世界と日本のスキー歴史館・歴史・年表・年譜 アルペンスキー競技☆歴史

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本来はアルペンスキー専用のページでした。
しかし次の3名は、スキー史の中から外すことは出来ません。
 ※「キング・オブ・スキー」の荻原健司選手(スキー・ノルディック複合、世界初の個人総合3連覇)、
 ※天才女子・燉恪ケ羅選手(女子ジャンプ、'16シーズンに3度目の総合優勝中)、
 ※レジェンド葛西紀明選手(2016.2.12現在、ジャンプ男子最年長表彰台記録を「43歳8カ月」に更新、通算60回目)
透明スペーサー
その結果なし崩し的に、アルペンスキー以外も掲載することになってしまいました。
お許し下さい!!










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アルペンスキー競技☆歴史 Part-1
近代スキーの幕開け − スポーツとしての時代の幕開け(〜1896)

Part-2(〜1896)  Part-3(〜1944)  Part-4(〜1979)  Part-5(1980〜)  Part-6(2000〜)

1769年 ◇ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)で最初の競技会。スポーツとしてのスキーが始まる。
 1843年最初の知られていた一般市民のスキー競争(スキージャンプ)は、ノルウェーのTromsで起こった。との記録もある。
(最初のスキー純ジャンプは、1862年1月22日にTrysil(ノルウェー)で開かれた。 後に、1879年からのオスロのHusebybakkenの年次大会は、1892年からHolmenkollenに移り、Holmenkollenはスキージャンプのメッカになる。)
1843年 ◇最初の知られていた一般市民のスキー競争(スキージャンプ)は、ノルウェーのTromsで起こった。
(最初のスキー純ジャンプは、1862年1月22日にTrysil(ノルウェー)で開かれた。 後に、1879年からのオスロのHusebybakkenの年次大会は、1892年からHolmenkollenに移り、Holmenkollenはスキージャンプのメッカになる。)
  • 『Reference.com/Encyclopedia/Ski』(英文→2015リンク切れ)より
     1769年にクリスチャニア(現オスロ)で最初の競技会、との記録もある。
1850〜1857年 ◇滑降競技スキーレース(最大90mphの)は、1857年までにキャンプを採掘しながら競争するとき組織化されて、1869年にそれらのピークを打った。トンプソンのアルペンClubの規則の下で。
  • 『Reference.com/Encyclopedia/Ski』(英文→2015リンク切れ)より
1860 万延元年  ◇ノルウェー王室が、スキーの勝者に賞を与え、国家的スポーツとなる。
1867 慶応3年 ◇スキーがノルウエーの国技となる。
1875 / 1877年 ◇1875年に、最初のスキークラブが、クリスティアニア(現在のオスロ)に設立された。
◇その2年で後1877年に、最初のスキースクールがクリスティアニアに設立された。
  • 『Reference.com/Encyclopedia/Ski』(英文→2015リンク切れ)より

 なお日本では今日まで、「1877年に最初のスキークラブ、1880年に最初のスキースクールがクリスティアニアに設立された」、ということになっていた。しかし英文資料によれば、少し異なるが、どちらが正しいかは不明。(2006/ 5/30)
(諸説があるので、詳しくは世界最初のスキークラブは、いつ、どこ?」を参照)
1877 明治10年 ◇ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)に、初めてスキークラブが結成される。(1875年という説もある)
例えば、パラレル・ターンをかってはパラレル・クリスチャニアと呼んだのは、この地の選手の強さによる。
1879 明治12年 ◇ハスビーヒル(ノルウェー)で第1回ジャンプ大会開催。23メートルのジャンプが、信頼できる最初の記録。Wikipedia@pediaによれば、「テレマーク地方にいた靴屋の少年ジョルジャ・ヘンメスウッドが、クリスチャニアのヒューズビーの丘で23m飛んだという記録が残っている」とある。
 年度も、国も、23mも全く同一なので、上記の2つは同一のもの思われる。ハスビーとヒューズビーという丘の名前も、似ているので日本語表記の違いであろう。ちなみにクリスチャニアは、現オスロの旧名称である。従って、次のようにまとめ直しておく。
◇ノルウェー・クリスチャニア(現オスロ)のハスビーヒル(またヒューズビーの丘は)で第1回ジャンプ大会開催。23メートルのジャンプが、信頼できる最初の記録。テレマーク地方にいた靴屋の少年、ジョルジャ・ヘンメスウッドの記録である。
 テレマーク技術公開。
1883 明治16年 ◇ノルウェー・スキー連盟創設。
1890 明治23年
◇中央ヨーロッパで最初のスキークラブは、ドイツのミュンヘンで創設された。
 但し北欧では、1875または1877年に最初のスキークラブが、クリスティアニア(現在のオスロ)に設立されている。
(諸説があるので、詳しくは世界最初のスキークラブは、いつ、どこ?」を参照)
1896 明治26年 マチアス・ツダルスキー ◇マチアス・ツダルスキー(オーストリア。Mathias Zdarsky。マティアス・ズダルスキーとも表記。1856〜1940)が、「山岳(リリエンフェルト)スキー滑降術」を公表および出版。
 それまでと比べ短めのスキー、ミゾ無しの滑走面、2本杖から1本に改良。急斜面山岳地用の実用性を重視して、低い姿勢と、回転技術はプルーク・ボーゲン、シュテム・ボーゲン。
 注: ツダルスキーが、スキー術と用具を考案したリリエンフェルトの地名をとり、リリエンフェルト式****と呼ばれる。(ズタルスキーとリリエンフェルト式****についての詳しい説明

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アルペンスキー競技☆歴史 Part-1
近代スキーの幕開け − スポーツとしての時代1900〜第2次世界大戦1944

Part-2(〜1896)  Part-3(〜1944)  Part-4(〜1979)  Part-5(1980〜)  Part-6(2000〜)

