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慎んで磐梯ひじかたss の主な歩み(年譜)の報告


★★ スクール参考年譜 ★★
    1967 昭和42年秋 '68 磐梯プロスキースクール設立
   (その後、'70 磐梯チロリア・スキースクール → '73 チロリアスキースクールと改名し、
    1977年 6月 磐梯ひじかたスキースクールに変更)。

【1960年代】    ( 1960年代  1970年代  1980年代  1990年代  2000年代へ)

スクール活動小史 '68   同 menu

('68〜  S43夏(1.5カ月)   オーストラリアのタトラSSでコーチ=土方)
'68   S42秋  磐梯プロSS設立
'68   1968.5 第1回栂池春スキーツアー/共催=北アルプス総合案内所/10年ほど続く
'68   矢野= (株)日欧と契約(S43.5〜S54?)/(日の出スポーツ早川才二氏より紹介)
'69   幸いなる大雪の年=深雪の日も多く、宿舎プレハブドア開かないこと度々
'69?〜  1か2シーズン?  故・福西氏(会津若松・大阪屋)より、パブリカを無償貸与
'69   ソニーの携帯用軽量VTRを購入=今から見れば、大型重量級で、テープはオープンリール式

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【1970年代】    ( 1960年代  1970年代  1980年代  1990年代  2000年代へ)

