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ギネスレコード?的なスキーの記録集  正式でない記録も含む (2010/ 6/12 リニューアル)

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ギネスレコード?的なスキーの記録集(正式でない記録も含む)
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 獲得メダル数


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 スキー場、コース、ゲレンデ外


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 年齢(最年長 最年少記録)


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 スピード、距離


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 その他




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 ギネスブックとか、ギネス記録という言葉は年中耳にしますが、実際の記録集がどんな本なのかを知りませんでした。また、このギネスブックを開けば、簡単に各ジャンルの世界記録が分かるものだろう、と想像していました。
 ところが何冊かの『ギネス世界記録』を調べてみましたが、年度によって取り上げ方が異なっています。楽しく読ませるため、また本を売るためもあり、純粋な数字だけの記録集ではなく、写真を入れた読み物になっています。掲載されている項目数も多くなく、ことスキーに関してはひじょうに少ないです。
 ということで、いろいろデーターを集め、このページを作りました。
2010.2.20 HP管理人
ギネスレコード?的なスキーの記録集
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▼ 獲得メダル数

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ラッセ・チュース、世界選手権で全レースで金銀のメダルを獲得
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 ラッセ・チュース(またはシュース)(KJUS Lasse 1971年1月14日 (NOR)生まれ)
 '99年のヴェイル世界選手権では金メダル2個の他に、滑降、回転、コンビで銀メダルと全てのレースで金銀のメダルを獲得。
 これはもちろんアルペンの歴史の中での新記録である。
 2006シーズン終了後引退を表明し、16年間のワールドカップ生活を閉じた。35歳である。
 16年間のワールドカップ生活では、先天性喘息の発作におびえながらの闘いでもあった。

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パーション 世界選手権の史上初の5種目制覇
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 アニア・パーション(PAERSON Anja スエーデン) 1981年4月25日 Taernaby(SWE)生まれ
 (2001の St.Anton, SL/ 1st、2003の St.Moritz, GS/1st)
 2007年2月、自国のオーレで開催されたアルペン世界選手権では滑降、スーパーG、スーパー・コンビの3種目で金メダル、回転で銅メダルを獲得した。これで世界選手権では全種目で金メダルを獲得したことになる。

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五輪ほかメダル獲得数ランキング・男女
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 注:これはWCではなく、世界選手権+五輪のようですが、原文がドイツ語なのでよく分かりません。
 「Die erfolgreichsten WM & Olympia-Teilnehmer:」(歴史の概要・アルペンスキー世界選手権 (ワールドカップ)と 冬季オリンピック【ドイツ語】)が出典ですが、1年後の2010/02にはリンク切れになっていました。
世界で最も成功した世界選手権とオリンピック参加者: 男子
 1位 Toni Sailer (AUT) 7G 1S 0B 8 Gesamt  (Gesamt=英語のtotal、 G=GS S=SL B=DH ?)
 2位 Kjetil-Andre Aamodt (NOR) 6G 4S 3B 13 Gesamt
 3位 Jean-Claude Killy (FRA) 6G 0S 0B 6 Gesamt
 4位 Hermann Maier (AUT) 5G 3S 2B 10 Gesamt (noch aktiv)
 5位 Gustav Thoni (ITA) 5G 2S 0B 7 Gesamt
 6位 Ingemar Stenmark (SWE) 5G 1S 1B 7 Gesamt
 7位 Alberto Tomba (ITA) 5G 0S 2B 7 Gesamt
 8位 Marc Girardelli (LUX) 4G 6S 3B 13 Gesamt
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世界で最も成功した世界選手権とオリンピック参加者: 女子
 1位 Christl Cranz (GER) 13G 3S 0B 16 Gesamt  (Gesamt=英語のtotal、 G=GS S=SL B=DH ?)
 2位 Janica Kostelic (CRO) 9G 2S 0B 11 Gesamt (noch aktiv)
 3位 Anja Paerson (SWE) 8G 2S 4B 14 Gesamt (noch aktiv)
 4位 Marielle Goitschel (FRA) 7G 4S 0B 11 Gesamt
 5位 Vreni Schneider (SUI) 6G 3S 2B 11 Gesamt
 6位 Erika Hess (SUI) 6G 0S 1B 7 Gesamt
 7位 Hanni Wenzel (LIE) 4G 3S 2B 9 Gesamt
 8位 Katja Seizinger (GER) 4G 3S 2B 9 Gesamt
 9位 Annemarie Moser-Proll (AUT) 4G 2S 2B 8 Gesamt
 10位 Pernilla Wiberg (SWE) 4G 1S 1B 6 Gesamt

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男子アルペンスキーのオリンピック最多メダル獲得 (ギネス記録)
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 オリンピックでの男子選手のメダル獲得最多記録は7個で、チェティル・アンドレ・オーモット(ノルウェー)が達成した。オーモットは3個という最多金メダル獲得記録に加え、2個の銀メダル(1994年の滑降とアルペン複合)、2個の銅メダル(1992年の大回転と1994年のスーパー大回転)を獲得している。(ギネス記録)

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女子アルペンスキーのオリンピック最多金メダル獲得 (ギネス記録)
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 4人の女子選手がオリンピックで最多の3個の金メダルを獲得している。
 フレニ・シュナイダー(スイス、写真)が1988年に大回転、1988年と1994年に回転で獲得。
 カーチャ・サイツィンガー(ドイツ)が1994年と1998年に滑降、1998年に複合で獲得。
 デボラ・コンパニョーニ(イタリア)が1992年にスーパー大回転、1994年と1998年に大回転で獲得、
 ヤニツァ・コステリッツ(クロアチア)が2002年に複合、大回転、回転で獲得した。(ギネス記録)

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オリンピックでの男子アルペンスキー最多金メダル獲得は3個だ (ギネス記録)
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 オリンピックでの男子選手による最多金メダル獲得記録は3個だ。
 アントン・ザイラー(通称トニー、オーストリア)が1956年の滑降、回転、大回転で、
 ジャン=クロード・キリー(フランス)が1968年の滑降、回転、大回転で、
 アルベルト・トンバ(イタリア)が1988年の回転、大回転と1992年の大回転で、
 チェティル・アンドレ・オーモット(ノルウェー)が1992年と2002年のスーパー大回転と2002年の複合競技で金メダルを勝ちとった。(ギネス記録)

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オリンピックでの女子アルペンスキー最多メダル獲得は5個 (ギネス記録)
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 女子選手のオリンピック最多メダ得記録は5個で、2人の選手が保持している。
 フレニ・シュナイダー(スイス)は、3個の最多金メダル獲得記録に加え、1994年のアルペン複合で銀メダル、1994年の大回転で銅メダルを勝ちとった。
 また、カーチャ・サイツィンガー(ドイツ)は3個の金メダルに加え、1992年と1998年のスーパー大回転で銅メダルを勝ちとった。(ギネス記録)

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アルペン・ネーションズカップ最多獲得 (ギネス記録)
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 ネーションズカップは、ワールドカップで男女の複合成績がトップとなった国に与えられる。
 オーストリアは、1969年・1973〜1980年・1982年・1990〜2001年の計22回、アルペンスキーのネーションズ力ップを獲得した。(ギネス記録)

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フリースタイルスキーの世界選手権最多優勝・男女 (ギネス記録)
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 スキーの第1回ワールドカップは1986年にフランスのティーニュで開催され、フリースタイルスキーの種目はバレエ、モーグル、エアリアル、複合の4種類だった。
 エドガー・グロスピロン(フランス)は、1989年と1991年にモーグル、1995年にエアリアルで3回優勝した記録をもつ。
 女子選手でもっとも多く優勝したのはキャンディス・ジルグ(フランス)で、1993年・1995年・1997年に3回という記録を達成した。(ギネス記録)

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フリースタイルスキーのワールドカップ最多優勝・男女 (ギネス記録)
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 ワールドカップのフリースタイルスキーで、もっとも多く優勝した女子選手はコニー・キスリング(スイス)で、1983〜1992年に10回の優勝を記録した。
 また、男子選手の最多優勝記録は5回で、エリック・ラブーレ(フランス)が1986〜1988年・1990〜1991年に記録した。(ギネス記録)

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里谷、日本女子で冬のオリンピック初の金メダル
里谷、日本女子で冬のオリンピック初の2つ目のメダル獲得
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 里谷(さとや)多英は、小学校5年生でモーグルを始める。全日本選手権には、1989年度大会に6年生で優勝。中学校1年の1990年度大会は2位、その後1991年度から6連覇を達成した。1994年、リレハンメルオリンピック11位。  1998年の第18回長野オリンピック、モーグル女子種目では、里谷多英が優勝、金メダルを獲得した。これは日本女子選手が冬のオリンピックで初めて獲得した金メダルとなった。
 2002年のソルトレイクシティオリンピックで、冬季オリンピック3大会連続出場、2大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得した。冬季オリンピックで日本女子選手が2つ目のメダルを獲得したのは史上初であった

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オリンピックのバイアスロンのメダル最多獲得・男女 (ギネス記録)
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 ウシィ・ディシュル(ドイツ)は、冬季オリンピックのバイアスロン(ライフル射撃とスキーの距離競技とを組みあわせた種目)で、1994〜2002年に金メダル2個、銀メダル4個、銅メダル2個、合計8個のメダルを獲得した。
 また、男子選手の記録は7個だ。リッコ・グロス(ドイツ)が、1992〜2002年に金メダル3個、銀メダル3個、銅メダル1個を獲得した。(ギネス記録)

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オリンピックでのノルディックスキー最多金メダル獲得・男女 (ギネス記録)
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 オリンピックでの男子ノルディックスキー最多金メダル獲得記録は、ビョルン・ダーリ(ノルウェー)の8個だ。1992年に15km、50km、4×10kmリレーで、1994年に10kmと15kmで、1998年に10km、50km、4×10kmリレーで金メダルを勝ちとった。(ギネス記録)
◇女子の記録保持者はリューボフ・エゴロワ(ロシア)で、
 1992年の10km、15km、4×5kmリレーと、1994年の5km、10km、4×5kmリレーで計6個の金メダルを獲得。(ギネス記録)

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オリンピックでのノルディック複合最多金メダル獲得、3個 (ギネス記録)
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 ウルリッヒ・ウェーリンク(ドイツ)は、1972年・1976年・1980年に個人種目で3個のオリンピック金メダルを獲得した。
 また、サンパー・ラユネン(フィンランド)も、2002年に個人種目、スプリント、リレーで優勝し、3個の金メダルを獲得している。ラユネンは、1998年に個人種目とリレーで銀メダルを獲得し、計5個のオリンピックメダルを勝ちとった最多記録の保持者でもある。(ギネス記録)

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スキージャンプの世界選手権最多優勝、5回 ビルガー・ルート(ノルウェー) (ギネス記録)
アルペンとノルディック異種目でオリンピック優勝を果たした唯一の選手
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 ビルガー・ルート(ノルウェー)は、ノルディックスキーの世界選手権で、スキージャンプのタイトルを1931年・1932年・1935〜1937年に5回勝ちとった。
 ルートは、アルペンとノルディックという異なる種目でオリンピック優勝を果たした唯一の選手でもある。 1936年、ルートはスキージャンプとアルペンスキーの滑降で優勝した。当時はこの2種目は別の競技ではなく、複合競技としておこなわれていた。(ギネス記録)