1905 明治38年 ◇オーストリア・スキー連盟発足。
◇1905年3月19日 最初のスキー旗門レース
 マチアス・ツダルスキー(Mathias Zdarsky)が、初めて旗門を使用して大回転競技「ムツケンコーゲル大会」を開催。
 リリエンフェルトのムッケンコーゲル山の頂上から麓まで、標高差489メートル、全長1950メートルのコースに85?の旗門をセット。途中35度以上の斜面での旗門を10か所、45度の斜面に1か所というコースを設けた。
 この日、彼が主催した世界で初めでのスキー旗門レースは、その後のアルペン・スキー競技の原点として記念すべきものであった。(『スポーツできごと一日一話』大修館書店より)
(当サイト管理人注:45度の斜面は崖のようなもの。今でも難しいが、当時の用具とレベルで滑ることは困難に近いだろう。従って、この45度については少し信用出来ない。)
 1本杖による初のレース。滑降タイムの速さだけでなく、尻もちや手を付くなどの転倒が減点になり、そのトータルで競った。(福井大学教授・新井 博談)
◇米国スキートーナメントがミシガン州のIshpemingで開催され、393フィートのスキージャンプ記録。
1907 明治40年 ◇ロシニョール(フランス)がウッドスキーの生産開始。(ボアロン(Voiron)で生産は始まり、まさに100年後の2007年に、その施設を閉鎖した。)
1910 明治43年 ◇オーストリア将校のゲオルグ・ビルゲリー(Georg Bilgeri)が「山岳スキー術(Alpine skiing)」を出版。リリエンフェルト・スキー術とノルウェースキー術を対立するものとは考えずに、両者を合わせて1つにまとめた。
 1本杖を廃して2本杖を採用。回転技術では、ノルウエー派のクリスチャニアを取り入れた。
 新しい締具を考案し、2本杖を採用し、テレマーク型スキーを取り入れて、軍と一般の指導にあたった。
 また滑走面に(最初の?)ミゾを採用、1.2〜1.5mというショートスキーを、山岳登山に使用した先駆者である。
1911 明治44年 ◇カンダハー・スキークラブにてカンダハー伯の主催で、初の滑降レース「ロバー卜・オブ・カンダハー・スキー大会(the Roberts of Kandahar Cup)」開催。
 場所はクランモンタナ (Montana-sur-Sierre) 。これが有名なカンダハーの滑降レースとなる。それは1922年の初のスラロームレース(スイスのミューレン)へと引き継がれていく。
◇高田市に、我が国初のスキークラブ・「越信スキー倶楽部」設立(2月)。
◇高田南西の旭山コースで、初めての滑降競技が行なわれる(当サイト管理人注:この年度は誤りで、翌1912年説が正しいと判断する)。
◇大日本体育協会設立。
1912 明治45年 ◇1月21日  旭山コース(新潟県高田市)で、記録に残る日本初の競技会が開かれた。別の資料では「金谷山(高田市郊外)で、、」という表記もある。開催年月日、概要など同一なので、同一のものである。
 高田スキークラブ主催で50名が参加した。コースは南葉山八合目から射撃場までの高田旭山コースで全長4km、その後レルヒコースと呼ばれるようになった。決勝点付近は黒山の見物人で埋まったという 。1位は軍の小暮少尉の25分ほど。ちなみに後走はレルヒで、ラップ。
 レルヒの指導によるものである。あの乃木大将も出席しスピーチで激賞。
(当サイト管理人注:前年の説もあるが、本1912年説が正しいと思う。その根拠は、次のとおり。)
* スキーのあけぼの ・スキー発祥から新潟県スキー連盟の創立まで
 地元のサイトであり、かつこちらには1912年の大会成績やタイム、コースの詳細なども記されている。情報の信頼出来るサイトである。
* 実業之日本社 SKI'78-1 「SKI雑学大事典」にも、同じく明治45年1月21日で記されている。
1914 大正3年 ◇第1次世界大戦勃発
1921 大正10年 ◇たぶん最初の(?)滑降競技はイギリス・スキー選手権のために、サー・アーノルド・ラン(arnold Lunn)によって開催された。
 ちなみに翌年の1922年に、最初の現代のスラロームも、・アーノルド・ランによって開催された。
1922 大正11年 ◇スイスのミューレンで、「アルペン・スキースラローム大会」という初の回転競技が試みられる。
◇このとき、アーノルド・ラン(イギリスarnold Lunn)によって、初めて旗門が採用される。
◇大日本体育協会内に、スキー部が設けられる。
1923 大正12年 ◇第1回全日本スキー選手権大会が北海道・小樽市郊外の緑が丘で開催される。
1924 大正13年
第1回冬季オリンピック・シャモニー大会ポスター
第1回
冬季オリンピック
・シャモニー大会
◇第1回冬季オリンピック、シャモニー(仏)大会開催。参加16カ国258名で日本はゼロ。(日本の初参加は1928 昭和3年 第2回サンモリッツ大会)
 スキー種目は距離(クロスカントリー18kmと50km)、耐久、リレー、ジャンプのみ。アルペン競技が正式種目に採用されるのは、1936年の第4回から。


◇シャモニー(フランス)において、F.I.S(国際スキー連盟)誕生。
◇第2回全日本スキー選手権大会が新潟県・高田(現在の上越市)金谷山で開催される。以後、毎年行なわれる。
1925 大正14年 ◇S.A.J.(全日本スキー連盟)創設(2月15日、加盟20団体)。  会長・稲田昌植。 日本体育協会に加盟。
1926 大正15年 ◇S.A.J.が F.I.S.(国際スキー連盟)に加盟。
◇全日本大学専門学校スキー競技連盟結成。
1928 昭和3年
第2回冬季オリンピック・サンモリッツ大会ポスター
第2回
冬季オリンピック
・サンモリッツ大会
◇第2回冬季オリンピック、サンモリッツ(スイス)大会開催。25カ国464名が参加。