スクール活動小史 '70   同 menu

'70   (株)エバニューとSS契約(S44.9〜49秋)、磐梯チロリアSSに校名を変更
      上記に伴いエバニューより、「磐チロ」に塗装したハイエース(トヨタ)を無償提供いただく
'70〜  S44.9〜46.8  岡山  要商店(アストロスキー靴)   技術顧問としてSS契約
'70〜  S44.5〜49.6  (株)金田スキー製作所と土方が個人契約= 一柳定夫カメラマン紹介による
'70〜  S45.7〜.9  土方= イタリアのパッソステルビィオのピロバノSSでコーチ
'70〜  S45夏(1.5カ月)   オーストラリアのタトラSSでコーチ=大島、村井
'70   S45.7.23〜8.5 JTB主催(担当松田)第1回オーストラリアツアー/参加=矢野 +大島(現地合流)
'70?  S45頃 16o映画「チロリア・スキースクール」 =奥山 章プロダクション
     S45頃 16o映画「アクロバットスキー」 =奥山 章プロダクション
'71   S45.6〜46.5  (株)日本オート輸送(リフト・メーカー) 技術顧問としてSS契約
'71   S46.7〜.9   16o映画「8月に雪の降る国」=奥山 章プロダクション/ 原、矢野、土方、大島、村井の5名
      第2回 '71オーストラリア・スキーツアー参加スタッフ  = 原、矢野、土方、大島、村井の5名
'71   橘 宣安、光弘兄弟=黒姫スキー場で独立
'72   S46.11  矢野邦史=立山の初滑り合宿で脚を骨折(春の栂池ツアーでは肩を骨折)
'72   S46.12  赤面スキー場オープン  分校開設 / 担当スタッフは数名のチームで入れ替え
'72   1972=S47.3〜.5   土方=フランス国立登山SSに招待留学
'72   1972=S47.7〜.8   16o映画「ブルースノー・イン・ニュージーランド」=反保公嘉プロ
'72       ニュージーランド映画撮影=土方 大島 佐藤 後上 4名
'72   S47.7〜.8  第3回オーストラリア・スキーツアー参加スタッフ = 矢野、小桧山+NZより佐藤、後上
'73   磐梯チロリアSSより、チロリアSSに校名を変更
'73   ヤナバスキー場オープン分校開設/担当=松崎、村井、矢野公二、鈴木
1973  上越国際プロスキー大会    渡部寿雄=エアリアル2位
1973.4 大雪山プロレース参加=土方 大島 渡部 村井
'74                                       ふくしま国体(S49 第29回 国体冬季大会)=猪苗代がスキー会場
'74   SIAの標語になっている【安全なスキーをSIA】を土方が提案
'74   矢野+渡部(寿)+白旗史朗カメラマン= インドへ
'74   佐藤義彦=赤面スキー場で独立   /    村井正太郎=ヤナバスキー場で独立
'74?  (株)日欧の好意により、日産グロリア(バンタイプ)のクルマを無償提供いただく
'75   S50.3〜.5  土方=実業之日本(SKI75)の取材でカナダへ、インディアンの家に下宿
'75〜 S49.11〜52.6  (株)日欧(アトミックスキー、サンマルコ靴他)=土方、大島が個人契約 / 初年度
'75   スタッフ宿舎はプレハブ最後の年(但し一部は昭和観光に返却?)、翌年からシャトー磐雪へ
     1年のみSS事務所(磐梯ロッジ)下にキャンピングカー2台を置き、一部が宿泊利用+プレハブ
'76   S51.3〜.4  土方='76アメリカ・ナショナルスキー会議に招待参加(同行者=見谷昌禧氏)
'76〜  コーチ宿は、今までの磐梯ロッジからシャトー磐雪へ移る。女子部屋でボヤ事件発生
'77   設立10年め
'77   S51.11 土方=イタリアスキー連盟に招待留学、国家検定スキー教師の資格取得
'78   大雪で4月まで滑れたシーズン
'78   S52.6    チロリアSSより、磐梯ひじかたSSに校名を変更
'78   宿舎・事務所も、ヴィラ・イナワシロに移り、ディスコと貸しスキーを経営
'78   オリジナルステッカー(谷井建三氏デザイン)をスキー場の各売店で好評販売
'79                                  ひどい雪不足の年 = 1月15日過ぎまで雪なしシーズン
'79   土方およびSS事務所= 西新橋から、ひばりケ丘へ転居
'79   有能多才な月岡一公が加入、現在に至る(前 志賀石の湯パラレルSS)
'79   土方=第11回インタースキー(世界スキー指導者会議)蔵王 / 日本大会役員(54.1〜.2)
             渡部(寿)、大島、月岡、岩花が蔵王で見学
'79   当SSオリジナル絵はがきセット(末廣 明氏撮影)を、ヴィラやISK売店などでも販売
'79〜 【WE LOVE SKIING INAW…】Tシャツを岩花光博が作成。
             猪苗代、会津若松JRのキヨスク売店でも好評販売。
'79   長渡(崎田)淳子(72-79)最後のシーズン。8冬のお勤め有り難うございました。
     スクール初期のころからの苦楽を共にした仲間です。
'79   池内雅胤(70-79)最後のシーズン。10冬のお勤め有り難うございました。
     スクール初期のころからの苦楽を共にした仲間です。

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【1980年代】    ( 1960年代  1970年代  1980年代  1990年代  2000年代へ)