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2010年2月21日、シモン・アマン、ジャンプ個人種目で史上初4つめの金メダル
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 第21回バンクーバー冬季五輪第9日は日本時間2010年2月21日、ノルディックスキー・ジャンプのラージヒルを行い、葛西紀明は8位に入賞した。日本勢は1992年第16回アルベールビル五輪からこの種目で6大会連続の入賞。伊東大貴は20位。
 ノーマルヒルを制したシモン・アマン(スイス)が、ラージヒルも優勝。ソルトレークシティー五輪以来、2大会ぶりの個人2冠を達成。ジャンプの個人種目で最多の通算4個目の金メダルを獲得した。
 シモン・アマン(Simon Ammann、スイス 1981年6月25日生まれ)

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スノーボード・ワールドカップでのKarineRuby最多優勝16回 (ギネス記録)
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 スノーボード・ワールドカップでの最多優勝記録は、カリーヌ・ルビー(Karine Ruby 女性 フランス)による16回だ。
 彼女は、1996〜1998年・2001年・2002年のワールドカップ総合、1996〜1998年・2002年の回転とパラレル回転、1995〜1998年・2001年の大回転、1997年・2001年のスノーボードクロスで、それぞれ優勝をかざった。
 スノーボードのワールドカップがはじまったのは1995年のことだ。その翌年には、世界選手権が正式におこなわれるようになった。(ギネス記録)
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◇2009年5月29日、カリーヌ・ルビーはモンブランの氷河で死亡。原因は、氷河のクレバス(割れ目)を飛び越えようとして、落ちてしまったこと。または、モンブランでのガイドの途中で氷河に落ちたらしい、と。

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スノーボード・ワールドカップでの男子最多優勝、6回 (ギネス記録)
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 ワールドカップでの男子の最多優勝記録は、マシュー・ボゼット(フランス)による6回だ。
 1999年と2000年のワールドカップ総合、1999と2002年の回転とパラレル回転で優勝を決めた。(ギネス記録)

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世界スノーボード界で最も輝かしい成績を誇る男
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 ペトラ・ミュシッヒ(Petra Mussig)
 ドイツ・スノーボード連盟の常任講師をつとめ、ヨーロッパスノーボードのパイオニア。ワールドカップで3回優勝、スノーボード全種目でも13回総合優勝した記録を持つ。現在でも世界スノーボード界で最も輝かしい成績を誇るスノーボーダーである

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オリンピックでのスノーボード最多メダル獲得、2個 (ギネス記録)
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 冬季オリンピックでスノーボード競技がとりいれられたのは1998年のこと。
 以来もっとも多くのメダルを獲得したのはロス・パワーズ(アメリカ)で、記録は2個だ。ハーフパイプで1998年に銅メダル、2002年に金メダルを獲得した。
 また、カリーヌ・ルビー(フランス)も、パラレル大回転で1998年に金メダル、2002年に銀メダルを獲得している。(ギネス記録)

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スキーのオリエンテーリング世界選手権の団体最多優勝・男女 (ギネス記録)
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 スキーのオリエンテーリング世界選手権において、フィンランドは女子リレーの部で、1975年・1977年・1980年・1988年・1990年・1998年・2000年・2004年の8回優勝した。
 男子リレーの部でもっとも多く優勝しているのはスウェーデンで、1977年・1980年・1982年・1984年・1990年・1996年の6回を記録している。
 また、ビダル・ベンジャミンセン(ノルウェー)は、4個の金メダル(個人で2個、団体で2個)をふくむ15個という記録的な数のメダルを獲得した。(ギネス記録)

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三浦雄一郎氏の記録 世界最高度スキー滑走/ 世界最高峰で最高年齢登頂 二冠王
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 1964年イタリア・キロメーターランセに、日本人として初めて参加。残念ながら大会中に更新されてしまったが、一度は時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。
■1) 1970年 世界最高度スキー滑走 (8000M)
1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ
■2) 2003年 世界最高峰 (8848M) 最高年齢登頂
2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、世界最高年齢登頂記録(70歳)樹立
1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。

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史上初のオリンピック三冠王トニー・ザイラー(Toni SAILER)
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 スラロームからダウンヒルまですべての種目をこなし、1956年(昭和31年)に行なわれた第7回冬季オリンピック(コルチナ・ダンペッツォ五輪)で史上初の三冠王に輝いた。
 また、世界で最も成功した世界選手権とオリンピック参加者: 男子の第一位がToni Sailer (AUT)で、 7G 1S 0B 8 Gesamt
 ちなみにオリンピックで二番目の三冠王に輝いたのは、1968年グルノーブル(FRA)オリンピックのジャン・クロード・キリー(KILLY Jean-Claude (FRA)フランス)である。
 もう一つオマケとして、1956年のコルチナ・ダンペッツォ(ITA)での男子スラローム。優勝トニー・ザイラー(AUT)に次ぐ銀メダルは、猪谷千春さん。日本人として初のメダリストである。

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数々の世界記録を持つ天才スラローマー、インゲマル・ステンマルク(Ingemar STENMARK)
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 ワールドカップ86勝。1973/74シーズンのデビュー以来、ワールドカップではSLで40勝、GSで46勝をあげ、86回という通算勝利数はもう誰も破ることはできないといわれる大記録。
 技術系のスペシャリストながら、ワールドカップ総合優勝も3回記録。
 ギネスブックに記載されているステンマルクの記録。ワ―ルドカップ通算86勝(回転40勝、大回転46勝)、さらに2、3位の表彰台は66回。オリンピック金メダル2、世界選手権金メダル3。出場したレース数は268回(これには彼の意志ではないただ1回の滑降と7回のスーパーGを含む)で表彰台の確率57パーセント。
 いまだにレコードの2位とのタイム差は、1979年ヤスナ(チェコスロバキア・当時)の大回転でボヤン・クリジャイ(JUG)に4秒06、1982年キッツビューエル(AUT)の回転でフィル・メーア(USA)に3秒16。
 さらに78/79シーズンは、全10戦あった大回転に全勝。
 78年3月、スイスのアローザから80年1月、スイスのアーデルボーデンまでの大回転に14連勝という連勝記録を作った。これに80年2月、第13回レークプラシッド(USA)オリンピックの大回転優勝を含めるとなんと15連勝という偉業を成し遂げたのである。
 参照・引用元
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/Biography/Bio-M_Stenmark-1.htm STENMARK Ingemar (SWE)  (写真家・木村之与さんのski-and-ski)より

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マイアーがアルペンスキーWCで通算50勝目、歴代2位
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 2005年3月、ノルウェーのクヴィットフィエルで開催されたアルペンスキーワールドカップ。ヘルマン・マイアー((Hermann Maier, 1972年12月7日 - オーストリー)は5日の男子滑降、6日の男子スーパーGに連勝し、通算50勝を達成した。マイアーはアルペンスキーワールドカップ通算優勝回数で、歴代1位のステンマルク(スウェーデン)通算86勝に次ぐ2位のトンバ(イタリア)の記録に並んだ。
 その後勝利を重ね、'09シーズンにも最後の1勝。'09春終了時点ではMAIER, Hermann(AUT)は54勝 ( 15 24 14 - 1 - )で、単独2位になっている。
透明スペーサー
 ちなみにマイアーの絶頂期は'99/00シーズン。彼の行く前には敵は無し、であった。
 '99/00シーズンには10勝して、Slalomを除く、Overall、Downhill、Giant Slalom、SuperGの4つ全てシーズン優勝を果たした。これが初めての記録かどうかは分からないが、滅多にない大記録であることは間違いない。
 このシーズンに獲得したワールドカップ・ポイント2,000点は、新記録。また4個のクリスタルカップは、ジャン・クロード・キリー(FRA)と並ぶタイ記録。
◇ さらに翌2000/2001シーズンは12勝をあげ、前年に続き総合、滑降、スーパーG、大回転の4冠を達成した。

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ミスター・ハーネンカムKLAMMER Franz (AUT)
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 ダウンヒルではフランツ・クラマー(AUT)。クラマーは'75年から'77年まで3年間、ハーネンカムでの連勝優勝の偉業を成し遂げ、7年後の'84年にこのコース4勝目を上げた。ハーネンカム(Hahnenkamm)のダウンヒル最多優勝記録である。
 ハーネンカムの滑降コースには「シュトライフ(すじ)」という名が付いているが、これは極めて危険な「すじ」である。スタート地点が標高1660m、ゴールが800m、全長3510m、標高差860m。全体に急斜面が多く、世界でもっともテクニカルで難しい滑降コースと言われている。

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ギネスレコード?的なスキーの記録集

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▼ スキー場、コース、ゲレンデ外

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クラシックレース ウエンゲン(Wengen SUI) 滑降では約150km/hも
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 上部の緩斜面では80km/h、それがトンネルを抜けて急斜面入ると150km/h弱。
 08WCで優勝したBode Miller(USA)も148km/hほど。30位以下でも145km/hは出している選手も大勢いたように?記憶しているが、不確か。
 但しこの瞬間スピードが、滑降レースでの世界最速のコースかどうかは不明である。

◇ ウェンゲンのクラシック「ラウバーホルン」滑降レース。
「ラウバーホルン」滑降レース。FIS公認コースとしては世界一長い滑降コースで、全長4,260m(〜4,455m)、標高差1,012m(〜1,028m)。
 1969年にカール・シュランツ(AUT)は3分01秒60を記録。これはジャンクロード・キリー(FRA)の成績を5秒16破るコースレコードだった。
 6年後の1975年フランツ・クラマー(AUT)は、それまでのカール・シュランツの持つ記録を一気に26秒41も短縮し2分35秒19のコースレコードで優勝。しかも2位のヘルベルト・プランク(ITA)に3秒54という大差。

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クラシックレース ウエンゲン(Wengen SUI) 滑降では2分半も
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 例えば'10シーズン Wengen(SUI)での滑降優勝者は、JANKA Carlo(SUI) 2:32.23。'10 Kitzbuhel(AUT)での滑降優勝者はCUCHE Didier(SUI) 1:53.74 。'10 Bormio(ITA)での滑降優勝者は、JERMAN Andrej(SLO) 2:00.32。
 このように他の滑降レースでは1分50秒から2分のタイムに対し、ウエンゲンは2分30秒ほどかかっている。この30秒長く滑ることがたいへんにハードで、選手は足はメロメロ、頭は真っ白になるほどの地獄の30秒間のようである。

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ハーネンカム滑降のコースレコードは1分51秒58
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 ハーネンカム(Hahnenkamm)の滑降コースには「シュトライフ(すじ)」という名が付いているが、これは極めて危険な「すじ」である。
 スタート地点が標高1660m、ゴールが800m、全長3510m、標高差860m。全体に急斜面が多く、世界でもっともテクニカルで難しい滑降コースと言われている。コースレコードは1997年にフリッツ・ストローブル(AUT)が出した1分51秒58である。(ski-and-ski.com)

