・モンタナで、彼女の最終レースとなった大回転が終了した後、引退セレモニー。チームのスポンサーであるチーズ農協から、直径1メートルもある大きなチーズが彼女に贈られた。
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ベルナデッテ・ツルブリッゲン( Zurbriggen Bernadette、女性、1956年8月30日 遠い親戚)
World Cup優勝回数 - 8 w. (5 DH, 1 GS, 1 K, 1 P )
※1979年、22歳の若さで引退
 ワールドカップデビューは1970年のことで、まだ14歳にもなっていなかった(管理人の推定:13歳と4〜6ヶ月)。(現在ではこの年齢でワールドカップには出場出来ない。)
 3年後の1973年に10代レーサーはアリエスカ(USA)の大回転で初勝利をあげた。
 1975年、シュルンス(AUT)で滑降初優勝を上げた。そのとき彼女が使用したスキーは2m23pの男子用の滑降スキーだった。この後の滑降勝利も、すべて長いスキーを使って制覇したものである。
 ワールドカップで全8勝を上げたが、内5勝は滑降である。
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シルバン・ツルブリッゲン( Zurbriggen Silvan 1981年8月15日、遠いいとこ)
 '10シーズン終了時点で、全種目の通算Top Tens (10位以内)の成績は、42回。内訳はDH3 GS SL 22 SG2 K15 TOT42 回。このように技術系の回転から高速系のDHまで対応する、オールラウンダーである。腕を上げ、'10シーズンの成績はトップグループ入りしていることを証明している。
2003 World Championships 2位
2010 Vancouver Winter Olympics. Combined 3位
2009年1月26日キッツビューエル スーパーコンビで優勝がW杯初優勝。
ワールドカップ
Alpine Ski World Cup Victories
DH 1 K 1  TOT 2
'10シーズンのランキングでは、総合6位、スラローム3位、Kombination4位
総合02/03: 54. 03/04: 30. 04/05: 24. 05/06: 49. 06/07: 13. 07/08: 66. 08/09: 18. 09/10: 8. 10/11: 6. 11/12: 33. 12/13: 75. 13/14: 72.位
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エリア・ツルブリッゲン( Zurbriggen Elia  09/10/1990生まれ、英雄ピルミンの息子)
ワールドカップ・デビュー '11/12
総合12/13: 133. 13/14: 126.位
 これからが期待される若手レーサーである。

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高速系を得意としたデュビラール親子(フランス)
 親子は同名で、かつ高速系を得意としたのも同じある。
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アドリアン・デュビラール(父親 フランス)
 '50年代後半〜'60年代初めにかけて活躍したレーサー。例えば、1956年 7th冬季五輪の大回転4位などがある。
 引退後はロシニョールの工場で、滑降用スキーを開発していた。
透明スペーサー
アドリアン・デュビラール(息子 DUVILLARD Adrian (FRA) 1969年2月8日生まれ 1998年引退 )
 23歳のとき、'93年のクビットフィエルのワールドカップが初優勝。
 父親の開発したスキー板で、リルハンマー(NOR)のプレオリンピック滑降で優勝した。
 しかし命に関わるような大怪我が多かった。'97年のキッツビューエル(AUT)での大転倒では長い入院生活。
 '98シーズン、キッツビューエルで4位に入り、最終戦のクラン・モンタナで10位。このシーズンで引退した。

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透明スペーサー
イタリーの宝 トエニ従兄弟?(イタリー)
 当HP管理人は、爆発寸前の若きグスタボを春の立山のルフトハンザ・カップで見ている。その数年後からステンマルクに代わるまでの間は、世界のトップ、グスタボの時代。
 その頃にイタリアの某SSに一夏の居候。それがトエニの故郷、ホテル土産売店の看板娘が、確かロランドの妹。親しくなりグスタボのトップでの活躍ぶりを誉めて、喜ばれた想い出がある。
 しかもその後、イタリア国家検定スキー教師の試験合宿に1ヶ月間招待されたのが、その場所だったので、トエニ家も何となく近く感じてしまう管理人なのです。
透明スペーサー
グスタボ・トエニ グスタボ・トエニ (1951年2月28日 Gustavo Thoeni)
 ワールドカップで全24勝(大回転11勝、回転8勝、コンビ4勝、パラレル1勝)を上げ、
 1972年札幌オリンピック 大回転優勝、
 1974年サン・モリッツ(SUI)世界選手権 回転と大回転で金メダル。
 あのアルベルト・トンバの専任テクニカルコーチをつとめた後、
 トンバ引退後はイタリア・ナショナルチーム男子ヘッドコーチをつとめている。
透明スペーサー
ロランド・トエニ (Rolando Thoeni 1950年1月17日生まれ)
 オリンピック男子・スラロームでは、
  1972年は、銀がグスタボ、銅がロランド、
  1976年は、銀がロランド。

