スキー学校と教師のお部屋へ
おもろい話・いい話・いい加減な話
SKIスキーのいろいろページ
以下、国内メーカー(・商社)関連ページ国産SKI板メーカー64社リスト (2016/04/25 追加) 管理人とスキー用具業界 主要メーカー・商社'1976年度版リスト 主要メーカー・商社'1985年度版リスト 主要メーカー・商社'1999年度版リスト (2012/ 5/25) 西沢スキーの歴史、興亡 (2009/ 7/25) 要約版「発掘・日本スキー用具発達史」瓜生卓造 (2016/04/28) (金田スキー製作所、波多スキー、田中鉄工場、西沢スキー) 大正末期から昭和初期における富山県の金田スキー製作所について (2019/09/16) 国内初のスキー製作 以下、国内メーカー(・商社)関連ページこのHPについては、利用者は月に1人いらっしゃるかどうか? と思うと、とても淋しいのです。 でも、どなたかのお役に立てればと思い、創りました。
2005/ 6/02 管理人 .
2016/ 4/25 管理人 . |
スキーの歴史館 Part. 2 |
禁止 : 数十年前のリストです。これを基に電話などをしないで下さい。
メーカー・商社一覧-50音順 総リスト
かっての 国産スキーメーカー(スキー板)64社 一覧リスト
◇日本で初めてのスキー製作は、堀内大佐の命令により新潟県高田市仲町の大工・横山喜作が始まりといわれている。
その他諸説があるが、明治43(1910)、44年(1911)のことである。(詳しくは 国内初のスキー製作)
すぐに一般にも販売されるようになり,製造業者も次第に増えて,三間・小林・月岡などのスキー製造業者ができたという。現在のような工場生産の形態ではなく,冬季に大工・木工関係などの職人達の仕事が積雪のためになくなるので,冬季にこれら職人達が集まってスキー生産に従事する,というような家内手工業による季節的副業の生産形態であった。
最盛期の昭和30年(1955年)代には、カザマスキーを筆頭に9社ものスキー製作会社が存在。(土方注:この9社の数字は新潟県内内のものと想像)
1960年頃当時, 日本スキー工業組合には全国で75のメーカーが属しており,他に数十社のアウトサイダーがあった。
1965年頃には上越地方は全国のスキー生産の約45%を占め,150万台を生産しその生産量の25~30% は輸出用であった。
しかし一方で. 1960年代には業界の中での寡占化が進み. 1970年頃にはカザマ,西沢,小賀坂,ヤマハの4社で国内生産のほぼ6割を占めるようになり,これらに続くものとしてハセガワ,美津濃,アジアなどがあった。
その他諸説があるが、明治43(1910)、44年(1911)のことである。(詳しくは 国内初のスキー製作)
すぐに一般にも販売されるようになり,製造業者も次第に増えて,三間・小林・月岡などのスキー製造業者ができたという。現在のような工場生産の形態ではなく,冬季に大工・木工関係などの職人達の仕事が積雪のためになくなるので,冬季にこれら職人達が集まってスキー生産に従事する,というような家内手工業による季節的副業の生産形態であった。
(上越地方における)スキ一生産の推移 | ||||
出荷量 | 業者 | 従業者 | 生産額 | |
1921(大正10年) | 20,000台 | 7 | 18人 | 65,000円 |
1930(昭和5年) | 30,000台 | |||
1934(昭和9年) | 34,000台 | 13 | 59人 | 350,000円 |
最盛期の昭和30年(1955年)代には、カザマスキーを筆頭に9社ものスキー製作会社が存在。(土方注:この9社の数字は新潟県内内のものと想像)
1960年頃当時, 日本スキー工業組合には全国で75のメーカーが属しており,他に数十社のアウトサイダーがあった。