 日本初参加。伴 素彦、麻生武治、竹節作太、矢沢武雄、永田 実、高橋 昴の6選手が代表。日本選手は35メートルのジャンプ。
◇FISの招待で「Ski Club of Great Britain」は、サンモリッツ第2冬オリンピックに平行してダウンヒルとスラロームレースを開催。
◇3月に、アーノルド・ラン(イギリスarnold Lunn)がハンネス・シュナイダー(Hannes Schneider)と協力し、国際的なアルペンスキー競争「アールベルグ・カンダハー競技」を開催する。
 さかのぼること17年、アルペンスキーの大きなレースは、1911年にシオンの谷のクランモンタナで、カンダハー伯の主催で開かれている。これが有名なカンダハーの滑降レース(1928)となる。それは1922年の初のスラロームレースへと引き継がれていく。
 (詳しくは、クラッシックレースを参照)
◇第1回全日本学生スキー選手権大会が大鰐で開催される。
◇第4回明治神宮体育大会にスキー競技会が加えられ、高田で開催される。
1929 昭和4年 ◇世界的ジャンパーである、ノルウェー・スキー連盟副会長オーラフ・ヘルセット中尉一行を招へい。
 それまで28mのジャンプ記録が、48mに躍進した。
◇第1回全国中学校大会、福島県・沼尻にて開催
1930 昭和5年
◇旗門に赤・青・寅の三色使用を決める。
◇アントン・トニー・ゼー口ス(Seelos, Anton "Toni"。オーストリアのインスブルックの近郊、ゼーフェルドに生まれの羊飼い)によって、テンポ・パラレル・シュプングが完成される
 それまでのシュテムシュブングを基本とするアールベルグスキー技法に対する、立ち上がり抜重+ローティション+強い前傾によるパラレル・ターン。テンポシュブングと呼ばれた技法であった。その優位を競技会で証明していた。
  (1930年そのものではなく、1930年代という説もある)
 回転競技の旗門構成の「ゼーロスゲート」は、彼の名によるハズ。
アントン・ゼーロス
 スラローム
アントンゼーロス
1930年、 ラウバーホルン大会 ウェンゲン(スイス)がスタートした。
 (詳しくは、クラッシックレースを参照)
  Wengen1967-2013全98Races優勝者名
1931年 キッツビューエル(チロル州・オーストリア)ハーネンカム(Hahnenkamm)大会がスタートした。
 アールベルグ・カンダハー大会(1928年)、ラウバーホルン大会(1930年)と相次いでスタートした3大会。
 1966年にワールドカップがスタートしたとき、この3大会はワールドカップの中心的なレースとして指定された。
 (詳しくは、クラッシックレースを参照)
1931 昭和6年 ◇F.I.S.が、スイス・ミューレンで国際競技会(現在の世界選手権大会)を開催(アルペン種目)。
1932 昭和7年 ◇第3回冬季オリンピック、レイク・ブラシツド(アメリカ)大会開催。日本も参加。
 (レークプラシッドでは、1980年、第13回冬季オリンピックも開催 )
◇スキージャンプとクロスカントリーの競技会は、Placid湖(ニューヨーク)の冬のオリンピックで開催された。(米国)
1934 昭和9年 ◇3月25日、第1回、蔵王〜高湯・全日本滑降レース大会開催。
1936 昭和11年 ◇第4回冬季オリツピック、ガルミンシュ・バルテンキルヘン(ドイツ)大会開催。28カ国755名(668名との資料もある)が参加。
 この大会からアルペン競技が正式種目となる(種目はダウンヒルとcombined、スラローム)。種目としてアルペンの複合(コンバイン)が最初に実施されたのは、この大会からである。
◇日本からは15名(34名との資料もある)が参加し、伊黒正次がジャンプ7位。
◇第5回冬季オリンピックに、札幌が立候補。
◇札幌・大倉山シャンツェ(ジャンプ台)が完成。当時の最長不倒距離は51m。
1937 昭和12年 ◇I.O.C.ワルソー総会で、第5回冬季オリツピック大会が札幌に決定されたが、アマチュア資格問題により、I.O.C.とF.I.S.が対立し、スキー競技が冬季オリツピック大会から除外される。
◇全日本スキー選手権大会を滋賀県・伊吹山で開催。初めてのアルペン種目が採用(男子新複合、女子滑降のみ)。即ち第1回アルペン大会。
◇外国スキー用品・用具輸入禁止。
◇第7回アルペンスキー世界選手権はシャモニー(フランス)で開催。エミール・アレー(Emile Allaisフランス)は、滑降と回転の2種目に圧勝。コンビネーションにも金メダル。世界一のアルペンレーサーとなっている。
 フランス人は誰も勝ったことのないアルペン競技でのエミールの活躍で、フランス中が沸き返った。
◇第14回ノルディックスキー世界選手権大会は1937年2月12日から7日間、フランス、シャモニーで開催。5種目(クロスカントリースキー3種目、ノルディック複合1種目、スキージャンプ1種目)が行われた。
1938 昭和13年 ◇日中戦争が勃発のため、第5回冬季オリンピック札幌大会(1940)、第12回夏季オリンピック東京大会(1940)ともに返上する。
◇世界選手権大会ジャンプ競技に初参加(フィンランド・ラハチ)。
後楽園球場で第1回全日本選抜スキー・ジャンプ大会、1938年2月27日 ◇第1回全日本選抜スキー・ジャンプ東京大会(1938(昭和13)年2/27 後楽園スタヂアム→現在の東京ドーム)
 東京・後楽園の野球場に、石打から夜行貨物列車で運んだ雪をつけた。
1940 昭和15年 ◇ (第5回冬季オリンピック札幌大会、第二次世界大戦で中止)
1941 昭和16年
◇第2次世界大戦勃発(12月8日)
1944 昭和19年 ◇ (第5回1944年 コルティナダンペッツォ(イタリア)冬季オリンピック、第二次世界大戦で中止)
◇ (第二次世界大戦の影響を受け第5回冬季オリンピックは、まず1940年札幌大会が中止になり、続いて1944年コルティナダンペッツォに変更・順延になるが、これも中止)

