各用具・パーツ別に見たスキーの歴史 国内初のスキー製作 2017/12/11追加 用具の歴史 目で見るスキー板の歴史 締具の歴史 スキーのISO-JIS規格と締具調整表へ スキーブレーキ ソールの歴史 弾性材の歴史 エッジの歴史 滑走面のミゾの歩み カービングスキーの誕生年度 その他の用具いろいろ もう1つ別の 用具から見た歴史 スキー靴の変遷へ 用具から見た歴史 ストックの変遷へ スキーの歴史・参考資料
|
世界と日本のスキー歴史館 topへ 用具から見たスキーの歴史年表へ 普通のスキーの歴史ページへ へ おもろい話・いい話・いい加減な話 SKIスキーのいろいろページ |
このページでは、用具と滑り方・技術は密接な関係にあるという観点から、スキーの歴史を述べてあります。
昔から国内では用具に関する歴史資料は見つからず、私が若い頃に購読していた、アメリカのスキー誌とスキーイング誌の記事を参考に、資料を作っていました。
それを基に、1990年代前半?に「(SIA)(商業施設における指導者)専門科目 スキーB級教師教本・スキーの特性と歴史」を執筆しました。ここでは、その歴史関連の部分をベースにしてあります。
2003/ 6/12 土方あきら
国内で初めてのスキーは、いつ、どこで、作られたか 2017/12/11追加
私は長い間、日本で最初のスキー製作年度は「明治43年(1910年)末かその少し後と判断」、レルヒが高田に持ち込んだスキーは「日本国産かどうか不明」としてきました。しかし本日、新しい資料が幾つか見つかったので、この項を大幅に書き直し、もう少し具体的なものにしました。(2016/04/21)
この項の最後に、「エゴン・フォン・クラッツアー、横浜、明治43年(1910年)のはじめに」説を追加しました。(2017/12/11)
国内で初めての官製スキー製作は、明治43年(1910)末と判断
◇ レルヒは自費でスキーを10台作り、それを持参。そして明治44(1911)年1月12日、歩兵第58連隊営庭において、14名のスキー研究員を対象にスキーの指導が行われた。これが日本におけるスキーのはじまりである。
(土方の注:講習した場所については、「58連隊営庭」と「金谷山スキー場」の2つの記載が見られる。どちらかが、誤りの可能性もある。しかし信頼性の高い「上越市のサイト」でも両方が記されていることから、両者は同じ場所である可能性が高い。)
|
◇ (レルヒは1910年11月に交換将校として来日。1911年1月1日に、新潟県・高田(現上越市)の歩兵58連隊に着任。)東京の砲兵工廠で作らせたスキー10台を持って上越市高田に来た。
- 新潟県上越地方におけるスキー工業−ある地場産業の崩壊(歴史地理学146 20~28 1989. 9 赤羽孝之)より
P-21 「II. 上越地方におけるスキー工業の歴史」より
この2つの資料から見ても、日本最初のスキー製作年度、場所は、1910年11月〜12月の間に東京の砲兵工廠となる。
ただ一つ腑に落ちないのは、「レルヒは自費でスキーを作り」と「東京砲兵工廠で製作された」の結びつきの悪さだ。自費でと申し出ても、官営の東京砲兵工廠が、自費製作を許可するだろうか。
結果的には、官品として東京砲兵工廠で製作された可能性もある。そうするとレルヒからのプレゼント説は誤りになってしまう。
国内で初めての商品・製品スキー製作は、明治43年(1910年)末、一般商品も翌44年にはと判断
◇説.1 当時たまたま,師団の御用商人として高田にやって来た長岡の三間新吾の弟・博は,師団からスキー製作の依頼を受けて生産を始め,三間製作所を設立した。これが日本におおけるスキ一生産の始まりである,との説もある。
- 新潟県上越地方におけるスキー工業−ある地場産業の崩壊(歴史地理学146 20~28 1989. 9 赤羽孝之)より
P-21 「II. 上越地方におけるスキー工業の歴史」より
『上越市史 通史編5 近代』のなかでも、「(官製スキーは東京砲兵工廠で製作されました。)また高田の地元でも、民間にスキー製作が依頼されました。こちらに関しては額縁屋の三間博が苦心惨憺のすえに完成させ、高田師団(当時は師団でした)にそれを納めた。」と概略が述べられている。
この2つの参考資料とも、非常に信頼度の高いものである。
◇説.2 明治末年から大正にかけて、新潟県高田市仲町の大工・横山喜作が、堀内大佐の命令で作ったのが始まりといわれている。用材は、けやきやくり材で、当時の高田の湿雪に合った用材が選ばれた。(金具は大町3丁目の月岡鉄工所に作らせた。)