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最長滑降スキーレース21.98 km(13.66 miles!)
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 スキーヤー達は Das Weise Ringにゴールする
 Das Rennen(オーストリア)、最長のダウンヒルスキーレースは信じられないほどの 21.98キロ以上(13.66マイル! )
  • Longest downhill ski race(http://community.guinnessworldrecords.com/)(リンク切れ2015/02/13)
◇原文
Skiers finish Das Weise Ring - Das Rennen the longest downhill ski race in Austria, an incredible 21.98 km or 13.66 miles!
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 (注:この記録は、2010年1月30日に開催され以下のレースで破られたようです。)

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新・最長滑降スキーレース25.6 km(15.91 miles!)
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最長のダウンヒルスキー競技は、Nassfeld Hermagor(オーストリア)の自治体が主催する、毎年恒例の「Schlag das ASSinger」で、25.6キロ(15.91マイル)です。
レースはGartenkofelから始まり、ゴールはオーストリアのTropolach。2010年1月30日に開催されました
勝者は:男性:アーミンとローランドAssinger(オーストリア)50分14.66秒、女性:ダニエラ・ミュラー(オーストリア)53分19.76秒、
チームの部:Team Berghex 3時間27.31秒、
コースはGartenkofelリフト・山の駅からスタートし、(中略)、 - Tropolachの中の基地局ミレニアムエクスプレスでフィニッシュ。
  • 「Longest downhill race (Skiing) | Guinness World Records(リンク切れ 2019/12)」(http://www.guinnessworldrecords.com/)
◇原文
 Longest downhill race (Skiing)
The longest downhill skiing race is 25.6 km (15.91 miles) at the annual "Schlag das ASSinger" organised by the municipality of Nassfeld Hermagor (Austria). The race starts at Gartenkofel and finishes Tropolach, Austria and was held on 30 January 2010. The winners were: Male: Armin and Roland Assinger (both Austria) 50 minutes 14.66 seconds Female: Daniela Muller (Austria) 53 minutes 19.76 seconds Team: Team Berghex 3 hours 27.31 seconds The track started at the mountain station Gartenkofel chair - slope Garnitzenalm - ascend La Perla - slope Kronenabfahrt - ascend La Prima - slope La Prima/FIS - ascent FIS chair lift - ascent Troglbahn chair lift - skating track to the mountain station Sonnleitn - slope Kammabfahrt - ascent Warm Up - slope Scheibeboden - ascent Rudnigsattel - slope Sattel and Schnittlauchkofel - ascent Zweikofel - slope Carina - finish at base station Millennium Express in Tropolach.

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大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコード145.0m
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 札幌は1980年から毎年スキージャンプのWカップが開かれている。日本国内の大会も含めると、ジャンプ大会の開催数は、札幌が世界最多の街だという。
  • 北海道のスキージャンプはそのまま世界のジャンプ (http://www.city.sapporo.jp/)リンク切れ(2014/04/24)
 大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコードは、2002年の大会で原田雅彦選手が出した141.0メートルである。
※現在のバッケンレコードは、2005年3月に第6回伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会で、金子祐介選手が145.0mを出した。

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北米最大!スキー場、ウィスラー&ブラッコム
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 標高差1500m、最長滑走距離11kmのビッグゲレンデ、ウィスラー&ブラッコム。

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世界一 旭川冬まつりの大雪像(旭川市)高さ30.29メートル
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 雪と氷とあかりの芸術が観る者を幻想的な世界に誘う「旭川冬まつり」。中でも世界最大級の雪像は有名ですが、平成6年(1994年)のメイン雪像、韓国の「水原城」は容積10万3591.8立方メートル、高さ30.29メートルでギネスブックに登載されています。

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最低気温の記録(気象官署)日本一 旭川市マイナス41.0度
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 ダイヤモンドダストが輝く時、それは風のない一段としばれる朝。旭川には富士山頂の記録よりも低い氷点下41.0度の記録があります。明治35年(1902年)1月25日・上川測候所(現旭川地方気象台)記録。
 順位表は同一地点の複数記載はされていないが、旭川市は2位よりも上位に入る低温(-38.2℃未満)を、-41.0℃を含めて6回観測している。
◇最低気温の下位記録
順位 気温 観測地点 起日
 1位 -41.0℃ 北海道 旭川市  1902年1月25日
 2位 -38.2℃ 北海道 帯広市  1902年1月26日
 3位 -38.1℃ 北海道 旭川市 江丹別  1978年2月17日
 4位 -38.0℃ 富士山頂  1981年2月27日
 5位 -37.9℃ 北海道 枝幸町 歌登  1978年2月17日

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雪の降る日数・年間143.8日 旭川市
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 年間143.8日(30年間平均)降るので、辺りは一面の銀世界。平成11年と13年2月のFISワールドカップスノーボード旭川大会では、雪質と気候の良さ、大きな都市のすぐそばにゲレンデがあるという、旭川のすばらしさが世界に広がりました。
 但しこの年間降雪日数が、日本一かどうかは不明である。

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日本一の積雪量は長野県栄村、観測史上最高の7m85cm
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 長野県栄村には、日本一の積雪量を示す標柱が建てられている。
 栄村は日本有数の豪雪地として知られていますが、年間の平均積雪量は3m。記録では昭和20年2月12日に観測史上最高の7m85cmを記録しています。観測地点であったJR飯山線森宮野原駅構内には、当時の積雪と同じ高さの標柱が立てられています。

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一日の降雪量、伊吹山で2m30cm
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<日本一深い積雪>
●気象観測所の記録 富山県上新川郡大山町(現富山市)真川 7m50cm(1945年2月26日)
●国鉄の記録 森宮野原駅(長野県下水内郡栄村) 7m85cm(1945年2月12日)
日本一の積雪量は長野県栄村、7m85cm
●山岳での記録 伊吹山測候所(伊吹山山頂)11m82cm(1927年2月14日)
●県庁所在地での記録 福井県福井市豊島 2m13cm(1963年1月31日)
<1日の最大降雪量(世界一)>
●1日最大降雪量世界一も伊吹山で、1975年1月14日に230cm!
●山岳以外の地域における、日最大降雪量世界一も、日本の新潟県中頸城郡関山村(現在の新潟県妙高市大字関山) 1946年1月17日に210cm!

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関西の伊吹山頂では世界記録11.82メートルの積雪
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 関西屈指の豪雪の里、伊吹。シーズン平均1.5メートル。伊吹山頂では世界記録の11.82メートル(昭和2年2月14日)も積もったことがあるという。
 測候所閉鎖(2001年3月)のため、これが最後の記録となりますが、これはギネスにも掲載されている世界記録でもある。

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雪のない南アフリカにもスキー場
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 南アフリカのドラケンスバーグの山々のその先に、「Tiffindellのリモート」のスキーリゾート。東ケープ州では、レソトとの国境にしています。 3000メートルの高度ですが、雪は多くありません。

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世界最長のゴンドラ5,481メートル「苗場・田代ゴンドラ」
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【 コクドは、新潟県湯沢町の苗場スキー場で、全長5,481メートルのゴンドラリフトを、2001年11月に設置する。苗場に近い田代、かぐらみつまた両スキー場を、約15分で移動でき、現段階では世界最長のリフトになる。
 新リフト「苗場・田代ゴンドラ」は、関連施設経費を合わせた総工費は40〜50億円ていど。
 定員8人のゴンドラを107機用意し、1時間当たり1,600人輸送できる。
 国内最長の栂池のゴンドラリフト(長野県4,121メートル)、世界最長のゴンドラオレール(フランス、4,942メートル)を上回る長さになる】
 以上【日経新聞2000年 7月 8日】版より

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ギネスレコード?的なスキーの記録集
横棒線

▼ 年齢(最年長 最年少記録)

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 42歳レジェンド葛西、2015年もジャンプ最年長記録を再更新
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 2015年3月15日、ノルウェーのオスロで行われたノルディックスキーのワールドカップ(W杯)個人第29戦(HS=134メートル)。
 レジェンドと称えられている葛西紀明(土屋ホーム)が2位に入った。表彰台に上がるのは今季6度目で、自身が持つ最年長記録を42歳9カ月(=282日)に更新した。
 まだしばらくは、記録更新を期待できるだろう。
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葛西 紀明 (かさい のりあき)
生年月日 1972.6.6
身長 176cm 体重59kg
出身地 北海道上川郡下川町
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 すぐ下にも、「スキージャンプの葛西紀明選手(41)は、ギネス世界記録の三冠王(ギネス記録2014)」の記事があります。
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 スキージャンプの葛西紀明選手(41)は、ギネス世界記録の三冠王(ギネス記録2014)
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 ノルディックスキージャンプ男子の葛西紀明選手(41)=土屋ホーム=は、ギネス世界記録の三冠王として認められ、札幌市内で2014年 4月01日認定証が贈られた。
*葛西紀明選手:1972年6月6日生れ
透明スペーサー
葛西選手が達成された記録:
記録名:冬季オリンピック最多出場/Most Winter Olympic appearances by an athlete
 1992年開催のアルベールビルから2014年第22回ソチ大会まで、合計7回の冬季五輪最多出場。
 本記録は、ルージュのアリベルト・デムチェンコ選手(ロシア)とのタイ記録。
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記録名:冬季オリンピック・スキージャンプ最年長メダリスト/Oldest ski jump medalist at a Winter Olympic Games
 2014年2月17日、第22回ソチ冬季オリツピック大会スキージャンプ団体において、41歳256日で銅メダル獲得。
透明スペーサー
記録名:スキージャンプ・ワールドカップ最年長優勝/Oldest Ski Jumping World Cup winner
 2014年1月11日、オーストリア、タウブリッツにて行われたスキージャンプ・ワールドカップにおいて、41歳219日で最年長優勝を果たした。
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 2014年2月9日、第22回ソチ冬季五輪ジャンプ男子個人ラージヒル、41歳8か月の表彰台は冬季五輪日本人最年長記録。
 冬季五輪の日本勢で史上最年長であるとともに、五輪のジャンプ史上でも、1948年のサンモリッツ五輪で銀メダルのルード(ノルウェー)の36歳168日を上回り、最年長となる歴史的なメダルを手にした。
1992年アルベールビルオリンピックから2014年第22回ソチオリンピックまでの計7回の冬季五輪最多出場記録、2014年1月11日に41歳219日で達成したワールドカップ最年長優勝記録、同年2月17日に41歳256日で達成した冬季オリンピック最年長メダリストの3つの記録がギネス世界記録に認定された。

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最年長のスノーボーダー 88歳 (日本語版ギネスブック2004)
透明スペーサー
 最年長のスノーボーダー 88歳 ジョージ・ブレア   アメリカ (日本語版ギネスブック2004)

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三浦 敬三さん、99歳でアルプスの大氷河を滑走
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 敬三さんがスキー滑走を挑んだ山は、モンブラン山系で最長の氷河とされるフランス・バレーブランシュ。2003年二月十九日、長男の雄一郎さん、孫の雄大さん(37)とともに、標高3842メートルの山頂付近からスタート。標高差約1900メートル、距離約20キロを数時間かけて滑り降りた。ゴールで、ひ孫の里緒ちゃん(3つ)の出迎えを受けた敬三さんは「みんなの協力を得て、無事に終わりました」と喜びの声を世界に伝えた。
透明スペーサー
 スキー界の巨星・三浦敬三さんは、2006/平成18年1月5日永眠。享年101歳。
 100歳までは現役スキーヤーとして活動。SIAでは名誉顧問。スキー用具、テクニックの研究家としてHP管理人(土方)の恩師であり、心から尊敬する純粋な方でした。