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アルペンスキー競技☆歴史 Part-1
現代スキーの隆盛 − スポーツ・ビジネスとしての時代1945〜1979

Part-2(〜1896)  Part-3(〜1944)  Part-4(〜1979)  Part-5(1980〜)  Part-6(2000〜)

1945 昭和20年 ◇第2次世界大戦終結(8月15日)。
第2次世界大戦後まもなく
年代不明
◇靴の後ろも紐で縛る靴をモリトールが作った。
◇それを追いかけるように、一時代をふうびしたダブルの靴を、リーカーが誕生させている。
靴と足の一体化の時代に入ってきた。
1947 昭和22年 ◇全日本学生スキー選手権大会が第20回大会として復活、小樽で開催。
(第1回は1928 昭和3年に大鰐で開催)
◇1947年3月、福岡孝行(法政大教授)の主導により第1回八方尾根リーゼンスラローム大会開催。毎日新聞社後援。終戦から2年め、唯一の交通機関・列車はスキー持ち込み禁止の時代。商品には家庭用の鍋など。
1948 昭和23年 ◇第5回冬季オリンピック、サンモリッツ(スイス)大会開催。28カ国708名(669名との資料もある)が参加。日本は不参加
 (当HP管理人 注: 日本が五輪不参加の理由は、敗戦国としての経済の疲弊、貴重な外貨不足?か)
◇戦後初の第3回国民体帝大会冬季スキー大会兼、第26回全日本スキー選手権大会が野沢で開催。
(第1回は1923 大正12年に小樽で開催)
1949 昭和24年 ◇日本初の風洞実験が東京大学第二工学部で実施される(のちにスキージャンプ競技の練習に使用)
◇1949日本の平均気温は、統計を開始した1899年以降で、第1位の高い記録。(57年後の2006年12月〜2007年2月に、第1位タイで並ぶ暖冬。)
1950 昭和25年 後楽園球場で第3回全日本選抜スキー・ジャンプ大会1950年1月28日 ◇昭和25年(1950)1月、東京・後楽園球場の特設シャンツェで、学生・全日本選抜のジャンプと回転が行われた。発案者は第2回冬季オリンピックに日本初の参加選手・竹節作太で、昭和7年にアメリカで見た大会を参考にしたという。
 戦前昭和13、14年にも後楽園と甲子園で実施している。
1952 昭和27年 ◇第6回冬季オリンピック、オスロ(ノルウェー)大会開催。30カ国732名が参加。アルペン複合が廃止され、大回転が加えられる。女子距離競技が新設される。
 日本からは、戦後初めて参加する(8名)。
◇全日本スキー選手権大会と国民体育大会スキー競技会が分離される。
◇第1回高等学校スキー選手権大会が水上で開催される。
1954 昭和29年 アンリ・オレイエ1954 ◇フランスからピエール・ギョーとアンリ・オレイエが来日し、全国10カ所で指導を行なう(旧・日本国有鉄道が招聘)。オレイエは、1948第5回冬季五輪・新複合の金メダリスト。
(参考:現代のワールドカップの名門レースの1つヴァル・ディゼール。伝統の“OKコース”とは、フランスの往年の名選手、アンリ・オレイエとジャン‐クロード・キリーの名前が冠せられた名物コースである。その「オレイエ」の来日であった。)
◇世界スキー選手権大会アルペン競技に、日本から戦後初めて参加する。
◇西ドイツのマーカーが最初の開放式締具(リリース・バインディング)を開発。
1956 昭和31年 ◇第7回冬季オリンピック、コルチナ・ダンペッツオ(伊)大会開催。トニー・ザイラー(オーストリア)がアルペンの三冠王となる。
 日本からは7名参加(日本選手団スキー監督は野崎 彊)。一時は片足反則かと騒がれたが、猪谷千春がスラロームで2位に入り、日本初のスキー・メダリストが誕生する。
 滑降・男子 1トニー・ザイラー(AUT) 2レイモント・フェレイ(SUI) 3アンドレアス・モルテラー(AUT)
 回転・男子 1トニー・ザイラー(AUT) 2猪谷 千春 3スティグ・ソランデル(SWE) 33杉山 進
 大回転・男子 1トニー・ザイラー(AUT) 2アンドレアス・モルテラー(AUT) 3ヴァルター・シュスター(AUT)
 全日本スキー選手権大会のアルペン競技が、滑降・回転・大回転の3種目となる 。
◇日本のスキー人口は600万、または700万人とも。
1958 昭和33年 ◇世界スキー選手権バドガスタイン大会で猪谷千春、スラローム3位。
◇全日本スキー選手権大会、富井初子がアルペン史上初の三冠王(1961年に2度目を)
バックル靴の写真
ホックランドの世界初 バッ
クル靴 撮影:土方あきら
◇ホックランド(西ドイツ、もしかしたらオーストリア?)により、今までのヒモ締めに代わるバックル靴が登場(右の写真)。しかしヘンケも、世界最初のメーカーを名乗っている。
1960 昭和35年 ◇第8回冬季オリンピック、スコーバレー(アメリカ)大会開催。
 ジャン・ビュアルネ(仏)は最初のメタルスキーを使用して滑降の金メダル、ギィ・ペリラはコンビ(仏)で優勝。
 クローチングスタイル、卵形の姿勢が世界で初めて公開され、「ビュアルネの卵」としてスキー界を揺るがした。
 日本チームの一員として、当HP管理人の兄貴分である見谷昌禧さんも参加のハズ。
1961 昭和36年 ◇全日本スキー選手権大会、アルペンの富井初子が2度目の三冠王(初は1958)
1964 昭和39年 ◇第9回冬季オリンピック、インスブルック(オーストリア)大会開催。36カ国1,414名が参加。日本からは20名。
 (当HP管理人 注: ゴワシェル姉妹がSL GS共に金銀。男子GSはFrancois Bonlieuが金、DHは Leo Lacroixが銀。墺太利での開催だが、フランス勢大活躍の大会。)
◇ラング(アメリカ)によって、オールプラスチックブーツが紹介された。
 1958 昭和33年にラングが、という説もある。
◇三浦雄一郎さんが、イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加し、時速172.084kmの世界新記録樹立。
1966 昭和41年 ◇第26回ノルディック世界選手権大会(ノルウェー・オスロ)で、ジャンプの藤沢隆が90m級で銀メダル獲得(ノルディック初のメダル獲得)
◇夏8月、チリのポルチーヨで第19回アルペンスキー世界選手権大会。標高2885mの高地で行なわれた。
 フランスのアルペンチーム絶頂期で、24個あるメダルのうち16個ものメダルを獲得。ジャン・クロード・キリーは滑降勝利のあと、スキーとブーツ、ウェアを付けたままでプールに飛び込んだ。
(管理人のおぼろげな記憶では、この時の滑降レースでの優勝したキリーは平均120km/h)
◇1966年8月11日、スキー・ワールドカップの誕生宣言。(ポルチーヨの第19回アルペンスキー世界選手権会場が、WC発起の土台になった)
1967 昭和42年 ◇ポルチーヨの4ヶ月後、1967年1月5日、ワールドカップ第1戦のスラロームが、ドイツのベルヒテスガーデンで行なわれた。ハイニ・メスナー(AUT)がこの歴史的勝利。
◇数日後ジャン・クロード・キリーの連続勝利が始まった。「私にとってワールドカップは、世界選手権、オリンピックなどより、はるかに重要なものである」とキリーは言った。
◇丸山仁也が、全日本スキー選手権大会でアルペン男子初の三冠王
1968 昭和43年 ◇第10回冬季オリンピック、グルノーブル(フランス)大会開催。
 ジャン・クロード・キリー(フランス)が史上二人目のアルペン三冠王となる。
 霧の中の疑惑三冠王については、「二度も金メダル剥奪された男シュランツ」に詳しくあります。
◇第10回冬季オリンピック(フランス・グルノーブル)に、初めて女子選手の代表が出場。大杖美保子(アルペン)、加藤富士子(クロスカントリー)を派遣
1970 昭和45年 ◇第28回ノルディック世界選手権(チェコ・ビソケタトリ)、70m級ジャンプで笠谷幸生が銀メダル獲得
1971 昭和46年 ◇プレ・オリンピック大会開催(札幌)。23ヶ国が参加
1972 昭和47年 ◇第11回冬季オリンピック、札幌大会開催。35か国参加
 (当HP管理人 注: アルペン優勝候補カール・シュランツ(オーストリー)が、アマ・プロ問題で五輪から追放。但し1989年IOCが過去の非を認め復権 (えん罪?による追放と名誉回復))
 (当HP管理人 注: アルペンスキー界1970年代の10年間はアンネマリー・ブレル大活躍の時代。WC通算62勝は約30年後も女子歴代1位。)
 (70m級ジャンプは、1位笠谷幸生、2位金野昭次、3位青地清二、と3位まで独占。複合5位勝呂祐司。)
1973 昭和48年 ◇日本で最初のワールドカップレース、苗場大会開催。
 柏木正義の回転10位、日本人初のワールドカップ獲得ポイント。
1975 昭和50年 ◇ワールド・カップ苗場大会2度目の開催。海和俊宏がワールドカップ初出場で回転13位。
1976 昭和51年 ◇第12回冬季オリンピック、インスブルック(オーストリア)大会開催。日本からは23名参加。
 (当HP管理人 注: アルペンスキー界1970年代半ばからの15年間はインゲマル・ステンマルクの時代。WC通算86勝、引退20年後でも男子歴代1位)
1977 昭和52年 ◇ワールドカップ富良野大会開催。
◇海和俊宏がワールドカップ、サンアントン(オーストリー)で7位 → この大会で第一シードになる。
◇第1回ジュニアスキー選手権大会始まる
1978 昭和53年 ◇海和俊宏、ワールドカップ、オーバーシュタッヘン大会(西ドイツ)スラローム5位。
 しかも新スキーが合わず前年のスキー使用という凄さ)。世界選手権(西ドイツ、ガルミッシュ)7位と活躍するが、夏のオーストリーで練習中にアキレス腱切断。
◇第25回アルペンスキー世界選手権は西ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヘンで開催。男女の滑降、大回転、回転、アルペン複合の計8種目が実施された。
 海和俊宏が回転で入賞目前の7位。
 土方注(2016.2):SAJ公式サイト内では、海和7位の会場は「スイス・サンモリッツ」とあるが、これは間違いである。
◇第32回ノルディックスキー世界選手権大会は、フィンランド、ラハティで開催。10種目(クロスカントリースキー7種目、ノルディック複合1種目、スキージャンプ2種目)

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アルペンスキー競技☆歴史 Part-1
ごく現代スキーの隆盛 − スポーツ・ビジネスとしての時代1980〜

Part-2(〜1896)  Part-3(〜1944)  Part-4(〜1979)  Part-5(1980〜)  Part-6(2000〜)