スクール活動小史 '80   同 menu

'80                                   前年に続き、ひどい雪不足の年
'80                                      猪苗代にクナイスルSSが開校(校長=山口幸雄氏)
'80   スタッフとの契約形態を大幅に変更(総売上額によって日当のスライド制の誕生)
'80   松崎 実(73-80)最後のシーズン。10冬のお勤め有り難うございました。
     設立初期から苦楽を共にした仲間であり、恩人です。
     待望のスポーツライフ(スポーツ店)のオーナーとなる。万歳三唱!
'80   月岡一公=カナダのバンフSSへ1冬。カナダ国家検定スキー教師を取得。帰国後に結婚
'81   猪苗代にニュー磐梯SSが開校(校長=橘 宣安氏)
'81   大島清史=SIAスキー技術部員選考会(いわゆるデモ選)に合格し、初認定
'81   岩花光博(74-81)最後のシーズン。8冬のお勤め有り難うございました。
     設立初期から苦楽を共にした仲間であり、大恩人です。
     しかし、'91から助っ人として復活いただいています。
'81〜  56.8〜美津濃(株)  技術顧問として土方が個人契約(1998/7まで)
'82                                猪苗代への降雪は不足し、ゲレンデの緑を悲しくもしばし楽しむ
'83   原 正 =  当SS会長に就任(なお、'68〜'77の磐プロ、磐チロ、チロリアSSの10年間= 校長)
'83   名手、薄衣敏明(83-86)(初 前・ジャパンパラレルSS副校長)が加入
'83   外山佳代子(初 前・カメラードSS)が加入
'83   浅沼義雄=石打PSSへ出向('83と'84)。土方「修行に出ろ」に、浅沼「エッ、クビですか」と!
1983.4  安比SIAスキー技術部員選考会で、大島清史12?位、薄衣敏明7位。
1983.4  SIAスキー学校対抗  親善GSL大会(安比) 3位(大島、薄衣、細矢チーム)
1983.6  スキービジネス(SB)研究会が発足(1995現在に至る)
          発足メンバー:細貝 威(コパンブランSS)、黒川正博(レッツSS)、末廣 明(スキーカメラマン)
                     土方あきら(磐梯ひじかたSS)、村井正太郎(ばんだいコアラSS)
         1985秋追加:淡河 寛(AGAパラレルSS)、福田繁雄(笠岳SS)、斉藤隆恭(ホワイトスターSS)
'84                                 猪苗代への降雪は、幸いに恵まれる
'84   山中啓一(世田谷区)(初 前・志賀石の湯パラレルSS)、上原富弘(初 日大郡山3)などが加入
1984.4  SIAスキー学校対抗  親善GSL大会(斑尾) 3位(大島、薄衣、土方チーム)
1984.7 原 正先生が逝去。享年59歳?
'85                                 猪苗代への降雪は、2年続きで幸いに恵まれる
'85   学生団体レッスン 2校= 真岡工 + 夢の台高校(約コーチ40名の初の大型校担当)
'85                                  猪苗代への降雪は、3年続きの奇跡で幸いに恵まれる
1985.4.15/16   SIAスキー技術部員選考会= 大島清史(5回め)、薄衣敏明(3位)が認定。
'86   学生団体レッスン 2校= コーチ50名規模の大船高校スタート(='04現在まで続く)
'86   渡部寿雄(71-96)15シーズン常勤後、今冬からは非常勤スタッフに変更。
     スクール初期のころからの苦楽を共にした仲間です。
'86   大島清史最後(69-86)最後のシーズン。18冬のお勤め有り難うございました。
     設立初期から苦楽を共にした仲間であり、大恩人です。
1986.4  SIAスキー学校対抗  親善GSL大会(安比) 3位
'87   設立20年め / 磐梯ひじかたSSになり10年め / ヴィラ本館5Fに事務所が栄転?
1986.末. 昭和61年.末                          猪苗代リゾートスキー場が誕生
'87                                   猪苗代への降雪は、悲しくも不足
'87   学生団体レッスン 8校= 本格的にスタート。
    房総学園 越谷高校 茎崎高校 上郷高校大船高校 三郷高校 法政2中 真岡工業
      助っ人制度もスタート初年度。前田 博(87-03も続く)、斎藤良寿(97-98)、鴨田隆夫さんなど。
'87   大島清史(19)=藤島SSへ  薄衣敏明(4)=独立し猫魔SS設立  横山茂一(5)=猫魔SSへ
'88   猪苗代の降雪=2年続きで悲しくも不足。初滑りとトレーニングで台鞍山に出かける
'88   外山佳代子6 = ヴィラを退社しSS年間雇用。コパンブランSS他へ研修出向、入山無し
'89   猪苗代への降雪は、3年続きで悲しくも不足。SS倒産も寸前か!
1989.11. 平成元年.12                          箕輪スキー場が誕生
1993.11. 平成 5年                            ミネロスキー場が誕生
1989.3. 雪不足のためSB研究会の仲間の三国スキー場(ホワイトスターSS斉藤隆恭校長)に
     多田、吉田(京)、金山が出かけ、ポールトレーニングを受け、滑る。
'89   1988.4.22 毎日と読売新聞に『SIAはSAJの傘下に、、が決定』の誤報記事が掲載
'89   土方=SIA理事( 63.6〜H1.5)←上記の、SAJからの吸収合併の圧力対策のため就任
       関心のある方は、「今だから明かす SIAがSAJに吸収?事件顛末」をどうぞ。
'89   【もしコースレッスンでご満足いただけなければ、レッスン料を返金】を打ち出す。
'89   【WE LOVE SKIING IN INAWASHIRO】('79に岩花光博作のロゴマーク)を、
     ユニフォーム(ミズノ製/ポピーレッド色)の背中に入れた初年度。'95まで継続

