世界と日本のスキー歴史館・歴史・年表・年譜
福島県・猪苗代スキー場関係の歴史、料金・価格の歴年推移(改正 2014/ 3/27)


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丸ボタン 磐梯高原と猪苗代スキー場(および周辺)の特徴
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丸ボタン 開業間もない頃(1960年頃)の猪苗代スキー場
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丸ボタン 【超大物スキーヤーと猪苗代】 (と動画)
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  おまけ編  丸ボタン 【猪苗代からスキーの特許誕生】 ( 2011/3/07)
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丸ボタン 猪苗代スキー場(と周辺)の歴史年表
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丸ボタン リフトなどハード面から見た歴史年表(改正 2012/ 3/17)
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丸ボタン 猪苗代スキー場のハード別の年譜  (改正 2014/ 3/27)
 リフト  リフト総数  ナイター開始  地形変更・新コース
 人工降雪機  圧雪車 / オートゲート  ホテル・建物
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  磐梯ひじかたスキースクールの
丸ボタン レッスン料金の歴年推移
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丸ボタン 猪苗代スキー場関係の物価の推移
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丸ボタン 猪苗代スキー場の積雪量 (年度別)
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丸ボタン 猪苗代スキー場のデーター(別hpへ)
  入場者数、リフト券など
丸ボタン 猪苗代スキー場2001〜2008入り込み情報(別hpへ)
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丸ボタン 猪苗代スキー場2001〜2008入り込み情報(別hpへ)
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猪苗代、磐梯山に関わる本・約200冊 (2010/07/20) 新規New
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 資料、データーを大量に持っている私ですが、それでもたかが自校のレッスン料金を過去35年に渡って集計しようとすると、かなりの手間がかかりました。
 将来的には、スキー用具・用品(板、締具、スキーウエア)などの物価も調べていたきいと夢見ていますが、いつ出来るものかは不明です。

2004/10/10 管理人 .


◇猪苗代の関係者の方にお願い
 もし、タクシー、バス、宿、JR(国鉄)運賃、リフト料金など単年度のどれか1つでもご存じの方は、ぜひぜひ当方にお知らせ頂ければ幸いです。たかがこんなものでも、いつの日にか猪苗代、またはスキー界の貴重な資料になる可能性があるのです。
 もちろんそれ以外でも、どのような情報、データーでもかまいませんから、お教え下さい。
              メール
◇謝辞
 小林 隆一さんは猪苗代町の住人で、猪苗代スキー場のリフト関係者として46年間もお勤め(昭和観光開発、福島スノーアライアンス社員在職は18年間、2008年6月定年退職)。ほとんど私と同じ頃からという、猪苗代スキー場の数少ない生き字引といもいえる人です。
 2008/ 3 その小林さんに泣きつき、質問状を預けて記憶している範囲での回答をお願いしました。ところがご自身の記憶だけでなく、幾つかの貴重な詳細資料まで頂戴しました。
 お蔭さまで幾つもの不明点、不確実だった点などがクリアになり、このページの精度を高めることが出来ました。この場を借りて御礼を申し上げます。
2009/ 4/22 HP管理人・土方あきら
 この略歴の中に、福島県スキー史と歴代役員の2つがあり、どちらも詳しく大変に参考になりました。
 このように歴代役員名簿を詳しく作ることで、福島県連を作り、支えてきた大先輩達への敬意を表し、足跡を残すことは、大変に価値あることです。
 これがSAJ、SIAその他の関係組織のHPにおいても、数少ないことは残念なことである。


柴田英夫さんの写真
柴田英夫さん
(1989年ISK30周年誌)
松井喜義さんの写真
松井喜義さん
(1989年ISK30周年誌)
小林光助さんの写真
小林光助さん
(1989年ISK30周年誌)
小林 満さんの写真
小林 満さん
(1989年ISK30周年誌)
ISK支配人・出口さんの写真
ISK支配人・出口さん
(1967.11-第6回JIC)
(出口沖彦さんの祖父)
大塚利兵衛さんの写真
大塚利兵衛さん
(1989年ISK30周年誌)
中馬誠二さんの写真
中馬誠二さん
(1989年ISK30周年誌)
酒井 寿さんの写真
酒井 寿さん
(1989年ISK30周年誌)
出口沖彦さんの写真
出口沖彦さん
(1989年ISK30周年誌)
藤山洋吉さんの写真
藤山洋吉さん
(1989年ISK30周年誌)