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金子裕之少年(12歳)、モンブラン(4807m)から滑降成功
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 昭和44年4月7日
 金子裕之(12歳・小学6年生)欧州最高峰モンブラン(4807m)から滑降成功、世界最年少記録。
 その後、競技スキーを経て基礎スキーに転じ、全日本スキー連盟デモンストレーターを6期つとめる。今もカリスマ的スキーヤーとして活躍しながら、若手の育成にも力を注いでいる。

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全7大陸でスキーした最年少者は10歳79日
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 7大陸すべてでスキーをした最も若い人は、ビクトリア・レ・ホワイト(Victoria Rae White アメリカ、1997年12月25日生まれ)。
 9歳88日でスイスのツェルマットで始まり、終わりの年齢は10歳79日で、米国コロラド州の Winter Park, 2008年3月16日です。

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1976年14歳デビュー、16歳で銅、19歳でGS種目別優勝マッキニー
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 タマラ・マッキニー(McKINNEY, Tamara 1962年10月16日生まれ 160cm 58kg  ※1991年引退 )

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1993年17歳でワールドカップ初勝利 レナーテ・ゲッチル(AUT)
透明スペーサー
 GOETSCHL Renate  1975年8月6日 Obdach(AUT)生まれ 身長 164cm 体重 60kg

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W杯1970〜勝者と入賞者の年齢と国籍・男女
 これによると、男子では優勝も、入賞も該当者無し。女子の優勝・16歳では複合、SGには勝利者はなく、他のDownhillでは1名、Giant Slalomでは5名、では名、Slalomでは7名の名前が載っています。
Youngest Winners - Downhill Racer Age Season
 Sylvia Eder AUT 【 16歳 ,05 months】 Badgastein 1981/82
Youngest Winners - Giant Slalom Racer Age Season
 Betsy Clifford CAN 【 16歳 ,05 months】 Gardena 1969/70
 Bernadette Zurbriggen SUI 【 16歳 ,07 months】 Anchorage 1972/73
 Patricia Emonet FRA 【 16歳 ,08 months】 Heavenly Valley 1972/73
 Kathy Kreiner CAN 【 16歳 ,09 months】 Pfronten 1973/74
 Annemarie Proell AUT 【 16歳 ,10 months】 Maribor 1969/70
Youngest Winners - Slalom Racer Age Season
 Pamela Behr GER 【 16歳 ,04 months】 Val d'Isere 1972/73
 Patricia Emonet FRA 【 16歳 ,06 months】 Maribor 1972/73
 Perrine Pelen FRA 【 16歳 ,07 months】 Crans Montana 1976/77
 Perrine Pelen FRA 【 16歳 ,07 months】 Megeve 1976/77
 Patricia Emonet FRA 【 16歳 ,08 months】 Mont St. Anne 1972/73
 Patricia Emonet FRA 【 16歳 ,08 months】 Heavenly Valley 1972/73
 Christa Zechmeister GER 【 16歳 ,08 months】 Val d'Isere 1973/74
 何と恐ろしいことに、女子の入賞では15歳が滑降とSGに登場します。
Youngest Podium - Downhill Racer Pos Age Season
 Annemarie Proell AUT 2 Place 【15歳 ,10 months】 St. Gervais 1968/69
Youngest Podium - Giant Slalom 【Racer Pos Age Season
 Jocelin Perillat FRA 3 Place 【15歳 ,09 months】 Oberstaufen 1970/71
 Kathy Kreiner CAN 3 Place 【15歳 ,11 months】 Anchorage 1972/73

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◇'14 32歳200日MarliesシルトWC回転最年長V記録

透明スペーサー
17-12-2013 Courchevel(クールシュベル) - FRA Women's Slalom
Rank Name + Surname Nat 1.Run 2.Run Total
 1位 Marlies Schild姉 AUT 51.91 53.26 1'45.17
 2位 Frida Hansdotter SWE 51.84 53.66 1'45.50 +0.33
 3位 Bernadette Schild妹 AUT 51.71 54.68 1'46.39 +1.22
 このCourchevel(クールシュベル)スキー場ではSL3勝目。通算36勝目、SL34勝目。Marlies Schild優勝は、32歳200日。WC(女子)回転史上、最年長記録は2014/15終了時点でも歴代1位。(ちなみに男子・歴代1位は、マリオ・マットMario Matt AUT 34 ,09 months Val d'Isere 2013/14)
 (その後、'14シーズン中にもう1勝を上げ、通算37勝。)  しかも3位入賞には、妹のBernadette。
透明スペーサー
(W杯)回転女王マルリース・シルト(Marlies Schild オーストリア)姉
31/05/1981生まれ、。
Alpine Ski World Cup Victories
DH GS SL SG K PR TOT
-- 1 35 -- 1 -- 37
透明スペーサー

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◇'04 34歳11ヶ月ステファン・エバハルターWC最高齢での優勝

2003/04 World Cup Men's Races
  Date   ≫  Place ≫ Event(種目)  Winner
 10/01/04 ≫ Chamonix FRA ≫ Downhill Stephan Eberharter AUT
 24/01/04 ≫ Kitzbuehel AUT ≫ Downhill Stephan Eberharter AUT
 31/01/04 ≫ Garmisch GER ≫ Downhill Stephan Eberharter AUT
 06/03/04 ≫ Kvitfjell NOR ≫ Downhill Stephan Eberharter AUT
 '04シーズンのエバハルターはWC滑降に4回優勝。当然だがシーズンの種目別・滑降では1位、総合でも2位に輝いた。
 この06/03/04 ≫ Kvitfjell NORでの優勝は、34歳11ヶ月と12日で、WC最高齢での優勝記録である。
 (マルコ・ビュッフェル(-LIE )、2006/07初戦のレーク・ルイーズ(CAN ・2006年11月25日)男子ダウンヒル第1戦で勝利。35歳になったばかり(35歳と21日)で、エバハルターの記録を抜いている。)
透明スペーサー
ステファン・エバハルター(EBERHARTER Stephan  AUT)
1969年3月24日 Strumm-Brixlegg(AUT)生まれ
※2004年 引退
World Cup Ranking
General  1990/32nd, 1991/12th, 1992/36th, 1993/-, 1994/-, 1995/104th, 1996/-, 1997/-, 1998/3rd, 1999/4th. 2000/6th, 2001/ 2nd, 2002/1st, 2003/1st, 2004/2nd.
World Cup - 29 w. (18 DH, 5 GS, 6 SG)

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ワールドカップ年長勝利の記録、35歳ビュッフェル、ヘルマン、キュシュ
透明スペーサー
◇ステファン・エバハルター34歳11ヶ月12日('04・DH)に優勝
 彼の場合は、まだ1ヵ月不足で、残念ながら35歳には達していなかった。だから、あくまでも参考までに記しておく。
透明スペーサー
◇ マルコ・ビュッフェル(ブーシェル、ビューヒェルとも記される)(BUECHEL Marco -LIE )
 1971年11月4日 Balzers(LIE)生まれ 身長 187cm 体重 87kg
 '07シーズンのLake Louise(CAN ・2006年11月25日)男子滑降レース第1戦に優勝し、最年長記録35歳と21日を創った。(それまでの記録は、ステファン・エバハルター(AUT)、34歳11ヶ月12日で'04・ Kvitfjell 滑降)
 その4年後の2008年1月18日キッツビュールのスーパーGで、自身で、最年長記録更新(36歳2ヶ月と14日 男子DH および全種目 )。
 2010年 03月 11日 ガルミッシュ WC最終戦で38才の引退。20年間の最後のシーズンも輝かしいレースを展開した。
透明スペーサー
◇2008年35歳11ヵ月で、3季ぶり優勝で通算54勝のマイアー復活
 MAIER Hermann (AUT) 1972年12月7日生まれ. Flachau(AUT)生まれ
 アルペンスキーのワールドカップ(W杯)2008年11月30日、カナダのレークルイーズ・男子スーパー大回転第1戦で優勝。35歳と11ヵ月で、3シーズンぶり優勝で通算54勝。(通算勝利数では、1位ステンマルク、2位ヒルシャーに次ぐ、11年経てもいまだ3位だ。(18/19終了時点)。)
 35歳11ヵ月での優勝は、WC男子SG 最年長勝利記録である。(全種目を通しては最年長記録2位。)
 2008.12.1 WC男子スーパーG第1戦レークルイーズ(カナダ)で、ヘルマンマイヤー(AUT)が優勝。35歳と11ヵ月。3シーズンぶりの優勝であり、マテリアルチェンジ後初の優勝である。あと6日で36歳になるという35歳での優勝は、全種目をとおしてということでは、最年長記録2位である。1位は「36歳ワールドカップ勝利の最年長記録マルコ・ビュッフェル(LIE)」(36歳2ヶ月と14日 男子DH および全種目 )、2008年1月18日キッツビュールのスーパーG。
 2009年引退。10月13日、オリンピックシーズンを前に引退を発表。2009年3月12日オーレ最終戦のSGが、36歳マイヤー最後のレースになった。
透明スペーサー
◇35歳ワールドカップGS優勝の最年長記録キュシュ2009年10月
 2009年10月25日男子アルペンスキー ジャイアントスラローム(GS) ゾルデンン(オーストリア)
 ディディエ・キュシュ35歳でのGS優勝は、ワールドカップGS優勝最年長記録である。
透明スペーサー

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ワールドカップ最年長勝利の記録、35歳ヘルマン・マイヤー、最年長記録2位
透明スペーサー
 2008.12.1 WC男子スーパーG第1戦レークルイーズ(カナダ)で、ヘルマン・マイヤー(MAIER Hermann AUT)が優勝。久しぶりの優勝であり、マテリアルチェンジ後初の優勝である。あと6日で36歳になるという35歳での優勝は、最年長記録2位である。
1位は「36歳ワールドカップ勝利の最年長記録マルコ・ビュッフェル(LIE)」(36歳2ヶ月と14日 男子DH および全種目 )、2008年1月18日キッツビュールのスーパーG。
 →2015現在、SGではマルコの記録は歴代4位、ヘルマンは5位。
透明スペーサー
 2009年引退。
 10月13日、オリンピックシーズンを前に引退を発表。2009年3月12日オーレ最終戦のSGが、36歳マイヤー最後のレースになった。

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35歳ワールドカップGS優勝の最年長記録キュシュ2009年10月
透明スペーサー
 2009年10月25日男子アルペンスキー FIS W杯 09/10 ジャイアントスラローム(GS) ゾルデンン(オーストリア)
 この開幕戦でディディエ・キュシュ(またはキューシュ、CUCHE Didier スイス)が、合計2分21秒45のタイムでW杯通算10勝目を飾った。ちなみに、テッド・リゲティ(米国)が0秒6差の2位、カルロ・ヤンカ(スイス)が3位で表彰台に立った。
 キュシュにとってW杯優勝は今回で10回目。この勝利で、同じスイスの伝説的な滑降スキーヤー、ベルンハルト・ルッシの通算10勝記録に並んだ。
透明スペーサー
 史上4人目の35歳以上のワールドカップ・アルペン種目勝者。
 W杯大回転優勝ということでは、'10シーズン終了時点でこの種目の最年長記録である。キュシュの持つこの記録がより凄いのは、高速系ではなく、より肉体的にハードな技術系の大回転で達成していることだ。
透明スペーサー