1980 昭和55年 ◇第13回冬季オリンピック、レイク・ブラシツド(アメリカ)大会開催。
 70m級ジャンプ、2位八木弘和、4位秋元正博。
 滑降・男子 1ストック(AUT)  2ビルンスバーガー(AUT) 3ポトボルスキー(CAN) 21片桐幹雄
 滑降・女子 1モザー・プレル(AUT)  2ウェンツェル(LIE)  3ナディヒ(SUI) 
 回転・男子 1ステンマルク(SWE) 2P・マーレ(米) 3ルシー(SUI) 15沢田 敦
 回転・女子 1ウェンツェル(LIE) 2キンスホファー(西独) 3ヘス(SUI)
 大回転・男子 1ステンマルク(SWE) 2ウェンツェル(LIE) 3エン(AUT) 29海和俊宏 36沢田 敦
 大回転・女子 1ウェンツェル(LIE) 2I・エプレ(西独) 3ペラン(仏)
◇日本初のジャンプ・ワールド・カップ大会、札幌で開催される。八木弘和が日本選手初のワールドカップ優勝
1982 昭和57年 ◇シュラドミンク世界選手権大会
1983年 昭和58年 ◇ワールドカップ・ノルディックコンバインド日本大会初開催(札幌)。
◇81〜83年までフィル・メーア(アメリカ)が、連続3年間W杯総合V。1984年引退。
 フィル・メーアが持つ通算27勝(内GS7、 SL 9、K11勝)というアメリカ人による最多勝利記録が破られるのは、実に彼の引退24年後の2008年、ボディ・ミラー(MILLER Bode)によってである。
1984 昭和59年 ◇第14回冬季オリンピック、サラエボ(ユーゴスラビア)大会開催。
 滑降・男子 1ジョンソン(米) 2ミュラー(SUI) 3シュタイナー(AUT) 28千葉信哉
 滑降・女子 1フィジーニ(SUI) 2バリザー(SUI) 3ハルバトバ(TCH)
 回転・男子 1P・メーア(米) 2S・メーア(米) 3ブーべ(仏) 12海和俊宏
 回転・女子 1マゴニ(伊) 2ペラン(仏) 3コンツェット(LIE)
 大回転・男子 1ユーレン(SUI) 2フランコ(YUG) 3ウェンツェル(LIE) 25岩谷高峰 26海和俊宏 27児玉 修 30千葉信哉
 大回転・女子 1アームストロング(米) 2クーパー(米) 3ペラン(仏)
1985 昭和60年 ◇第28回アルペンスキー世界選手権イタリア・ボルミオ大会。
◇第36回ノルディック世界選手権大会(オーストリア・ゼーフェルド)開催。ジャンプ団体で日本が6位入賞(渡瀬弥太郎・佐藤 晃・西方千春・秋元正博)。
 本大会から奇数年開催となりオリンピックと分離された。
1986 昭和61年 ◇第1回F.S.S.(フリースタイル・スキー)世界選手権大会開催(フランスのティーニユ)。
◇ジャンプ・ワールド・カップが札幌で開催される。
1987 昭和62年 ◇ワールドカップ最終戦SL(ボスニア・ヘルツェゴビナ/サラエボ)で、岡部哲也が日本人最高の4位入賞。2本目では、日本選手初のラップタイムを奪う
◇第29回アルペンスキー世界選手権大会(スイス・クランス=モンタナ クラン・モンタナ)。
1988 昭和63年
◇第15回冬季オリンピック、カルガリー大会開催
 A・トンバ(伊)、大回転・スラロームの2冠王。
 この大会の特徴は、男女複合が復活し('36 '48以来)、新たにスーパー大回転が追加され全5種目となったこと。
 ちなみにスーパーG(またはSG)はアルペンスキー競技種目の中では最も歴史が浅く、種目としての誕生は不確かだが1980年代であろう。