1965年頃には上越地方は全国のスキー生産の約45%を占め,150万台を生産しその生産量の25~30% は輸出用であった。
しかし一方で. 1960年代には業界の中での寡占化が進み. 1970年頃にはカザマ,西沢,小賀坂,ヤマハの4社で国内生産のほぼ6割を占めるようになり,これらに続くものとしてハセガワ,美津濃,アジアなどがあった。
* 上記について詳しくは、国内初のスキー製作を
1 | 青森スキー製作所 (青森県東津軽郡) →平成9/4 ★(株)ブルーモリス | アジアスキー(株) (北海道小樽市) | 阿部スキー製作所 (宮城県仙台市?) 注:1-1 | |
2 | 阿部スキー (福島県会津若松市) 注:1-2 | (株)伊村製作所 (長野県飯山市) →★株イムラトランソニックアームズ | (株)ウチャマ (新潟県三条市) | |
3 | 大前スキー製作所(長野県中野市) 注:6 | ★(株)小賀坂スキー製作所 (長野県) 1912年に創業 | (株)小川スキー工業所 (北海道小樽市) 商品ブランドは、「ムイネスキー」 なお日本年金機構の資料内では「(株)小川スキー」(北海道小樽市) | |
4 | 海研工業 (東京都港区青山) 注:2 | (株)風間製作所 →カザマスポーツ販売(株) (新潟県新井市) 平成8年1996年倒産 | (株)金田スキー製作所 (富山県東砺波郡) 昭和2年金田スキーの看板をかかげた 「発掘・日本スキー用具発達史」2.金田健治 | |
5 | (株)カワセ (新潟県三条市) 商品ブランドは、「グロリア」 | ★KEI-SKI GARAGE (新潟県上越市) 注:4 →札幌市北区 |
佐々木(株)(大阪市南区) SSKメタルサッポロ72、SSKグラス オーロラ |
|
6 | ★株ジャパーナ(AlpenGroup 注:) ハートスキー(本社・名古屋市、工場・岐阜県) |
(株)スポーテック (長野県下高井郡) | (株)スノーレックス製作所(長野県飯山市) |
|
7 | 墨坂産業(株) (長野県須坂市) 商品ブランドは、「白馬スキー」 | 1953.飯山スキー工業所 →1964. ★(株)スワロースキー (長野県飯山市) | 雪栄社スキー製作所(長野県飯山市) 商品ブランドは、「モンブラン」 |
|
8 | ダイワ精工(株) (東京都) | 高田スキー工業(株)(新潟県高田市) バイレルスキー 第二次大戦後には戦前からの幾人かの業者が集まり、1946年に高田スキー工業を設立し,スキ一生産も新たに開始。 |
奈良スポーツ(株) (奈良県磯城郡) 商品ブランドは、「グローヒル」 |
|
9 | (株)西沢 (長野市) 1998年スキー界から撤退 (西沢スキーの歴史へ) 「発掘・日本スキー用具発達史」5.西沢スキー |
日本楽器製造(株) (静岡県浜松市) 商品ブランドは、「ヤマハ」 1997年(平成9年)にはスキー板(、テニスラケット)から撤退。 |
福井(本社・東京 工場・長野県岡谷市) ニュージャパンスキー 勘違いの可能性もあるが、ロシニョールの初期の代理店(その後→サクライ→三井物産)という不確かな記憶もある。 |
|
10 | 野村スキー (北海道小樽市) | ハガスキー(株) (北海道札幌市・神奈川県茅ヶ崎市) 1917年設立、1991年6月倒産(負債22億円) |
(株)ハセガワ (新潟県上越市) | |
11 | 波多スキー製作所 (富山県西砺波郡福光町) メーカーの乱立によりスキーから撤退 「発掘・日本スキー用具発達史」3.波多栄吉 |
バンブースキー? 注:3 牧田竹スキー制作所(静岡県清水市押切) または社名 「J.B.I」? |
日立化成工業(株) 注:5 | |
12 | (株)広沢スキー製作所 (新潟県上越市) | 富士スキー(株) (新潟県上越市) | (株)不二スキー製作所(長野県) エグモント |