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  ▼ な 行
透明スペーサー
成田・今井 兄弟妹(大阪市 スノーボード)
 スノーボードコーチの成田隆史に育てられた。長男・童夢、今井メロは指導方針の違いなどから対立し、童夢は独立、メロは家を出た。
 2005年2月W杯イタリア・バルドネッキア大会では、成田童夢、今井メロと兄妹表彰台を飾った。
透明スペーサー
成田 童夢(どうむ、長男 1985年9月22日)
 16歳でナショナルチーム強化指定選手になる。
 2002年12月 ワールドカップ(カナダ・ウィスラー) 優勝
 2002年3月 ワールドカップ(札幌・真駒内) 5位
 2003年2月に怪我をし手術。
 2004年12月 ワールドカップ(カナダ・ストーンハム) 3位
 2005年2月 ワールドカップ(イタリア・バルドネッキア) 3位
透明スペーサー
今井メロ(妹 夢露 1987年10月26日 スノーボードハーフパイプ)
 わずか12歳で史上最年少プロスノーボーダーに認定される。
 スノーボードに専念するため高校には進学せず、冬は主に長野県で練習してきた。
 2001年の秋田ワールドゲームズでは選手宣誓を勤め、ウェークボードで優勝。
 スノーボードでは2002年に世界ジュニア選手権を制覇
 2004−05シーズンで種目別総合優勝
 2006年2月第20回トリノオリンピック出場。二本とも転倒で予選敗退。
 2007年6月14日号週刊文春で風俗嬢として報道されるが、女性誌のインタビューでキャバクラで「本名で働いている」と否定。
透明スペーサー
成田緑夢(ぐりむ、次弟 )
 天才スノーボーダーとして将来は五輪を狙える3兄弟の末弟である。

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透明スペーサー
頭も良いノイロイター夫婦・親子(西ドイツ・ドイツ)
 クリスチャン・ノイロイターとロジ・ミッターマイヤーが1977年に結婚して生まれたサラブレッドが、フェリックス・ノイロイター。
クリスチャン・ノイロイター(父 NEUREUTHER Christian 1949年4月28日生まれ 178cm 65kg)
 '70年代に活躍した旧西ドイツを代表するスラローム・スペシャリスト。医学生のレーサーとしても有名だった。
 オリンピック
  1972 Sapporo SL/11位
  1976 Innsbruck SL/5位、 GS/30位
  1980 Lake Placid SL/5位、
 ワールドカップ 通算 6勝(内、6 SL)
透明スペーサー
フェリックス・ノイロイター フェリックス・ノイロイター(子 NEUREUTHER Felix 1984年3月26日生まれ 184cm 83kg)
 2003シーズン、メジャーデビュー。
 2003年12月15日、マドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)のスラローム、44番スタートで8位入賞、ワールドカップの初ポイント獲得。
  サン・アントン(AUT)のスラロームで7位入賞。
 '07ワールドカップでは、ビーバー・クリーク(USA)の3位
  2月25日、地元のガルミッシュ・パルテンキルヘンでスラロームで自己最高位の2位入賞。
 (当hp管理人の見るところ)1年前の'06と比べ段違いの上達で、幾分安定度に欠けるが、間もなく世界のトップの一人になりそうである。

透明スペーサー
ロジ・ミッターマイヤー ロジ・ミッターマイヤー(妻・母 MITTERMAIER Rosi 1950年8月5日生まれ 163cm 53kg)
 3度のオリンピックに出場し、
  1972 Sapporo DH/6位、 SL/17位、 GS/12位
  1976 インスブルック(AUT) DH/1位、SL/1位、GS/2位、K/1位
 ワールドカップ 通算10勝 (内、1 GS, 8 SL, 1 K)
 ワールドカップは発足の1967シーズンから参戦、1976年に総合優勝を達成して引退した。
 札幌オリンピック前にはルフトハンザ航空の招きで何度も来日し、春の立山や宮城蔵王での「ルフトハンザ・スラローム大会」に参加。 (当hp管理人も、春の立山のレースの合間にブラジャー姿で日光浴する、若き美女ミッターマイヤーを観戦?)
 引退後、同じ西ドイツのクリスチャン・ノイロイターと結婚。