 滑降・男子 1ツルブリッゲン(SUI) 2ミュラー(SUI) 3ピカール(仏) 11千葉信哉 34熊谷克仁
 滑降・女子 1キール(西独) 2エルトリ(SUI) 3パーシー(CAN) 14川端絵美 23山本さち子
 回転・男子 1トンバ(伊) 2ベルンドル(西独) 3フロンメルト(LIE) 12岡部哲也
 回転・女子 1シュナイダー(SUI) 2スウェート(YUG) 3ギュートライン(西独) 19川端絵美
 大回転・男子 1トンバ(伊) 2シュトロルツ(AUT) 3ツルブリッゲン(SUI) 31岡部哲也 31石岡千秋
 大回転・女子 1シュナイダー(SUI) 2ギュートライン(西独) 3バリザー(SUI)
 スーパー大回転・男子 1ピカール(仏) 2マイヤー(AUT) 3エリクソン(SWE) 14千葉信哉
 スーパー大回転・女子 1ボルフ(AUT) 2フィジーニ(SUI) 3パーシー(CAN) 29川端絵美 30山本さち子
 複合・男子 1シュトロルツ(AUT) 2グシュトライン(AUT) 3アコラ(SUI)
 複合・女子 1バハター(AUT) 2エルトリ(SUI) 3バリザー(SUI) 21熊谷克仁 20山本さち子
◇アルペン・ワールドカップ(ノルウェー・オプタル)の回転種目で、岡部哲也がトンバと接戦の末2位入賞。日本選手初のアルペン・ワールドカップ表彰台に立つ。
◇全日本スキー選手権大会のアルペン女子で、川端絵美が史上初の4種目制覇(滑降2戦・スーパーG2戦・回転・大回転6戦すべて優勝)
1989 昭和64年
  (平成1年)
◇第30回アルペン世界選手権大会(アメリカ・ベイル)で、川端絵美が日本女子初の滑降5位入賞。
◇第38回ノルディック世界選手権大会(フィンランド・ラハティ)、15kmフリーで佐々木一成が入賞目前の7位と健闘。
1990 平成2年 ◇アルペン・ワールドカップ(オーストリア・シュラドミング)で、岡部哲也(回転)が2度目の表彰台(3位)
1991 平成3年 ◇ザールバッハ世界選手権大会開催。
◇1998年第18回長野オリンピック開催を、決定。
1992 平成4年 ◇第16回アルベールビル五輪(フランス)開催。
 ノルディック・コンバインド団体で、初の金メダルを獲得(三ヶ田礼一・河野孝典・荻原健司・阿部雅司)
 滑降・男子 1オルトリープ(AUT) 2ピカール(仏) 3マーダー(AUT) 25富井剛志
 滑降・女子 1リーガートナー(CAN) 2リンド(米) 3バーリンガー(AUT) 11川端絵美 26山本さち子
 回転・男子 1ヤッゲ(NOR) 2トンバ(伊) 3トリッチャー(AUT)
 回転・女子 1クロンベルガー(AUT) 2コバーガー(NZ) 3F・オチョア(ESP) 18岡部哲也
 大回転・男子 1トンバ(伊) 2ジラルデリ(RUK) 3オーモット(NOR) 21木村公宣 23石岡拓也
 大回転・女子 1ビーベリ(SWE) 2ロフェ(米) バハター(AUT) 3
 スーパー大回転・男子 1オーモット(NOR) 2ジラルデリ(RUK) 3卜ールセン(NOR) 38木村公宣 41石岡拓也
 スーパー大回転・女子 1コンパニョーニ(伊) 2メルル(仏) 3サイツィンガー(独) 31川端絵美 38山本さち子
 複合・男子 1ポリグ(伊) 2マルティン(伊) 3ロハー(SUI) 9石岡拓也 15木村公宣
 複合・女子 1クロンベルガー(AUT) 2バハター(AUT) 3マスナダ(仏) 13川端絵美
   ※ 第16回までは、夏季オリンピックと同年開催。第17回からは、夏季オリンピックの中間年に開催。
     なお1940、1944年は第二次世界大戦のため中止。
1993 平成5年 ◇アルペン・ワールドカップ(オーストリア・サンアントン)、滑降女子の川端絵美が3位で初の表彰台。
◇アジア初のアルペン世界選手権大会、岩手県・盛岡市雫石町で開催。
◇ノルディック世界選手権大会(スウェーデン・ファールン)で、同一大会では初となる金メダル3個を獲得。NC荻原健司、NC団体(河野孝典・阿部雅司・荻原健司)、ジャンプ原田雅彦。
◇ワールドカップ・ノルディック・コンバインドの荻原健司が、日本選手初のWC総合優勝飾る。
1994 平成6年 ◇第17回リレハンメル五輪(ノルウェー)開催。
 コンバインド団体(荻原健司・河野孝典 ・阿部雅司)が金メダル。個人で河野孝典が銀メダル、ジャンプ団体(西方仁也・葛西紀明・岡部孝信・原田雅彦)銀メダルと大活躍。
◇同大会ジャンプ団体も、1980年以来となる銀メダルを獲得(西方仁也・葛西紀明・岡部孝信・原田雅彦)。
 滑降・男子 1モー(米) 2オーモット(NOR) 3ポディビンスキー(CAN)
 滑降・女子 1サイツィンガー(独) 2ストリート(米) 3コストナー(伊) 21川端絵美
 回転・男子 1シュタンガシンガー(AUT) 2トンバ(伊) 3コシール(Slo) 18木村公宣 19石岡拓也
 回転・女子 1シュナイダー(SUI) 2E・エーダー(AUT) 3コレン(Slo)
 大回転・男子 1バスマイヤー(独) 2ケーリン(SUI) 3マイヤー(AUT) 26木村公宣
 大回転・女子 1コンパニョーニ(伊) 2エルトル(独) 3シュナイダー(SUI)
 スーパー大回転・男子 1バスマイヤー(独) 2モー(米) 3オーモット(NOR) 33木村公宣
 スーパー大回転・女子 1ロフェスタインロッター(米) 2グラディシエワ(ロシア) 3コストナー(伊) 24川端絵美
 複合・男子 1チュース(NOR) 2オーモット(NOR) 3ストラントニールセン(NOR)
 複合・女子 1ビーベリ(SWE) 2シュナイダー(SUI) 3ドブザン(Slo) 17川端絵美
◇ノルディック・コンバインドの荻原健司が、ワールドカップ総合2連覇果たす。
1995 平成7年 ◇第41回ノルディック世界選手権大会(カナダ・サンダーベイ)開催。
 ノルディック・コンバインド団体で金メダルを獲得。オリンピック、世界選手権大会で4連覇達成(阿部雅司・荻原次晴・荻原健司・河野孝典)。
 荻原健司・次晴の双子兄弟、ノルディック複合・団体戦で優勝。
◇同大会、ジャンプ・ノーマルヒルで岡部孝信が金メダル。斉藤浩哉は銀メダルを、団体でも銅メダルを獲得。(安崎直幹・斉藤浩哉・西方仁也・岡部孝信)。
◇ノルディック・コンバインドの荻原健司、ワールドカップ総合3連覇。
1996 平成8年
1997 平成9年 ◇第6回大会フリースタイル世界選手権大会(長野県飯綱高原スキー場)開催。
◇第18回長野オリンピックのプレ大会となるワールドカップ開催。クロスカントリーで、青木富美子(5qC)が日本選手最高となる5位入賞。
1998 平成10年 ◇第18回長野オリンピック開催。
 日本チームがメダルラッシュ。ジャンプ・ラージヒル団体(岡部孝信・斉藤浩哉・原田雅彦・船木和喜)金メダル。=日本オリンピック史上100個目の金メダル(2月17日)
 ラージヒル船木・金メダル、原田・銅メダル。  ノーマルヒル船木・銀メダル。
 フリースタイル・女子モーグルで、里谷多英が金メダル。
   史上最多のメダルを獲得した。
 滑降・男子 1クレティエ(仏) 2チュース(NOR) 3トリンクル(AUT) 17富井剛志
 滑降・女子 1サイツィンガー(独) 2ピーベリ(SWE) 3マスナダ(仏)
 回転・男子 1ブロース(NOR) 2フールセット(NOR) 3シコラ(AUT) 13木村公宣 20平沢 岳 21石岡拓也
 回転・女子 1ゲルク(独) 2コンパニョーニ(伊) 3ステガル(AUT) 17池田和子 20山川純子 24柏木久美子
 大回転・男子 1マイヤー(AUT) 2エベルハーター(AUT) 3フォングリュニゲン(SUI) 25木村公宣29石岡拓也
 大回転・女子 1コンパニョーニ(伊) 2マイスニッツアー(AUT) 3サイツィンガー(独) 25池田和子 27柏木久美子 29山川純子
 スーパー大回転・男子 1マイヤー(AUT) 2キュシュ(SUI) 3クナウス(AUT) 24富井剛志 27滝下靖之
 スーパー大回転・女子 1ストリート(米) 2ドルフマイスター(AUT) 3マイスニッツアー(AUT) 36柏木久美子
 複合・男子 1ライター(AUT) 2チュース(NOR) 3マイヤー(AUT)
 複合・女子 1サイツィンガー(独) 2エルトル(独) 3ゲルク(独) 16山川純子
ワールドカップヴェイソンナ(SUI)で木村公宣が3位。
1999 平成11年 ◇第43回ノルディック世界選手権大会(オーストリア・ラムソウ)開催。ジャンプ(ノーマルヒル)で、札幌オリンピック以来2度目の表彰台独占を達成(金:船木和喜、銀:宮平秀治、銅:原田雅彦)。
◇宮平秀治は、同大会で出場した3種目でメダル獲得(ノーマルヒル:銀、団体:銀、ラージヒル:銅)。

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アルペンスキー競技☆歴史 Part-1
ごく現代スキーの隆盛 − スポーツ・ビジネスとしての時代2000〜

Part-2(〜1896)  Part-3(〜1944)  Part-4(〜1979)  Part-5(1980〜)  Part-6(2000〜)