|
13 | (株)フタバヤラケット製作所(東京/長野/他) ユングフラウ |
★(有)フルマークス(神奈川県横浜市都筑区、2000年7月設立、アウトドア用品の代理店で、OEM?) | プレバンスキー(株) (長野県飯山市) | |
14 | マッターホーンスキー(株) (長野県飯山市) | ★マテリアルスポーツ(大阪府守口市)注:7 商品ブランドは、「ID one」 | ミタケスキー(株) (岩手県盛岡市) | |
15 | 美津濃(株) (大阪市東区) | (株)ヤナイスキー製作所 (新潟県村上市) 商品ブランドは、「アロックス」 |
ユニチカ(株) (大阪市東区) ミニスキーBAHN(バーン) 55cm 締具付き 8,000円 '73発売 / '75時点も販売 JR7,800 +大人12,800から23,800の4種類 | |
16 | ★(有)リトルトライブ(長野県北安曇郡白馬村) 商品ブランドは、「reism」 ブルーモリスでOEM? |
(株) 美津和(大阪・東京) 商品ブランドは、「虎印スキー」 (虎印バットやタイガーHUDSONスキー靴メーカーでもある) |
(株)ヤマダスキー(秋田県大仙市・旧 仙北郡中仙町)注:8 初めは合板板で後にメタル、グラス板も、昭和50年代には輸出も。 |
|
17 | 小形(おがた)スキー(樺太) 昭和2年頃は存在 | つばめスキー会社ツバメスキー(札幌) 1912年 明治45年創業、1932年笹崎たけし(笹崎ボクシング)が勤務 | 寺尾スキー工業(札幌市)大正3年(1914年)創業、1978年倒産。本州大手会社の下請け製造ほか | |
23 | 小森スキー製作所(北海道 ニセコ町) 小森スキー製作所 小森英男社長(北海道 ニセコ町) |
昭和60年、「カザマスキー」へ入社。1997年に同社破綻後、機材を買取り、「有限会社ケイスキーガレージ」を仲間3人で設立。2015年に現在の「小森スキー製作所」として独立。 | ||
18 | 田中鉄工所(直江津) 初めに締具作り、翌年明治44年スキー作り〜大正5年頃まで 「発掘・日本スキー用具発達史」4.田中鉄工場 | 秋田木工株式会社(秋田県湯澤町) 明治、ノルウェー式スキーの製作販売 | 日乃出商会スキー製造販売部(秋田県?) 明治、 | |
★ 印は、2010秋現在、OEMも含め現存する国内スキーメーカー(実業之日本SKI誌で調べ) | ||||
@佐々木(株)(大阪市南区) SSKメタルサッポロ72、SSKグラス オーロラ A(株)スノーレックス製作所(長野県飯山市) B高田スキー工業(株)(新潟県高田市) バイレルスキー C福井(本社・東京 工場・長野県岡谷市) ニュージャパンスキー D(株)フタバヤラケット製作所(東京/長野/他) ユングフラウ E(株)不二スキー製作所(長野県) エグモント すぐ上のメーカー6社の名前などは、「ふぬけのスキー」主宰のふきふきサンから、資料付きでお知らせ頂きました。心から感謝です。(2016/01/30 残念ながらリンク切れ) | ||||
スキーの使用経験有り | 幸いにも管理人は工場まで訪問しています。 | |||
スキーの使用経験有り | とくに(株)西沢 は、3?シーズンほどの間、数台のスキーを使用。 | |||
契約の有ったメーカー | 管理人が技術顧問として、携わらせて頂いた会社です。 | |||
▼ 以下は、2016/04/25追加リスト ▼ | ||||
19 | 菊川スキー製作所(菊川商店・福井県現大野市) 大正から昭和初期に誕生、 | 尾崎スキー製作所(福井県大正14年誕生) 製造規模が大きく、県外へのスキー供給を中心に行い | 廣川スキー製作所(福井県昭和2年誕生) 製造規模が小さく大野を中心にスキーの供給 | |