磐梯高原と猪苗代スキー場(および周辺)の特徴


 磐梯高原は磐梯朝日画立公園の中心地で、わが国でも指折りの高原リゾートである。
 昭和観光開発(株)が、磐梯高原及び猪苗代スキー場の開発におけるパイオニアとして秀峰磐梯山の中腹に、眺望のよい閑静なリゾートホテルを建てた(昭和34年12月、磐梯ロッジを開業→後に、ホテルニュー磐梯に改名)。
 春から秋にかけてのシーズンは景膳の地、磐梯高原、猪苗代湖、歴史の町猪苗代、会津若松、喜多方等の観光周遊の基地となる。
 スポーツはゴルフ、テニス、ゲートボール、水上スキー、ウインドサーウィン、パラグライダー、ハンググライダー、登山、ハイキング等を楽しむことができる。
 特に、磐梯山、安達太良山、五色沼、裏磐梯など初心者から中級者向けの山歩き、トレッキングに適したポイントが多く近年の健康志向と相まって、そのベースとして利用されている。
 冬、スキー場の歴史は古い。1948(昭和23)年に、県営スキー場として運営が始まった。1959(昭和34)年には、ゲレンデとリフトが整備され、レジャースキー場として本格的なオープン。 約34ヘクタールのゲレンデと、1,000メートルの第1リフト、800メートルの第2リフトが整備された。
 国体、インターハイ、インター・カレンジ等の会場にもなっているダイナミックなスキー場である。初心者からエキスパートまで楽しめる、バラエティゆたかなコースがある。またスキーリフト、各レストランはゲレンデに機能的に配置され、シーズン中は約50万人のスキーヤー・で賑わいをみせている。
 平成5年12月には、赤埴エリアに第3セクターによるミネロ・ゲレンデが開設され、平成7年2月、第50回冬期国体の会場となった。昭和観光(11基)、町営(3基)、ミネロ(5基)を含めて全リフト19基が共通券で利用できる。
 客層はファミリー、グループ、団体旅行と幅広く、修学旅行、林間学校、.体験学習等の学生研修も多い。
 近年交通網の発達はめざましく東北新幹線、東北自動車道、会津鬼怒川線の開通により各方面から猪苗代へのアクセスが格段と便利になった。
(以上は、平成11年12月1日付けの「昭和観光開発株式会社の会社概況」を基データーとして利用、管理人が手を入れました。)

◇ 平成5年 5月 温泉を引湯、近隣地区を磐綿猪苗代はやま温泉と命名する。

◇ 猪苗代駅〜スキー場間の路線バス
       約20分で340円 運行:会津乗合自動車 TEL0242-62-2231
 ★'06シーズンをもって、この路線バスは廃止になり、以降は無料シャトルバスが運行されています。
◇ 2006/ 6 猪苗代スキー場は、オリックス系企業・現地法人「福島スノーアライアンス」が、昭和観光開発からリフト、レストランなどの営業譲渡を受けた。町からは、西ゲレンデのリフト、駐車場、食堂も、期間10年間で受託決定。
 同社は、2006/12にジェイ・マウンテンズ・グループ(株)に社名変更。 ちなみに2005年8月設立で、猪苗代スキー場の他に、川場リゾート、高鷲スノーパーク、ヘブンスそのはら、ノルン水上スキー場も経営。
◇ 2007(平成19)年 猪苗代スキー場の生みの親であった昭和観光開発(株)は、前年でほぼ撤退し、このシーズン終了後には完全に撤退。
◇ 2010年10月下旬(2010.10.27?)、突然のようですが、
  (通常の商取引として)猪苗代スキー場(福島県)が売却されました。但し会社名は「福島スノーアライアンス」のままで存続します。(社名は2011年のオフシーズン?に、株マックアースリゾート福島に変更)
 今までのオーナーだったジェイ・マウンテンズ・グループ株(JMG)は、手持ちのスキー場の一部を売却。(注:同社公式サイトは2011/08/23で更新が止まり、2017/07で消滅し、もしかしたら会社自体も? )
 猪苗代の新オーナーは(株)マックアース
  国境高原スノーパーク(滋賀)、ばんしゅう戸倉スノーパーク(兵庫)、黒姫高原スノーパーク、黒姫高原コスモス園、菅平高原パインビークスキー場を既に持っています。
注:
 ジェイ・マウンテンズ・グループ株(JMG)は、マウンテン・リゾート創造を、、で、2005年に創設。(オリックス系?)
 ヘブンスそのはら(2006/11/01)、ノルン水上スキー場(2006/11/16)、高鷲スノーパーク(2006/12/01)、「ユートピアサイオト」および「アサヒテングストンスキー場」(2007/07/19)、箱館山スキー場(2007/12/07)、ダイナランド(2008/01/10)、ひるがの高原スキー場(2008/03/31)、などのスキー場を持っていた。( )内は取得した年月日。

◇ 平成23年9月末、
 猪苗代スキー場ミネロは、運営を「株式会社マックアースリゾート福島」に承継し、今後は猪苗代スキー場の事業を一本化。
 分かり易くいえば、猪苗代スキー場はすべてマックアースリゾート福島の経営下になったということです。
◇'12シーズン
 はやま第1リフト、第2リフト、第3リフト、第5リフト、第7リフト、
 ミネロ第1リフト、第3リフト、第4リフト、
   以上のリフト総数は8種類の計8〜9基。はやま第2リフトは2基とも搬機は付いていたが、内1基は運転しなかったのではないだろうか?