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  ▼ は 行
透明スペーサー
バクスター兄弟といとこ(イギリス)
 兄弟とも'08シーズン現在は現役でワールドカップも参戦中。
透明スペーサー
弟ノェル・バクスター( BAXTER Noel 25/07/1981)
Winter Olympic Games
 Salt Lake 02 - 20th Slalom
 Torino 06- 14th Combined, 20th Slalom
Ski World Championships
 St Moritz 03- 24th Slalom
 Bormio 05- 20th Slalom
 Are 07- 15th Slalom, 25th Combined
透明スペーサー
兄アラン・バクスター( BAXTER Alain 973年12月26日生まれ)
Olympic Games
 1998 Nagano: GS/31st.
 2002 ソルトレーク・オリンピック、回転で3位→メダル剥奪で→3位ベンヤミン・ライヒ
ワールドカップ
 2001年最終戦で自己最高の4位になり、総合回転部門で11位になった
 2006年Sestriere (ITA)男子スラローム16位
 アルペンスキーにおいてメダルを獲得する初の英国人だったが、IOCのドーピング・テストで禁止薬物が検出され、銅メダルは剥奪された。アメリカで買ったヴィックス吸入器が原因だった。いつも使っているUKバージョンのヴィックス吸入器には、それは含まれていない。
透明スペーサー
いとこレズリー・マッケナ(Lesley McKenna)
 業界を代表プロスノーボーダーであり、World Cupで2勝している。

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透明スペーサー
バフレダ兄弟と息子(ポーランド)
透明スペーサー
アンドレイ・バフレダ(兄 BACHLEDA Andrej (POL) 1975年引退 )
 1972年、バンフ(CAN)のワールドカップ・回転優勝。
 世界選手権・コンビでは、1970(バル・ガルデナ(ITA))で3位,1974年(サン・モリッツ(SUI))銀メダルを獲得。
透明スペーサー
ヤン・バフレダ(弟 POL)
 ワールドカップ創世記に活躍したバフレダ兄弟の弟である。
 1975年3月、バル・ガルデナのワールドカップ最終戦(トーナメント方式)では、トエニとステンマルクの両天才が総合優勝をかけていた。(→1975wc総合優勝はトエニ)
 トエニにはイタリアチームの援護があり、トエニに対したグロスやピエトロジョバンナのイタリア勢は、明らかにスポーツマンらしからぬアンフェアなレースで敗退した。
 このときヤンは1本目を大差で勝っていたのに、2本目簡単にコースアウトしてステンマルクに勝ちを譲っている。
透明スペーサー
アンドレィ(またはアンジェイ)・バフレダ(同名の父親の息子 POL)
 2000/01 Wengen (SUI) 男子 5th 回転で5位。
 1999-2000 FIS ワールドカップ 種目別総合 SL男子26位 100ポイント。
 1998年2月長野オリンピック冬季競技大会 アルペンスキー男子複合で5位に入賞。
透明スペーサー
ヒートン兄弟 (アメリカ 【ボブスレー、スケルトン】)
透明スペーサー
ジェニソン・ヒートン (兄 Jennison Heaton 1903年4月16日)
透明スペーサー
ジョン・ヒートン (弟 John Heaton 1908年9月9日)
 ヒートン兄弟は、1928年のサンモリッツ冬季オリンピックで初めて実施されたスケルトンに出場。
  兄ジェニソンが金メダル、弟ジョンが銀メダルを獲得。
 弟のジョンは20年後の1948年、公開競技の冬季5種競技(距離スキー、射撃、滑降、フェンシング、馬術)に出場し、2位。
  彼はこの時39歳。21年にもわたる競技生活で、冬のオリンピックで最も息の長い選手。

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透明スペーサー
東(ひがし) 和広・昭広・輝(双子の兄との三兄弟、北海道余市郡仁木町出身)
 日本のスキージャンプ界のトップ選手として活躍したが、三人ともオリンピックに出場できていない。
透明スペーサー
東 和広(双子の兄、1968年7月2日生まれ)
 アルベールビルオリンピック(1992年2月、フランス)の代表に選ばれたが、本番直前に絶不調に陥り試合に出場できず。
透明スペーサー
東 昭広(双子の兄、1968年7月2日生まれ)
 カルガリーオリンピック(1988年2月、カナダ)の代表に選ばれたが、公式練習で負傷して試合に出場できなかった。
透明スペーサー
東 輝(3番目の末弟、1972年1月7日)
 1989年、高校生で世界選手権代表に選出され、注目を浴びる。
 20年近く日本のトップ選手として活躍。しかし、いまだに五輪出場できない悲運の選手。世界選手権出場4回、1997年ワールドカップ最終戦優勝。大倉山では、'92〜'93シーズンにはW杯札幌大会を皮切りに5連勝などの実力者。ところが、なぜか五輪シーズンに調子を崩し、出場の可能性が十分だった5回の五輪をすべて逃している。

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透明スペーサー
雪の貴公子 ヒンターゼアー親子(オーストリー)
透明スペーサー
エルンスト・ヒンターゼアー エルンスト・ヒンターゼアー(父 Ernst Hinterseer 1932年2月27日 オーストリー)
 1956コルチナ・オリンピック 男子大回転 6位。(ちなみに猪谷千春は11位、回転では2位)
 この時代の黄金のオーストリーチームを支えた一人。
 その後、アメリカのプロレースでも活動。
透明スペーサー
ハンス・ヒンターゼアー(養子? HINTERSEER Hansi 1954年2月2日生まれ 173cm 68kg )
 オーストリアの貴公子と呼ばれた技術系の名選手
 世界選手権 1974 St Moritz GS/2nd
 オリンピック 1976 Innsbruck GS/14位、 SL/DNF
 ワールドカップ 通算 6勝 (内、3 GS, 3 SL) 1. GS
 1973年の苗場ワールドカップ回転で優勝、大回転2位、'77年の富良野では大回転で優勝、日本にも多くのファンが誕生した。
 1979年引退