管理人注:明治末年とは明治45年。しかし明治44年2月19日の高田日報に、横山喜作,スキー製造販売の掲載。同、明治44年2月20日に月岡鉄工所,スキー製造販売。すなわち明治44年には、横山喜作のスキーが一般人に向けて販売されていたのは事実である。
◇説.3 1910年(明治43年)末、額縁屋の三間博が先端部を上手に曲げたスキーを製作、これが民間人が初めて作ったスキーだと言われています。
◇説.4 「私が最初に履いたスキーは自家製の竹スキー。
その後わら靴でも履ける木製のスキーが売り出された。高田の蔵番町の田原平八作のノルウェー式のスキー。値段は1本杖つきで1円50銭。明治44年(小川勝治著「日本のスキー発達史」昭和31年 朋文堂より)」 皇室にも献上させて頂いた事が有ると(ひ孫の方からの伝聞)。
◇説.5 「私が初めてスキーを買ってもらい、履いたのは、明治44年。
スキーは、台はケヤキで、木目も鮮やかに見える飴色に塗ってあり、製作所の屋号が焼き印で打ち抜いてあった。
このスキーは当時製造されて売れ出された2種類のスキーの内、ノルウェー型だった。もう1種類はオーストリア型。(スキー夜話 / 山口諭助. -- 法政大学出版局, 1964 昭和39年)より」
18) 山田善四郎,高田日報,明治44年1月30日. (高田の「山善」(山田善四郎スキー製作所))
19) 高橋熊蔵,スキー製造販売,高田日報,明治44年2月4日.
20) 横山喜作,スキー製造販売,高田日報,明治44年2月19日.
21) 月岡鉄工所,スキー製造販売,高田日報,明治44年2月20日.
25) 田中鉄工所,高田日報,明治45年1月1日.
という資料もある。中央が掲載新聞、年月日である。
なお、1908 明治41年
◇スキーを冬の遊び、スポーツとして紹介した人は、札幌農学校(現・北海道大学)のドイツ語講師として赴任してきたスイス人、ハンス・コラー(スイス)。両杖式のスキー1台を持参するが実技の指導なし。赴任当時のコラーはスキーをまったく滑れなかった。持参説よりも、母国からスキーを取り寄せ、学生たちに紹介したとの説に説得力がある。
当時の学生たちは、そのスキーをモデルに馬そり屋にスキーを作らせ、校内の坂などで滑った。商品ではないスキーとしては、1908 明治41年が国産の第一号だろう。
- 北海道デジタル図鑑〜100の物語[観光・スポーツ]スキー (北海道公式サイト)(リンク切れ2019/06)
新説追加・『もしかしたら、日本で最初に作られたスキーの可能性も? 43年(1910)のはじめ』 2017/12/11追加
エゴン・フォン・クラッツアー(クラッセルとも読む、Egon Edler von Kretzer)は、「ドイツ商社シーメンスの日本駐在員として明治42年、26歳で来日した。43年(1910)のはじめ早速横浜でスキーを作らせ、ドイツ語、英語のパンフレットを刷り、外国人相手に販売を始めている。」(「クラッセル」(登って滑る)より-リンク切れ)
あのレルヒは、1910年11月に交換将校として来日。1911年1月1日に、新潟県・高田(現上越市)の歩兵58連隊に着任。)東京の砲兵工廠で作らせたスキー10台を持って上越市高田に来た。すなわち、1910年11〜12月にスキーを製作。
クラッツアーは「43年(1910)のはじめに」とあるが、レルヒよりも10ヶ月ほど早くに製作と云うことになる。否定はできないが、当時のスキー製作技術、工具、治具を思うと半信半疑。
また次のような資料もあります。
1940年1月「TOURIST」に寄稿されたEgon Edler von Kretzerさんの手記「Skiing in Japan 30 Years Ago」です。
1910年「スキーの製作と販売」
勤務地横浜で母国から持参したスキーを見本に、家具職人にスキー板を、締め具は鍛冶屋に製作を依頼している。・・・。
「スキーの注文が増えたが、製造経験が不足で完全とはいえなかった」
販売は「ジャパンポスト」「ジャーマンウィークリー」当時の英字新聞等に広告を掲載、広く通信販売を計ったとも述べもている。
(クラッツアーさんの手記を訳してみました(趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ))より)
もしかしたら、日本で最初に作られたスキーの可能性も? 2つの資料から「明治43年(1910)」であることは間違いないでしょう。しかし「その年のはじめに」説は、原典が不明なので、まだ断定には至りません。少なくとも、日本での初期グループの一人ではあることは確かです。
- 「もしかしたら、日本で最初のスキー製作?、E.V.クラッツアー」(当サイト内) (2017/12/11)
へ
スキーの歴史menuへ
スキー学校と教師のお部屋へ
SKIスキーのいろいろページ