 ミネロ第1リフト(1250m)は、 8:30〜16:30(土日祝日・年末年始営業) 。即ち平日は、センターハウスも、ゲレンデ正面にあるミネロ第1リフトも運営取りやめです。
 ミネロ第2リフトは、が案内から消えています。ちなみに近年は、このリフトが動いているのを見た記憶はありません。
 ミネロのナイターは案内から消えています。

 また猪苗代中央でも、第4リフト、第6リフト、第8リフトが案内から消えています。第4リフト、第6リフトには搬機も付いていません。第8リフトには搬機は付いています(2012.2.03のみ1日営業)。
 はやま第5リフト(372m)は、 9:00〜16:00(土日祝日・年末年始営業)。即ち平日は、運休です。但し予想以上に賑わい、2月下旬〜3月上旬は平日も多く運転。

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開業間もない頃(1960年頃)の猪苗代スキー場


開業間もない頃(1960年頃)の猪苗代スキー場。
           (猪苗代町・小林書店提供)
 猪苗代スキー場は、県営スキー場として1948(昭和23)年に運営が始まった。各種の県大会をはじめ高松宮杯争奪ジャンプ大会や全国高校スキー大会などが開催される競技スキー場だった。
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 その後、レジャーとしてのスキーが脚光を浴び始めた1959(昭和34)年、昭和観光開発(株)の手によりゲレンデとリフトが整備され、レジャースキー場として本格的なオープンを迎える。
 オープン当初、約34ヘクタールのゲレンデと、1,000メートルの第1リフト、800メートルの第2リフトが整備された。
 マイカーがあまり普及していなかった時代、スキー場周辺や駅前には民宿が相次いで開業。「一時は150軒ぐらいになった」という。町はスキー景気に沸いた。
 「リフトができたころは、乗り場に長い行列ができ、午前中に一本滑れたらいいほうだった」と、賑わっていた。
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 以下は土方あきらの推測も含むが、その間に、
 地元の有志たち(猪苗代町・小林書店の小林光助さん、会津若松市の高橋一良さんなど)スキー愛好者が集まり、猪苗代スキークラブ(ISK)を作り、やがてはISK食堂の設立(1959年12月28日)、磐梯ロッジ(1959年12月オープン)への資本参加などをされたのではないのだろうか。
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開業間もない頃(ほぼ1961年)の猪苗代スキー場


開業間もない頃(ほぼ1961年)の猪苗代スキー場。           (吉田嘉道さん・写真提供2012.1.23)
◇ホテルから年度を判定すれば、1961・昭和36年。
 写真にはヴィラ・イナワシロ(1961・昭和36年オープン)があって、磐梯友愛山荘(1962開設)、猪苗代観光ホテル(誕生年度は不明)も存在しない。

◇リフトから年度を判定すれば、1961・昭和36年。
 旧 町営 第1リフト (開始 S.46年1月) は存在しない。
 第3リフトは存在するが、シングルリフト 1基のみか2基存在するかは判明出来ない。(第3Aリフトは開始 S.36.12、第3Bリフトは開始 S.38.12)
 旧 第2リフト終点から斜め上に上がる第4リフト(開始 S.49.1)は存在していない。

 判明しないが、仮に第3リフトが2基存在すれば、S.38.12以降になってしまう。そうであれば、旧 第1リフトB、C 2基が開始 S.38.12 なので、第1リフトはシングルリフト3基なければいけないのだが、不確かだが3基あるようには見えない。

 以上のようにホテル、リフトの存在から考えるとほぼ1961・昭和36年の猪苗代スキー場と判断出来る。いずれにしろ貴重な写真なので、出来るだけ画質を落とさず鮮明さを保つために、大きな写真を掲載した。