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透明スペーサー
ナディア、エレナのファンキーニ姉妹(イタリア)
 2005/02/23 ジュニア世界選手権の女子滑降で、妹ナディア(18歳)が優勝、姉エレナ(19歳)2位と姉妹でワンツー・フィニッシュ。
 2005/ボルミオ(ITA) 世界選手権では、エレナは滑降2位、ナディアはスーパーGで4位。ワールドカップ参戦を果たしたばかりのエレナは無名の19歳。イタリア女子チームの世界選手権メダル獲得最年少者として一躍スターに。
 妹のナディアは既にナショナルチームで活躍していて、スーパーGで第4位。
透明スペーサー
エレナ・ファンキーニ エレナ・ファンキーニ(姉 Fanchini Elena 1985年4月30日)
 2005/12/02 女子滑降第1戦レイクルイーズ(CAN) ワールドカップ初優勝。(妹ナディア14位)
 いろいろ活躍(後日追加予定)。
 2013/12/06 女子滑降第1戦レイクルイーズ(CAN) ワールドカップ。エレナ・ファンキーニ(Elena Fanchini、イタリア)が3位
 などなど
透明スペーサー
ナディア・ファンキーニ(妹 Nadia Fanchini 1986年6月25日)
 W杯2007-08・女子滑降・第9戦 クランス・モンタナ/スイス 3位。
 2008年 02月9日 セストリエール(ITA)ワールドカップ3位
Fanchini World Championships Results
 Schladming 2013 DH: 2.
 などなど

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透明スペーサー
小国から活躍のフロンメルト兄弟(リヒテンシュタイン)
 リヒテンシュタインはスイスとオーストリアの国境地帯に位置する人口わずか3万人の小国。
 この小国からウェンツェル姉弟、フロンメルト兄弟などの活躍があることは、確率的には凄いこと。
透明スペーサー
ポール・フロンメルト ポール・フロンメルト(弟 Paul Frommelt 1957年8月9日 )
 世界選手権
  1978 Garmisch SL/3位
  1987 Crans Montana SL/9位
  1989 Vail SL/7位
 オリンピック 1988 Calgary SL/3rd/
 ワールドカップ 通算 4勝 (すべて4 SL)
透明スペーサー
ウィリー・フロンメルト(兄 Willy Frommelt 1952年11月18日 )
 1987/88 ワールドカップ SL ザールバッハ(AUT)、優勝P・フロンメルト
 1988年、第15回カルガリーオリンピック、アルペンスキー男子回転 銅 P・フロンメルト

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透明スペーサー
ベルトー兄弟とその息子(スイス)
透明スペーサー
マルチン・ベルトー(父親 スイス)
 父親のマルチンはグリンデルワルドの滑降兄弟として、ルネとともにワールドカップにも出場。
透明スペーサー
ルネ・ベルトー(伯父 スイス)
 ワールドカップ滑降で2位が4回の名ダウンヒラー。
透明スペーサー
マーク・ベルトー(Mark Berthod (SUI) マルチンの息子)
 全種目に才能を発揮するオールラウンダーである。
 '05男子大回転第6戦、アーデルボーデン(SUI)7位。2本ともゴールはこれが初めて。
 '07男子スラローム第4戦、アーデルボーデン(SUI)で初優勝。60番スタート1本目27位から26人のごぼう抜きで初優勝。
 ('07男子回転第5戦、キッツビューエル(AUT)では、1本目2位)
 2008年1月ワールドカップ アデルボーデン(SUI) 男子GS第5戦 1位ベルトー

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  ▼ ま 行
透明スペーサー
人気男のマイヤー兄弟(オーストリー)
透明スペーサー
ヘルマン・マイヤー(兄 Hermann Maier、1972年12月7日生まれ 身長181cm 体重89kg)
 1998年の長野オリンピック、スーパー大回転・金メダル。回転・金メダル。
 2001年8月24日、バイクで事故で右足切断も危惧されたが、選手生命の危機を乗り越え奇跡的に復活。2002年のソルトレークシティオリンピックは欠場。
 2006年の第20回トリノオリンピック、スーパー大回転・銀メダル、大回転・銅メダル。
 2007シーズン終了時で、ワールドカップで合計53勝。滑降15勝、スーパー大回転23勝、大回転14勝、アルペン複合1勝(現役最多、歴代2位。歴代最多はインゲマル・ステンマルクの86勝)。
透明スペーサー
アレキサンダー・マイヤー(弟 MAIER Alexander(AUT))
 ソルトレークオリンピックでもパラレルジャイアントスラロームで10位。
 アルペン競技とスノーボードクロス競技に出場。
 '06FISスノーボードワールドカップ、パラレルGS第1戦(オーストリア、ソルデン)、男子5位入賞。