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ワールドカップ最年長勝利の記録、36歳マルコ・ビュッフェル(LIE)2008年1月
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 マルコ・ビュッフェル(ブーシェル、ビューヒェルとも記される)(BUECHEL Marco -LIE )
 アルペンスキー(複合、滑降、大回転、スーパーG)
 1971年11月4日 Balzers(LIE)生まれ 身長 187cm 体重 87kg
 2008年1月18日キッツビュールのスーパーGは、リヒテンシュタインの大ベテラン、36歳のマルコが優勝。ワールドカップ勝利の最年長記録更新(36歳2ヶ月と14日 男子DH および全種目 )。
 これは前'07シーズンのLake Louise(CAN ・2006年11月25日)男子滑降レース第1戦に優勝し、創った最年長記録35歳と21日を、36歳のマルコ自身が塗り替えた偉業である。
 2010年 03月 11日 ガルミッシュ WC最終戦で38才の引退。20年間の最後のシーズンも輝かしいレースを展開した。
  →2015現在、マルコはSG最年長優勝では歴代記録4位、DH最年長表彰台では歴代記録1位。

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'10最年長WC現役スラローマー、36歳のキリヤン・アルブレヒト
透明スペーサー
 キリヤン・アルブレヒト(ALBRECHT Kilian (AUT) 13, Apr, 1973.生まれ)
 国籍 オーストリア→ ブルガリア
透明スペーサー
 (2010シーズン終了時点で)40歳のイエルビン・パトリックと比べて、36歳のキリヤン・アルブレヒトは若く感じることだろう。しかしイエルビンの高速系と比べ、キリヤンの技術系は肉体的にハードあり、選手寿命は短いのである。

 '90年にAUTナショナルチーム入りをしたからキャリアとしてはベテランだが、ワールドカップは'96シーズンから。スラローム・スペシャリストとして活躍する。
 しかし2006シーズン、キリアンは突然に、オーストリアの新チームから外された。連盟からの名前の解除を要求し、将来は他国からのスタートを望んだ。
 キリアンは2006年12月、ブルガリアの市民権を獲得、ブルガリアからワールドカップ、世界選手権に出場することが決まった。'10シーズン現在も現役スラローマーとして滑り続けている。
透明スペーサー
  • 最年長WC優勝の記録・各種目別(1970年来)男子歴代5位  女子歴代5位
    透明スペーサー
  • 最年少WC優勝の記録・各種目別(1970年来)男子歴代5位  女子歴代5位
    透明スペーサー
     ワールドカップ滑降、大回転、複合、SG、回転の4種目についての勝者と入賞者。これを年配者順と若い順で、1970年来の各5名ほどのリストがあります。

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 '06フレドリック・ニーベリ36歳とンヵ月、GS2位2回、最年長2位入賞のレコード樹立
透明スペーサー
フレドリック・ニーベリFredrik Nyberg (SWE)
1969年3月23日 Vigo di Fassa(ITA)生まれ
 06/07、同僚のパトリック・イエルビンより24日だけ早く生まれた同年齢の37歳。(なお、イエルビンは'10シーズン現在40歳で現役続行中)
 ワールドカップ現役最年長のフレドリック・ニーベリ(37歳)は2006年11月10日、レイター・アルム(AUT)の氷河でスーパーGのトレーニング中に転倒、右膝の靱帯断裂と半月板に損傷を受け、ヘリコプターでサルツブルグの病院に運ばれ手術を受けたが、11月20日、正式に引退を発表した。
 引退後はスウェーデン・ナショナルチームに残り、ジュニアチームのコーチとして新しい人生を送る。
※2007 引退
透明スペーサー
 ワールドカップ参戦17シーズン。7 勝中の6勝を得意の大回転で上げる。
 ワールドカップは'89年からの参戦だが、'90年にベイソンナ(SUI)で行なわれた大回転でいきなり初優勝を上げ注目を浴びる。以後技術系の選手としてならしてきたが、その後高速系でも実績を残した。
 ニーベリはワールドカップで7勝(GS・6、SG・1)、
 オリンピックには5回出場、'06の第20回トリノでは大回転で5位に入賞している。
 06シーズンのアーデルボーデン(SUI))とヨンピョン(KOR)の大回転Uで2位に入り、最年長2位入賞のレコードを作った。
  →その後更に記録を更新し、2015現在も、GS最年長表彰台1位(2 Place 36歳12ヶ月 Yong Pyong 2005/06)、3位(3 Place 36歳12ヶ月 Aare 2005/06)、4位(2 Place 36歳10ヶ月 Adelboden 2005/06)を占めている。
透明スペーサー
Mount Hutt 91 GS/1st World Cup Ranking
Special
1999 GS/15th. 2000 K/3rd, SG/6th, GS/7th. 2001 GS/7th, SG/9th. 2002 GS/5th, SG/10th. 2003 DH/59th, GS/13th, SG/26th. 2004 GS/16th, SG/47th, 2005 GS/10th. 2006 GS/3rd.
Olympic Games 5大会に参加
1992 Albertvill GS/8th, SG/11th.
1994 Lillehammer DH/32nd, GS/18th, SG/25th, K/8th.
1998 Nagano GS/10th, SG/10th.
2002 Salt Lake City DH/7th, GS/13th, SG/DNF.
2006.2 Torino. GS/5th,
World Cup - 7 勝.(6 GS, 1 SG)
WC優勝. GS: Veysonnaz 90, Mt.Hutt 91, Kranjska Gora 94, Aspen 94,
Breckenridge 97, kranjska Gora 02,
SG: Beaver Creek 01,
WC2位. GS: Soelden 94, Todtnau 00, Adelboden 06, Yongpyong 06-II,
SG: Lake Louise 00.
WC3位. GS: Breckenridge 92, Kranjska Gora 93, Oppdal 93, Soelden 01,
Bormio 01, Adelboden 01, Soelden 02, Adelboden 02,
Kranjska Gora 04, Are 06,
SG: Valloire 96,
透明スペーサー

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'10最年長WC現役選手、40歳のイエルビン・パトリック
透明スペーサー
 JAERBYN Patrik (SWE)  1969年4月16日 Are(SWE)生まれ

 15年目の冬、自国オーレで開催された世界選手権の滑降で銅メダルを獲得。世界選手権は7回、オリンピックは4回出場し、1996年スペインのシエラ・ネバダの世界選手権のスーパーGで銀メダルを獲得、オーレは2回目のメダル獲得である。
透明スペーサー
 WC表彰台は3回のみだが、「3位. SG: Lake Louise 07年」は9年ぶりの表彰台。
 '09のバルガルディナSG第3戦(2008年12月19日)で3位になったのは、39歳と8ヵ月のときである。優勝したHEEL Werner(ITA) 1:35.04 との差は、0.45秒であった。
 →2015現在も、イエルビンは最年長・表彰台スーパーG歴代 1位(3 Place 39歳09ヵ月 Gardena 2008/09)、2位(3 Place 37歳08ヵ月 Lake Louise 2006/07)記録の持ち主である。
透明スペーサー
◇ 40歳で頑張っている2009/10シーズンを見ると、
*滑降ではシード選手に返り咲いている。
*'10シーズンの総合成績(Overall)では09/10: 56位。前08/09: 61位より上がっている。
*'10シーズンの2009/10 Men's Downhillは24位。あのコステリッチの次の順位である。
 23 Ivica Kostelic CRO CRO 86ポイント top10位内2回 Fischer
 24 Patrik Jaerbyn SWE SWE 84ポイント top10位内1回 Atomic
*'10シーズンの28-11-2009 レークルイーズ(Lake Louise CAN)滑降では7位。惜しくも6位John Kucera (CAN)に+0.13秒遅れで、入賞を逃がして7位。
 7 Patrik Jaerbyn SWE 1'51.25 +0.94 Atomic

 (2010シーズン終了時点で)最年長40歳の現役・実力派WCレーサーであると同時に、さらに次の2つの珍記録も持っている。
* 1992年にワールドカップデビュー、40歳の2010シーズン終了時点でワールド18シーズン、勝利無し。
* 9年ぶりの表彰台
 2位. SG: Kvitfjell 98年
 3位. SG: Lake Louise 07年
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World Cup Podiums(表彰台)  SG 3 回(2010.6現在)
World Cup Top Tens
 DH GS SL SG K PR TOT
 10 -- -- 15 4 -- 29 (2010.6現在)
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Overall World Cup Position
91/92: 141位.   97/98: 35位.  98/99: 22位.  99/00: 37位.  01/02: 55位.  02/03: 86位.  03/04: 24位.  04/05: 43位.  05/06: 57位.  06/07: 53位.  08/09: 61位. 09/10: 56位.
  • Patrik Jaerbyn SWE(ski-db.com)こちらは最新情報です
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  • 最年長WC優勝の記録・各種目別(1970年来)男子歴代5位  女子歴代5位
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  • 最年少WC優勝の記録・各種目別(1970年来)男子歴代5位  女子歴代5位
    透明スペーサー
     ワールドカップ滑降、大回転、複合、SG、回転の4種目についての勝者と入賞者。これを年配者順と若い順で、1970年来の各5名ほどのリストがあります。

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2008年キッツビュールのスーパーG、1、2、3位の合計年齢は104歳チーム
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 2008年1月18日キッツビュールのスーパーG
  マルコ・ビュッヘル(LIE) 優勝 <71.11.4生/36歳>
  ヘルマン・マイヤー(AUT) 2位 <72.12.7生/35歳>
  ディディエ・キュシュ(SUI) 3位 <74.8.16生/33歳>
 このときの優勝者は、ワールドカップ勝利の最年長記録、36歳になるマルコ。ワールドカップ勝利の最年長記録更新。


 この3名ともがHEADチーム。そして3名の合計年齢は104歳。これもWC史上初の記録となり、ハーネンカム(Hahnenkamm)伝説として語り継がれていくことだろう。

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ギネスレコード?的なスキーの記録集

横棒線

▼ スピード、距離

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ワールドカップでの最速滑降、時速112.4km (ギネス記録)
透明スペーサー
 1993年3月15日、アーミン・アッシンガー(オーストリア)はスペインのシエラネバダで、時速112.4kmというスキー滑降の最高スピードを記録した。(ギネス記録)
透明スペーサー
◇HP管理人の注:
 瞬間スピードなら150km/h以上が出ているので、これはコース完走時の平均スピードであると思われる。
 1966 昭和41年夏8月、チリのポルチーヨで第19回アルペンスキー世界選手権大会。標高2885mの高地で行なわれた。ジャン・クロード・キリーは滑降レースで勝利。(管理人のおぼろげな記憶では、この時の優勝したキリーの平均スピードは120km/hという高速。これは不確かな記憶である。かつ、少なくともギネスブックには掲載されるものではなかった、ということ。)

