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スキー話 / 素人さんには内緒?の数字=天国と地獄
 スノービジネスの推移MaxとMin (2006/ 8/06)

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天国の時代地獄の時代備考
スキー人口 '93シーズン 1,860万人(レジャー白書) '05シーズン 750万人(レジャー白書) 60%減
国内
スキー・スケート・スノボ用品市場
1991年 4,290億円(4,500億円という別DATAも)、1995年 4,100億円
(ちなみにテニス用品売上 1995年 1,100億円)
1998年 2,890億円、
2004年 1,910億円
(テニス用品 2004年 750億円)
(98年時点で33%減)
55%減
(テニス32%減)
参考グラフ 2020/08/20追加
レジャー白書(公益財団法人 日本生産本部)・スキー・スノーボード市場08-17
出典:レジャー白書(公益財団法人日本生産性本部)
アシックスのウインタースポーツ用品事業 1990年代前半に約230億円の売上高 2009頃では6億円程度の売上高。
スキー用品撤退検討、早ければ2011年にも判断する見通。堅調なスノーボードウエアの販売は継続する方針だ。
97%減
(日経新聞2010年6月26日)
スキー用品専門店 1990年には約800社あった。 倒産や廃業で1998年現在は130社に減った。 1997年秋、72店舗のオリンピックスポーツが、負債総額348億円で倒産。 84%減
アルペンスキーの生産台数
世界のSki 1993年 610万台。
日本の市場:1991年280万(国産+輸入)
世界のSki 2002年 420万台。
日本の市場:2003年 40万弱輸入+小賀坂分
世界のSki 61%減
日本市場85%ほど減
国産スキーメーカー数 1960年代頃 約30社 2000年以降 約 5社 83%減
JR東日本・シュプール号 1985年度から運行を始めた。設定ピークは1993年度で1,098本(予定本数)、29万人を輸送。 2000年度のアルペン号はわずか122本(同)、2万人。そして2002年度、「シュプール号/アルペン号」と冠がつく東京発着の列車はゼロになった。 100%減
天国の時代地獄の時代備考
長野県内のスキー利用客数 ピーク時の'92年(約2,200万人)
'05シーズンは延べ879万人(前年比6%減少) 4割近くまで落ち込んだ
志賀高原全体でのスキー教育旅行 1994年度 467校 受講生実数140,000人、 コーチ数13,000人、売上 10億5千万円 2003年度(当HP管理人推定)305校 受講生実数71,424人、コーチ数6,300人、売上 5億4千万円 売上で半減
磐梯ひじかたスキースクール 96-97年度 レッスン売上 48,014,052円。
スタッフ 37名(内常勤 18名)、
学生団体・生徒実数 7,112人
03-04年度 レッスン売上 25,023,057円。
スタッフ 16名(内常勤 10名)、
学生団体・生徒実数 3,939人
ほぼ全てで半減。が、未だに存続。
日本スキー場総数 '99シーズン スキー場総数703ヶ所
(新設スキー場 9ヶ所)
ここ10年で50箇所近くも破綻。2004年3月現在 612ヶ所(新設スキー場 1ヶ所?)。黒字収支だったのはたったの1割。05年シーズンは559に。
長野県内では2003年度スキー場数は百余りで、ピーク時からほとんど減らない。
13%減
他の激減と比べまだ淘汰が不十分。 そのワケ
チェアーリフト建設基数の推移 1984〜90年 170〜226基 1996年 100基以下 6割%減かそれ以上
リフト(普通索道)乗車回数 '92シーズン 7億5千万人で、ピーク。
収入は93、95年の約1,500億円
'00シーズン 5億2,278万人
収入は04年に890億円(または810億円)
30%減
41%減
長野県内のリフト輸送人員 リフト中心とする特殊索道の輸送人員は、1990年代初めは2億5千万人かそれ以上。 同 輸送人員は、2003年度で延べ1億2千3百万人と半減。 半減
スキー関係
 書物出版数
1973年11冊 国会図書館 蔵書検索ほか
スキー場名天国の時代地獄の時代備考
羽鳥湖スキー場(福島県天栄村) 1980年に設立、1994年5月期には年商17億円をあげていた。 2003年5月期で4億8700万円にまで減少し、今'04冬のスキー客も約14万人にまで落ち込んだ。 2004-4 自己破産。負債総額約24億円。→9月頃、リゾートトラストに経営譲渡。
新穂高ロープウェイスキー場(岐阜県新穂高温泉) 1973(昭和48)年の営業開始 '02=約1万人、'03=16,171名と、利用者減。 スキー場廃業(2003/3/30)
大鰐温泉スキー場(青森県) 多いときで年間30万人いたスキー客は、半減 藤田観光が撤退し、スパ施設は閉鎖。開発を主導したタウン開発も、3セクへの貸付金33億円を放棄することなどを条件にスキー場から手を引いた。 バブルでの超過大投資。3セクは69億円もの負債を抱え込むが存続。
八幡平スキー場(岩手県)
 1979年に開業。  ホテル宿泊者数は、95年の6万6千人、スキー場客は28万2千人。  99年には、ホテル宿泊者数は4万5千人(-32%)に、スキー場客は17万9千人(-37%)に減少。(2001年6月期)で3期連続の経常赤字、累積赤字は17億円の見込み。 JR東日本は撤退したが、スキー場は存続。
八幡平リゾート(岩手県)
 1979年に開業。91年はピークの約30万人の利用客。 昨シーズン('02?)は約16万人と半減。 JR東日本は累積赤字約50億円を負担し撤退、日本ケーブル株引き受け。
夏油高原スキー場(岩手県北上市) 利用客が減少。当初の年間25万人。 昨季は約17万人に落ち込み、収入は開業以来最低の約6億6000万円(同7%減)、当期未処理損失は約8億4000万円に上る。 第3セク筆頭株主の国際興業が撤退、加森観光が引き継ぎ。
天元台高原スキー場(山形県米沢市)  63年にオープン。利用客は、91年に約30万人だった。
'01シーズンは6分の1に落ち込んだ。累積赤字は約6億円に膨らんだ。 2001秋JTBや地元が撤退表明。→市内から出資で3セク・西吾妻ロープウエー
「神立高原スキー場」(新潟県湯沢町)

「グランデコ スキーリゾート」(福島県北塩原村)
 二つのスキー場のピーク時のシーズン来場者数は合計で約120万人。  二つのスキー場の'03シーズンの来場者数は合計で約70万人と、ピーク時の六割以下に減少。 ◇神立高原 2003/3月に経営会社が破産宣告→東急不動産が運営を請け負うことで管財人と合意。
◇グランデコス 2003/12月中に東京急行電鉄から→東急不動産が約15億円で営業譲渡。
群馬県川場村にオープンした川場スキー場 ピーク時の35万6000人  ただ、過大な負債を背負っていたとはいえ、資金収支の面では黒字を保っていた。99年度のシーズン入場者は20万5000人。ピーク時には及ばないが、わずかながら増えつつあった。
再建の進む川場スキー場
97年、大都工業が会社更正法→ 2000年、第3セクの武尊レクが民事再生法。
2005年、斑尾高原開発が民事再生法 → 川場リゾートの株式73%をOPEパートナーズ取得。

スキー場のいろいろな金額 2015.10.09追加 お勧めのリンク


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このページの新設日 : 1999/07/25.
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