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【1990年代】    ( 1960年代  1970年代  1980年代  1990年代  2000年代へ)

スクール活動小史 '90   同 menu

'90   
1989.6  斎藤俊蔵=業務中ミスで3万?ボルトの高圧線に触れ感電。瀕死の事故
1989.秋〜 ヴィライナワシロが増築(客室を19プラスし、総畳数980畳に)
'90                         猪苗代への降雪は、悲しくも不足。4年連続は未経験のこと、SS倒産確実か!
1990.3. 雪不足のため、SB研究会の仲間の三国スキー場(ホワイトスターSS斉藤隆恭校長)に
     菊池、上原、荒川が出かけ、ポールトレーニングを受け、滑る。
'91                       猪苗代への降雪は、十分。4年連続の雪不足のあとだけに、ただ嬉し涙
'91   1991.3.2〜8  スタッフ研修?カナダスキー旅行= 細矢 外山 山中 久保 吉田(京) 吉田(嘉)
'91   かっての常勤スタッフ岩花光博(74-81)、助っ人として復活いただいています。
'92   961計画=「1996年に学生団体レッスンとサービスの質、日本一を目指す」を宣言
'92   デモ選(安比)=井上(40)、荒川(41)、久保、斉藤岳二(78)。( )内=最終順位
'92   金山 博(84-92)最後のシーズン。9冬のお勤め有り難うございました。
'93   【万一レッスンにご不満のときは、レッスン料をすべて返金】を打ち出す。
      '89の宣言は「コースレッスンのみ対象」が、'93からは団体を除くすべてのレッスンが対象。
      しかも、理由のいかんは問わず。'95まで現在、幸いにもクレームなし。
'93   猪苗代への降雪は十分。
'93   デモ選(斑尾)=井上54(42)、荒川49(60)、新田190、久保196、土方167、吉田(京)28、
           大西34の7名。()外は予選順位、()内は予選通過者の最終順位
'94   デモ選(斑尾)=井上(予選70 決勝9 最終37位)、水上、久保、渡辺(一)、宮田、土方
'94     1993年11月 ミネロスキー場オープン。'93/94冬より人工降雪機を設置。以降はこの効果もあり、雪不足による悲鳴は止まる
'94   上原富弘(84-94)最後のシーズン。11冬のお勤め有り難うございました。
'94   菊池和彦(89-94)最後のシーズン。6冬のお勤め有り難うございました。
     しかし以降もスクールに泣きつかれ、パンク時の助っ人を。
'94   多田幸義(82-94)最後のシーズン。12冬のお勤め有り難うございました。
1994.3.15 磐チロ時代からのスクールの恩人・濱中利博様がご逝去(73-80濱中利明父上)
'95   1994秋  土方= ベストセラーで蔵を建てることを夢見て17、18冊目の単行本出版
'95   【ゴミ貯金】をスタート。ゲレンデや道路に落ちているゴミを、当SSが買い取り
     その金額相当分を、自然保護とユニセフに寄付をする= というシステム。
'95                                  ふくしま国体開催(第50回 国体冬季大会)=猪苗代がスキー会場
'95   強力な新人・田端 敦(初 前・猪苗代プロSS主任)が加入。
1995.3.18   新田コーチ= 右脚の靭帯損傷の重傷= コースのお客さまに衝突される。
1995.4  新田美幸(終8)最後のシーズン。常勤8冬のお勤め有り難うございました。
1995.4  細矢 誠=引退。大島19冬に続く、16冬ものムショ(当SS)暮らしご苦労様でした。
'95〜  利息が開発途上国に寄付される『国際ボランティア貯金』SS口座開設(郵貯)。
'96   渡部寿雄(71-96)最後のシーズン。16冬のお勤め有り難うございました。
     設立初期から苦楽を共にした仲間であり、大恩人です。
'97   設立30年め / 磐梯ひじかたSSに変わってからは20年め
'97   大西千佳(90-97)最後のシーズン。8冬のお勤め有り難うございました。但し98のみ助っ人として短期。
1997.9  当スクールの大恩人エバニュー社長・岩井富士男さまご逝去。
     '68独立と同時に、当時は専務の岩井富士男さんご夫妻から暖かい援助。2年後から5年間、契約をいただきました。
'98   現役SIAデモンストレーター柴田邦弘(98-99)が加入。
'98   五十嵐 伸(90-98)最後のシーズン。9冬のお勤め有り難うございました。
'99   吉田京子(86-99)最後のシーズン。14冬のお勤め有り難うございました。
     しかし以降も超単発でたまに入山いただいています。