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透明スペーサー
輝かしい妹を持つタマラ兄弟・姉妹(アメリカ)
 父(リガン)は馬飼育場を経営して、障害物競走のチャンピオンシップ獲得のジョッキー。タマラも、子供の頃から洗練されたライダーであった。
 マッキニー家のもう1つの趣味がスキー。タホー湖のスキーインストラクターである母(フランセス)から、7人の子供全員がスキーを習っている。
 マッキニーよりも前に、兄弟のうちの3人が米国のスキーチーム入り。
透明スペーサー
タマラ・マッキニー(妹 McKINNEY, Tamara 1962年10月16日生まれ 160cm 58kg )
 世界選手権
  1982 Schladming GS/6位
  1985 Bormio K/3位
  1987 Crans Montana K/3位
  1989 Vail SL/3位、K/1位
 オリンピック 1984 Sarajevo GS/4位
 ワールドカップ 通算18勝 (内、9 GS, 9 SL)
 1991年引退
 14歳の少女でワールドカップにデビュー
 1978年、16歳でピアンカバロ(ITA)の回転でいきなり3位入賞。これは2015現在も歴代5位の、女子回転種目・最年少表彰台記録である。
 80/81シーズンは大回転で3勝(Haute-Nendaz 81, Les Gets 81, Aspen 81, )を上げ、種目別総合のタイトルを獲得した。
透明スペーサー
スティーブ・マッキニー(兄Steve McKinney)
  1974 Cervinia会場  Steve McKinney USA 189.473Km/h (117.733 mph)
  1977 Portillo会場  Steve McKinney USA 195.200Km/h (121.292 mph)
  1977 Cervinia会場  Steve Mc Kinney USA 195.975Km/h
  1978 Portillo会場  Steve McKinney USA 200.222Km/h (124.412 mph)
  1982 Les Arcs会場  Steve McKinney USA 201.230Km/h (125.039 mph)
 キロメータ・ランセで全米のチャンピオン。7回、世界スピードスキー世界記録を更新
 70年代前半まで、「スキーで200km/hは出ない」と言われていたが、
 1978年、ポルティーオ(チリ)で200km/hを突破した世界最初の男。
 1990年に交通事故で死亡(酔っぱらいドライバーに殺された)。
   他の選手も含めスピードスキーの記録を見たいとき【英語】
透明スペーサー
マクレーン・マッキニー(兄McLane McKinney)
 スキーヤーであることは間違いないようだが、詳細は不明。
 マッキニーの両親と兄マクレーンは、1980年代中後期に死亡。
透明スペーサー
シーラ・マッキニー(姉Sheila McKinney)
 12歳で、最初にナショナルチーム入り。
 1977年、13歳で初の国際的なレースでスキー
 1977年、Heavenlyバレー(ネバダ)ワールドカップ滑降レースの最中にポールに衝突。
 昏睡状態に数週間を過ごし、結局回復したが、競技スキー生活は18歳で終わった。

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松田富士人・真佐人兄弟(長野県栂池? 順不明)
透明スペーサー
松田富士人( 弟? 1970年9月8日 169cm 70kg)
 白馬高校
 92シーズン、インカレGS優勝。1993年ユニバーシアードザコパネ大会でGS9位
 国体、FISレースなどで活躍後、技術選に挑戦。
 SAJ ナショナルデモンストレーター認定:2期め(2008/4現在)
透明スペーサー
松田真佐人
 プロスキーヤー。08VOLKLフォルクル V-SKI FREESTYLE Bridgeは松田真佐人モデル?とか