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250km/hの壁を越えた最初のスキーヤーはフィリップ・ゴアシェル
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 250km/hの壁を越えた最初のスキーヤー。2002年、フィリップ・ゴアシェル(Philippe Goitschel フランス人)時速250.700Km(155.777 mph)。
 彼は、1つのオリンピック・アルペンでメダル4つを独占したゴワシェル姉妹の甥である。

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スキーの最高速度・男子251.400km/h (ギネス記録)→ 252.632Km/h(2015年)
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 2002年4月23日にフランスのレザークで、フィリップ・ゴワシェル(フランス)が時速250.7kmのスキー最高速度を記録した。(ギネス記録)
 男性のスピードスキー世界記録= 2006/シモーネ・オリゴン(Simone Origone イタリア)251.400km/hの世界記録を更新
透明スペーサー
 ギネス記録になっているかどうかは不明だが、その後もシモーネ自身で更新している。
2014年 Vars会場(Fra)  シモーネ・オリゴン(Simone Origone) 252.454km/hの世界記録(8年ぶりに自身で更新)
2015 ヴァース(Varsフランス)会場 シモーネ・オリゴン(Simone Origone イタリア) 252.632Km/h
 この世界記録を見て分かるように、2006〜2015のスピードスキー10年間は、シモーネ・オリゴンの独壇場である。
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スキーの最高速度・女子242.590Km/h (ギネス記録)
透明スペーサー
 1999年5月にはフランスのレザークで、カリーヌ・デュブ−シエ(フランス)が時速242.26kmの女子最高速度を記録した。(ギネス記録)
 Pro Mondial 2005 Les Arcs-で、 サナ・ティッドストランド(Sanna TIDSTRAND スウェーデン / スキー女子)が、 242.590Km/hの世界記録を更新('08終了時点も)

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ハンデキャッパー(ワン・レッグ)の最高速度210.40
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 ハンデキャッパー(ワン・レッグ)マイケル・ミルトン(オーストラリア) 210.40km/h
 このマイケル(LW2)は、2006年3月トリノ・パラリンピック男子2位、ソルトレイク大会の4冠王(※当時はクラス別表彰)。

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モノスキーの最高速度212.260km/h
透明スペーサー
◇2006/04/19 Les Arcs (Fra)会場で Xavier COUSSEAU(France モノスキー) 212.260km/hの世界記録 ('08終了時点も)。自己が持つ2005年の世界記録 206.07km/hを更新した。

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スノーボードの最高速度201.907km/h (ギネス記録)
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 ダレン・パウエル(オーストラリア)は、1999年5月2日にフランスのレアルで、時速201.907kmのスノーボード最高スピードを記録した。(ギネス記録)
 1999/05/02 Les Arcs (Fra)会場で Daren POWELL(Australiaスノーボード) 201.907km/hの世界記録 ('08終了時点も)

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ノルディック50kmレースでの最高平均速度26.14km/h (ギネス記録)
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 ノルディックスキー50kmレースの主要大会における世界記録は、1994年3月19日、カナダのサンダーベイでのレースで、アレクセイ・プロクロロフ(ロシア)が達成した1時間54分46秒だ。これを平均速度に換算すると、時速26.14kmになる。(ギネス記録)

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24時間(?)にスキーで滑走した最長垂直距離・男子108km・女子93km (ギネス記録)
透明スペーサー
 1998年4月29日、クリス・ケント、エディー・ポディビンスキー、ルーク・サウダー(すべてカナダ)とドミニク・ペレ(スイス)が、カナダのブリティッシュコロンビア州にあるブルーリバーのスロープで、14時間30分かけて10万7777mをスキーで滑りおりた。
 4人は73回滑走し、滑りおえるたびにヘリコプターで頂上までもどった。(ギネス記録)
◇また、女子の記録は9万3124mだ。
 1998年4月20日にカナダのブリティッシュコロンビア州アトリンで、ジエニファー・ヒューズ(アメリカ)がスノーボーダーのタミー・マクミン(アメリカ)といっしょに滑走し、記録を達成した。2人もヘリコプターをつかって頂上までもどった。(ギネス記録)
透明スペーサー
◇HP管理人の注:
 タイトルでは「24時間にスキーで滑走した」となっているが、本文では「14時間30分かけて」と書かれている。14時間30分が正しいのでは?ないだろうか。

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12時間にスキーで滑走した最長垂直距離・個人18km (ギネス記録)
透明スペーサー
 個人が12時間にスキーで滑走したもっとも長い垂直距離は下りと上りの両方をあわせて1万80mである。2003年2月24日にオーストリアのマリアツェル・ブガーアルプでマンフレッド・トッド(オーストリア)がこの記録を達成した。(ギネス記録)

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24時間で走破したノルディックスキー最長距離・男子415.5km、女子333km (ギネス記録)
透明スペーサー
 セッポ=ユハ二・サボライネン(フィンランド)は、1988年4月8〜9日、フィンランドのサーリセルカで、24時間で415.5kmを走破した。
 カミラ・ホラコバ(チェコ)は女子の世界記録保持者で、2000年4月12〜13日に333kmを達成した。(ギネス記録)

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1879年に世界最初のジャンプ記録、23m
透明スペーサー
◇ハスビーヒル(ノルウェー)で第1回ジャンプ大会開催。23メートルのジャンプが、信頼できる最初の記録。Wikipedia@pediaによれば、「テレマーク地方にいた靴屋の少年ジョルジャ・ヘンメスウッドが、クリスチャニアのヒューズビーの丘で23m飛んだという記録が残っている」とある。
 年度も、国も、23mも全く同一なので、上記の2つは同一のもの思われる。ハスビーとヒューズビーという丘の名前も、似ているので日本語表記の違いであろう。ちなみにクリスチャニアは、現オスロの旧名称である。従って、次のようにまとめ直しておく。
◇ノルウェー・クリスチャニア(現オスロ)のハスビーヒル(またヒューズビーの丘は)で第1回ジャンプ大会開催。23メートルのジャンプが、信頼できる最初の記録。テレマーク地方にいた靴屋の少年、ジョルジャ・ヘンメスウッドの記録である。

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スキージャンプの最長飛距離・男子225m、女子112m (ギネス記録)
透明スペーサー
 男子スキージャンプでもっとも遠くまで飛んだ距離は、225mだ。2000年3月18日、スロベニアのプラニツァで、アンドレアス・ゴールドベルゲル(オーストリア)が記録した。
 また、1994年1月フ日にオーストリアのビショフショーフェンで、エファ・ガンステル(オーストリア)が、女子最高記録となる112mのスキージャンプに成功した。(ギネス記録)

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世界最長飛距離記録の変遷 1999/03/20
透明スペーサー
2000.03.18  225.0m  GOLDBERGER, Andreas AUT Planica (SLO)
フライング飛距離記録 (194m〜) 2000/02/19
 1位  219.5m T.インゲブリットセン NOR プラニツァ 1999.3.20
 3位  214.0m 葛西紀明 JPN プラニツァ 1999.3.21
  スキーフライング世界選手権は1972年から始まり、2年に一度行われる大会である。
  スキーフライングはK点が185m以上の巨大なジャンプ台を使用する。
  このジャンプ台は現在世界で5箇所のみ。したがってこの五箇所で持ち回り開催されている。
透明スペーサー
FISワールドカップ ラージヒル飛距離記録 2002.01.17
 1位  151.5m MALYSZ, Adam POL Willingen (GER) 2001.02.04

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スキージャンプ世界最長飛距離が大幅に、何度も更新された試合
透明スペーサー
 2005年のW杯最終戦(スロベニアのプラニツァで行われたフライングヒル、HS215m、K=185m)
 スキージャンプの世界最長飛距離が大幅に、かつ何度も更新された試合である。
 これまでの世界記録は、マッティ・ハウタマキ(フィンランド)の231m。それがこの日試合前のトライアルラウンドでルメレン(ノルウェー)が非公式ながら234.5mを飛び世界記録。
 1本目、インゲブリグトセン(ノルウェー)とビドヘルツル(オーストリア)が231mの公式ラウンド世界タイ記録。そしてアホネン(フィンランド)が233.5mと世界記録を更新。ただし着地で尻餅をつきそうになり飛型点で減点、ポイントで2位。
透明スペーサー
 2本目、伊東大貴が222.5m、日本人最長飛距離を更新。日本人では初めて220mを突破!(これまでの最長は葛西紀明の215m。)
 ハウタマキが特大フライト235.5m、記録を更新。
 そしてルメレンが何と239m、記録を更新。
 圧巻はアホネン。着地と同時に腰から背中を強打し、担架に乗せられたが、その飛距離は240m!

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最も高さのあるスキージャンプ世界記録107m
透明スペーサー
 Fred Syversen、107メートルのクリフ(崖)ジャンプ世界記録。
 2007年にFred Syversenは、クリフジャンプの映画を撮影中に107メートルの崖からジャンプ。これは意図して狙ったものではなかったが、クリフ(崖)ジャンプ世界記録。その証拠はフィルムに収められています。
 100mの高さの崖を飛び降り、凄いクレージーなことです。

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キッカーで57m ジャンプの世界記録
透明スペーサー
 MADS JONSSON (マッズ・ジョンソン) プロスノーボーダー 22 歳
 キッカーで57m ジャンプという世界記録 をマークし世界中のメディアを賑わせているノルウェー出身のアップカマー。

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クォーターパイプで高さ8.7mの世界記録
透明スペーサー
 スノーボード。ヒッキー・ソーサ(フィンランド)は、2001シーズンにクォーターパイプで8.7メーターの高さを記録。インゲマー・バックマンの持つ記録を塗り替え、世界記録保持者となっている。

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水上スキー【ジャンプ】 …男子ジャンプの記録
透明スペーサー
 水上スキーの競技の中で最も迫力あるジャンプ。
トーナメント
 〈世界記録〉距離70.3m(時間で約3秒) ※高さ約7m(ビル3階ほど)
 〈日本記録〉距離44.4m
水上スキーのスラロームやジャンプの時のスピード
 スラロームのターンやジャンプの瞬間は時速約120kmで、ボートスピードの2倍ほどと言われています。
ベアフット
 〈世界記録〉…距離26.1m綱(マニラ麻)

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水上スキージャンプの世界記録74.2m (ギネスブック2009)
透明スペーサー
 フレディ・クルーガー(アメリカ)は、2005年11月5日にアメリカ、フロリダ州セフナーで、74.2mの最長飛距離を記録した。
 女子の水上スキージャンプの世界記録は、2002年7月21日、エレナ・ミラコワ(ロシア)がアメリカのカリフォルニア州リオリンダで出した56.6mである。(ギネスブック2009)

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水上スキー最高速度230.26km/h (ギネスブック2009)
透明スペーサー
 1983年3月6日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ホークスベリリバーで、クリストフアー・マイケル・マシー(オーストラリア)は、水上スキーの最高速度である230.26km/hを記録した。
 女子の水上スキー最高速度は、1977年8月21日に米国、カリフォルニア州ロングビーチでドーナ・パターソンが記録した時速178.8km/hである(ギネスブック2009)