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【2000年代】    ( 1960年代  1970年代  1980年代  1990年代  2000年代へ)

スクール活動小史 '00   同 menu


'00   矢野邦史、大島清史、土方あきらを契約し、スクールを支えてくれた大恩人である (株)日欧の社長 高橋秀輔様が永眠。
     (当時はアトミックスキー、サンマルコ靴などの代理店) 例えば土方は、74/11〜77/6の3年間の契約をいただき、
     主な仕事は、毎月1回給料を受け取りに行くこと=信じられますか。
'00   荒川和人(86-00)最後のシーズン。15冬のお勤め有り難うございました。
'00   井上裕明(87-00)最後のシーズン。14冬のお勤め有り難うございました。
      独立。翌シーズンより子どものスクール「FORTUNE Pee-Wee Lesson」(猪苗代リゾート)を設立。
'01   それまでは現地集合、現地解散だったJRコース。春休みに限り送迎コース誕生(宇都宮、上野駅などでの集合・解散)。
      このスタートに当たり00-01木南有里さんに、他校で経験したノウハウを教わりました。
      この送迎コースが発展し、それとHPと相まって、'06頃からJRコース客70%がインターネット経由になります。
'04   新3代目校長 田端 敦体制でスタート。
     2代目校長('78〜'03)土方あきらさん、16冬の校長職ご苦労様でした。と自分で慰めています。
'06   岩花光博が助っ人としても引退。(74〜81の8年はスタッフ、その間'80に3代目副校長、91〜06の16年常勤助っ人、計24冬)
'07   川又好文が助っ人としても引退。(96〜99の4年はスタッフ、00〜07の8年は常勤助っ人、計12冬(07のみ短期助っ人))
'08   超大物・69-86+08-11大島清史が復活('81当スクール4代目 副校長、日本代表デモは3回)。
     スクールの恩人・小林泰二さん2008/9/09没  86歳?。(猪苗代町 元・ムラセスポーツ 元・SAJ福島県連理事長)
2008/10    制度復活に伴い、利息が開発途上国に寄付される『国際ボランティア貯金』SS口座復活(郵貯)
'09   八木正路 = 主任コーチに就任。
2011年(平成23年)3月11日(金)  東日本大震災が発生。4月に義援金として100万円を。(ユニセフ他寄付
2012.3.25   45シーズンにわたるレッスン活動を終了。
   (決して原発事故が原因で逃げた訳ではありません。お世話になってきた会津に対し、そのような失礼は致しません。)
    本当に有り難うございました。  2012.4.01 土方あきら

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