2000 平成12年
2001 平成13年 ◇第8回大会フリースタイル世界選手権大会(カナダ/ウィスラー・ブラッコム)で、モーグルの上村愛子が同種目日本人初となるメダルを獲得(銅メダル)。
2002 平成14年 ◇第19回ソルトレークシティー(アメリカ)・オリンピック開催。77カ国 2,531名参加、日本からは109名。
◇第19回冬季オリンピック(アメリカ・ソルトレーク)。フリースタイル・モーグルの里谷多英が、オリンピック2大会連続メダル獲得(銅メダル)果たす。
◇同大会クロスカントリー男子(50kmクラシカル)で、今井博幸が史上最高の6位入賞(男子2大会連続入賞)。
 滑降・男子 1STROBL, Fritz(AUT) 2KJUS, Lasse(NOR) 3EBERHARTER, Stephan(AUT) 42滝下靖之
 滑降・女子 1MONTILLET, Carole(FRA) 2KOSTNER, Isolde(ITA) 3GOETSCHL, Renate(AUT)
 回転・男子 1VIDAL, Jean-Pierre(FRA) 2AMIEZ, Sebastien(FRA) 3BAXTER, Alain(GER) 19木村公宣
 回転・女子 1KOSTELIC, Janica(CRO) 2PEQUEGNOT, Laure(FRA) 3PAERSON, Anja(SWE) 14廣井法代 16柏木久美子
 大回転・男子 1EBERHARTER, Stephan(AUT) 2MILLER, Bode(USA) 3KJUS, Lasse(NOR) 34佐々木明37 木村公宣
 大回転・女子 1KOSTELIC, Janica(CRO) 2PAERSON, Anja(SWE) 3NEF, Sonja(SUI) 29広井法代 35柏木久美子
 スーパー大回転・男子 1AAMODT, Kjetil Andre(NOR) 2EBERHARTER, Stephan(AUT) 3SCHIFFERER, Andreas(AUT)
 スーパー大回転・女子 1CECCARELLI, Daniela(ITA) 2KOSTELIC, Janica(CRO) 3PUTZER, Karen(ITA)
 複合・男子 1AAMODT, Kjetil Andre(NOR) 2MILLER, Bode(USA) 3RAICH, Benjamin(AUT)
 複合・女子 1KOSTELIC, Janica(CRO) 2GOETSCHL, Renate(AUT) 3ERTL, Martina(GER)
 フリースタイル・モーグル・女子 1TRAA, Kari(NOR) 2BAHRKE, Shannon(USA) 3里谷 多英 6上村愛子 20畑中 みゆき
 ノルディック複合・個人 1LAJUNEN, Samppa(FIN) 2TALLUS, Jaakko(FIN) 3GOTTWALD, Felix(AUT)
                 11荻原健司 12高橋大斗 30森 敏 33富井 彦
 ジャンプ・ノーマルヒル 1AMMANN, Simon(SUI) 2HANNAWALD, Sven(GER) 3MALYSZ, Adam(POL)
                 9船木和善 20原田雅彦 33山田大起 49葛西紀明
 ジャンプ・ラージヒル 1AMMANN, Simon(SUI) 2MALYSZ, Adam(POL) 3HAUTAMAEKI, Matti(FIN)
                 7 船木和善 20原田雅彦 24宮平秀治 41葛西紀明
◇「キング・オブ・スキー」の荻原健司(1969年12月20日生まれ)が引退。スキー・ノルディック複合(コンバインド)で'93 '94 '95と連覇し、世界初の個人総合3連覇を達成など。
2003 平成17年 ◇1月12日を「スキーの日」に制定(関連6団体)。
◇アルペン・ワールドカップ(スイス・ヴェンゲン)で佐々木 明がゼッケン65番スタートから2位入賞。ラップタイムに0.04差はこれまでの最少差。
◇フリースタイル・ワールドカップ(アメリカ・ディアバレー)で、モーグルの上村愛子が初優勝。
2004 平成16年 ◇スノーボード・ワールドカップの女子ハーフパイプ(イタリア・トリノ)で、山岡聡子が女子初となるハーフパイプ種目別総合優勝。
◇フリースタイル・ワールドカップ(イタリア・トリノ)で、瀧澤宏臣がスキークロス総合優勝。
2005 平成17年 ◇スーパー・コンビネーション(スーパー複合、SC)の誕生。
 従来のワールドカップの複合では、実際に競技をせずに、同じ開催地で別々の日に組まれたスペシャルDHとスペシャルSLの成績によって順位を決めていた。
 この新しく生まれたSCは、午前はスラローム(1本のみ)、午後はダウンヒル。
 男子が2005年1月14日、ウェンゲン(スイス)でベンヤミン・ライヒ(AUT)が優勝。女子は2月27日、サン・シカリオ(イタリア)で、ヤニツァ・コステリッチ(クロアチア)が優勝。  国際スキー連盟(FIS)はスーパー複合方式の導入を進め、従来のペーパーレースを置き換えていった。'06シーズンには、ワールドカップにおいて男子のスーパー複合が3回に対してペーパーレース1回、女子はスーパー複合2回でペーパーレースなしであった。
◇スノーボード・ワールドカップ女子ハーフパイプ、成田夢露がハーフパイプ種目別総合優勝。
2006 平成18年 ◇第20回トリノ(伊)・オリンピック(2006年2月10日〜2月26日)。
 アルペンスキーSL(回転)で、皆川 賢太郎4位入賞(3位と0.03秒差)、湯浅直樹7位。猪谷千春の銀メダル以来50年ぶりの入賞
 同大会で初採用のスノーボードクロスで、藤森由香が7位入賞。
 スピードスケート男子で及川 佑、女子で岡崎朋美が、それぞれ500mで4位に入った。
◇ヤニツァ・コステリッチ(クロアチアCRO)
 2002 ソルトレイク(USA) K/1位、GS/1位、SL/1位、SG/2位
 2006 第20回トリノ(ITA) K/1位、 SG/2位、SL/4位、 五輪アルペンスキー史上女性初となる4冠を達成。
 2回の五輪で合計4個の金メダル、2個の銀メダルは、五輪アルペンスキー史上女性最多のメダル獲得数。
2007 平成19年 ◇第7回スノーボード世界選手権大会(スイス・アローザ)ハーフパイプ。國母和宏、山岡聡子が、ともにスノーボード史上初となる銀メダルを獲得。
◇第47回ノルディック世界選手権大会(札幌)で、ジャンプ団体銅メダル獲得(栃本翔平・岡部孝信・伊東大貴・葛西紀明)。
◇50年ぶりか、それ以上の世界的な大暖冬。
 例えば2006/07ワールドカップは、33会場中、雪不足による中止があったのは8会場も。シーズン真っ盛りの1月26日〜28日、豪雪地のキッツビューエル(オーストリア)会場では、男子SLを除く全種目が中止というほど。日本国内も同様。
【スキーコンプ】(競技スキー専門誌)が倒産。2007-2月号で終了。(アルペン)競技スキー専門誌という唯一の存在だったので、残念である。
  同誌の初期段階では、名前だけですが、私(土方)も顧問?でした。
2008 平成20年
◇ワールドカップ勝利の最年長記録マルコ・ビュッフェル(LIE)
 2008年1月18日キッツビュールのスーパーGは、リヒテンシュタインの大ベテラン、36歳のマルコが優勝。ワールドカップ勝利の最年長記録更新。
 これは前'07シーズンのLake Louise(CAN ・2006年11月25日)男子滑降レース第1戦に優勝し、創った最年長記録35歳と21日を、36歳のマルコ自身が塗り替えた偉業である。
 「2008年36歳ワールドカップ勝利の最年長記録マルコ・ビュッフェル(LIE)」36歳2ヶ月と14日 男子DH および全種目 )
  →2015現在、マルコはSG最年長優勝では歴代記録4位、DH最年長表彰台では歴代記録1位。