20 | 中西スキー製作所(福井県昭和2年誕生) 製造規模が小さく大野を中心にスキーの供給 | 高田の「山善靴店」(山田善四郎スキー製作所) 高田日報,明治44年1月30日に掲載 | ||
21 | 美満津(昭和6年以前) 当時の西沢で美満津のスキー扱い | 高橋熊蔵,スキー製造販売,高田日報,明治44年2月4日 | 月岡鉄工所,スキー製造販売,高田日報,明治44年2月20日 | |
22 | 三間製作所または三間スキー製作所(高田、明治44年?) 三間 博は国産初号スキ一製作、との説もある | 小林(高田?、明治44年?) 出典:PDF] 新潟県上越地方におけるスキー工業−ある地場産業の崩壊(赤羽孝之) |
注:1-1 阿部スキー =紙を芯材にしたハネカム構造の空洞スキーを製造。 阿部城(仙台市青葉区)の城主・阿部さんがオーナーの会社で、昭和60年前後に事業が失敗。 注:1-2 阿部スキー =福島県会津若松市南町(または会津若松市米代町?)の阿部スキー、というスポーツショップ。 元々は『阿部スキー製作所』という名前で、自社でスキーを作っていた。 「『北風』のスキーだいすき」の中の 北風推薦こんな店「阿部スキー」というhpが作られていた。(2010.2現在hpは消滅)(リンク切れ2019/06) また当スクールの元副校長が2003年頃に、阿部スキーで実際に当時のスキー板を見せて貰っている。 注:2 海研工業 =何と、東京の青山にスキーのメーカーがあったのです。 私も初めてのスキー製造体験=グラスのラッピングによるボックス構造のスキーを創らせて頂きました。 1961〜63年のスキー案内(ベースボールマガジン社)に「FRP10年 世界で一番古い硝子繊維スキーメーカー」の広告を載せています。 注:3 バンブースキー?=いわゆる木材の部分の代わりに弾性の高い竹を使用したスキー。
(1).
当hp管理人がは1965年前後のスキー雑誌の広告で何度も見たことがあり、(神奈川県か)静岡県にあった会社のように記憶。 (2). 「スキー案内」第2集(ベースボール・マガジン社 昭和36年1月)に次の広告があります。従って、社名は「J.B.I」? JBI オールバンブースキー 「スキー界に革命的な新星 J.B.Iオールバンブースキー 米国代理店設立 純国産スキーとして海外に大好評」 「大喜屋」という店の広告でも、 大喜屋(蒲田名画座前) 「世界の驚異!!オールバンブースキー メタルに劣らぬ乗心地! その他内外逸品在庫豊富に取り揃へて居ります」 何年も前の別号には、次のような「大喜屋」の広告もありました。 「スラッセン バンブースキー 驚異的性能・恐るべき強靱さ!!(竹合板+プラスティック) 総発売元」 (3). 静岡県清水市押切にある「牧田竹スキー制作所」。SAJスキー技術員で志賀高原法坂の渡辺 茂さんがアドバイザーしていた記憶があります。(ご本人も使用経験のあるMさんからの情報です)
但し、現在は木製ハンドルメーカーで、スキーは製造していないようです。(2008/5) 但し、「J.B.I」は、別のバンブースキーのメーカーなのか、この会社に発注した問屋ブランドなのかは不明です。 注:4 KEI-SKI GARAGE =KAZAMA倒産により、1997・12にたった3人で設立した国産スキーメーカー。 創生期の、バイクのホンダのように夢があります。活躍と発展を期待します! 注:5 日立化成工業(株) =折りたたみスキーを短期間、その後しばらくはノーマルスキーを販売。 しかしその数が少なく、かつ自社工場を持たずOEMでの発注方式だったので、小さく表示しました。HP管理人が契約時代の金田スキー製作所でも作っていました。 注:6 大前スキー製作所 =(長野県中野市) ベースボールマガジン別冊「スキー案内」(昭和34年12月1日発行 12月号)の広告で、次の文章が記載されていました。 SNOW KING 理想を実現したスキー! 