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1962年(S37)頃の猪苗代スキー場



▲◇1962年(S37)頃の猪苗代スキー場・絵はがき
 第一リフト(一人乗り)はまだ1基だけで、これが2基になるのは1963年(S38)からである。

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◆'66シーズンの猪苗代スキー場の姿

(1965年10月15日発売_【岳人'66のスキー特集】より)
◇存在するリフト状況(すべてシングルリフト(一人乗り))
 第1リフト ABC3基、 第2リフト 1基、 第3リフト AB2基、 第5リフト1基、
 以上、4種類の計7基です('64シーズンと同じ)。資料では、第4リフトと書かれていますが、現・第5リフトです。当時の一時期は第4リフトと呼んでいた。

 まだ存在しないリフトは、第4リフト(誕生S.49.1)、第6リフト(誕生S.61.12)、大沢リフト(誕生S.48.12)、町営リフト(誕生S.46年1月)、町営ちびっこリフト('79無し '85は存在)。
 チビッ子ゲレンデ(=葉山ゲレンデ)、葉山迂回コース(昭和57年6月着工、12月より供用開始 )、(第2)林間コース、国体コース('74冬季国体向けに数年前に伐採、オープン→H5.11にリフトが建てられミネロスキー場誕生)は、まだ存在しません。
 (第6)林間コース新設は'87シーズンから。
 ゲレンデ近くの宿泊所は、磐梯ロッジ(昭和34年12月開設)、ヴィラ・イナワシロ(1961年開設)、友愛山荘(1962年開設)の3軒。まだ高原ホテル(1962年?開設)、猪苗代観光ホテル(開設年不明)は存在しません。

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◆'75-77の間のあるシーズンの猪苗代スキー場の姿

(ヴィラ・イナワシロのパンフレット(イラスト谷井健三さん))
◇存在するリフト状況(すべてシングルリフト(一人乗り))
 第1リフト ABC3基、 第2リフト 2基、 第3リフト AB2基、 第4リフト1基(誕生S.49.1)、 第5リフト1基、
町営リフト2基、(誕生S.46年1月) 大沢リフト1基、(誕生S.48.12)、
 以上、7種類の計10基です。

 まだ存在しないリフトは、第6リフト(誕生S.61.12)、町営ちびっこリフト('79無し '85は存在)
 葉山迂回コース(昭和57年6月着工、12月より供用開始 )は、まだ存在しません。
 (第6)林間コース新設は'87シーズンから。
 ゲレンデ近くの宿泊所は、磐梯ロッジ(昭和34年12月開設)、ヴィラ・イナワシロ(1961年開設)、友愛山荘(1962年開設)、高原ホテル(1962年?開設)、(営林署?)猪苗代山の家(71-77の間の設立)の5軒。まだ、猪苗代観光ホテル(開設年不明)は存在しません。

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◆'85シーズンの猪苗代スキー場の姿

1984年11月01日発売_ベースボールマガジン社【全国スキー場ゲレンデ案内】より)

 コブだらけの振り子坂。'82に圧雪車が1台導入されて、この状態まで改善されたが、それ以前の振り子坂は、コブが成長すればとても滑れないほどだった。
・詳しくは、猪苗代の◆圧雪車 / オートゲート

◇存在するリフト状況(すべてシングルリフト(一人乗り))
 第1リフト ABC3基 1,000m、 第2リフト AB2基 700m、 第3リフト AB2基 500m、 第4リフト 600m、 第5リフト 400m、 大沢リフト 400m、 町営リフト AB2基 700m
 チビッ子ゲレンデは存在するが、リフトは無し。第5リフトはシングルが1基のみ。

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【超大物スキーヤーと猪苗代スキー場】 (と動画)

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丸ボタン猪苗代町からスキーの特許誕生 丸ボタン
 スキー板とストックを一体にした「新型スキー」を福島県猪苗代町関都の写真家、佐藤悦夫さん(58)が発明し、特許を取った。
 開発した新型スキーはU字形になっている。ストックが前にふくらんで曲線を描き、スキー板の先端にくっついたような形だ。
 新型スキーの開発を2004年に始めた。
 試行錯誤し、五つの試作品を経て07年5月に特許を申請した。しかし、特許庁の審査の中で「そりを二つ並べただけ」との指摘などもあって難航。郡山市の弁理士の協力も得て、昨年9月にようやく「雪上滑走用具」の名称で特許登録された。
 特許を取るまでに、材料費や事務費など約200万円かかった。
実は、佐藤さんはあまりスキーが得意ではない。それでも、緩やかな斜面で滑る場合には新型スキーを使った方が、一般的なスキーよりも滑りやすかったという。一方で、スピードが出たときの安全性の確認、材質の研究は実用化に向けた課題と考えている。
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【スキー、これなら転ばない? 板とストック一体型に特許】(2011年2月27日 asahi.com/) より要約
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 (残念ながら正直な話、この特許に対し当サイト管理人は、あまり感心はしていません。)

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