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ギネスレコード?的なスキーの記録集

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▼ その他

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オチョア家では、5兄弟妹が五輪出場
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 フェルナンデス・オチョア家はスペインを代表するスキーファミリー。父親はスキースクールを経営しており、もっとも有名で、もっとも輝いた長男のフランシスコは、1972年札幌オリンピックで回転に優勝。
 8人兄弟妹のうち5人が、冬季オリンピックに出場した。かつ、25年間の間に開催された7回の冬季オリンピックすべてに、である。
 これは登録されているかどうかは不明だが、ギネス記録ものだ。
透明スペーサー
1968年グルノーブルオリンピック(仏)-   フランシスコ・オチョア(17歳)
1972年札幌オリンピック(日本)-   フランシスコ(回転 金メダル)
1976年インスブルックオリンピック(オーストリア)- 2人出場  フランシスコ(回転9位) フアン・マヌエル
1980年第13回レークプラシッドオリンピック(米)-   フランシスコ(4回目の出場)
1984年サラエボオリンピック(ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ))- 3人出場 ブランカ(大回転6位) ルイス(19歳) ドローレス(17歳)
1988年カルガリーオリンピック(カナダ)- 2人出場  ブランカ(回転5位) ルイス
1992年アルベールビルオリンピック(仏)-   ブランカ(回転 銅メダル)


フェルナンデス・オチョア家についての詳しくは、
 オチョア家5兄弟妹はスペインの星 (親子・兄弟・姉妹の超有名スキーヤーたち)

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スキーパレード世界一、計184人が縦列で同時滑走
透明スペーサー
 スキーで連続滑走する「世界最大のスキーパレード」は2010年3月22日、八幡平市の八幡平リゾートパノラマスキー場で行われた。子ども159人と大人25人の計184人が縦列で同時滑走。新設のギネス記録に認められた。
 達増知事が旗を振り本番がスタートした。参加者は2.15メートルの間隔で1本のロープでつながり、スキー板を「ハ」の字にしてゆっくり約500メートルのコースを滑走した。
 パレードは来年(2011年)の「日本スキー発祥100周年」のプレイベントとして、岩手スキー場協会といわてウインターリゾート協議会が主催した。
透明スペーサー
 昔、数10名が同時に稜線からゲレシュプや、同時に宙返りというスキー写真を見た記憶があります。(アメリカのスキー雑誌で、かも?)
 こういうのは凄いと思いますが、今回のプルークで緩斜面を縦一列に184人という記録は、管理人の個人的意見としては別に感心もしません。でもギネスレコードには、こういう類のものが少なくないのでしょう。

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グルノーブル(フランス)のビル(ホテル?)の壁に長大なスキー
グルノーブルのビル壁に
長大なスキー(撮影土方あきら)
最も長いスキーは、長さ534m
透明スペーサー
 最も長いスキーは、長さ534m(1,751フィート11インチ)。2008年9月13日、(スウェーデン・Orebro郡にある)Drottninggatan通り上のDanske銀行主催のイベント中で、1,043人のスキーヤーによって履かれました。
   原文は、以下のとおりです。
The longest skis are 534 m (1,751 ft 11 in) long and were worn by 1,043 skiers in an event organized by Danske Bank on Drottninggatan in Orebro, Sweden, on 13 September 2008.
 世界記録の長さ534mのスキー板は想像がつきません。どのように作られたのでしょうか?
透明スペーサー
 今から30年も昔にHP管理人は、グルノーブル(フランス)のビル(ホテル?)の壁に長大なスキーを見たことがあります。ビル4階分なので15mくらいはあるでしょう。駅の近くだったような気がしますが、不確かです。

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ゼッケン66番から滑降で優勝したマルクス・フォザー(LIE)
透明スペーサー
 '92シーズンのこと。1991年12月17日、バル・ガルデナ第1戦の滑降レース。スタート番号66からマルクス・フォザー(LIE)が初優勝。
透明スペーサー
FOSER Markus (LIE) 1968年1月31日 Balzars(LIE)生まれ
World Cup - 1 w.(1 DH)
※1997年引退

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2004 Paris - Roubaixロードレース優勝の元アルペンスキー選手・マグヌス・バックステッド
透明スペーサー
 サイクルロードレーサーのマグヌス・バックステッド(Magnus Backstedt スウェーデン、リクイガス)。パリ〜ルーベ史上、初めて北欧選手の優勝となった。身長193cm、体重90kgの大きな体躯を持つ。元アルペンスキーの選手で、スピードスキーでは235km/hの記録も持っている。

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2006年パリダカ総合優勝の元アルペンスキー選手・アルファン
透明スペーサー
 元アルペンスキーチャンピオンのリュック・アルファン(フランス)は、三菱自動車チームから初めて出場した2005年大会でいきなり総合2位に入り、チームのワン・ツー・フィニッシュに貢献。さらに2006年大会では近年稀に見る接近戦を制して初の総合優勝を挙げた。2007年、パリダカ前哨戦となるUAEデザートチャレンジでも総合優勝を果たすなど好調を維持、パリダカ2連覇を目指す。
透明スペーサー
ALPHAND Luc (FRA) 1965年8月6日 Serre-Chevalier生まれ
※1997シーズンで引退
World Cup Ranking
General
1988/61st, 1989/40th, 1990/80th, 1991/34th, 1992/53rd, 1993/59th, 1994/27th, 1995/8th, 1996/4th, 1997/1st
Special
1995 DH/1st, 1996 DH/1st, 1997 DH/1st, SG/1st
World Championships
1996 Sierra Nevada DH/3rd.
Olympic Games
1992 Albertvile DH/12th, SG/16th.
1994 Lillehammer DH/8th, SG/8th.
World Cup - 12 w. (DH/10, SG/2)

 1984年にスキーのワールドカップにデビュー。ダウンヒル(滑降)などの高速系種目で活躍し、1995年から1997年にかけてFISワールドカップ・ダウンヒルの種目別チャンピオンを3年連続。
 1997年にはFISワールドカップ・アルペン競技の総合チャンピオン、スーパー大回転の種目別チャンピオンも獲得し、この年3冠を達成した。
 しかしスキーで絶頂期にあったこの年を最後にアルファンはスキー選手を引退し、レーシングドライバーに転向。翌1998年から主にダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)への参戦を中心にレース活動を行う。2005年には三菱自動車のワークス・チームに加入、パリダカで総合2位に食い込み、三菱での活動2年目となる2006年にはついに総合優勝を果たした。

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スキー史上最強のキリーは、カーレーサーでもあった
透明スペーサー
 ジャン=クロード・キリー(Jean-Claude Killy, 1943年8月30日 - )は、フランス出身で1960年代後半に活躍した元アルペンスキー選手。
 1968年のグルノーブルオリンピックで、史上2番目の三冠王。世界選手権では6個の金メダルを獲得、ワールドカップでは1967年・1968年の2シーズン連続で総合優勝。
透明スペーサー
 そのキリーは、現役スキー選手だった頃から、モータースポーツでも活動をしていた。
1967年夏、シチリアでのスポーツカー世界選手権・タルガ・フローリオにポルシェ・911Tで参戦し、GTカテゴリーで優勝。 1968年ニュルブルクリンク1000kmに出場し、GTカテゴリー(2,000ccクラス)で3位、総合で26位。
1968年、ル・マン24時間レース出場、途中リタイア。

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スタート後すぐに転倒、完走フリッツ・シュトローブル
透明スペーサー
 スケーティング2回目でストックが間に挟まり、スキーに引っかかり、前に腹ばいに転倒。そのまま起き上がりレースを続けて、ゴール。1分47秒13で、約10秒遅れ。
 選手は、ゼッケン19のオーストリアのフリッツ・シュトローブル。
透明スペーサー
 いつの試合か特定するのに苦労したが、'06シーズンのバルガルディナ(ITA 16-12-2005)のSGレースで、ほぼ間違いないだろう。ゴールの風景が似ているし、本人のビブ・ナンバーとタイム、優勝者のタイムなども、全く同一である。従って、順位は60位で最下位である。
16-12-2005 Gardena [GRO] - ITA Men's Super G
1 位 Hans Grugger AUT 1'37.35
60位 Strobl Fritz AUT 1'47.13
透明スペーサー
◇フリッツ・シュトローブル(Strobl Fritz オーストリア)
 ソルトレークシティ五輪、ダウンヒルの金メダリスト、SG: 4位入賞。
 ワールドカップでは滑降7勝、SG2勝で通算9勝。高速系選手。
 '07シーズン男子スーパーG第5戦(2007年3月15日 )、34歳でW杯引退レース。
 草レーサーならいざ知らず、彼は超一流レーサーである。
透明スペーサー

 2010年2月17日第21回バンクーバー五輪、アルペンスキーの女子滑降はリンゼイ・ボン(米国)が1分44秒19のタイムで金メダルを獲得した。
 12日、霧の中を強行スタートした女子滑降の公式練習は、出走2番目の米国選手が激しく転倒して病院へ運ばれ、中止となった。それ以外にも計6名くらいの選手が転倒したのではないだろうか。
 6選手がコースアウトした高難度の斜面、転倒者も続出。有力選手も飛ばされ大転倒している。
 前置きが長くなってしまったが、このレースでもスタート直後に転倒した女子選手がいた。選手名は不明だが、ゼッケンは確か20番?(20番 Marion Rolland 選手(France)DNFと思われる)。スタート後2回目のスケーティング中にバランスを崩して転倒。よくあるケースのストックに引っかけて、という例では無かったが、何で?という転倒だった。その後は自力で立ち上がらずに締具を外して貰っていたので、怪我が心配である。

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ゼッケン無しで完走して失格にならなかったフリッツ・シュトローブル
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 '07シーズン男子スーパーG第5戦(2007年3月15日、Lenzerheide (SUI) )で、モーツァルトに扮して滑ったフリッツ・シュトローブル(オーストリー)。写真を見るかぎり、胸にゼッケンは無い。
 これは悪ふざけではなく、34歳になった彼のW杯引退レースなので、彼のユーモアと運営関係者の粋な判断によるもの。正式なW杯レースで、タイム計測されています。
1位  14番  SVINDAL Aksel Lund (NOR)  1:17.94
23位 17番  STROBL Fritz (AUT)  2:10.16
 1位のスビンダルに遅れること53秒で、堂々最下位!