水ナラ材を主材に、ヒッコリーに劣らぬ高性能スキーに成功、永年にわたる研究の成果はスキー改革に大きな力を及した。 大前スキー製作所 注:6は以上ですが、T.Fさんという方からお知らせ頂きました。2006/ 8本日までHP管理人はこのメーカー名を全く聞いたこともありませんでしたし、グーグル、ヤフーでの検索でも見つけることは出来ませんでした。しかし、スキー雑誌に広告を掲載していたのですから、存在は間違いありません。また2008/9/19には、経営者一族の甥にあたる方から、存在確認のメールを頂きました。 注:7 マテリアルスポーツ(大阪府守口市) =スキー板のブランドはID oneで、'01シーズンから販売。自社で工場を持たずに国内のメーカーに委託生産。フリーライド、モーグル、エアー用のスキーで、早くも数々の国際舞台でメタルを獲得。 詳しくは当HPリンク集 ID oneをご覧下さい。 注:8 (株)ヤマダスキー(秋田県大仙市・旧 仙北郡中仙町) 昭和40〜50年頃に、ヤマダスキー。私が小学生の頃はヤマハもミズノブルーインパルスも高嶺の花で、カザマを持ってればいいほうで、大半は地元ブランドのヤマダでした。初めは合板板で、後にグラス板も作っていましたよ。昭和50年代には輸出もしていたと聞いたことがありますが、定かではありません。 廃業して、地元の工芸品の樺細工の工場(本業だったかも)になったような事を聞きました。(以上は、現在は埼玉県草加市在住の【ぐう太】さんより。2013.02) 確証を調べたところ、【日本年金機構 「持ち主不明記録にある事業所(所在地が 秋田県)」の12ページ目の中に記載有り】。(株)ヤマダスキーの存在は間違いのないものであることが、証明されました。 |
かっては上記のように、30社ていどの国内スキーメーカーが存在していました。しかしその多くは倒産、または業態転換、スキー部門からの撤収などをして、2005年現在ほんとうにスキーを製造しているメーカーは4社ではないでしょうか。
スキーコーチ、用具研究者、文筆家として長年この業界に関わり、お世話になってきた人間としては、たいへんに淋しいものがあります。
資料としてまとめ、せめてここに足跡を残すことで万分の一の恩返しをしたいと考えました。
また1997年に誕生したばかりの小さなKEI-SKI GARAGE の発展に期待してやみません。決して国粋主義者ではありませんが、全てが外国メーカーといのは淋しいです。
当HP管理人・土方あきら(2005/ 6/02)
★ 長い間トップ3メーカーとして業界に君臨したオガサカ、カザマ、ニシザワ。その、年商100億円を超える大企業、元・西沢スキー・オーナーの著書「あのスキーはどこへいった?」( 西澤 保佑 \1,575 :西沢書店 / 251p 発行年月 : 2008.12)があります。この辺の事情を知るには最適の著書ではないでしょうか。
★ 小さな芳賀スキー展示場 / 芳賀孝郎著(元ハガスキー社長) / 2010年10月 34ページ
良いスキー作りのために工夫を重ねる様子を、写真・挿絵・図表などを用いて丁重に説明され、筆者の熱い想いが伝わる一冊との書評もある。
ちなみに社長芳賀孝郎さんは、ハガスキーの代表的なモデル約30本を集めた展示室を札幌市中央区の自宅に開設。木を手作業で削って製造された1920年代のスキーもある。 同社は1917年、芳賀さんの父藤左衛門さんと伯父恒太郎さん=いずれも故人=が設立。スキーの輸出実績日本一を記録したこともあるが、70年代に海外メーカーの国内進出が本格化して競争に敗れ、91年6月に倒産(負債22億円)した。 |
◇現在もスキーの製造をしていると思われるメーカー(音順)
- (株・伊村製作所)→ TRANSONIC(株イムラ トランソニックアームズ)→ リンク切れ(2014/04/24)閉じたのでしょうか?