◇フリースタイル・ワールドカップで、5勝を挙げた上村愛子が初のモーグル総合優勝。
◇クロスカントリー・ワールドカップ(スウェーデン・ストックホルム)の女子スプリントで、夏見 円が日本選手初の表彰台(3位)。
 磐梯ひじかたスキースクールが、1967(昭和42)年秋に猪苗代で誕生してから40年を迎える。感謝あるのみ
2009 平成12年 ◇ノルディック世界選手権大会(チェコ・リベレツ)で、ノルディック・コンバインド団体金メダル(小林範仁・加藤大平・渡部暁斗・湊 祐介)。
◇同大会でジャンプ女子初採用。最高位は渡瀬あゆみの10位。
◇同大会でジャンプ団体、2大会連続銅メダル(栃本翔平、岡部孝信、伊東大貴、葛西紀明)。
◇同大会のクロスカントリー女子チームスプリントで、夏見 円・石田正子組が同種目史上最高となる4位入賞。
◇フリースタイル世界選手権大会(福島県・猪苗代町)開催。
 上村愛子がモーグル・デュアルモーグルの2種目を制す。西 伸幸と伊藤みきも銀メダルを獲得。フリースタイルで初の4個のメダルを獲得。
◇スノーボード世界選手権大会(韓国・カンウォン)で、男子ハーフパイプの青野 令が同種目初の金メダル獲得。
◇8月24日、アントン(トニー)・ザイラー(Anton("Toni") Sailer(1935年11月17日〜2009年8月24日、享年73歳)永眠。
 アルペンスキーの往年の名選手(オーストリア)、1956年のコルティナダンペッツォ(伊)冬季五輪で初の「五輪アルペン3冠」。その後俳優に転身、「白銀は招くよ!」などのスキーの映画にも多数主演。85年にはIOCから、勲章「オリンピック・オーダー」を授与した。
2010 平成22年 ◇第21回バンクーバー(カナダ)・冬季オリンピック開催の予定。数種目はウィスラーでも開催、と。
◇ウェンゲンのラウバーホルン大会(1930年スタート)が今季で80回め、キッツビューエルのハーネンカム大会(1931年スタート)は70回め。いずれ劣らぬ歴史と伝統の大会である。
クラッシックレースについて、詳しく説明
  Wengen1967-2013全98Races優勝者名
◇三大クラシックレースの残るもう1つ、アールベルグ・カンダハー大会(1928年スタート)は、後に、3会場持ち回り開催。戦争などによる中断は不明だが、誕生来82年になる。
 この'10ガルミッシュのカンダハー男子DHを制したのは、23歳カルロ・ヤンカ(SUI)。ステンマルク、トンバ、ヘルマンに次ぐ、スーパースターになる可能性大、と当サイト管理人は見ている。
◇第21回冬季オリンピック(カナダ・バンクーバー)クロスカントリー。女子初入賞となるリレー8位(夏見 円・石田正子・福田修子・柏原理子)。
2011 平成23年
ブルーガイドスキー創刊号Ski'63〜50周年号 ◇東日本大震災の発生により、3月11日以降の国内公認大会の多くが中止に。フリースタイル・ジュニア世界選手権大会の選手派遣も見送り。
◇平成23年1月は、日本スキー発祥100周年
 日本に初めてスキーを教えたオーストリアの軍人テオドール・フォン・レルヒが、明治43年、日露戦争に勝利した日本陸軍の研究のため来日した。翌44年、13師団視察のため高田を訪れ、自費で作った軍用スキー10台を寄贈した。たまたまそのレルヒは、ズダルスキーから直にリエンフェルト・スキー術を学んだ高弟であった。スキーに関心を持っていた長岡師団長の願いにより、1月12日金谷山において軍人に対してスキーの指導が行われた。日本でのスキーの始まりになった。
2012 平成24年
◇第1回ユースオリンピック(オーストリア・インスブルック)
 ジャンプ女子の燉恪ケ羅、スノーボード・ハーフパイプ女子の大江 光が、各金メダル獲得。
◇ジャンプ・ワールドカップで、伊東大貴が初優勝含むシーズン4勝。ノルディック・コンバインドの渡部暁斗も、同様に4勝をマーク。
◇ジャンプ女子のワールドカップがスタート。燉恪ケ羅が蔵王大会で初優勝。
 磐梯ひじかたスキースクールが、1967(昭和42)年秋に猪苗代で誕生してから45年を迎え、そして3月で最後のレッスンを終える。感謝あるのみ
2013 平成25年
◇第50回ノルディック世界選手権大会(イタリア・バルディフィエンメ)のジャンプ競技。初採用された男女混合団体で、日本金メダル(伊藤有希、伊東大貴、燉恪ケ羅、竹内 択)。
◇ジャンプ女子・ワールドカップで、燉恪ケ羅が8勝を挙げ、初の総合優勝。
◇第14回大会フリースタイル世界選手権大会(ノルウェー・ヴォス)で、伊藤みきがモーグル、デュアルモーグルとも銀メダルを獲得。スキーハーフパイプの小野塚彩那も、同種目初の銅メダル獲得。
2014 平成26年 ◇第22回冬季オリンピック - ロシアのソチで開催。開催期間 2014年2月7日〜2月23日(17日間)
 日本チーム史上最多の7個のメダルを獲得(銀メダル4個・銅メダル3個)。
◇ジャンプの燉恪ケ羅選手が、ワールドカップ史上2人目となる2連続総合優勝を果たす 。'93〜'95シーズンにかけて3連覇した荻原健司に次ぐ二人目。
◇2014年3月31日? シモーネ・オリゴン(Simone Origone イタリア)が、世界最速252.454km/hの記録。自身が2006年に記録した251.40km/hを、8年ぶりに更新。
◇2014年11月29日 W杯個人第3戦(フィンランドのルカ)で、葛西 紀明(ジャンパー)が自らが持つ最年長優勝記録を42歳5ヶ月に更新。通算優勝回数を17回(日本人男子最多)とした。
2015 平成27年 ◇マルセル・ヒルシャー(オーストリアHirscher Marcel 26歳)が、'14/15WCで1冬の種目別SL、GS2つで優勝、かつ総合優勝。これだけでも大偉業だが、この結果、回転種目別では3連覇総合優勝4連覇は前人未踏の大記録。本人以外に破られることはないだろう!
◇葛西 紀明(レジェンド(生ける伝説)ジャンパー)が、第29戦オスロ大会で2位になり最年長表彰台記録を42歳282日に更新。総合成績で6位となり、2シーズン連続のトップ10入りを果たした。
◇2015/04/02? ヴァース(Varsフランス)会場で、時速252.632キロの世界最速記録を、シモーネ・オリゴン(Simone Origone イタリア)が樹立
2016 平成28年 ◇2016/02/13-14 男子アルペンスキーFIS ワールドカップ苗場大会開催。
 日本開催は10年ぶり、苗場では41年ぶりの開催。13日ジャイアントスラローム(GS)の勝者はアレクシ・パントロー(仏)。14日スラローム(SL)の勝者はフェリックス・ノイロイター(独)。
 ちなみに41年前の苗場大会SLで、ノイロイター父も表彰台に立っている。
◇2016/02/14現在。アルペンWC苗場SLでは、7位に沈んだヘンリック・クリストファーセン(ノルウェー)。
 それまでの'16シーズンSL7戦中2位が1回、残る6回が優勝。内4連勝という偉業。あのヒルシャー(4年連続総合V)に優勝を譲ったのは1レースのみである。
◇2016/02/13現在。高梨沙羅(クラレ)は、スキー・ジャンプ女子W杯第13戦(スロベニア)は2位に沈む。
 その結果'16シーズンの13戦中2位が2回、残る11回が優勝。内10連勝という偉業。総合V確実だ!
2016 平成28年
◇燉恪ケ羅選手(クラレ)が、4戦を残して早々とワールドカップ総合優勝を決めた。日本選手タイとなる3度目の総合優勝は、15戦12勝、2位2回、4位と表彰台を逃したのは1度だけという安定ぶりで、圧勝。以前の2回の総合優勝は'13、'14シーズン。
◇レジェンド葛西紀明選手、ジャンプ男子最年長表彰台記録を「43歳8カ月」に更新、通算60回目の表彰台(2016.2.12現在)

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