 余談だが84年1月のW杯の回転ではゼッケンを取り間違え、1位・2位のスティーブとフィル・メーア兄弟は失格。本来は、これらくい厳しいものである。

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前代未聞のゼッケン取り違え事件で失格1位・2位のスティーブとフィル・メーア兄弟
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 オリンピックを控えた84年1月、パルパン(SUI)のW杯スラロームで、スティーブ・メーアが優勝、フィル・メーアが2位。のはずが、なんと、1位・2位が失格!
 大会前夜スタート番号が決まり、メーア兄弟にコーチがゼッケンを手渡し、レースに臨んだ。ところが、兄弟は間違えたゼッケンのままで滑ってしまった。コーチが間違えても仕方ないと思うほど、双子の二人はよく似ていたのである。
 もっとも有名な、ゼッケン取り違え事件で失格したケースである。
 この後1984年サラエボ(JUG・当時)で行なわれたオリンピックの回転で、フィルが1位、スティーブが2位。この双子兄弟が金銀メダルを独占したのだった。1984年引退。

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プレート高さが2mmオーバー、04/05ディディエ・ディファーゴ優勝を失格
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 2005年12月11日 バルディゼール(FRA)・SC。
 ダウンヒル1本と、スラローム2本を滑るスーパーコンビネーション。
 優勝タイムを叩き出したディディエ・ディファーゴ(Defago Didier(SUIAUT))は、プレートが2mmオーバーで失格! その結果、ヴァルヒフォファーに勝利が転がり込んだ。
優勝 ミハエル・バリヒホファー(AUT)。
2位 スラロームで追い上げライナー・シェーンフェルダー(AUT)。
3位 ボディー・ミラー(USA)。
4位 チェティル・アンドレ・オーモット(NOR)。
5位 ベンジャミン・ライヒ(AUT)。

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プレート高さが2mmオーバー、09/10マリオ・シャイバー2位を失格
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 2009年12月29日 ポルミオ(ITA)・ダウンヒル。
 マリオ・シャイバー(SCHEIBER Mario (AUT))はDH 2位でゴールし、表彰台に立つ予定だった。ところがマテリアルチェックで、プレートが2ミリ高かったので失格。
Bormio (ITA) Discipline Downhill Date 29.12.2009
Disqualified 1st run
1 51005 SCHEIBER Mario 1983 AUT

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片ストックのまま4位、ボーディ・ミラー
超人気者スーパースターwcボディー・ミラー 透明スペーサー
 '05シーズン、Men's 6th Giant Slalom, Adelboden (SUI), 11,Jan,2005
 ボーディ・ミラー(MILLER Bode アメリカ)は1本目、上部で左ストックを落とし片ストックのまま4位でゴール。このアクシデントがなければと悔やまれる。
 同僚のエリック・シュロピィも片ストックを落としたが、こちらはバランスを崩して38位とタイムは伸びなかった。
 現在は閉鎖サイト ski-and-ski/work/WCup05/05-01-11_Adelboden-MGS.html Men's 6th Giant Slalom, Adelboden (SUI), 11,Jan,2005 (写真家・木村之与さんのski-and-ski)より

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片ストックでラップ、フルセト?
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 大変にあいまいな記憶なので自信は無いが、誰かがワールドカップのアルペンレースでスタートすぐに片ストックを失う。そのままゴールしてラップ? 選手はフルセト?
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◇オーレ・クリスチャン・フルセト(FURUSETH Ole-Christian (NOR)ノルウェー 1967年1月7日 )
2002年3月 引退
World Cup Ranking
 Special
  1989 SL/3rd, GS/1st, 1990 SL/3rd, GS/1st, 1991 SL/2nd, 1998 SL/2nd,
  1999 SL/20th, 2000 SL/2nd, 2001 SL/16th, 2002 SL/23rd.
World Cup - 9 w. (6 SL, 3 GS)

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転んでゴールして滑降で優勝、ボディ・ミラー 2007ウエンゲン滑降
超人気者スーパースターwcボディー・ミラー 透明スペーサー
 Bode Miller Wins 2007 Wengen Downhill
 転んでゴールして優勝は、さすがボディ・ミラー(MILLER Bode アメリカ)。普通のダウンヒルより約3割(約30秒)も長く滑るハードなレース、最後に急斜面、非常に狭いゴールエリア、転倒者続出、停止出来ずにマットに衝突などなどのウエンゲン。確かこのシーズンを最後に、最後に急斜面を削り、この大ジャンプも無くなったと記憶。
種目:男子ダウンヒル第6戦 開催日:2007年1月13日 開催地:Wengen (SUI)
 1位 26番  MILLER Bode USA  タイム 2:28.89
 2位 27番  CUCHE Didier SUI  タイム 2:29.54
 3位 25番  FILL Peter ITA  タイム 2:30.36
◇何と、1位も3位も転倒していた
 それまでラップを出していて、最終的に3位に入ったペーター・フィル(イタリア)も、同じくゴール後すぐに転倒。優勝したボディは、寸前で転倒しそのままゴール。
 最後まで転ばずに済んだディディェ・キューシュ(スイス)2位 は、偉い?!

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毎年、毎年ドラマのある、ウエンゲン滑降とボディ・ミラー
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 「ラウバーホルン」滑降レース。FIS公認コースとしては世界一長い滑降コースで、全長4,260m(〜4,455m)、標高差1,012m(〜1,028m)。このクラシックレース ウエンゲン(Wengen SUI) 滑降では、150km/h弱の瞬間スピードも出て、かつ普通のダウンヒルより約3割(約30秒)も長く滑るハードなレース。
◇その1.何と、1位も3位も転倒していた2007年
種目:男子ダウンヒル第6戦 開催日:2007年1月13日 開催地:Wengen (SUI)
 1位 26番  MILLER Bode USA  タイム 2:28.89
 2位 27番  CUCHE Didier SUI  タイム 2:29.54
 3位 25番  FILL Peter ITA  タイム 2:30.36
 転んでゴールして優勝は、さすがボディ・ミラー(MILLER Bode アメリカ)。最後に急斜面、非常に狭いゴールエリア、転倒者続出、停止出来ずにマットに衝突などなどのウエンゲン。確かこのシーズンを最後に、最後に急斜面を削り、この大ジャンプも無くなったと記憶。
 それまでラップを出していて、最終的に3位に入ったペーター・フィル(イタリア)も、同じくゴール後すぐに転倒。
 最後まで転ばずに済んだディディェ・キューシュ(スイス)2位 は、偉い?!
超人気者スーパースターwcボディー・ミラー ◇その2.ボディ・ミラー2年連続優勝2008年
 翌年、2008年1月13日 ウエンゲンでの滑降レース。勝者はボディ・ミラー(MILLER Bode)で、ウエンゲン滑降レースで2年連続優勝。
◇その3.ボディ・ミラー期待の3年連続優勝は成らず、2009年
 さらにその翌年、2009年1月17日のウエンゲン。勝者はDidier Defago (SUI) 2'31.98 。ボディ・ミラーは、そのディファーゴに遅れること+0.20で第2位。3年連続優勝はならず。
 ちなみに+0.20秒差ということは、仮に時速100km/h(秒速27.8m/sec)で滑っているとすれば、たった5.6メートルの差である。
◇その4.いろいろあった2010年
 さらにその翌々年、2010年1月15、16日のウエンゲン。
 前09シーズンは勝ちに見放されていたボディ・ミラーが、前日の複合で優勝(15/01/10 ≫ Wengen SUI ≫ Combined Bode Miller USA)。翌16日の滑降レースの本命であった。
 そして2010年1月16日の、同じ会場・コースでの滑降第5戦。クラッシックレース、2010年ウェンゲンのラウバーホルン大会は第80回めという、歴史と伝統の大会である。
 しかし勝者は、23歳のカルロ・ヤンカ(Carlo Janka・SUI)。
 12番ビブでスタートしたボディ。その時点では1位(最終3位)の38歳マルコ・ビュッヘル(Marco Buechel・LIE 71.11.4生) を-0.25秒上回るタイムだったが、惜しくもゴール3旗門前でミスして転倒。DNF。時間的にはゴールの6秒ほど前、ターン数でいえば残すところ最後の1.5ターン。スピードに乗り、直線的に狙いすぎてしまった。
 ここはスピードに対して横への振りがきつく、ミスする選手も多かった難しい場所であった。
16-01-2010 Wengen [WEN] - SUI Men's Downhill。ウェンゲンのラウバーホルン大会は今季で80回(、キッツビューエルのハーネンカム大会は70回。いずれ劣らぬ歴史と伝統の大会である)。
 Rank Name + Surname Nat Total Diff. Skis
 1位 Carlo Janka(23歳) SUI 2'32.23 Atomic
 2位 Manuel Osborne-Paradis CAN 2'32.89 +0.66 Rossignol
 3位 Marco Buechel(38歳) LIE 2'33.05 +0.82 Head
 「たら、れば」を言い出したら切りがないのは承知だが、ゴール間近のボディは、2位のオズボーン・パラディス(CAN)を-0.08秒ほど上回っていてのDNFであった。2分30秒も滑る超ハードなロングコースで、時間的にはゴールの6秒ほど前のミスであった。
◇その4.-2
 この2010年1月16日ウエンゲン滑降第5戦では、優勝は23歳のカルロ・ヤンカ、3位の38歳マルコ・ビュッヘル。その年齢差、何と15歳。不確かではあるが、ギネスレコードの可能性大である。

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1つのレース勝利で、2つの2連勝記録を樹立した不思議なボディ・ミラー
超人気者スーパースターwcボディー・ミラー 透明スペーサー
 男子ダウンヒル第5戦 2008年1月13日 開催地:Wengen (SUI)
 1位 20番  MILLER Bode USA  タイム 2:30.40
 W杯男子滑降、ミラー(MILLER Bode)が2連勝。今季2勝目で総合2位に躍り出。
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 男子ダウンヒル第4戦 2007年12月29日 開催地:Bormio (ITA)  1位 20番  MILLER Bode USA  タイム 2:00.57
 1つめの2連勝は、'08男子ダウンヒル第4戦、第5戦で優勝したこと。
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 もう1つの2連勝は、Wengen (SUI)での男子ダウンヒルに、'07第6戦、'08第5戦と2年連続優勝。
 ワールドカップの男子ダウンヒルで通常の1.5倍の時間を滑るハードなレースで、Wengenでの2年連続勝利は誰もなしえなかった快挙である。(hp管理人の記憶に間違いがなければ、、)
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 前人未踏の難コースウエンゲン滑降での3年連続優勝がかかっていた、「男子ダウンヒル第5戦 2009年1月17日 開催地:Wengen (SUI) 」のミラー。
 1位 15番  DEFAGO Didier SUI タイム 2:31.98
 2位 16番  MILLER Bode USA タイム 2:32.18
 快心の滑りを見せたディディエ・ディファーゴ(スイス)が優勝。0.20秒の差をつけられてミラーは残念ながら2位。3年連続優勝はならなかったものの、立派なものである。

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超人気者スーパースターwcボディー・ミラー
片スキーが外れ、そのまま高速で2分ほど滑り続けたボディー・ミラー
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  • Bode Miller 2005 - INCREDIBILE!(youtube 動画)
 '07男子ダウンヒル第4戦 2006年12月28日 開催地:Bormio (ITA)
 レース前半で片スキーが外れ、そのまま転ばずにコースを80km/hほどの高速で2分ほど滑り続ける。ボディー・ミラー(MILLER Bode)のスキルの高さに驚く。
 1位 30 WALCHHOFER Michael AUT  1:51.90
 ゴール間近で力尽きて尻餅をつくが、ラップタイムのWALCHHOFER に遅れることわずか30秒ほど。かつ、滑りも驚くほど滑らかだった。

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イヌぞりレースの最古のコース、1910年から (ギネス記録)
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 イヌぞりレースの正式のコースのうちもっとも古いものは、アメリカのアラスカ州アンカレッジからノームまで1688kmのアイディタロッド・トレールだ。このトレールは1910年からあり、1967年以降は毎年開催されるレースのコースとして使われている。(ギネス記録)

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このページの新設日 : 1999/07/25.
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