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透明スペーサー
マット3兄弟の二人は五輪メダリスト(オーストリア)
透明スペーサー
アンドレアス・マット(兄 Andreas Matt)
 19-10-1982生まれ
 身長:191センチ
 最初のスキークロス(skicross)ワールドカップ開始:2004年1月7日
 2010 第21回バンクーバーオリンピックで、スキークロス(skicross)銀メダル
 用具 スキー、締具、スキー靴→サロモン(Salomon)
透明スペーサー
マリオ・マット(弟 Mario Matt )
 09/04/1979生まれ
Alpine Ski World Cup VICTORIES
 SL14勝 K 1勝  TOT 15勝
Overall World Cup Position
 99/00: 23. 00/01: 17. 01/02: 29. 02/03: 91. 03/04: 23. 04/05: 29. 05/06: 36. 06/07: 5. 07/08: 10. 08/09: 29. 09/10: 81. 10/11: 20. 11/12: 28. 12/13: 21. 13/14: 27.
Matt Olympic Games Results
 Sochi 2014 SL: 優勝
  マット34歳と319日での金メダル。これは2006第20回トリノSG優勝のオーマットの最年長五輪メダル記録(34歳と5ヵ月)を抜く。
2013/12/15のバルディゼール(仏)SLでは、マリオ・マット( Mario Matt AUT)が、2011年3月クラニスカグラ(スロベニア)以来の久々の勝利。これでSL 14勝になるが、これはスキー王国オーストリアでのSL最多勝利。(それに加えてK 1勝で、TOT 15勝)
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透明スペーサー
マイケル・マット(弟 Michael Matt)
 生まれ:1993年5月13日
World Cup PERSONAL BEST (top 30)
 SLのみ 16レース(2015/ 2/08現在)
専門分野:スラローム、ジャイアントスラローム、スーパーG、スーパーコンバインド
 2012 ナショナルジュニア選手権 サンアントン / スラローム1位
 2012 ナショナルジュニア選手権 シュタット / スーパーコンバインド2位
 14歳上の兄マリオは数々の戦歴を残すオーストリアの偉大なスキーヤーである。弟マイケルは多分ワールドカップ・デビュー2シーズンめ位の、これからのレーサーである(2015/ 2/08現在)。
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どちらも天才・メーア(またはメイアー)双子兄弟(アメリカ)
 スキー教師の父親からスキーの手ほどきを受けた。二人ともテクニック系を得意としたが、滑降にも出場するオールラウンダー。
 歴代第1位ワールドカップで通算86勝というステンマルク。「ステンマルクに次ぐ2位は優勝と同じ価値がある」と言われた超天才と、時代を共にしたメーア兄弟の戦歴は見事なものである。
 1984年サラエボ五輪・アルペンスキー男子回転で、メーア兄弟が金銀メダルを獲得している。
 ちなみに1964年インスブルック五輪・アルペン女子回転と大回転の2種目を、ゴワシェル姉妹で金銀4つのメダルを争っている。
透明スペーサー
1984 OlympicsPhil Mahre フィリップ・メーア (兄 Philip Mahre 1957年5月10日)
 ワールドカップ 通算27勝 (内7 GS, 9 SL, 11 K)
  このアメリカ人による最多勝利記録が破られるのは、実に彼の引退24年後の2008年、ボディ・ミラー(MILLER Bode)によってである。
 オリンピック 1980 Lake Placid SL/2位、K/1位、、1984 Sarajevo SL/1位
 80年の第13回レークプラシッド五輪の回転でフィル・メーアが銀メダルを獲得。
 さらに81〜83年までフィル・メーアは連続3年間W杯総合V。
 1984年第14回サラエボ五輪・アルペン男子回転で、金 P・メーア、銀 S・メーアが獲得。最後のシーズンになった。1984年引退。
透明スペーサー
スティーブ・メーア (弟 Steve Mahre 1957/05/10)
 世界選手権 1982 Schladming GS/1st
 オリンピック 1984 Sarajevo SL 2nd
 ワールドカップ 通算 9勝 (内2 GS, 6 SL, 1 K)
 84年1月のW杯の回転ではスティーブ・メーアが優勝したにもかかわらず、前代未聞のゼッケン取り違え事件で失格。1984年引退。

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透明スペーサー
現役レーサーのメルグ兄妹はVancouver 2010同一五輪に参加(イタリー)
透明スペーサー
マンフレッド・メルグ(MOELGG Manfred (ITA))
 2000年からナショナルチーム入りをした技術系(スラロームと大回転)のスペシャリスト。2003年1月ボルミオでワールドカップにデビュー。
 '11シーズン現在も、シード選手として技術系で活躍しています。
1982年6月3日 Brunico (Bz) 生まれ、Home: San Vigilio di Marebbe (Bz)
World Cup Ranking
General
 2003/-, 2004/27th, 2005/19th, 2006/56th, 2007/18th,
Special
 2004 SL/9th, GS/23rd. 2005 SL/8th, GS/15th, 2006 SL/28th, GS/25th. 2007 SL/5th, GS/10th.
07/08シーズン: 種目別 SL. 優勝
Overall World Cup Position
 03/04: 27th. 04/05: 19th. 05/06: 56th. 06/07: 18th. 07/08: 4th. 08/09: 17th. 09/10: 14位. 10/11: 19位.
Olympic Games Results
 Vancouver 2010 SL: 7位.
透明スペーサー
マヌエラ・メルグ(MOELGG Manuele (ITA))
 1歳違いの妹だが、オリンピックは二度出場。
1983年8月28日 Brunico (Bz) 生まれ、St.Vigilio di Marebbe(BZ) 在住
Overall World Cup Position
 02/03: 57th. 03/04: 59th. 04/05: 35th. 05/06: 39th. 06/07: 23th. 07/08: 18th. 08/09: 15th. 09/10: 22位. 10/11: 22位.
 表彰台にはGS 8回、 SL 2回(2011/4現在)と、兄と同じく技術系(スラロームと大回転)のスペシャリストである。
 '11シーズン現在も、SL 3位を2試合、10位以内6試合と大活躍しています。
Olympic Games
 2006.2 Torino. SL/19th.
 Vancouver 2010 SL: 11位.