かってはイムラ・ブランド。現在はトランソニック・ブランドでモーグル、ファンスキーを主に製造している様子です。
- ID one(マテリアルスポーツ(大阪府守口市)
オガサカにOEMしているとの話を聞いていますが、情報の確度100%ではありません。
- ハートスキー(株ジャパナ(AlpenGroup 本社・名古屋市 工場・岐阜県))
アメリカ生まれのハートスキー。今は、ブランドごと買い取り、日本国産品です。
- 以下は、「made in Japanの挑戦 - アルペンスキー 弾力性高め「湯浅モデル」」(2009/11/28)(北海道新聞社)より引用
名古屋市に本社を置くジャパーナ。スポーツ用品販売の「アルペン」のグループ企業。
かつて国内には多くのスキーメーカーがあり、1992年第16回アルベールビル五輪男子回転ではヤッゲ(ノルウェー)がヤマハのスキーをはいて金メダルを獲得した。
その後、バブル経済の崩壊で国産メーカーが次々と撤退。
ジャパーナは、97年に撤退したヤマハの技術と、米国生まれの「ハート」のブランド名を引き継ぎアルペン界に参入した。岐阜県内の自社工場で金型作りや素材選びから仕上げまで、一貫して行っている。
- (株)小賀坂スキー製作所
- KEI-SKI GARAGE
1997年に誕生したばかりの小さなメーカーですが、新潟から北海道札幌に移っています。
- スワロースキー
最近はレンタル業だけに代わったと誤解していましたが、1995年設立の中国・大連スワロースキーで作っている、と友人から聞きました。
- ブルーモリス(国産スキー)(旧・青森スキー製作所)
今では、残り少ない国産スキーメーカーに声援を!
- ミタケスキー(盛岡市みたけ)
2008/5現在HPは見つかりませんが、幾つかの少ない情報からそう信じています。→2011/06閉じてしまっていたようです?
- (有)フルマークス(FULLMARKS Inc.)
2000年7月設立、神奈川県横浜市都筑区(2014では横浜市中区桜木町)、OUTDOOR用品の卸・販売業(SKIおよびSNOWBOARDなどのウエアやグローブなどの卸売・販売業)で、OEM?ではないかと思います。
- Re Ism[リィズム] (スキー) (リンク切れ 2019/12)
全く知らないのでいろいろ調べました。「2007年 2月コラボブランド、「ReIsm/リイズム」発売」(ブルーモリス)とあります。リトルトライブ(スポーツ用品店・長野県北安曇郡白馬村北城2451-9)のブランドかと思われます。(2014/04/20)
なお、以下のような記事を見つけました。情報の正確性は不明ということを付けた上で、転記させて貰います。
- kazama nishizawaのスキー板 ?(教えて! gooより)
ついでに言えば、ケスレーはノルディカに吸収されましたが、商標だけゼビオで買い取ってケスレーの板が出ています。
これらは、世界のどこかの工場で作っている板に、店が発注したブランドをプリントしているのかと思います。
狙いは全くオリジナルのブランドをつけるより、昔スキーをやっていた人に知名度があるということでしょう。
ハートはヤマハが撤退した時に、設備や技術を買い取ったそうです。
(管理人注:ハート関係についての詳しくは、ハートスキー(ジャパーナ)を)
へ
スキーの歴史menuへ
スキー学校と教師のお部屋へ
SKIスキーのいろいろページ