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透明スペーサー
いろいろ珍しいモゴーレ双子姉妹(1963年4月27日 POL生まれ→FRA))
 ドロータとマルゴルザッタ双子姉妹は、ポーランドを代表するアルペンレーサーだった。二人は、1985年に仏チームのコーチ、モゴーレ兄弟と結婚。フランス人になり、'86からは仏チームの一員としてワールドカップを転戦した。双子姉妹、結婚相手が兄弟、それに伴いフランスのナショナルチームへ、などいろいろ珍しいケースである。
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ドロータ・モゴーレ(TLALKA-MOGORE Dorota (POL→FRA))
 World Championships、1982 Schladming SL/4thなど
 Olympic Games  1988 Calgary SL/8位
 ワールドカップ1勝。
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マルゴルザッタ・モゴーレ(TLALKA-MOGORE Malgolzata (POL→FRA) 1989年・引退 )
 ワールドカップ2位3回、3位5回、4位2回、
 Olympic Games 1984 Sarajevo SL/6位

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  ▼ や 行
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ヤニック兄妹(カナダ・ウィスラー出身)
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マイケル・ヤニック(兄 Michael Janyk 22,03,1982 180cm / 85kg)
 世界選手権
  2005 Bormio. SL/11位
  2007 Are. SL/6位、 SC/2位
 オリンピック 2006 第20回トリノ(ITA) SL/17位
 World Cup Beaver Creek 07, SL: 2位
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ブリット・ヤニック(妹 JANYK Britt 21.05.1980 )
 1996年、ナショナルチーム入り。
 FIS ALPINE WORLD SKI CHAMPIONSHIPS - Are 2007女子スーパーG4位。
 『私は、現在、通信でいくつかの大学コースを取っていて、今はスキーは大切で、でも私のスキーを終わっているとき学位を取るのを楽しみにしています。 これまで、私は、ベルリッツLanguage学校を通って3つの大学コース、ドイツの言語コースを完成して、デールカーネギートレーニングコースを取りました』、と。(美人の上に、賢そうです)

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透明スペーサー
へルベルト・ユ―エン、カール・ユーエン兄弟(オーストリア)
 かつて国立オーストリアスキー学校のクルッケンハウザー教授の片腕としてチーフコーチ。昭和400年に来日し、我が国にバインシュピール技術を披露し、普及への礎となった。
 その後はチロルのランデックでスキー学校や山小屋の経営。
 平成8年?、植木 毅さんの招聘で来日、スキー指導。
 平成14年度 「オーストリアスキー教室 コーエン兄弟を迎えて」という16o映画が製作された?

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吉田双子?兄弟(北海道 アルペンスキー)
 吉田さん兄弟もそっくり、なので双子?兄弟と想像しました。
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吉田智与士(ちよし)
 アルペン競技の世界から来て、SAJ第7回デモンストレーター選考会4位。
 第9回 1972年デモンストレーター選考会では3位。
 フランススキーに造詣が深い。
 SIAに移り、長い間、赤倉ヨーデルスキー学校長を勤め、2000年初期に引退。
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吉田**(北海道 アルペンスキー)
 お名前も不明ですが、選手引退後は北海道で女子高校の先生をしながら、
 スキー指導活動を続けられていたように記憶?

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  ▼ ら・わ 行
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ラフォルグ姉妹(フランス'70年代)
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イングリット・ラフォルグ( LAFFORGUE Ingrid 05/11/1948)
 ワールドカップ 通算 4勝(内 1 GS, 3 SL)
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ブリギッテ・ラフォルグ( LAFFORGUE, Brigitte 05/11/1948)
 オリンピック 1972 Sapporo GS/8位
 ワールドカップ 通算 7勝(内 2 GS, 5 SL)
 フランスは、'70、'71年及び'72年のネーションズカップを獲得した。
 ラフォルグ姉妹も、この時代の主力選手だった。
 ところが1973年12月9日、バルディゼール(FRA)において、パトリック・ルッセル、ラフォルグ姉妹ほか多数のフランス有力選手が、監督ジュベールから一生涯レース出場を禁止された。
 (なお'91年2月、プレオリンピックのバルディゼールで、フランススキー連盟はこのとき追放になった全レーサーを招待して連盟の非を認め、彼らの復権を発表した。)

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姉マリアは歴代11位のリーシュ姉妹(ドイツ '14年現役レーサー)
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マリア・ヘッフル・リーシュ(Maria Hoefl-Riesch GER)姉
 November 24, 1984 (1984-11-24) 生まれ
ワールドカップ デビュー February 2001
 2010年2月、第21回バンクーバー五輪アルペンスキー女子回転、女子複合の2種目に優勝
 2013/12/06 Lake Louise CAN Downhill Maria Riesch Hoefl GER
 2013/12/07 Lake Louise CAN Downhill Maria Riesch Hoefl GER
 '14シーズンのDownhillの2戦目Lake Louiseからは 2連勝。'14シーズンのDownhill 9試合の内、3勝をして、滑降の種目別優勝を果した。
 ダウンヒル、スラローム、スーパーG、コンバインドで計27勝という、オールラウンダーである。
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 しかし、
 '14はケガに悩まされた29歳ヘッフル・リーシュ。スイスのレンツェルハイド(Lenzerheide)で行われたW杯女子滑降の最終戦で転倒し、引退を決めた。偉大なスキーヤーが一人引退した。
 W杯総合優勝は10/11シーズンに一度あり、2位が、 08/09、09/10:、12/13、13/14の4度ある。
Alpine Ski World Cup Victories
 DH GS SL SG K PR TOT
 11 --- 9 3 4 --- 計27勝
 この通算27勝という数字は、歴代女子11位という素晴らしい成績である。(2014/07/13現在)。
Riesch Hoefl Olympic Games Results
 Vancouver 2010 DH: 8. GS: 10. K: 1. SG: 8. SL: 1.
 Sochi 2014 DH: 13. K: 1. SG: 2. SL: 4.
 五輪通算3個の金メダル。
Maria Riesch Hoefl Overall World Cup Position
  00/01: 109. 01/02: 96. 02/03: 32. 03/04: 3. 04/05: 43. 05/06: 69. 06/07: 14. 07/08: 3. 08/09: 2. 09/10: 2. 10/11: 1. 11/12: 3. 12/13: 2. 13/14: 2.
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スザンヌ・リーシュ( Susanne Riesch)妹
 生年月日 1987年12月8日生まれ
 今季'10に入って実力を開花している、ブレイク中の回転のスペシャリスト。
 2010年2月、姉のマリアが優勝した第21回バンクーバー五輪アルペンスキー女子回転。2本目は残念ながらDNFながら、1本目は妹スザンヌが4位だった。本物の実力者である。
スキー選手 世界選手権 ドイツ代表 (2007年、2009年)
ワールドカップ アルペン女子 回転 3位 2009年12月13日
ワールドカップ アルペン女子 回転 3位 2010年1月3日
 しかし2011.9に滑降の練習中に、大腿骨の骨折。2シーズンくらいはWCに出ていない? '14シーズンには間違いなく復活している。

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 このページを作るに当たっていろいろ人や、事件や事象を思い出しながらメモを起こし、インターネットで詳細を調べていくと、最終的に8割近くが友人の木村カメラマンのサイトに至ってしまいました。
 感服し、このようなサイトを作られ、しかも無償で公開されていることに心から敬意を表します。
 競技関係のそれもワールドカップ中心のレース、選手、記録、事件、エピソードについては、もの凄い量のデーターベースです。他に並ぶものはありません。
 私もジャンルをスキー全般として、主に歴史データーベース造りを目指していますが、とてもとても木村さんのサイトとは比べものになりません。
 ぜひぜひ皆さんにも、このサイト訪問を強くお勧め致します。
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KiPO PRESS名  現在は閉鎖サイト ski-and-ski/ 【SKI & SKI】 相互リンク
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/History/Hist1.htm アルペンスキー・ワールドカップの歴史 (SKI & SKI)などもあります。
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/ski.htm KiPO PRESS  (友人、木村之与(Shiyo Kimura)カメラマンの2つのホームページ)

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 カメラマン木村之与さんのHPには、数少なく貴重な、ワールドカップの資料、データー、リザルトも多数あります。ところが現在は閉鎖サイトに成っているので、日本のスキー界にとっても、貴重な資料の喪失です。(2014/04/18)

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 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/History/Hist1.htm アルペンスキー・ワールドカップの歴史 誕生物語
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/History/Hist2.htm アルペンスキー・ワールドカップの歴史 ナポレオンとギロチン (KiPO PRESS)
 1960〜1973(オノレ・ボネ監督〜ジョルジュ・ジュベール監督)のフランス・アルペンスキーチーム、天国から地獄時代10年間の詳細。
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Allresult/WCup_All_Result.htm FIS Alpine Ski World Cup アルペンスキー・ワールドカップAll Result 1967-2002 
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Allresult/Resurt.htm FIS Alpine Ski World Cup アルペンスキー・ワールドカップAll Result 1997/1998以降 
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Allresult/WM_Medalist.htm FIS World Alpine Ski Championships アルペンスキー世界選手権 1931(Murren)以降のリザルト 
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Allresult/WinnigRanking.htm World Cup Winning Ranking / ワールドカップ勝利数ランキング 
 男女別の個人勝利数の成績です。

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このページの新設日 : 1999/07/25.
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